75話 挫けた男の矜持
別に好きで昼間っから酒を飲んでいるわけではなかった。
酒を飲んでいる間は嫌なことを忘れられる、ただそれだけだ。
ゴードンはタクティス子爵領の田舎の農村の三男坊として生まれた。
家は長男が継ぎ、次男はその予備。
三男以降は下働きとして村に残るか、成り上がりを夢見て都会に出るか。
ゴードンは神からそこそこ強い加護を授かっていたので、冒険者の道を選んだ。
最初は順調だった。
持前の要領の良さと加護の力で、短期間で第四位階冒険者に昇格する。
だが順調だったのは本当に最初だけで、すぐに第三位階冒険者の壁にぶち当たった。
いや、第四位階でも冒険者としては十分立派ではある。
その証拠と言っては皮肉になるが、ゴードンはこれまでに何人もの仲間たちと死に別れてきた。
冒険者になる大半がゴードンのような家を継げない農民の子や、スラム街から逃げてきたような身寄りのない子供といった、まともに教育を受けていない連中だ。
装備のメンテナンスの重要性や魔獣と戦う際の立ち回り方を教えても、実践できず死んでいく。
彼らはゴードンがいくら教えてもなかなか覚えられなかった。
学習する下地がないこともあるが、地道で面倒な事柄を覚えさせる意欲を持たせられなかったことをゴードンは悔やんだ。
気が付けば冒険者になってから十年の月日が経っていた。
才能ある若者がゴードンを追い越していくことも稀にあったが、それよりも積み上げられた屍の数は遥かに多い。
強力な【狩猟神の加護】を持ちゴードンより遥かに有能だったローナですら、足の怪我で引退してしまった。
いかに上位冒険者になるのが難しいかがわかる。
ゴードンも長年の冒険者生活で利き腕を酷使し痛めていて、握力がだいぶ低下していた。
その影響で依頼がうまくこなせず酒浸りになる日々が増えていく。
初めて見る黒髪の女に因縁をつけた理由なんてくだらないものだ。
洗練された立ち振る舞い、圧倒的な存在感、物語の主人公のような美貌。
ああいうのが冒険者として大成するのだろう。
なんだか死んでいった仲間たちが踏み台にされたような気がして無性に腹が立った。
逆恨みにすらなっていない、ただの八つ当たりだ。
いつの間にか床に転がされ、ローナに諫められて情けなくギルドを後にした。
これでもかと醜態を晒したのに、それでも付いてきてくれる後輩たちに申し訳なかった。
だから、最期くらいは先輩冒険者の意地を見せなければならない。
「ゴードンさん、まずい。囲まれた!」
後輩の悲痛な叫びを聞いて、ゴードンは人生の振り返りを終わらせた。
落ちぶれてたからといって周囲の警戒を怠るようなヘマはしないが、魔獣のほうが一枚上手だったようだ。
リーフマンティスは樹上の木の葉に紛れて擬態するのが得意な魔獣だ。
樹上で擬態したまま潜伏し、獲物が樹木の下を通ると飛び降りて襲い掛かってくる。
擬態は巧妙だが慣れれば人の目でも見分けがつく。
樹木には沢山の種類があり、リーフマンティスはそれらに万遍なく擬態できるような、ある意味中途半端な色形をしていた。
だから周囲の同じ種類の樹木と見比べると、リーフマンティスが擬態している樹木とそうでない樹木では違和感があるので分かりやすい。
誤算だったのは、他の複数の樹木でもリーフマンティスが擬態していたことだ。
周囲にリーフマンティスが擬態している状態の樹木しかなかったため、違和感を見つけられなかった。
気が付いた時にはもう遅い。
人間と同じ大きさの巨大蟷螂が樹木から一斉に降りてきて四方を囲まれる。
ゴードンの十年間の冒険者生活の中で、リーフマンティスが群れているのは初めてのことだし、聞いたこともなかった。
「俺が突っ込んで正面の奴を押さえ込む。その間にお前たちは横から突破して街に戻れ。リーフマンティスが群れていたことをギルドに報告しろ」
「でもそれじゃあゴードンさんが……」
「全滅したらこの異常事態を誰が報告するんだよ。行くぞ!」
後輩たちの返事を待たずにゴードンが飛び出す。
リーフマンティスは両腕の鎌で抱擁するように繰り出してきたが、スライディングで掻い潜ると左腕に括り付けた盾を構えて体当たりする。
「今だ! 行け!」
「……どうかご無事で!」
ゴードンはリーフマンティスを押し倒し、その隙に後輩たちを逃がすことに成功した。
安堵したのも束の間、盾の向こう側で蟷螂の薄羽が広がると、驚異的な力で押し返される。
ゴードン自らも後方に飛んでなんとか地面に着地できたが、背後に別のリーフマンティスの気配を感じて左腕を真上に掲げた。
垂直に振り下ろされた鎌を盾が受け止める。
しかし切れ味は鋭く、盾を二つに割るだけでなくゴードンの腕を半ばまで切り裂いた。
「がああああっ!」
右手に持っている剣で鎌を弾いて距離を取る。
千切れ掛かった左腕からの血が止まらない。
元々握力が弱っていたのに加えて、痛みと出血で力が入らず剣を取り落とす。
……皆を逃がせたし十分だろう。
ゴードンはその場に座り込み、四方から迫るリーフマンティスをぼんやりと見上げた。
鎌がゆっくり持ち上がり、ゴードンの首へと振り下ろされ―――。
「仲間を救わんとするその心意気や良し」
不意に凛とした女の声が聞こえてくる。
そして目の前のリーフマンティスが突然、縦に裂けた。
一撃で頭から腹を真っ二つに両断され、リーフマンティスが崩れ落ちる。
その向こう側にいたのは昨日因縁をつけた黒髪の女だった。
鍔のない、やや反りのある奇妙な剣を油断なく構えている。
「はは……」
やはり只者ではなかったのだ。
自分の目利きは正しかったと思うと同時に、もし生きていたらちゃんと謝ろう。
冒険者としての礼節を欠いたまま死んでしまっては、あの世の仲間たちに顔向けできない。
そう誓ったところでゴードンは意識を手放した。