110話 王女の帰還と鈍感系
ランディがエンフィールド男爵家に到着した三日後、入れ替わりでイルミナージェ第一王女が王都へと帰還することになった。
王族肝煎りとはいえ、王女をいつまでも辺境に留まらせておくわけにはいかない。
そもそも現地入りは必須ではないのだが、本人たっての希望で実現した。
第一王女派は三派閥の中で最小勢力である。
視察団の主導権を確実に握るために、派閥のトップである第一王女が出張ったという側面もあったのだ。
その第一王女の代理が宮廷魔術師第三位、ウォルト侯爵家長子のランディであれば十分であろう。
「それでは後を頼みますね、ランディ」
「はっ」
「エンフィールド男爵家の皆もランディを助けてやってくださいね」
「畏まりました」
第一王女の出立を見送るランディとロナンドが、跪いたまま返事をする。
まだ帰りたくない、というのがイルミナージェの本音だった。
普通の王族なら天幕暮らしを嫌がるかもしれないがイルミナージェは違う。
元から王城での優雅な暮らしにそこまで執着はないし、何よりもここにはシャンプー&リンスがある。
しっとりさらさらの髪の毛が手に入るなら、仮設の湯殿が他の貴族との共用で長湯できないことも些細なこと。
とはいえ視察団での不便な生活は侍女たちの仕事を増やしてしまうので、そろそろ潮時であった。
「シャンプー流通の件、少量でも構わないのでご検討くださいね。それと面談については日程が決まり次第、使者を送ります」
ひとりひとりに労いの声をかけて周り、シキの時にはそう耳元で囁いてイルミナージェは帰っていった。
「それで早速現地調査ですか。視察団の統率は大丈夫なんですか?」
「おいおい、俺が何のために第一王女派に入り、貴族のしがらみにまみれたと思ってるんだ?」
シキの問いに樹海を先頭で進むランディの背中が答える。
イルミナージェを見送るやいなや、ランディは臨時の樹海調査隊を編成した。
メンバーはランディ、レニアミルア、リーゼロッテ、そしてシキの四名なので少数成形と言えよう。
「リーゼロッテ様、どうしたんですか? さっきから眉間に皺を寄せて唸ってますけど」
「シキさん、貴方がランディ様と合流した時、傍にはレニアミルア様しかいなかったのよね?」
「はい。二人だけで馬車に乗って来たそうです」
「はうっ、王都からエンフィールド男爵領までは片道四日。その間ランディ様と二人っきりだなんて……うらやまですわ」
眉間だけでなく顔全体が苦虫を噛み潰したような顔になるリーゼロッテ。
普段が可愛らしい容姿なだけに、全力でする苦悶の表情はかなりインパクトがある。
ぎょっとしてシキはリーゼロッテの相棒である風精霊シルファを見るが、特に気にした様子はない。
周囲を自由気ままに飛び回り、飽きたらリーゼロッテの肩に止まるという動きを繰り返していた。
「本当に魔素が濃いのね。私の探知魔術も調整しないと使いものにならないわ」
「俺の魔眼も力を抑えないと目が眩んでしょうがない」
自分たちの能力がまともに機能しないと難色を示しながらも、初めての樹海にわくわくした様子を隠せないランディとレニアミルア。
そんな二人、ではなくレニアミルアを恨めし気に睨みつけるリーゼロッテ。
なんとも浮足立った集団だったが、伊達に宮廷魔術師の上位に君臨していない。
樹海の濃い魔素を蓄えた強力な魔獣と遭遇しても、魔術で的確に倒していく。
今回はランディとレニアミルアによる樹海の調査がメインということで、シキの精霊の出番はなかった。
後方の警戒をリーゼロッテの精霊シルファに任せ、シキは倒した魔獣の素材を拾って次元収納 (に見せかけたストレージボックス)に仕舞う係である。
「周囲の魔素が濃いおかげで、私の魔力も馴染みやすいわ。それに気付いてしまえば少ない出力で探知できるから楽ね」
「ほう、もう魔術の調整が終わったのか。さすがレニアだな」
「ぐぎぎぎ」
ランディがレニアミルアを褒めているのを見て、リーゼロッテが歯ぎしりをしていた。
さすがのシキもリーゼロッテがランディに好意を持っていることを察したが、かといって出来ることもない。
リーゼロッテの変顔を見守るしかないのだが……。
「ちょっとシキさん」
「あ、はい。なんでしょう」
リーゼロッテはシキの肩に腕を回してその場にしゃがませる。
そして顔を寄せてひそひそ話を始めた。
「レニアミルア様は優れた才能と美しい容姿を兼ね備え、生物の要となる水魔術に長けた序列二位の宮廷魔術師です。これから発展するエンフィールド男爵家次期領主のシキさんの伴侶にぴったりだと思いますわ。私が応援しますから今すぐ彼女を口説くのです。さぁお行きなさい」
「ええ……それ絶対レニアミルア様を好きなランディ様から引き離したいだけですよね?」
「そ、そんなことないですわ。というか別にランディ様が好きでもないですし」
「他人を邪魔するのではなく、自分が選ばれるように努力したらどうですか? もしランディ様にそのことがバレたら、心象が悪くなりますよ」
「だってだって、いつの間にかランディ様がレニアミルア様のことを愛称で呼んでいるのよ。私だってリーゼと呼ばれたいですわっ」
(見た目は)年下のシキに正論で諭され、リーゼロッテが涙目になる。
恥ずかしくて誤魔化したランディへの好意も自白したようなものだった。
『マスターの側室が増えることに異論はありません。マスターは偉大ですから、甲斐性を見せることも必要でしょう。またそれを許すのも正妻の度量の大きさというものです』
「しれっと正妻の座に納まってるね?」
『しかし序列は守って頂きますので、レニアミルア様は二十一番目となります』
「いやいや、そんな大奥じゃないんだから二十一人も……えっ、何か数がおかしくない?」
過分に驕ったとしても、スプリガン全員とエリン、イルミナージェ王女を足して十五人だ。
シキの認識よりも五人も多い。
「二人ともなにやってるんだ? イチャイチャするのは後にして先に進むぞ」
「のぉぉぉ! これは違うんですランディ様。誤解しないでくださいまし!」
慌てて立ち上がりシキから距離を取るリーゼロッテ。
シキは膝をつき呆然とオルティエを見上げていた。
「心当たりがないんだけど」
『人たらしなのは流石ですが、無自覚は罪作りですよ? マスター』
にっこりと微笑むオルティエの横で、風精霊シルファが空中に浮かんだまま寝そべっている。
主人たちの喧騒には目もくれず、退屈そうに欠伸をしていた。