155話 住めば都の最下層(住んでいない)
「俺の女になれ。エリン・エンフィールド。そうすればお前も息子も助けてやる」
護衛を引き連れたレカールキスタ第二王子が、鉄格子の向こう側にいるエリンへと言い放つ。
ここはレドーク王国の王城の最下層にある地下牢。
薄暗い廊下に牢屋が四つ並んでいるが、収容されているのはエリンだけだ。
エリンはレカールキスタから距離を取るように、牢屋の奥の壁に身を寄せている。
「そんなに怖がらなくてもいいだろう? 俺の女というのはもちろん未来の側室という意味だ。男爵家の娘が王族入りできるなんて普通ならありえない話だぞ? 綺麗なドレスも宝石も好きなだけ買ってやるし、牢屋からも今すぐに出られるぞ」
「ですが、エンフィールド男爵領は、イルミナージェ第一王女殿下のお力で発展しようとしています。裏切るわけには……」
「第二王子派が男爵領の開拓を引き継ぐ。そもそもナージェ如きにまともな開拓などできん。我が派閥が指揮を執った方がより早く発展するぞ」
第一王女派は派閥貴族もごく少数で政治的影響力は皆無だったが、ウォルト侯爵家が加入したことにより状況が変わった。
いくら侯爵家と言えども単家で第一王子派や第二王子派に太刀打ちはできない。
しかし今後エンフィールド男爵家の発展に伴い追従する貴族が現れる可能性は十分にある。
だからレカールキスタは今のうちに第一王女派を潰し、あわよくばウォルト侯爵家を第二王子派に引き入れようと画策していた。
第二王子の側室という、貴族の女なら垂涎の餌をぶら下げたのにエリンが食いつかなかったため、レカールキスタの機嫌は急降下する。
「ふん、まあいい。ナージェが責任を認めればお前に拒否権はない。それまでこの薄汚い牢屋で待っているんだな」
そう吐き捨ててレカールキスタは地下牢から去っていった。
「……ふう、なんとか誤魔化せたわ」
牢屋の奥の壁に張り付いていたエリンが肩の力を抜くと、脳内にシキの声が響いた。
『だからお風呂はやめとこうって言ったんだよ』
「そんなこと言ったってしょうがないじゃない。人間は贅沢に慣れると辞められないのよ。できるなら服も替えたいくらいなんだから」
エリンは〈パイロット登録〉したことにより、スプリガンに〈搭乗〉できるだけでなく、ボイスチャットを聞くことも可能になっていた。
ただしあくまで聞けるだけで、自分の声をボイスチャットで送ることはできない。
なので少々面倒だがエリンの音声はリファの鼠型ドローンが拾い、地下牢の別区画にいるシキの下へ届けられていた。
シキとエリンが地下牢に入れられてから、既に三日が経過している。
そんなエリンが風呂上りのように身綺麗でシャンプーの香りを漂わせていれば、相当に怪しいだろう。
だからエリンは出来るだけレカールキスタから離れて、悟られないようにしていたのであった。
地下牢は複数の区画に分けられていて、シキもエリンも自分たち以外に収容者はいない。
見回りは朝昼晩と一日に三度なので、それ以外の時間は樹海にある秘密基地エアストに転移して過ごしていた。
さすがにエフェメラの捜索は保留にしている。
見回りの目を掻い潜って〈克己の逆塔〉を探索することは可能だが、万が一地下牢に戻れない事態になった場合問題があるからだ。
秘密基地エアストはシキが自重せず Break off Online の設備を導入している。
夜はふかふかのベッドで眠れるし、バスルームも完備だ。
シャンプーはすでに使用していたエリンだったが、無限に(ではないが)お湯が出るシャワーに感動。
バスルームの使い方を教わりながらエリンは勝手に服を脱ぎ始め、シキの服も脱がしにかかる。
そしてそのまま流れで二人で風呂に入る羽目に……。
ちなみにスプリガンは Break off Online 規約にある年齢制限により肌を晒せないので、シキと混浴したエリンに対して嫉妬の嵐が巻き起こり、一波乱あったことをここに記しておく。
協定違反でエリンの同衾シフトが四回分消失したらしい。
エリン曰く必要経費だそうで。
「イルミナージェ様は大丈夫かしら? あの馬鹿王子に丸め込まれなければいいけど」
『第一王女を監視してるけど、第一王子派に協力を要請して、第二王子派のエンフィールド男爵家への介入は阻止する方向で調整してるみたい』
シキとエリンの会話を聞いていたリファから報告があった。
『第一王子派からしても、第一王女派が第二王子派に取り込まれるのは避けたいんだろうね。問題は第一王子派に支払う報酬が何になるかだけど。第二王子派よりはまし?』
第一王子派といえば、シキはアートリース伯爵領でサーライト・ノーグを捕縛した件を思い出す。
その報酬としてもし〈星屑の迷宮〉で国宝級の魔術具を手に入れた場合、それの所有権を認めてもらう約束をしたが、早まったかもしれないと感じていた。
とりあえず貸しにしておけば、今回の件で使えたかもしれないのに。
今後似たようなことがあれば貸しにしておこうと、心に決めたシキである。
『にぃに。私たちスプリガンとしても、第一王子派と交渉するための情報収集を継続するわ。現状で交渉材料になりそうなのはベリーズ・ペトルス、及びペトルス商会かな』
『第二王子の新しい彼女だっけ。ジーナさん、梯子を降ろされたようだけど大丈夫かなあ』
ジーナの実家であるサンルスカ侯爵家は裏稼業で暗殺に従事し、第一王女暗殺にも関わっていた。
第一王女派であるシキとは明確に敵対関係ではあるのだが、エンフィールド男爵領での表の顔を見る限り、好き好んで暗殺をしているわけではないようだった。
気難しい見た目が栗鼠な上位精霊のロージャに懐かれたり、マリナと仲良くしているところを小型情報端末で盗み見たが、根は優しい女性なのかもしれない。
しかし当然暗殺稼業は今に始まったことではないから、シキと関係ないところで罪を沢山犯しているはず。
それでもシキはジーナを憎み切れないでいた。
それは単に過去の悪行を知らないだけ。
他人事なだけで過去の被害者からすれば「ふざけるな」だろう。
どうやらジーナには自らを犠牲にしてでも完遂したい目的があるようだが、第二王子に見放された結果どうなるか……。
『それでそのベリーズ・ペトルスって人の素性は怪しいの?』
『えっとね、多分この人、邪人なんだよね』