第5話 ザ・キング・ファーム「ユーギくん、かわいそ」
綾峰芽瑠ことティーナは、はっきり言って『マナナミ』の大人達を舐めていた。
中身高校生のティーナが、今更児童教育を受けてもなんとも思わない。……それは当然と言えば、当然のことだ。
それよりもマナを鍛えることに注力していたので、尚更興味が失せていた。
もちろん、5年も育てられれば『マナナミ』の大人、主に子供達が関わるのはイリスなどの子供の面倒を見る先生達だが、そのイリス先生達が子供思いで聖母のような優しさに満ちた人だというのは理解している。
ティーナの取り巻きをしているニーファ達も、プライドは高いが先生達の前では素直でいることが多い。
………でも、ティーナからすれば〝温い大人〟という印象が拭えなかった。
子供達を利用して好き勝手振舞っても大して怒られることもないと、舐め腐っていた。
「ティーナちゃん。………ちょっと、お話しない?」
だから、イリス先生がティーナの心を案じてこうして見舞いに来てくれても、鬱陶しい、そうとしか思わなかった。
(……こういう大人のお節介…ほんと嫌い……)
根掘り葉掘り、何があったか聞いてくるのだろう。こちらとしては何も話せることはないから、もっとストレスが溜まるだけだ。
既に回復したティーナをベッドに座らせ、イリスもその隣に腰掛けた。
すると流れるような穏やかな手付きでティーナの背に腕を回し、イリスの豊かな胸に頭を預けるように寄り添い合わせた。
「……っ」
溢れる母性を全身で感じ、ティーナの少し強張っていた肩や顔の力が少し抜けた。
心臓にぶら下がっていた錘がすとんと落ちたような気がしたのだ。
「どう? もう頭はくらくらしない?」
抱き寄せたまま、ティーナの耳元で脳を蕩かすような美声で語り掛けてきた。
「う、うん……」
「そう。よかったわ」
腕の中に小さいティーナの体をすっぽり収め、まるで母鳥が雛鳥を守るように包み込んで、ティーナを癒してくれる。
(……なん……なのよ…っ)
ティーナは今、自分自身にムカついていた。
心が、体が、イリスのたったこれだけの慰撫にあっさり癒されている。
鬱憤や重圧が、するする抜け落ちていく…。
「何か、嫌なことでもあったの?」
そんなティーナの心に空いた隙間へ、イリスの言葉が流れ込むように入ってくる。
(………っっっ)
心を満たされたような感覚に、思わずぽろっとユーギとの間にあったことを言ってしまいそうになるが、綾峰芽瑠としての理性が押し留めた。
誰にも言わない、ユーギと決めたルールであり、ティーナもこれには賛成だ。
………転生した、前世の記憶があるなんて、言えるわけがない……。
「……………っ」
「……ふふっ、先生にも言えないことってあるよわよね」
何と言っていいかわからず黙っていると、イリスは不機嫌な態度を一切取らず、それ以上は何も聞いてこなかった。
「ティーナちゃんは、将来、どんなに大人になりたい?」
「え……」
イリスの話題の転換に、ティーナが少し戸惑う。
「悪者を倒すカッコいい女騎士とか、困っている人を導く巫女とか、……王子様と結婚して、お姫様になりたいとか、ティーナちゃんは夢を見ない?」
「……べ、別に…」
ティーナが口を尖らせて。
「貴族の家で働く人…とかでいいです……。私のマナの才能ならなれると思うし…」
難しい言葉を使わないように気を付けて言った。
「ふふっ、ティーナちゃんて本当に大人びてるよね」
変わらず抱き寄せられ、温もりを感じたままイリスが感心したよう言う。
どれだけ子供っぽく振舞っても、現実的に考える部分が大人っぽく見えてしまったらしい。
「別に…これぐらい普通……」
適当に誤魔化すティーナに、イリスが言った。
「心の成長が早いティーナちゃんならわかるよね。………いつもラッカちゃんやヤシズくんにやってることが、本当はダメなことだって」
「ッッッッッ!」
ティーナの表情が一気に強張る。
体が固くなったティーナを落ち着けるように、イリスも腕に力を入れて、少し強めにティーナの肩を摩ってあやす。
「ティーナちゃんはすごいよ。マナの覚えも早くて、頭も良い。……だから、周りの子が自分より下に見えちゃうかもしれない。……でも、周りの子も一生懸命頑張ってる。マナの練習もたくさんしてるの。それをバカにするのは、よくないよね?」
「………………………………ッッ!!!」
……イリスの優しさが、綾峰芽瑠の心に深々と突き刺さった。
おそらくイリスはティーナが他の子との間に何かあったと察し、ティーナの目に余る言動を省みさせるなら今だと思ったのだろう。
………それは、イリスが思っている以上に、ティーナに効いていた。
今ティーナの心を占める感情は…………羞恥。
イリスにしてみれば〝子供を大人が諭している〟という構図なのだが、ティーナにしてみれば〝いい歳した女子高生が大人に説教されている〟という、なんとも恥ずかしい構図なのだ。
散々〝温い大人〟と舐めていたが、先生達はイリスの愚行を諭すタイミングをずっと見計らっていたのだろう。
(……恥……………っ)
ティーナは顔を真っ赤にして、どれだけ自分が恥ずかしい状況が思い知らされる。
これでは本当に子供ではないか。
そんなティーナの態度を見て、イリスが優和一杯の微笑みを浮かべる。
「ふふっ、わかってくれたみたいね」
「………ッ、わ、わかった……からっ」
ティーナは一刻も早くこの状況を打破すべく、イリスの腕の中から抜け出そうとする。
しかし。
「こら、逃げるなっ」
イリスが腕を解かせず、抜けようともがくティーナを強く抱き締めた。
