70話 未来を失った男の話
「叔父上、エンフィールド男爵領に向かった視察団から、最初の報告書が届きました」
甥のジルクバルド第一王子がコンスタンティンの元へ書簡を持ってきたのは、正午を少し回った頃だった。
ここは王城の最奥に建てられた尖塔で、コンスタンティンが十年以上軟禁され続けている場所である。
いつも通り軽薄な笑みを貼り付けたジルクバルドから書簡を受け取り、内容に目を通す。
「樹海に生息する魔獣を確認。魔素が濃い環境に晒されているため強力な個体が大半。通常より巨大な刺棘怪鳥をシキ・エンフィールドの使役する精霊が一方的に虐殺……」
その他に領民の数、領地の開発進度、視察団の配置、他派閥及びギルドの介入状況などが事細かに記載されていた。
「叔父上の助言の通り強行策に出なくて正解でしたよ。どの領主も〈雷霆〉との御前試合を見ているはずなのに、シキ・エンフィールドが使役する精霊の強さを認めないのだから困ったものです」
「信じられない、いや、信じたくない内容だから受け入れられないのだろう。かく言う私も【巡礼神の加護】がなければ信じていなかったかもしれない」
コンスタンティンが持つ【巡礼神の加護】には、未来を予知する力がある。
目を瞑り脳裏に知りたい未来を思い浮かべる。
するとその思い浮かべた光景が勝手に未来へと進み、どのような結果になるかを教えてくれるというものだ。
巡礼神は巡礼をはじめとする旅の安全を願う神で、例えばこの先二手に分かれている道があったとして、どちらを行けば安全に旅が続けられるかを教えてくれた。
コンスタンティンの加護はそれの発展形で、旅とは無関係な未来も予知することができる。
かつて兄である国王の右腕として活躍した背景には、この未来予知の力があった。
ただし未来予知は絶対ではなく、無数にある可能性の一つを示唆しているに過ぎない。
そしてその可能性のうち、より確率の高い結果を予知するのに必要なのが情報であった。
情報は予知する未来に関連することなら何でもよい。
先ほどの二手に分かれている道で例えるなら、上空の天気、道の状態、道を進む旅人の装備、性格、体調などだ。
正しい情報があればあるほど、予知した未来が確実なものに近づく。
仮に誤った情報を知ったとしても、それは予知の確度に影響を及ぼさない。
シキ・エンフィールドの戦闘力についての予知は簡単だった。
何故なら何度予知しても、情報を更新しても結果は変わらないからだ。
〈雷霆〉と戦わせても、そこに王国の一師団を加えても、予知で断片的に見える光景は常に彼らの敗北だった。
それだけシキ・エンフィールドは強い存在なのだろう。
「今回知り得た情報をふまえて予知しても結果は変わらない。どれも精霊の強さを裏付ける情報だから当然といえばそうだが」
「地位、金、女のどれにも靡かないなんて、どうやって掌握したらいいんだろうね、叔父上。未来の国王となる身としては、国を滅ぼせる程の個の戦力なんて危なくていらないんだけどなあ」
「これまで通り古き盟約に従って国防を任せておけばよい。過去332年も我々が知らなかっただけで、精霊による国防は行われていたのだからな」
「知ってしまったことが問題なんですよ、叔父上。圧倒的強さを持つ存在が白日の下になれば、そこに地位、金、女が否応なく集まってしまう。たとえ本人が要らないと思っていてもね。暗殺は駄目なんだよね?」
「最悪の手だな。城が消し飛ぶ未来しか見えん。それならまだ正面から軍隊をぶつけたほうがましだ。シキ・エンフィールドには誠実に接することで最も穏便に事が進む」
「誠実さは王侯貴族に一番無いもの。それは叔父上もよく知っているでしょう……また新しい情報が入ったら来ますね」
用事が済むとジルクバルドは帰っていった。
まだ国王の右腕だった頃のコンスタンティンは自信に満ち溢れていた。
【巡礼神の加護】を使い少しでも国の利益になる未来を選び取っていくが、次第に雲行きが怪しくなる。
悪い結果ばかり予知するようになったのだ。
情報を増やし、条件を変えても結果は変わらない。
唯一良い結果が見えたのが国王との対立だったため、悩みつつも反旗を翻した。
予知するのは無数にある可能性のうちの一つ。
コンスタンティンは望んだ結果を得られず、反逆者として表舞台から姿を消した。
それだけならまだ心折れず、立ち上がれたかもしれない。
しかしとある女性との別れがコンスタンティンを絶望の底に突き落とす。
彼女とは身分の差から決して結ばれることはなかったが、互いに想い、逢瀬を重ね、幸せなひと時を過ごしていた。
ところがその関係もコンスタンティンが反逆者になると同時に終わりを告げる。
粛清されそうになった彼女を辛うじて城から逃がすことに成功した時は、未来予知を授けてくれた巡礼神に心から感謝した。
コンスタンティンは彼女の幸せを願っていた。
たとえ幸せにするのが自分でなくても、どこか遠い街で伴侶を見つけて、平穏無事に暮らしてくれるならそれでいい。
未来予知で垣間見える彼女の明るい未来だけが、幽閉されているコンスタンティンの生きる希望だったが……。
ある日を境にコンスタンティンは女性の未来が見えなくなった。
脳裏に微笑む彼女の姿を思い浮かべても、それが未来に進むことはなく暗闇の中に消えてしまう。
身勝手な話だが、この時からコンスタンティンは自分に未来予知を与えた巡礼神を恨んでいる。
未来さえ見えなければ、心の中だけで彼女を想い続けることができた。
たとえそれが偽りの希望でも、確かめる術がなければ真実なのだから。
コンスタンティンは毎日彼女の未来を予知するが、何も見えない。
―――死んだ者に未来は永遠に訪れなかった。