139話 ガサ入れの準備
「そこで止まれ。領主様の屋敷に何の、用……だ」
門番が門前に進み出た人影を制止しようとして言葉が詰まる。
何故なら彼が今までに見たことのない、絶世の美女がそこにいたからだ。
黄金色の髪は日差しを浴びて本物の金のように輝いている。
碧い瞳は宝石のように透き通っていて、門番の姿が映りこんでいるのが見えた。
無表情だが、それがむしろ端正な顔立ちと相まって美術品の彫像のようだ。
「突然のご訪問をお許しください。私はエンフィールド男爵家次期当主のシキ様に仕えるリューナと申します。至急アートリース伯爵様にお伝えしたいことがあり、参上いたしました」
そう言ってリューナが恭しく一礼すると、黄金色の髪がさらりと揺れる。
風に乗って甘い香りが漂い、門番の鼻孔をくすぐった。
「……」
「主の名を出して頂ければきっとお会いして頂けると……大丈夫ですか?」
「あっ、ああ。わかった。お前、執事に伝えてこい」
門番は隣で一緒に見惚れていた部下を伝令に走らせると、改めてリューナの姿を観察する。
美貌も立ち振る舞いも貴族のようだが、自己紹介の通り従者であるメイド服を着ていた。
しかし素人目で見てもこのメイド服はおかしい。
普段見ているアートリース伯爵家のメイドたちのそれより豪華過ぎるのだ。
黒いロングスカートやエプロンの裾、肩紐といったあらゆる箇所にフリルがついていて、白い付け袖には宝石のようなカフスまである。
デザインがメイド服なだけであって、仕立ては完全に貴族のドレスだった。
「……」
「………」
待っている間のリューナは終始無言で門番は気まずかったが、割り切ってその美貌を堪能することにした。
無論直視するのはなんとなく畏れ多かったので視界の端に捉えてだが。
まあ主が男爵家の次期当主程度では、伯爵が約束もなしに会うことはないだろう。
という門番の予想は外れた。
「伯爵様がお待ちです。どうぞこちらへ」
「ありがとうございます」
部下が連れてきた執事の案内で、リューナは門番の前を通り過ぎて屋敷の中へと入っていった。
追い返されるどころか、待たされることなく伯爵の元へ直行するのを見て門番は驚く。
「あれが噂の〈精霊使い〉の従者ですか。噂以上に美人でしたね」
「何? そうだったのか」
王都で〈雷霆〉と引き分けた〈精霊使い〉の噂は聞いていたが、名前までは覚えていなかった。
それなら優先して会うのも理解できる。
てっきり伯爵の軟派癖が出たのかと思ったのだが違ったようだ。
門番は主への不敬の念を首を振って霧散させると、職務に意識を戻した。
「ほう、地母神の巫女による神託であるか」
「はい。巫女ウルティア様は主と親交があり、エンフィールド男爵領の視察団にも参加しておられます」
執務室に通されたリューナはジョルジュ・アートリース伯爵と対面している。
二人は向かい合ったソファーに座り、間にあるローテーブルには焼き菓子が並び、紅茶が湯気を上げていた。
「主が賜った神託は〈月桂樹の輪に隠れし二つ目の輪あり〉というものでした。当初は意味がわからない神託でしたが、エンフィールド男爵領への帰り道で、偶然に月桂樹の輪の紋章を掲げた馬車とすれ違ったのです」
「月桂樹の輪の紋章……まさかライロー商会か」
「主の命を受けて私は迷宮都市ムルザへ戻り、伯爵様にご報告を差し上げた次第です」
相変わらずの無表情を崩さずにリューナが語る。
もちろん神託というのは大嘘。
リファのドローンが見つけた〈隷属の円環〉の在処を知らせるための方便だ。
このライロー商会は月桂樹の輪の紋章を店のシンボルとして使っていたので、それっぽい神託をオルティエが創作したのである。
ウルティアには事後報告で口裏合わせをする必要があるため、シキは迷惑をかけてしまうと難色を示した。
しかしオルティエとエリンから「「マスターは女心がわかってないですね(わね)」」と何故か説教を食らい、いまいちピンとこないまま了承することに。
当然ライロー商会が怪しい、というだけでは動けない。
家宅捜索するにも大義名分が必要だが、こちらについても当てがある。
「まさかこのタイミングでライロー商会の名前が出てくるとはな。もし非合法の〈隷属の円環〉が本当に見つかれば大きな失点になる。最悪見つからなくてもそれはそれで予定通り……」
ライロー商会は第二王子派と懇意にしている。
決定的な証拠はないものの、前々から脱税、密輸入といった黒い噂が絶えない。
第一王子派のアートリース伯爵としては邪魔な存在で、排除に向けて捏造した罪状を用意していた……という情報も、リファのドローンによる諜報活動で取得していた。
ジョルジュが小声で機密情報を呟いていたが、リューナは聞こえないふりをして紅茶を優雅に飲む。
シキ相手に一切の隙を見せなかったジョルジュが油断するほど、リューナの報告は渡りに船だったということだ。
ジョルジュが何の証拠もない神託を信じるかは賭けだったが、このアトルランと呼ばれる異世界には神が実在し、加護という形で人々の生活と密接していた。
その神の名を使って騙ることは大罪であり忌避される。
シキの人柄や嘘をつく必要性、なかなか尻尾を見せないライロー商会。
最悪何も見つからなくても、捏造した証拠だけで商会の支店を迷宮都市から排除することは可能。
当然反感は買うが、このまま暗躍され続けるほうがデメリットが大きい。
ジョルジュはライロー商会に捜査の手を入れることを決断した。
「神託の内容を教えてくれて感謝する。礼は弾もう」
「畏れ入ります」
「ところでリューナよ」
「はい?」
ジョルジュは立ち上がると、小首をかしげているリューナに近づく。
そして白く細い顎に手を添えて持ち上げ、至近距離で顔を見つめた。
「私の女にならないか?」