112話 まぎらわしい
迷宮の入口には色々な種類があるようだ。
タクティス子爵領の迷宮は空中に浮かんだ平面の影で、樹海の迷宮は洞窟の入口のようだった。
ムルザの迷宮の出入口は漆黒の大きな板で、横に三メートル、高に六メートルくらいある。
板は南北に面を向けているが、北側が入口、南側が出口の役割を果たしていた。
北側には入場待ちの冒険者たちの列があり、南側からは迷宮探索を終えてくたびれた様子の冒険者たちが時折出てくる。
「なんかテーマパークの入場ゲートみたいだなぁ」
「もしお化け屋敷があって怖かったら、お姉さんに抱き着いてもいいのよ?」
「アリエが抱き着かれる側なんだ」
「だって普段からシキくんからは抱き着いてくれないじゃない~」
雑談しながらシキとアリエが入口の列の最後尾につくと、前の冒険者がこちらに振り向いた。
猫背の小柄な盗賊風の男で、旅装束姿のアリエの全身を舐めまわすようにじろじろと見てから、ニタリと笑った。
「ひひっ、こりゃまた随分な別嬪さんとお坊ちゃんだ。見ない顔だが〈星屑の迷宮〉は初めてかい?」
「だったら何?」
「そう警戒しなさんな。腕は立ちそうだがこの迷宮は素人なんだろ? 先輩冒険者として助言してやろうかと思ったのさ」
「必要ないわ」
アリエの表情は険しく、声音は抑揚がなく冷ややかだ。
日頃のおっとりふわふわした雰囲気は霧散しているため、シキとしてはなんだか落ち着かない。
明らかな拒絶の意思を見せられて冒険者は降参するように両手を挙げる。
「そりゃ残念。まぁ実際に迷宮に入ってみたら気が変わるかもしれん。ひひっ、もし迷宮内で偶然再会して、聞きたいことがあったら聞いてくれよなぁ」
そう言い残して冒険者は人相の悪い仲間たちと共に迷宮に入っていった。
「いきなり面倒そうなのに絡まれちゃったわね。視線も変な笑い方も気色悪いし。今日は折角のシキくんとの迷宮デートだから、次に邪魔してきたら容赦なくぶっ飛ばすわよ~。……どうかした?」
「いやぁ、キリっとした表情ができるんだなぁって」
「そりゃあ状況に応じて態度も変えるわ。シキは凛々しいお姉さんのほうが好き?」
アリエが先程のように表情を引き締め、声のトーンを落としてシキに問いかける。
しかし普段の(言動はともかく)やわらかい雰囲気に慣れているせいか、やっぱり妙に落ち着かない。
「うーん、クールキャラは他に任せればいいんじゃないかな。いつものおっとり系のほうが好きだし」
「好き!? ついにシキくんがお姉さんのことを好きって言った!」
「いやいや、それはあくまで性格の話で」
アリエがシキの両脇に手を入れて持ち上げ、その場でくるくる回り出す。
「おいお前たち、遊んでないでさっさと迷宮に入れ!」
さすがに迷宮を管理している兵士に怒られた。
迷宮都市ムルザにある〈星屑の迷宮〉の内部は、石畳で構成された古風な迷宮だ。
何故〈星屑の迷宮〉と呼ばれているかだが、それはこの迷宮都市ムルザの成り立ちに関係している。
言い伝えによるとレドーク王国が建国するよりも遥か昔、空から星が降り、眩い光と爆発がこの地を襲ったという。
周辺の生き物をすべて滅ぼし、地面に大穴を開け、中心地には謎の黒い一枚岩が出現した。
その星屑と思われる一枚岩が迷宮の入口だったため、〈星屑の迷宮〉と呼ばれるようになったのだ。
迷宮都市ムルザは中央に向かってすり鉢状になっているため、都市全体が巨大なクレーターの中にあるのだと考えられていた。
シキとアリエが迷宮に入る。
最初のフロアは十五メートル四方くらいの広さがあり、均一な大きさの石畳が整然と敷き詰められている。
正面には真っすぐ伸びた通路が見え、背後の壁にはドアの代わりに迷宮の出入口であるモノリスが埋め込まれていた。
「げっ」
アリエが不快気に声を上げるのも無理はない。
正面の通路の手前に先ほどの盗賊風の冒険者たちがいたからだ。
「ひひっ、別嬪が台無しな表情をしてるな」
「あんた達がいなくなれば別嬪に戻るわよ」
「まぁそう言わずにこっち来いよ」
「はぁ? 行くわけないでしょ……」
「うわっ」
急に背後から声がしてシキとアリエはその場から飛び退く。
現れたのはあどけなさの残る少年少女の冒険者パーティーであった。
「あ、後ろに並んでいた人たちか」
「入口で立ち止まると邪魔だから、こっちに来いと言ったんだぜ」
「ベンジャミンさん、こんにちは! この間はありがとうございました。売ってもらった地図のおかげで迷わずに迷宮から脱出できました」
「そりゃぁよかったな」
神官服姿の少女がベンジャミンと呼んだ盗賊風の男の前まで駆け寄り、頭を下げて礼を言う。
ベンジャミンはニタリと笑みを浮かべながら少女の頭を撫でた。
「今度、戦闘訓練付けてもらってもいいですか?」
「剣の手入れについて教えてください。前に使ってたのが折れちゃって……」
少女以外の冒険者たちも、ベンジャミンたちへ次々と話しかける。
その眼差しは憧れの存在に向けるような、キラキラしたものであった。
「……もしかして、普通に後輩思いの優しい冒険者だったりするの? 貴方たち」
「ひひっ、最初から助言するつもりしかないんだぜぇ」
ベンジャミンは少しだけ悲しそうにして目を伏せた。