156話 婚約破棄された悪役令嬢さん泥棒猫を呼び出す
レカールキスタ第二王子のことを見誤っていた。
当然だが悪い意味で。
ジーナはレカールキスタ第二王子の評価を下方修正した。
ペトルス伯爵家自体は古くから存在する貴族でジーナも知っている。
しかしサンルスカ侯爵家がレドーク王国の表と裏、その両方に情報網を張り巡らせているにも関わらず、ベリーズ個人とペトルス商会についての情報はほぼなかった。
ベリーズという女性は確かにペトルス伯爵家の次女として実在しているが、幼い頃から病弱ということで社交界には一切姿を見せていない。
彼女に関する情報も五年前の「貴族学院には入学せず家庭教師を雇っている」というのが最後。
そんな娘が突然商会を立ち上げ、サンルスカ侯爵家を押し退けてレカールキスタ第二王子の懐に入り込もうとしている。
ジーナが視察団の一員としてエンフィールド男爵領に赴き王都を離れていた、僅か一か月の間にだ。
素性の知れない、本当にベリーズ・ペトルスかすら怪しい女を傍に置く時点で、第二王子の王族としての危機管理能力のなさに呆れる。
側近は誰も指摘しないのだろうか。
ジーナも第二王子を利用するために近づいた一人ではあるが、正式な手順を踏んで婚約者という地位を手に入れた。
それが正当な理由もなく婚約破棄となれば、した方もされた方も周囲から侮られてしまう。
貴族は何よりも矜持を大切にする。
特に裏稼業は舐められたら終わりだ。
ジーナの悲願達成の大きな妨げになる。
サンルスカ侯爵家当主でジーナの父でもあるガーランドは、国王へ抗議するため王城へと向かった。
当然ジーナも黙ってはいない。
ベリーズ・ペトルスを屋敷へと呼びつけ、こうして跪かせている。
「何故呼ばれたかわかるかしら?」
「はい、勿論でございます」
ベリーズは踊り子のような肌の露出の多い黒の衣装を纏い、顔はヴェールに覆われている。
同性で格上の貴族の屋敷へ赴く際の格好としては相応しくない。
連れてきた側仕えも退出させ、たった一人で侯爵家令嬢のジーナと対峙しているのだが、ベリーズは動揺や緊張する様子は見せず堂々としている。
「ヴェールくらい取ったらどうなの? その服装といい礼儀を知らないようね」
「これは大変申し訳ありません。ペトルス伯爵家は古くよりレドーク王国南東の国境維持を任されてきました。そして国境を維持する手段は戦うだけではありません」
「見たらわかるわ。貴女には南方の異国の血が流れていると言いたいのでしょう?」
「さすがはジーナ様。その通りでございます。友好的に国境を維持するため、ペトルス家は代々南国の貴族と婚姻関係を結んでいます」
「それと礼儀に何の関係が?」
「私に流れる南国の血がそうさせるのか、厚着をするとどうしても体に熱が籠ってしまって、体調を崩してしまうのです。ジーナ様の前で倒れるわけにもいかず、醜い肌でお目汚しして申し訳ありません」
自ら醜いとのたまうが、褐色の肌は潤いとハリがある。
女性らしい肉感的な曲線美も相まって、男好みのする体つきをしていた。
「ならヴェールは?」
「私の紅い目は生まれつき光に弱く、こうしてヴェールで遮らないと眩しくて堪らないのです。とはいえ室内では日中でもさほど眩しくは感じませんが。普段からヴェールを付けていることに慣れてしまい、外すことを失念しておりました。申し訳ありません」
そう言ってベリーズがヴェールを外すと、遮るものがなくなった紅い瞳が宝石のように輝いていた。
じっと見ていると引き込まれそうになる。
ベリーズの全身は蠱惑的だが、その瞳だけを見ていると無垢な乙女のようでもあった。
本当に光を眩しく感じているかは知らないが、これもまた男受けが良さそうだ。
「ふぅん。まあいいわ。それじゃあ改めて聞こうかしら。サンルスカ侯爵家に喧嘩を売った言い訳を」
「喧嘩を売ったなんて誤解です。ペトルス伯爵家はサンルスカ侯爵家のお力になりたい一心で、事を進めてまいりました」
「何をふざけたことを……」
「―――裏世界の統一」
ベリーズの口から想定外の言葉が紡がれ、ジーナが思わず息を飲む。
その反応を見て手応えを感じたのだろう。
立ち上がったベリーズが笑みを浮かべながら、裏世界の成り立ちから語り出す。
レドーク王国の裏世界でサンルスカ侯爵家を知らない者はいない。
裏組織の過半数がサンルスカ侯爵家の傘下に入っていて、麻薬、人身売買、暗殺といった犯罪行為が組織的に行われている。
裏世界には裏世界なりの秩序があった。
では傘下以外の組織は好き勝手にできるかと言えば、答えは否。
そんなことをして裏世界を荒らせば、最大勢力であるサンルスカ侯爵家を敵に回すことになる。
事実上サンルスカ侯爵家が裏世界を支配しているようにも見えるがそうでもない。
情報の遮断や偽装による麻薬や奴隷の売買、暗殺の妨害……やりようはいくらでもある。
「ペトルス伯爵家は裏世界とは無縁の貴族でした。ですがある日、領地に逃亡奴隷が現れました」
それは南国出身の森人族で、故郷でレドーク王国からやってきた人攫いに捕まり、奴隷として連れてこられた娘だった。
森人族といえば色白の肌が一般的だが、南国の森人族は褐色の肌をしているため、奴隷としての希少価値を見出されたのだろう。
商品として王都へ運ばれる途中、奴隷商人の隙を見て逃げ出した娘は、故郷に帰るため国境にあるペトルス伯爵領に足を踏み入れる。
そしてペトルス伯爵領の兵士に見つかり再び捕まった。
「捕まえた奴隷をお父様、ペトルス伯爵はどうしたと思います?」
「……逃亡奴隷は即刻所有者に返還される決まりよ。奴隷になった経緯に関係なく」
「ええ、その通りです。事情を説明し故郷へ返して欲しいと奴隷は陳情しましたが、お父様は耳を貸しませんでした。追いかけてきた奴隷商人に引き渡された奴隷は、逃亡した罰と他の奴隷への見せしめのため、拷問にかけられた後に殺されました」