訓練所 -2
食堂に入ると良い香りがする。これは肉料理と野菜スープの香りだ。焼きたてのパンの香りもする。胸いっぱいに香りを吸い込むと、それだけで幸せな気分になる。
この国は決して貧しくはない。けれど一方で戦争孤児も珍しくはなく、育ち盛りのこの時期にたらふく食べられるよう食事に力を入れていると前世で聞いたことがある。
私は自分の分の食事を取ると百音を探した。どちらか先に来た方が席を確保すると決めているのだが、どうやら百音はまだ来ていないようだ。適当に席を確保したその時、不意に名前を呼ばれた。
「真白〜!」
顔を上げると大きく手を振る飛鳥がいた。飛鳥はトレーを持ってこちらに小走りで駆け寄ってくると眉を垂れた。
「俺らも混ぜてくんね?」
飛鳥の後ろを見ると、いつも一緒にいる聖と青もいる。周りを見回すと、ちょうど飲み始めたタイミングらしく三人で座れそうなテーブルは埋まっていた。
「もちろん。三人が来れるように広いテーブルにしたから。」
そう返すと、飛鳥は「ありがと!」と言って私の隣に腰掛けた。聖は飛鳥の正面に、その隣に青が腰掛けた。二人からもお礼を言われたタイミングで百音がやって来て、空いていた私の正面に腰掛けた。
「お待たせ! 席ありがとう真白。」
「ううん。」
「んでアンタたちは自分で席取りなさいよね!」
百音は聖に向き直ると、物凄い顔で彼を睨みつけた。
「お前だって自分で席取ってねぇだろ。」
「私たちはお互い様だからいいんですぅ!」
「はー、ケチ臭ぇなぁ。」
「なんだと!?」
二人は互いに睨み合いながら食事を進めていく。日常茶飯事すぎて気にしない飛鳥を尻目に、私と青は目を見合わせて苦笑した。こんなに喧嘩するなら近づかなければいいのに、二人はなぜかいつも近くに座る。なんだかんだ仲が良いのだ。
訓練が始まって約一月が経った。いつの間にか私たちは五人で過ごすことが当たり前になった。きっかけは分からない。けれど一緒にいるとなぜか心地良くて、それがいつしか当たり前になったのだ。
私は食事を口に運びながら目の前の光景に笑みを溢した。幸せだ。前世の記憶は曖昧な部分が多く、節目の出来事以外は朧げだ。だから前世でも彼らと友達だったのかは正直分からない。前世と異なる道を選んでいる可能性を考えるとどうしようもなく不安になるけれど、私には彼らを突き放すことなんてできない。そのくらい、今ではもう大切な存在になってしまった。
「美味いか!?」
不意に顔を覗き込んだ飛鳥に尋ねられた。驚いて少し戸惑いながらも「うん」と返すと、飛鳥はやっぱりニカッと笑った。
「飯が美味いだけで幸せだよな!」
「うん。」
「真白は素直で可愛いなー! 好き!」
「ふふ、ありがとう。」
飛鳥はなぜか知り合った頃からこうして好意を伝えてくれる。それが友達としてなのか恋愛的な意味なのかは分からないけれど、私はただ感謝を伝える。それが通常運転になってきていた。
オレンジの髪にオレンジの瞳。性格も相まって、本当に太陽みたいな人だ。顔の横の髪を一房伸ばし、それを三つ編みにしているのが特徴的だ。詳しくは知らないが、それは村の風習らしい。
「聖もあのくらい素直だといいんだけどねぇ?」
「突っかかってくんな。飯が不味くなる。」
「なるわけないでしょ!? 可愛い私の隣にいるんだから!」
「へーへー。」
聖はうるさそうに顔を背けて大きな溜め息を吐いた。襟足だけ少し伸びた紫の髪も相まってか、少し気怠げな雰囲気を感じるのは年頃のせいだからだろうか。それとも相手が百音だからだろうか。
「二人ともその辺にしておきなよ。真白が困ってるじゃない。」
今の流れで私に振るんですか、青さん…。
「どっちかって言うと、今の青のキラーパスに困ってるけどな!」
飛鳥まで余計なことを言う。青は一瞬キョトンとした後、「ごめんね」と苦笑した。
藍色の髪と藍色の瞳の青は大家族の長男らしく、しっかりしていて穏やかだ。男子三人のまとめ役をなんとなく担っている部分がある。おっとりという意味では私と一番性格が近いように感じるけれど、同時に少し天然でもあるので、そういうときは少し恐ろしく感じる。
「さて、お腹いっぱいになったし! お風呂行こ! 真白!」
「うん。でもその前に稽古したいから、もしだったら先に入ってて。」
「真白は偉いなぁ。」
百音が項垂れると、それに伴ってピンクの猫毛がフワフワと揺れた。可愛い物やオシャレが大好きな百音は、あまり訓練には積極的ではない。けれど元々活発なせいか体術や武術のセンスはとても良いのでもったいない。
「今日は何するの?」
「とりあえずランニングと体術かな。基礎を作らないと。」
「はー、偉すぎ! 私は眠いから、部屋で寝て待ってるね!」
「うん、ありがとう。」
食器を下げると、百音と一旦分かれて寮に併設された訓練場へと向かった。飛鳥と聖も一緒だ。青は明日に備えて早めに眠るからとそのまま風呂に向かった。
準備運動をしていると、聖が隣に立った。珍しいこともあるものだ。
「お前、なんで必死なんだ?」
「…そう見える?」
「あぁ。」
「んん〜。守りたいもの、たくさんあるからかな。」
たった一月。されど一月。私には守りたいものがたくさんできた。
「…あっそ。」
そう言い捨てると、聖は私を置いて走り出した。実は唯一、気になっていることがある。それは、どうやら私は聖に嫌われているらしい、ということだった。