92話 みんなの未来
『今なんでもするって言った』
『えっ』
にぎやかな食堂の光景を微笑ましく眺めていたシキの元に、いつのまにかエルがやってきていた。
桃色の瞳がじっと見上げてくる。
『言った』
『もちろん俺のできる範囲ならなんでもするぞ』
『お、それならあたしと訓練しようぜ。大将』
グラスでは物足りないようで、ジョッキに並々と注がれた赤ワインを傾けながら、フェリデアもシキの側にやってくる。
小走りくらいのスピードが出ていたはずだが、赤ワインの入ったジョッキの水面は僅かにしか揺れていなかった。
フェリデアは青い髪のショートカットに黄金色の瞳が映える美女で、頭頂部には獣の耳が付いている。
柄は黒地に白い斑点が一つあるもので、いわゆる虎耳状斑―――虎耳だ。
泥濁色の軍服は半袖にホットパンツと軽装で、そこから延びる四肢は逞しいが女性らしい曲線は損なわれていない。
ローライズなホットパンツの腰の後ろからは虎の尾が飛び出し、ゆらゆらと揺れていた。
『それはいつもやってるじゃない。だから却下』
『はぁ? なんでエルが却下するんだよ。あたしは大将に聞いてるんだよ。てかそのなんでもで、何をやらせたいんだよエルは』
『折角みんな集まれるようになったし、なんか特別なことがしたい』
『具体的にはないのかよ』
『あの、それだったら……』
控えめにエキュースが手を上げた。
エキュースは赤橙の髪をポニーテールにした、見た目が高校生くらいの女の子だ。
着ている軍服のデザインはルミナと同じで、夏季仕様の士官用シャツに紺のプリーツスカートを履いている。
『ここエアストで、夜はみんなと一緒に寝たいです』
『ほう、一緒に?』
シキとスプリガンたちの間には同衾シフトが存在した。
義母エリンを含めた十四名が日替わりでシキと一緒に眠っている。
『さすがに全員はサイズ的に無理かなぁ。あとここで寝るとなると母様が仲間外れになるから、すっごい怒りそう。あー、でも母様と寝る日以外ならセーフか?』
『えっ』
『〈ショップ〉で売ってるベッドもあくまで兵士用だからシングルサイズなんだよね。沢山買ってベッドマットだけ繋げてみる? それでも十四人で一緒に寝るには無理があるけど……』
そこまで聞いてお互いの認識に齟齬があることにエキュースは気が付く。
羞恥で顔を赤くしながら訂正した。
『あの、みんなで寝るといってもベッドは個別で構いません。普段は樹海の防衛で寝る時間もバラバラでなので、集まっておしゃべりしたいなぁって』
『……あー、パジャマ女子会的なやつのほうね』
勝手に同衾ありきで考え、自意識過剰なやつになってしまいシキは頬を掻く。
エキュースが恥ずかしがるのも無理はなかった。
でも二人っきりで同衾する時は恥じらいなんて……と思ったが、シキは口に出さず黙っておく。
『あら~~~シキ君。そんなにお姉さんたちと寝たかった~~?』
いつも以上にのんびりした口調のアリエが、背後からシキにしな垂れかかってきた。
躊躇なく全体重を預けてきたので、パワードスーツ〈GGX-104 ガイスト〉を着ていなければ押し倒されていただろう。
どうやらアリエは酒に弱いようで、既にべろんべろんに酔っぱらっていた。
『別にそういうわけじゃ……酒くさ! 重い!』
『ちょっと禁句を二連続で言わないで。お姉さん傷つくわ~~~』
『はい出来たわよ。回鍋肉もどき』
向こうのテーブルではセラが年少組に料理を振る舞っていた。
冷徹そうな雰囲気の美女なので意外、と言ったら失礼だがセラは料理が得意である。
シキがタクティス子爵領で見つけてきた、豆板醤に似た辛みのある発酵調味料を渡すと、セラは嬉しそうに料理研究を始めたのであった。
そして研究成果である回鍋肉もどきをシアニス、プリマ、リファ、エイヴェが美味しそうに食べている。
『皆楽しそうで良かったよ』
『マスターも楽しまれていますか?』
『もちろん。皆の意外な一面が見られて嬉しいよ。てかアリエ、酒に弱すぎない?』
シキに乗っかっていたアリエはいつの間にか寝息を立てていた。
治療薬を使えば体内のアルコールは一瞬で分解できるが、この楽しい場で使うのは野暮だろう。
『ミロード、アリエを預かります』
『お願いするよ』
恭しく一礼したリューナにアリエを引き渡す。
リューナはボリュームのある金髪が特徴的な美女だ。
どうボリュームがあるかというと、ずばり縦ロールである。
所作もメリハリがあり気品が溢れているので、軍服ではなくドレスを着ていたなら上位貴族か王族にしか見えなかっただろう。
一見すると面倒を見られる側のような雰囲気のリューナだが、実際は逆で面倒見が良い。
シュヴァルツァもたっぷり面倒を見てもらえて、よかった……よかった……。
『〈ユニット転送〉のおかげで余裕ができたし、スプリガンの皆にはエアストで寛いでもらうのもそうだけど、この世界の人々とも積極的に交流してもらいたいんだよね。ね、姉御』
『ぶふぉっ……お、御屋形様』
シキが一人でまったりワインを飲んでいたスースに話を振ると、彼女はむせた。
『ま、まあゴードンたちがエンフィールドにやってきたら、しごいてやりましょう。あの程度では樹海の魔獣には通用しませんから』
照れ隠し半分、指導できる楽しみ半分といった感じでスースが不敵な笑みを浮かべる。
スプリガンは年を取らないので、人間と長年の交流を持ってしまうと不審がられてしまうだろう。
だからといって彼女たちから交流の機会を奪うのは違うとシキは考える。
今後の状況次第だが、何ならオルティエと同様に彼女たちも精霊だと公表したっていい。
そうすればシキが亡き後も、この世界の人間と仲良くやっていけるはずだ。
……とりあえずシキがスースをからかったせいで、ゴードンたちに困難が訪れそうなので、心の中で謝っておいた。