67話 判断が早い
「シュヴァルツァ」
「Gya」
セラに呼ばれ丸まって日向ぼっこしていた黒い竜が頭を上げる。
崖は東向きで西を背にしているので、午前中しか日が当たらない。
なので午後からは崖上に登って、一日中だらだらするのがシュヴァルツァの日課だった。
「向かいの丘に白銀の狼と狼耳の娘が見えるでしょう。狼と友好関係を築きたいのだけど、対話できるかしら?」
「Gruru?」
「……駄目そうね。もしうまくいけばボスからご褒美が貰えるのだけど」
「Gyaa!?」
不思議そうに首を傾げるシュヴァルツァを見てセラが嘆息する。
しかしご褒美と聞いて俄然やる気を出したのがシュヴァルツァだ。
勢いよく立ち上がると、「できます!」と言わんばかりに翼を大きく広げてアピールした。
大きな顎からはご褒美の味を思い出しているのか、涎が大量に滴っている。
「急にやる気を出したわね。魔獣同士とはいえ意思疎通ができるかは分からないけれど、あの狼と仲良くしなさい。それができないなら追い払いなさい。狼も娘も倒しては駄目よ。いいわね?」
「Gyaoooooooooooo!」
元気よく返事をすると、シュヴァルツァは大空へと飛び立った。
ガルムは丘にキルテを残し、樹海を全速力で駆ける。
そして十分に離れたところで遠吠えをして自分の居場所を竜に知らせた。
「Waoooooooooooon!」
狙い通り竜はガルムの元へと真っすぐ飛んでくると、地上には降りずに見下ろしてくる。
⦅我の声が聞こえるか。黒き竜よ⦆
ガルムが呼びかけたが声の出所が分からず、竜はきょろきょろと周囲を見渡していた。
⦅正面の狼が我だ⦆
「Gyaooooo⦅あれ、狼しゃんがしゃべってるぅ⦆」
ガルムの念話は神より授かった特別なもので、言語の壁を越えて互いに思念での会話を可能にしていた。
⦅我は争いを好まない。どうか矛を収めてくれないだろうか⦆
「Gyaow⦅いいよぉ。シュヴァもね、たたかいたくないの⦆」
たどたどしい幼女の声のような思念を受けて、ガルムは嫌な予感を覚えながら会話を進める。
⦅シュヴァ殿はあの崖を縄張りにしているということでいいのか?⦆
「Gruuuuuuu⦅そうだよ。あるじに住んでっていわれたから住んでるの⦆」
⦅主? その主というのは―――⦆
「Gyaoooooow⦅それじゃぁ狼しゃんは今からシュヴァの奴隷ね。仲良くしようね⦆」
⦅は? 何故そうなる?⦆
シュヴァルツァが不可解な要求をしてきたことには理由がある。
竜族はその圧倒的強さからくる高慢さ故に同族以外を見下していて、傍に置く異種族はすべて奴隷であった。
そのような竜社会で育ったシュヴァルツァもそれが当たり前だと思っている。
最近例外ができてしまったが。
「Gyarurururu⦅奴隷にならないの? じゃあ仲良くしないの? わかった⦆」
シュヴァルツァの決断は早かった。
何故ならご褒美で頭がいっぱいだからだ。
セラは「狼と仲良くしなさい。それができないなら追い払いなさい」と言った。
前者がすぐ達成できないなら、後者に切り替えればよい。
主からどう評価されるかまでは念頭になく、ただ早くご褒美をもらいたい、その一心でシュヴァルツァはガルムの排除に取り掛かる。
「Gyaoooooooooooo!」
シュヴァルツァが翼を大きく羽ばたかせると、地上では周囲の木々が薙ぎ倒されるほどの突風が吹き荒れた。
最初から争う気がないガルムとしては、こうなるともう逃げの一手だ。
飛ばされないよう突風を地面に伏せてやり過ごしてから走り出す。
一度シュヴァルツァの縄張りから離脱して、後でこっそりキルテを回収するつもりだったが……。
⦅待て、何処へ行く!?⦆
シュヴァルツァはガルムを追わずにどこかへ飛んでいくので、慌てて追いかける。
向かった先は小高い丘。
逃げる間もなく飛来した黒い竜に空から睨まれ、キルテは恐怖で硬直して動けなくなっていた。
シュヴァルツァが再び突風を起こした瞬間、追いついたガルムが間一髪キルテの前に庇い出る。
再び突風が吹き荒れ風切り音がキルテの悲鳴をかき消すと、誰にも庇われなかった籠が天高く飛んで行く。
シュヴァルツァとしてはセラの言いつけを守り、キルテも翼で起こした突風で脅して追い出すつもりだった。
だが致命的に加減を間違っている。
もしガルムが庇っていなければ、突風をもろに受けたキルテは籠のように吹き飛ばされていただろう。
⦅貴様!⦆
それを明確な敵意と受け取ったガルムが反撃に出る。
「Waoooooooooooon!」
ガルムの咆哮が音波となって炸裂した。
それは指向性を持ち、突風より速度も威力も増した一撃がシュヴァルツァの腹に直撃する。
「Gyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!⦅痛いいいいいぃ!⦆」
身を捩ってシュヴァルツァが叫ぶ。
折角こちらは手加減したつもりだったのに、手痛い反撃を受けて頭に血が上る。
シュヴァルツァはセラの指示を一瞬で忘れると、痛めつけられた恨みを返す。
大きく開いた口腔が赤く輝き、吐息が放たれた。
複数の火柱が組み合わさり渦を巻いたような吐息がガルムたちへと襲い掛かる。
キルテが背後にいるため躱せないガルムは、咆哮で迎え撃つしかない。
「Waoooooooooooon!」
炸裂した音波が吐息と拮抗したのは僅かな間だけだったが、それで十分だ。
ガルムはその隙にキルテを咥えて逃走した。
「Gyaoooooooooooo!⦅狼しゃんきらい!⦆」
シュヴァルツァは吐息を切らさずに首を振る。
渦巻く火柱がうねりガルムを追いかけ、追いつき―――呑み込んでしまった。