「えっ、ちょ、ちょっと…!」
「ほら、このまま一緒に寝よう? 先生が子守歌歌ってあげるからっ」
「だ、大丈夫でむごっ」
ベッドの上でイリスに抱き着かれ、豊かな胸にティーナの顔面が埋まった。
「はい、寝ましょうね~」
「むごごごがっっっ!」
……その後、ティーナは観念してイリスの子守歌を大人しく受け、直前に脳をフル回転させていた所為か本当に寝入ってしまった。
そんなぐっすり眠る可愛い寝顔のティーナを見ながら、イリスは。
「………はぁあああ」
大きな溜息を吐いた。
■ ■ ■
『テイルスフィア』の根本。
ぐるっと塀で囲まれた子供立ち入り禁止の空間。
そこは先生を含めた大人達の居住空間であり、子供達は正式名称を知らないが、『王の植栽所』の本拠地だ。
四階建てで横に広い木製だが丈夫で高級感のあるログハウス。
そこに大人達は住んでいる。
第二居住区で現5歳組を担当する先生・イリスは自室でぐったりとテーブルに突っ伏した。
そして。
「あああああああぁぁぁあああぁぁ、めんどおおおおおおぉぉぉ、だるいぃいいぃぃぃぃぃぃぃいいいいぃぃ、子供きもおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおいよおおおおおおおぉぉぉぉぉ」
思いっきり愚痴を漏らした。
「ティーナちゃんのことですか?」
そこへ第三者の声がかかった。
イリスと同室で、現5歳組の補佐を務めるイリスの後輩・ルーレアが肩を竦めながら聞く。
黒髪をポニテ状に結った小柄な女性である。
ルーレアに、イリスは溜息混じりに答えた。
「ほんとそれよ! ガキの癖にいっちょ前に調子に乗ってさ! その所為で上からは〝ちゃんと反省させて純真な子にしろ〟とか言われるし、でもこっちとしては自我がはっきりし始める5歳ぐらいまで待って、頃合いを見計らって諭さないと意味ないってわかってるからほんと板挟み! でもようやくよ! ようやくあのガキにも、自分がどれだけ恥ずかしくてバカなことしてたか思い知らせてやって反省させたの! ……ようやく肩の荷が下りたわ~」
そのイリスの態度には、子供達に向ける聖母のような優しさは皆無だった。
態度、言葉、その全てから〝ガキとかどうでもいい〟という気持ちが伝わってくる。
知っているはずのルーレアですら、誰?という感情が湧くほどの変貌振りだ。
「……でもいきなりでしたよね。ティーナちゃんの気分が見るからに落ち込んでチャンスが巡ってきたの。結局何が原因だったんですか?」
「知らないわよ」
「ええ、聞き出してないんですか?」
「話したくないみたいだったし、………こっちも別に興味ないし」
イリスが人差し指を立てる。
「言いたくないならその気持ちを尊重して、聞かないままいかに自分が愚かなのか思い知らせて反省させる、これも技術の一つよ。ルーレア、貴女もいずれ先生になるなら覚えておきなさい」
「ほええ。……さすが、出世頭のイリス先輩。子供達の人身操作術はもうお手の物ですか」
「……あと、もう五年」
イリスが声のトーンを落として言う。
「今の子達を立派な〝餌〟にして、……私はこの『王の植栽所』で上り詰めてみせる………何が良いって、ガキのお守から解放されるのが、何より最高なのよ…!」
「それで、イリス先輩の後釜は私ってなるわけですよねぇ」
はあ、とルーレアが肩をがっくり落とす。
「数年見てきましたけど、ただ子供を育てるんじゃ駄目。……〝純真な子供〟を育てるってのが、やっぱり難しいですよね」
「仕方ないのよ。私達にはよくわからないけど『テイルスフィア』は純真無垢で穢れ無き子供を餌として与えると、より良質なマナを生み出すって、様々な『植栽』をしてそういう結論になったみたいなんだから」
「純真無垢な子供って…我らが世界樹様も好色ですねぇ」
ルーレアはまたがっくりと項垂れる。
そのままルーレアは自分の机の上に置いてあった新聞紙を取った。
「これ、見ます? 昨日私が〝外〟へ外出した時に買った今週分の新聞です」
「後で見るわー。…何が一番話題になってるの?」
「んー、まあどれもパッとしない記事ばっかりですけど、強いて言うなら、カヤト様の社交界デビューとかですかね」
「ああ、私の担当と同じ5歳の、王様の孫よね?」
「そうですそうです。……なんでも、社交界デビューと同時に貴族の子女の中でも特に才能の優れた同い年の子とすぐ仲良くなって、学園入学前から最強派閥の誕生だーって騒がれてるらしいです」
「貴族の……同い年…ねぇ」
くすり、とイリスが笑った。
「………………ユーギくんも、もしかしたら王様の孫と仲良くなって、その最強派閥とやらに入れたかもしれないのにねぇ」
「ああ。ユーギくん、『四方領主』キナギーラ侯爵家の子ですもんねぇ。……そう言えば知ってます? ユーギくんが狙われた理由。………キナギーラの紅と蒼の異色眼に嫉妬したアラオーリム様が、半ば嫌がらせのつもりで誘拐したんですって」
「それ…ほんとなの?」
「この前バーナム様と他の研究員の人が話してるの聞いたんで、間違いないと思います」
「うーわ」
イリスは一応王様の見苦しい嫉妬に引きつつ、ユーギを思い浮かべながら呟いた。
「ユーギくん、かわいそ。……ふふふっ」
………そのイリスの瞳には、憐憫の感情なんて一ミリも存在しなかった。
いかがだったでしょうか?
『マナナミ』の歪さを表現できていたら幸いです。
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