54話 勝手に戦え
精霊は自然界の様々な事象を司る存在であり、どこにでもいる。
ただしどこにでもいるような下位精霊は力が弱く、実体化はもちろん視認すらできない。
自我もないので、純粋なエネルギーのような存在とも言えた。
これが長い年月を経たり、魔素の濃い場所に留まり続けたりすると、自我を持ち実体を得るような中位精霊が現れる。
風精霊シルファなどがそうだ。
精霊魔術というのは、下位精霊や中位精霊の力を借りて行使する。
術者の魔力を代価にして、詠唱や構成でイメージを精霊に伝えると魔術が発現した。
人が精霊にお願いして魔術を発現できるのは、中位精霊までとされている。
それ以上になると人の制御から手を離れてしまい、お願いを聞いてもらえなくなるからだ。
精霊に寿命はなく、豊富な魔素とそれを蓄える年月さえあれば、どこまでも大きくなる。
それが上位精霊と呼ばれる存在で、今リーゼロッテの目の前で大暴れしていた。
樹海の木々よりも大きい栗鼠からは濃密な魔素が漂っていて、魔眼をもっていないリーゼロッテの目でもそれがゆらぎとして見えるほどだ。
あの巨体がすべて濃密な魔素の塊だと思うだけで恐ろしい。
そしてその恐ろしい相手と戦っているシキの精霊オルティエはもっと恐ろしい。
トレントとの戦いでも余力を残しているとは思っていたが、これほどまでとは。
上位精霊は恐ろしいが、認知されている存在なのでまだ理解できる。
しかし精霊オルティエは魔素を一切帯びていないのに強大な力を持ち、上位精霊と互角どころか一方的に押していた。
リーゼロッテはこのような存在を知らない。
未知への恐怖を人は根源的に持つ。
「シキさん、あなたオルティエと会話できたのですね。聞いたことのない言葉でしたが」
「隠していてすみません」
申し訳なさそうにシキが頭を下げるが、彼がその気になればここにいる全員を簡単に殺すことができるだろう。
(第二王子派の言う通り王国の脅威とみなして、オルティエが上位精霊と戦っているうちに排除するべきかしら?)
オルティエのような精霊は全部で十二体いると言っていた。
もしそれが事実なら今も周辺に待機させているのかもしれない。
魔素を帯びていないので魔術による探知も不可能なので、分の悪い賭けだ。
それに仮にシキを倒してしまうと、今度はあの上位精霊に襲われてしまう。
完全に詰んでいる。
玉砕覚悟でシキを倒す選択肢もあるが、リーゼロッテはそこまで国に忠実ではない。
もちろん戦場で敵前逃亡するようなことはしないが、今の状況はそこまで単純なものでもなかった。
シキが王国を裏切るかもしれない、という未確定情報で命を投げ出すのは無謀だろう。
そもそもシキは裏切るだろうか?
まだ出会って二日しか経っていないが、彼の人柄は十二歳の少年とは思えない程に落ち着いていて、他者への気配りができていた。
〈雷霆〉ランディもシキとは友好的に接してくれと言っていた。
そう、あのランディ様がだ。
(そうでした、私にはランディ様と結ばれるという輝かしい未来があるのでした。だから今ここで死ぬわけにはいきませんわ)
というわけでリーゼロッテは自分が生き残る可能性が最も高い手段―――何もせず戦況を見守ることを選んだ。
「どうしてこうなったかはよくわかりませんが、あの上位精霊を倒せるのですわね?」
「はい、任せてください」
オルティエの青白い光による攻撃で、上位精霊である栗鼠の前足は吹き飛んだが、すぐに再生している。
精霊は魔素の塊であるため、実体化していると言えども本物の血肉ではない。
内包している魔素が尽きない限り再生が可能であった。
攻めに転じてからのオルティエは逃げ回るのをやめていたが、栗鼠の意識は周囲を飛び回る青白い光に向けられている。
あれは光の精霊か何かなのだろうか。
先頭に栗鼠の腕を破壊した三角錐を横にしたような大きい光があり、その後ろを小さい光が追従している。
それがオルティエを中心にして円を描くように飛び回り、助走をつけてから栗鼠へと突進していく。
栗鼠は一度前足の爪で三角錐を攻撃したが、逆に爪が折られてからは回避に専念していた。
巨大な存在が樹海を飛び跳ねる度に木々が薙ぎ倒され、大地が揺れて土煙が舞う。
圧倒的破壊の前に誰もが息を飲み、ワイバーンたちも恐れをなしたのかいつの間にか逃げ去っていた。
その中でただ一人、落ち着いている人物がいた。
「さすがは聖女様。このような状況でも落ち着いていらっしゃいますわね」
「未来の救国の英雄であるシキを信じていますから」
「神託ですか。確かにこの力は救国の英雄に値しますわ」
神託はもう一つあって〈東方より脅威現る〉というものだったはずだが、状況からして上位精霊が脅威ということだろうか。
得てして神は回りくどい、迂遠な言葉を信徒に対して使う。
ここで言う救国とは、誰にとっての救国だろうか。
国は存続するかもしれないが、そこに住まう人々は救われるのだろうか。
救国の英雄は誰にとっての脅威なのか……。
などと悪い想像を膨らませるくらいには、リーゼロッテにとってシキの力は人柄を差し引いても恐ろしいものであった。
「Quuuuuuuunnnnn!」
栗鼠が可愛らしいとは言い難い、本来よりも低い声で鳴いた。
痺れを切らしたのか強硬手段に出るようだ。
顔の周辺に魔素が集まり陽炎のようにゆらめく。
開かれた口の中で魔素が収束し、赤く発光するのが見えた。
「おいおい、ドラゴンの吐息じゃあるまいし……」
リックスがぼやいた通り、栗鼠がドラゴン顔負けの吐息を放つ。
それは先ほどワイバーンが放った火炎放射のような吐息ではなく、より圧縮され速度も上がった熱線だ。
「!? シキさん!」
リーゼロッテが感づいて叫んだがもう遅い。
栗鼠は光る三角錐を迎撃すると見せかけて、首を振りオルティエ目掛けて吐息を放ったのであった。