66話 少女の不安
『ボス、エアスト周辺に仮称:η002が出現したわ』
そう報告を受けたのはシュヴァルツァが崖をねぐらにしてから三日後。
シキがロナンドたちと共に商人ギルドの職員と打合せをしている時のことだ。
スプリガンたちは各防衛地点を定期的に交代しながら任務にあたっている。
そして現在は〈SG-066 セラ・トゥー・クロス〉がその地点の防衛担当だった。
エアストとは秘密基地のことで、皆と相談して名付けていた。
シキの視界に広がる拡張画面には、小型情報端末の望遠カメラで撮られた白銀の巨大狼と狼耳を生やした少女の姿がある。
一言断りを入れてシキは打合せしている天幕の外に出ると、セラへボイスチャットを送った。
『あの狼がη002ってことは、前に森人族の里長が言っていた白銀狼と、それを崇拝している狼人族の子供で間違いなさそうだね』
『そうね。白銀狼のテリトリーからエアストまでは5kmも離れていないから、偵察に来たか、ここも縄張りだと主張してこちらを追い出すつもりかのどちらかだと思うわ』
『最低限でもお互い非干渉。欲を言えば意思疎通を図って協力関係になりたいけど……』
『OKボス。まずはシュヴァルツァが対話を試みる。それで埒が明かないようなら私がエアスト村の住人としてあの少女に接触するわ』
エアスト村とは、秘密基地を隠すためにカバーストーリーとして作られた村だ。
コアAIたち全員がエアスト村の住人という設定である。
『お願いするよ。俺も打合せが終わり次第〈搭乗〉で合流するから』
気になるが打合せを抜けるわけにもいかないのでシキは天幕に戻る。
商人ギルドとの打ち合わせ内容は「エンフィールド男爵領開発における必要な建物の建設スケジュール」だ。
必要な建物の建設場所、順序、おおよその費用を決めていく。
まず男爵家の屋敷を新設することになったが、これは場所だけ決めて建設は後回しにした。
貴族の体面を守るなら最優先になるが、そんなことを気にする者はエンフィールド男爵家にはいない。
先に領地運営に必要な冒険者ギルド、商業ギルド、宿泊施設、治療院といったものを建てる予定だ。
一応領主の屋敷は行政を行う場所なので無いと困るが、それくらいなら現在の屋敷でもなんとかなるだろう。
ギルド関連は現在視察団が滞在している場所。
宿泊施設や治療院は現在の領民が住んでいる一帯を拡張する形で建設する。
男爵領は面積こそ広いが大半が未開の森林だった。
開拓には多大な労力を必要とするが、木の伐採についてはスプリガンたちにお願いする予定だ。
ただし人の目がある場所はエリン母様に出張ってもらい、〈剣姫〉としての腕前を木相手に発揮して頂く。
〈SG-068 アリエ・オービス〉の荷電粒子収束射出装置で焼き払ってしまえば簡単に開拓できるが、貴重な木材まで焼いてしまうので使えない……いや、待てよとシキは考える。
『ねえアリエ。荷電粒子収束射出装置って範囲指定できるんだよね? ということは高さも指定できるよね。地上の木は残して木の根と僅かな地表だけ焼き払えば、一気に開拓できるんじゃないかな』
『できるけど、地表の木々が一斉に倒れてぶつかり合って痛んじゃうんじゃないかしら』
『うぐっ、そうかも。あんまり横着せずコツコツやるしかないか』
天幕から移動して現地で打ち合わせしていると、近くの家の窓からこちらを覗いている人物がいた。
「マリ姉~。出ておいでよ」
シキに呼ばれた少女は、少し驚いてからおずおずと外に出てきた。
彼女の名前はマリナ。
質素なワンピースを着たシキより一つ年上の女の子だ。
同じ方の手足を出しながら歩いてシキの前までやってくると、ぎこちない動きでカーテシーをした。
「え、と、シキ様。ごきげんよう」
「ちょっとマリ姉、何やってるのさ。いつも通りでいいんだよ」
「そういうわけにはいかないよお」
普段は活発でシキを引っ張り回して遊ぶ仲なのだが、今は見知らぬ大人たちが沢山いるためマリナはもじもじしていた。
「だって向こうにはこの国のお姫様もいるんでしょ? シキはお貴族様って感じじゃなかったけど、なんかすごい偉くなっちゃったみたいだし、もう今までみたいには遊べないよお。知らない人が一杯いて怖いし……」
マリナの言葉にシキの心がチクリと痛む。
急に国の中枢の人間が来たり、物々しい集団が新しく出来た広場を占拠したのだ。
これまで田舎暮らししてきたマリナにとっては急激な変化で、戸惑うことばかりだろう。
だがもう後戻りは不可能なので、シキにできることといえばその変化による恩恵を提示することくらいだ。
「マリ姉、急に人が増えて不安になっただろうけど、俺は次期領主でちゃんと見張ってるから危ないことは何もないよ。もしマリ姉に何かあったら俺が守るから」
「え、守る……」
「それに今は大人ばっかりだけど、そのうち普通の家族も移住してくるから、同年代の女の子の友達が増えるかもね。それに男爵領が発展したらお店も増えて、おしゃれな服が買えるようになるよ」
「そ、そっかあ。しょうがないなあ。それなら今まで通りシキと遊んであげようかな」
頬を赤らめてれてれと照れるマリナを見て、シキは内心で安堵の吐息を漏らす。
『ふう、マリ姉もまだまだ子供だな。新しい友達や服に釣られて助かったよ』
『……マスター、それ本気で言ってます?』
『え?』