98話 主役は遅れてやってくる
「これはまずいわね」
冒険者ギルド、タクティス支店の職員レオーニが誰に言うでもなく呟く。
珍しく弱音を吐いたレオーニだったが、冒険者ギルドの喧騒に掻き消されて誰の耳にも届かない。
この一週間で魔獣による被害が多発していた。
事の発端はタクティス子爵領の東部に広がる森林地帯に出現した、リーフマンティスの群れである。
リーフマンティスは縄張りを持ち単独行動をする魔獣だ。
なので群れていたという報告を聞いた時は、長年ギルド職員を務めているレオーニでさえ初めてのことで驚いた。
これは大事になるかもしれない。
身構えたレオーニだったが……その時は肩透かしに終わった。
お忍びで偶然タクティス子爵領にやってきていた隣領の貴族一行によって、そのリーフマンティスの群れは一掃されたからだ。
ゴードンという地元の冒険者が犠牲になりかけたが、幸いにも武装の破損だけで済んでいた。
冒険者ギルドは過去の教訓もあり、他に異常発生している魔獣がいないか冒険者に調査を依頼した。
リーフマンティスの一件から二、三日の間は変化がなく、取り越し苦労かと気を緩めかけた四日目。
魔獣の目撃報告が増加し、近隣集落で被害が出始めてしまった。
「タクティス子爵に状況説明と応援要請を出す。……これは一年前と同じかもしれん」
事態を重く見たギルド支店長はすぐに動く。
一年前にも魔獣の異常繁殖により、タクティス子爵領は窮地に立たされたことがあった。
子爵家の騎士団と冒険者たちを総動員して討伐に挑んだが、東部の農村で大きな被害が出てしまう。
タクティス子爵領の民と魔獣との戦いは痛み分けとなった。
魔獣の数を減らし鎮静化させることには成功したが、討伐部隊の陣頭指揮を執っていた領主の息子ラスティが負傷。
一命は取り留めたものの右足を失う大怪我をしていた。
「今度はリティス様が前線に出るとか言い出しかねん。それで痕の残る傷なんて負わせてみろ。子爵様に処刑されるのは当然だが、自領の姫様も守れないような名折れ冒険者でいいのかてめぇら!」
「いいわけねぇぞ!」
「そうだそうだ!」
元第二位階冒険者で叩き上げの、前線を退いても尚筋骨隆々のギルド支店長が発破をかける。
すると冒険者たちから呼応する声が次々と上がった。
「リティスの嬢ちゃんまで怪我させるわけにはいかんじゃろ」
「そうだな。貴族なのに俺達に優しくしてくれるのはリティス様くらいだからな」
リティスは貴族の娘だというのに冒険者ギルドに出入りし、粗暴な冒険者たちと共に魔獣を狩っていた。
傍若無人な振る舞いに辟易しながらも、冒険者たちはリティスを受け入れ仲間だと認めていた。
魔獣討伐を終えてくたくたになって帰ってきたばかりの冒険者たちだったが、すぐに次の魔獣討伐のためにギルドを出て行く。
粗暴な冒険者たちがうら若い貴族の娘に懐いているという事実にレオーニの頬は緩んだが、気を引き締め直して魔獣討伐部隊の編成作業に取り組む。
支店長の言う通り一年前の魔獣の異常繁殖と状況がよく似ていた。
魔獣の数が多くて討伐する冒険者の数が全然足りない。
「異常繁殖の原因は一体何なんでしょうか」
「真っ先に考えられるのは新たな〈迷宮〉の誕生だけど、迷宮の痕跡が見当たらないのよね」
一緒に作業していた後輩職員の疑問にレオーニが答えた。
迷宮は神々が作り、このアトルランで生きる人々に与えられた試練の場だと言われている。
迷宮の入口の仕様は様々で、天然の洞窟であったり塔であったり、古城の地下へ続く階段であったりするが、内部の構造には共通点があった。
内部は複数の階層によって隔たれていて、物理的な広さや環境が迷宮の内と外で一致しないのだ。
外観が直径十メートル、高さ三十メートルの塔だというのに、中に入ると何故か地下へ降りる階段が続いていて、数百メートル四方の迷路が何層も連なっていたりすることもある。
他にもまるで迷宮の内部とは思えない森林が広がっていたり、更には砂漠や海になっている場所もあった。
そして各階層には様々な魔獣や闇の眷属が生息し、独自の生態系が成立している。
予兆もなく急に魔獣が増える理由として未発見、もしくは放棄された迷宮から溢れ出てきたという事例が他所ではいくつもあった。
「もし原因が迷宮なら入口を封鎖すれば魔獣の氾濫は抑えられる。でも迷宮が見つからない以上、とにかく魔獣を間引くしかないわ」
だがしかし、状況は一年前より悪くなりつつあった。
とにかく魔獣の数が多いのだ。
タクティス子爵は寄親であるフロント伯爵に応援要請を出しているらしいのだが、どういうわけか一向に応援はやってこなかった。
このままでは子爵の騎士団と冒険者たちがもたない。
誰もが絶望して諦めてしまいそうになった時、見知らぬ人物が二人、冒険者ギルドにやってきた。
一人は金髪をオールバックにした軽薄そうな男で、着崩したシャツとズボンの上に豪華な刺繍付きのローブを羽織っている。
もう一人は妙齢の美女で、萌黄色の髪をお団子にしていて、男と同じ豪華なローブ姿だ。
その姿を見てレオーニは飛び上がるように立ち上がり、ギルドの受付カウンターから飛び出し駆け寄った。
「失礼ですが、宮廷魔術師の方とお見受けします。お名前を伺っても宜しいでしょうか」
「いいとも。俺がランディでこっちがレニアミルアだ」
「!? もしや〈雷霆〉様と、〈大瀑布〉様ですか?」
その二つ名を聞いてにわかに冒険者たちがざわめき始める。
「ああそうだ。まさかエンフィールド男爵領に向かう途中でこんな事態に出くわすとはな。魔獣の氾濫で苦戦しているのだろう? 加勢しよう」
ざわめきが歓声に変わった瞬間であった。