ぼくのいぬまに ーTNstory
「あ、ター。これ、おみやげ」
1週間という長い出張に言っていたぼく。おみやげを渡そうと思っていたけれど、入れ違いで、ターは休暇をとって実家に帰っていたのだ。ひさしぶりに、会社でみかけて、声をかけた。おみやげとしてはベタだが、ターが好きなお菓子。恋人同士とは知られていない職場でも問題なく渡せて、結果よかった。
「ああ。ありがとう」
笑っていないターと目があって、どきっとする。あ、れ、? 何かあった?
「実家はどうだった? お母さんは変わらず?」
「ああ。ゆっくりできたよ。おれは何も買ってきてないや。ごめんな」
「実家に帰っただけだもん。気にしないよ。ずっと忙しかったんだから、ゆっくりできてよかったね」
話している内容はいつも通りだが、じっと見つめられていて、落ち着かない。
「何か、あった?」
職場では話せないこともあるだろうが、そのようすに聞かずにはいられなかった。
「なにもないよ。お前は?」
「な…にも? ないよ?」
鋭い視線で見つめられて、思わず言葉につまる。ぼくの答えを聞いて、ターは目をそらした。よくわからないが、時計を見るとそろそろまずい。打ち合わせに行ってくるね、と声をかけて、ターの元を離れた。
打ち合わせ終わり、席をたつと急に同僚のオーに羽交い締めにされた。
「ネオー! 今日、ターに会った?」
ひとまずヘッドロックは苦しいよ。ぼくは首にまとわりつく、オーの手を力ずくでゆるめた。
「会ったよ。やっとおみやげ渡せた」
「ターのやつ、何か言ってた?」
ん? 何? 何かオーは知ってるの? ぼくが怪訝な顔をしたからだろう。オーはバツが悪そうな顔をする。
「あー。言ってないなら、いいや。ターのことだから、ネオに言うと思ったのに。ごめん。気にするな」
そんなことを言われて気にしないはずがない。オーはぼくたちの関係を知っている数少ない同僚であり、ターの親友だ。
「気になるじゃん。今日、何も言われないけど、様子が変だったし」
ここでオーを問い詰めてもしょうがないのはわかっているが、何か知っているなら教えてほしい。
んー、と迷ったようすのオー。ぼくの首にかかっていた腕をほどいて、ぼくの体をくるっとまわした。まじめに話すときは、向き合ってくれるのがきちんとしたオーらしい。
「ネオ、出張が終わったあとに、新しいプロジェクトのキックオフがあっただろ?」
確かに、ぼくは今、新しいプロジェクトに参加している。
「キックオフのミーティングのあとかな。プロジェクトメンバーと一緒のようすがインスタにあがってて。そのー。パス先輩だっけ? ネオとキスしている写真が出回ってた。ターはそのこと気にしてる」
「待って。キスっていっても、頬に勝手にされただけだよ? そんなの…」
「ああ。わかってるよ。前後の動画を見たら、先輩から急にしたことも、ネオが戸惑ってるのもわかったし。ターもわかってるから、ネオに何も言わなかったんじゃない? ただ、気にしてるとは思う。ぼくに会って早々に、パス先輩ってどんな人だって聞いてきたからね」
「本当になにもないよ?」
「わかってるって! ただ気をつけろよ。パス先輩は彼女いるって聞いたことあるから、先輩は大丈夫だと思うけど。用心はしろ。あのプロジェクトは今までかかわらなかったメンバーが多そうだし」
確かに、はじめまして、な人が多い。だからといって、色恋沙汰がおきそうな気配はない。
「わかったよ。ぼくに興味ある人なんていないと思うけどね。でも気をつける」
そうしろ、お前、自分がもてるってことを少しは自覚しろ、と小言をつぶやきながら、オーは仕事に戻って行った。まったく自分のことを棚にあげて。オーもターも、別の系統だが顔がよい。その上、スタイルもいい。まちがいなく、この会社で人気が高いツートップだろう。それに比べて、ぼくは。二人に勝てるのは色の白さくらいか。
ターもターで、気にしてるなら言ってくれればいいのに。
だいたい、やきもちを焼くのはいつもぼくの方だ。ターはみんなに人気があり、常に人の輪の中心にいるひと。ぼくなんかが独り占めしたいと思ってもかなう相手ではない。
