52話 信仰の盾
アルネイズ・フォールマートはイルグリッサ王国の子爵令嬢だった。
イルグリッサ王国は隣国と前王の時代から戦争が続いている。
フォールマート子爵家は軍閥に所属していて、代々戦場で貴族の役目を果たしてきた一族だ。
アルネイズの兄や弟たちは戦場で活躍し、若くして散っていった。
姉や妹たちは同じ軍閥の他家へ嫁いで戦場へ送り出す子を産む。
アルネイズも他家へ嫁ぐはずだったが、恵まれた体躯と強い加護があったため、自らが戦場に出ることを選んだ。
フォールマート家の教えである〈誇りある死〉を胸に、アルネイズは戦場で戦い続ける。
教えに従順であったアルネイズにとって死は恐れるものではなかった。
たとえ敵国の英雄〈蒼炎の申し子〉と対峙し、成す術もなく焼き払われるとしても。
だがアルネイズが敵に焼かれる未来は訪れなかった。
イルグリッサ王国内で政変が起こり、フォールマート子爵家の所属する軍閥が解体の危機に陥ったからだ。
組織解体を回避するために、軍閥筆頭の公爵家は政敵と裏取引をして生贄を用意する。
それは幾つかの貴族の取り潰しで、フォールマート子爵家も含まれていた。
各貴族の当主に無実の罪を着せ、連座で一族全員が処刑された。
その事実をアルネイズは〈蒼炎の申し子〉との決戦前夜に伝えられる。
既に両親と姉妹たちがこの世にいないと知り涙を流すと同時に、アルネイズは死が恐ろしくなった。
それまではイルグリッサ王国の貴族として誇りある死が待っていたが、これから先の死に誇りはない。
国への造反者として処分され、やがて忘れ去られる。
同じ戦場にいたアルネイズの兄は、国に戻って処刑されるくらいならばと、戦場で玉砕することを選んだ。
アルネイズはこれまでに感じたことのない死の恐怖に支配され、どちらも選べなかった。
そんな妹を不憫に思った兄は、軍閥外の友人の伝手を使い国外へ亡命させることにする。
アルネイズは地神教の信者に仕立て上げられ、巡礼者として戦争をしていない別の隣国に逃げることに成功した。
亡命してからは恐怖で剣を握ることができなくなり、大きな体を小さく縮めて祈りを捧げる日々が続く。
もう戦えない。
死の恐怖を忘れるように、信仰に逃げ続ける日々。
そんなアルネイズの元にウルティアが訪れたのは、一年前のことで―――。
ワイバーンは剣を通さない硬い灰色の鱗と鋭い牙を持ち、高速で空を飛び回る厄介な魔獣だ。
一体だけでも小規模な村くらいなら容易に壊滅し尽してしまうだろう。
リーゼロッテの契約精霊シルファがワイバーンに接近するのが見えたので、アルネイズも自身の役目を果たすべく準備を始める。
「ウルティア様は私の後ろから出ないでください」
背負っていた盾を構えて加護の力を使う。
アルネイズは【光輝神の加護】持ちで、かつては光輝神の光を武具や肉体に纏わせ、性能を向上させて戦っていた。
それが最適な使い方だと思っていたし、実際に他者より強力な加護の力だった。
だがウルティアと出会って、加護の力を十全に引き出せていなかったと知る。
アルネイズの持つ小盾はヒーターシールドといって、逆三角形を縦に少し伸ばしたような形状をしている。
その盾に加護の力を籠めると淡い太陽のような輝きに包まれ、二回りほど大きくなった。
輝きは空からでも目立つようで、アルネイズから一番近い位置にいたワイバーンが輝きに気が付く。
そしてターゲットをあっさり森人族からこちらへと切り替えると、咆哮を響かせながら急降下してきた。
全長四メートルの巨体が地表へ接近し、突風で周囲の草木が薙ぎ倒される。
ワイバーンは大きく口を開けたまま突っ込んでくるが、アルネイズは臆することなく輝く盾を構えて迎え撃つ。
両者が激しく激突し、衝撃によって空気が震えたが―――アルネイズは無事だった。
一歩も引き下がることなく、真正面から全ての衝撃を輝く盾で受け止めている。
対するワイバーンは顔面から頑丈な壁に突っ込んだようなもので、四肢を投げ出した状態で地面に墜落していた。
死んだようにぴくりとも動かないワイバーンだったが、それも僅か数秒のこと。
すぐに目を覚まし、自分と正面衝突したにも関わらず無事なアルネイズを睨みつける。
「思ったより頑丈ですね。衝突の勢いで潰れて死んでくれていれば楽だったのですが」
言葉の意味は理解できないはずだが侮蔑と受け取ったのか、ワイバーンは怒りの咆哮を上げて羽ばたく。
一気にアルネイズの頭上まで浮き上がり、次の羽ばたきで宙返りするかのように、体を縦に一回転させた。
突風と共に下から掬うようにワイバーンの尻尾が振るわれたが、アルネイズは冷静に盾で防御する。
金属同士がぶつかり合うような激しい音がしたが、それだけだ。
アルネイズの【光輝神の加護】は、光輝神の光の注ぎ先を盾に限定することによって効果が飛躍的に向上していた。
昔のように全身に光を纏わせてワイバーンの攻撃を防ごうとしたなら、正面衝突の際に強度が足りず上半身を食い破られて死んでいただろう。
もしフォールマート子爵家が寄り親に見捨てられず存続していて、誇りある死を信じたままウルティア様と出会っていたら、加護の力はどうなっていただろうか。
光の注ぎ先が盾以外のものだっただろうか。
そもそもウルティア様と出会えず、加護の真なる力に目覚めなかっただろうか。
結果論だが加護の真なる力が盾の形で良かったとアルネイズは思っている。
この盾があるおかげで私を絶望から救い、生きる希望を与えてくれたウルティア様を守ることができるのだから。
宙返りで更に上空に昇ったワイバーンは、未だに無傷の獲物に怒りを露わにしながら次の攻撃に移る。
顎を大きく開くと、口腔内がぼんやりと赤く輝きだした。
「吐息ですか。森が焼けてしまうので許容できませんね」
アルネイズが盾を持っていない右手を突き出すと、ワイバーンの顔周辺に光輝神の光が集まり始める。
そして吐息が放たれるのと同時に、光は三枚の大盾に形を変えた。
大盾はワイバーンの顔を正面と左右から覆うように配置され、放たれた火炎の吐息を跳ね返す。
逆流した業火に顔面と喉を焼かれ、悲鳴のような咆哮を上げてワイバーンは再び地面へと墜落した。
盾の形であれば光輝神の光のみで具現化もできる。
これもウルティアによって見出されたアルネイズの力であった。