68話 ちゃんと謝れてえらい
逃げきれないと悟ったガルムは、せめてキルテだけでも守ろうと自身の体で包み込んだ。
……しかしいつまで経っても白銀の毛が吐息で焼かれることはなかった。
ガルムが振り返ると、そこには不思議な光景が広がっている。
目と鼻の先で吐息が不可視の何かに阻まれていた。
「そこまで! シュヴァルツァ、吐息止めて!」
空から声がするので見上げてみると、黒髪黒目の少年が異様な女に抱きかかえられながら降りてきた。
少年の声が聞こえると同時に吐息はぴたりと止む。
シュヴァルツァは地上へ降りると、伏せの状態で動かなくなった。
いや、よく見ると小刻みに震えていて、失敗して咎められるのを恐れているかのようだ。
「Gruuuuuuuuu⦅ちがうのあるじ、これはちがうの⦆」
そして実際に言い訳のようなことを呟いている。
「そっちの君、僕の言葉はわかるかな?」
少年も地面に降りてこちらに話しかけてくると、キルテはガルムの毛を強く掴んだ。
普段は気の強いキルテもさすがに怖がっていた。
⦅話なら我が聞こう⦆
そう念話を飛ばしたつもりだったが、少年に届く前に弾かれるような手ごたえを感じる。
背後の女が少年に話しかけると「すみません、もう一度お願いします」と言ってきた。
⦅我が名はガルム。話なら我が聞こう⦆
「おお、聞こえた。ご丁寧にありがとうございます。僕はシキ。樹海の外にある人族の国の男爵家の者です。後ろの彼女はオルティエ。そちらは白銀狼さんと狼人族の娘さんで合っていますか? こちらに敵意はないので穏便に話し合いたいのですが」
⦅それには我も同意しよう⦆
シキが打合せを終えてセラと合流すると、シュヴァルツァが暴走していた。
危害を加えるなと言ったのに容赦なく吐息を放っていたので、非表示状態のセラのプラズマシールドで防いだ。
『ボス、申し訳ありません。やはりシュヴァルツァは使わずに最初から私が接触するべきでした』
『謝らないでセラ。僕がそう指示したんだから、非があるとしたら僕だよ』
〈SG-066 セラ・トゥー・クロス〉は下半身が蛇のような形状、上半身は人型とファンタジー生物でいうところのラミアのような外見をしている。
脚部の分類としてはタンク:フロートタイプで自由に空を飛べるし、地上では音を立てずに素早く移動することができた。
ただしこの世界だと非表示設定で気配はゼロにできてしまうので、その隠密性が発揮される機会がないのは残念である。
狼と狼耳の少女は予想通りη002の大型魔獣改めガルムと、それを崇拝する狼人族のキルテという名前だった。
「ガルムさんは念話という形で誰とでも会話できるんですか。凄いですね」
⦅そういう割にシキ殿は落ち着いているな。我の声を聞いた人族は誰もが驚き怯えるものなのだが⦆
「うちもオルティエと似たような方法で会話ができるので、慣れてるんですよ」
ガルムは手の内を隠すつもりはないのか、素直に念話のことを教えてくれたのでシキもそれに応える。
オルティエの姿を見て、ガルムはぐるると唸った。
⦅まさか魔無しの悪魔の正体がそのような精霊? で人族が使役していたとはな⦆
森人族と同様にガルムたちにとっても、スプリガンは正体不明の危険な存在であったのだ。
「うちのシュヴァルツァがすみません。穏便に済ませるつもりが暴走してしまったみたいで」
⦅相当な幼子のようだから、体や感情がうまく制御できなくても仕方のないことだろう⦆
「え、そうなんですか?」
シュヴァルツァは人族の言葉をある程度理解できるようだが喋ることはできないので、シキたちは態度でなんとなく察するしかなかった。
そのことを説明してガルムに通訳をお願いすると、快く引き受けてくれた。
ガルムが歩み寄り念話を送ると、伏せの姿勢で待機していたシュヴァルツァが「Gyaooo」とか「Gruuuu」などと小さく鳴く。
⦅シュヴァルツァ殿は家出の身で帰るつもりもないので、ご褒美をくれるならなんでも言うことを聞くそうだ。本名は別にあるが、シュヴァルツァという名前は気に入っているのでそう呼んで欲しいと。まあ本人は舌足らずでうまく発音できていないが⦆
「念話なのに舌足らずなのか。ありがとうガルムさん。それで今度は僕らとそちらの今後についてだけど」
シキはガルムの縄張りや狼人族の里を侵略するつもりはないことを説明する。
そして樹海の深部からやってくる魔獣の防衛について協力関係を打診した。
⦅これまで通り我の縄張りを維持してくれ、ということなら問題ない。ただ我は狼人族の里の連中の信仰対象だが、面識があるのはキルテだけだ。キルテとの関係も里には秘密にしてある。だから他言無用であるし里との交渉事は我とは別扱いで進めてほしい⦆
「わかりました。ガルムさんは他の縄張りを持つ魔獣と面識ってあったりします?」
⦅知っているのは聖樹守りの婆さんくらいだ。奴は決して縄張りから出てこず、侵入者は徹底的に排除する。日を改めてくれるなら同行しよう⦆
「おお、それは助かります」
「Grururu」
「ん、どうしたの?」
大人しくしていたシュヴァルツァが鳴いた。
⦅キルテ、シュヴァルツァ殿が謝りたいそうだ。危ない目に合わせてごめんなさいと⦆
急に話を振られて、同じく大人しくしていたキルテが灰色のつぶらな瞳をぱちくりとさせた。
シュヴァルツァがキルテに向かって申し訳なさそうに頭を下げたが、彼女はガルムの毛をぎゅっと握って動かない。
⦅シュヴァルツァ殿はこう見えてキルテより幼い。お前は里では小さい子の面倒をみるお姉さんなのだろう?⦆
「……んーっと、そしたらそのつるつるしてそうな鱗を触らせてくれたら許してあげる」
「Gya」
さあどうぞと言わんばかりにシュヴァルツァが首を地面に押し付ける。
少し間を置いてからキルテは恐る恐る近づき、シュヴァルツァの顎をそっと撫でた。
「あ、思った通りひんやりつるつるで気持ちいい」
嬉しそうにキルテが笑うと、シュヴァルツァも釣られるように目を細める。
二人が無事に仲直りすると同時に、種族の垣根を越えて友人になった瞬間であった。