「はあああ」
仕事終わり、会社の駐車場、愛車の運転席で、ためいきをつく。
頬とはいえ、キスされたのは自分が油断していたせいもある。こんなことでターとぎくしゃくしたくない。
夕方のLINEのやりとりをもう一度、確認する。
『帰り一緒に帰ろう。ぼくの車で送る』
『わかった。そんなに遅くならないはず』
『じゃあ、終わったら駐車場で待つね』
LINEのやりとりもとくに変わったようすはなかった。いっそ、怒ってくれた方が弁解のチャンスもあるのに、これでは何も言えないではないか。
もんもんと、ため息ばかりの時を過ごしているうち、ターが歩いてくるのわかった。ぼくは手をあげて、合図をする。
ターは慣れた手つきで、助手席のドアをあけ、ぼくの愛車に乗り込んだ。
「待たせた? ごめん。予定より遅くなった」
いつも通りの言葉に、ぼくは逆に悲しい気持ちになった。ぼくの心臓の拍動がうるさくなる。ぼくから言わないと。
「ター?」
覚悟を決めてまっすぐにターを見つめると、ターの瞳が揺れたのがわかった。
「ごめん。キスされたこと。油断してたぼくが悪かったと思う。これからは気をつけるから。ごめん……」
言い終わる前に、助手席からターが動いた。急に抱きしめられ、苦しいくらいの力が込められる。
「ター? ここまだ会社」
「わかってる」
「人がくるよ」
何を言っても力は緩まることはなかった。
「……不安だった。急にまじめな顔されるから、別れ話でもされるのかと思った」
「そんなはず、ないじゃん」
「いっそのこと、バレればいいとさえ、思うよ。そうすれば、お前が狙われるの、見なくてすむ」
「そんなやぶれかぶれな理由でバレたくないよ」
「やぶれかぶれじゃないよ? 」
「もう! ターのファンたちがなくよ」
そういって、ぼくは力ずくでターから体を離した。誰かが通りかかってはまずい。
「ファンよりネオのが大事だし」
「よくいうよ。みんなのターだろ。ターの近くにぼくが入る余地なんてないくせに」
「俺は人とはちゃんと距離はとってる。……ネオがいやならば、他人との接し方、考えるよ」
ターは誰とでもよく話すし、人との距離が近い。ただ、誤解されるようなことはしない。そういう線引きはきちんとしているのは知っている。その距離感も天性のものだ。仲が良い人とは過剰なほどボディタッチしているのも見るが、それは気心許した人だけで、恋愛とはまた別ものだ。
「知ってる。だから、今までぼくは何も言わなかった」
なんだか、ぼくが拗ねているみたいだ。ターに変えてほしいところがあるわけではない。ただ、まだ職場にカミングアウトする気もない。
「とにかく、ごめん。もうないように気をつけるから」
今日のところはそれだけ。気をつけるから許して。
横目でみていたターがふわっと動き、ぼくの頬にキスをした。ぼくは思わず、頬を手で押さえた。
「俺がごめん。ネオが悪いわけじゃないのはわかってる。妬いただけ。不安になっただけだから。ごめん」
つぶやくように話して、ターはシートベルトをつけた。
こんなことで不安になることないのに。どこにいっても人気者のター。イケメンでスタイルがよくて、仕事もできて。それでいて、天然でちょっとポンコツで、気つかいしいで。ぼくはこんなに、君の全部が好きなのに。
「ター」
出した声が自分が思っていたより甘くなった。
呼びかけに反応して、こちらを向いたターへ、ぼくはくちびるにキスをした。
恥ずかしくてターの顔は見られない。ぼくは何事もなかったように、ハンドルを握って、車を動かした。
「……いつもは、お前からしないくせに」
ちらっと横目でターをみると、ターの顔は耳まで赤い。でも、顔が熱いぼくも人のことはいえないか。
ターがこっちをみたのがわかった。
「なあ、ネオ。好きだよ。お前よりずっと。だから、どこにもいくなよ」
真っ赤になって、でもきちんと言葉にしてくれるター。そういう、きちんとしたところもターらしい。
『ぼくもだよ』。言葉にはせず、笑った顔で返した。どこにも行かないから、君もぼくのそばに。