流れ星アップデート
恋人と流れ星を見たい 、という夢を浅木美子が抱いたのは小学校の高学年の頃だった。
テレビニュースだったのか新聞記事だったのか、父親がどこからか得た流星群がやって来るとの情報により、その日は夕食を早めに済ませ、美子と父親は車に乗って流れ星を見に出掛けた。
父親が目指した先は、隣の市の山中にあるキャンプ場で、到着した駐車場には夜だというのに多くの車がとまっていた。
車を降り、父親と手を繋いで……いたかどうかはもう記憶に残っていないが、美子は父親と木々の間の遊歩道を歩いた。
数少ない電灯が、光を受けてキラキラと舞う蛾を照らしている。
浅木家は家族でのキャンプ経験は無く、美子にとってキャンプ場は初めての場所で、珍しくて辺りをキョロキョロ見回しながら歩いた。
おそらく普段はテントを張る場所だったのだろう。遊歩道が終わると開けた場所に出た。
適当な場所を選んで、父親がビニール袋から取り出した新聞紙を地面に置き、美子は父親と並んで尻を乗せて座った。
周囲はとても暗く、また聞こえる音も少ない。
父親が「アベックがいっぱいいるな」と言い、闇に目を凝らして、じっと辺りを窺うと、どうもそこかしこに寄り添い合う男女がいるようだった。
会話はさして聞こえない。
きっと恋人同士、各々が2人だけの世界に入り込んでいるのだろう。
「お、流れた」との父親の声で顔を空に向けると、真っ黒な夜空のキャンバスには無数の小さな星々が瞬いていた。
その後も空を見上げ続け、時折見える流れ星に感嘆の声を小さく漏らす。
瞬間的に空を駆けていく夜の煌めきを見て、本当に星は流れるのだと、理解していたつもりの当たり前の事実に美子は改めて驚いた。
自分の視野の範囲を星が通り過ぎるのはほんの一瞬で、あまりに早過ぎて、願い事を言うことは断念したのを覚えている。
願い事……何だったのか、もう覚えていないのだけれど。
約1時間ほどで、2桁の流れ星を見た。
その全てが瞬きする間に消えてしまう。
自分が確かに見たはずの星の筋。
「夢じゃない、夢じゃない」と、自分が流れ星を見たという事実をしっかり刻んでおきたくて、美子は目を大きく広く見開いて網膜に焼き付けた。
「帰るぞ」との父親の声に地面と同化しかけた尻を上げ、美子は父親に手を引かれ……たかどうかはもう記憶に無いれど、遊歩道の方向へと歩き出した。
途中、はっとするような、甘い息遣いが聞こえた。
「甘い」と思うのは今になって思うことで、その時は「聞いたこともないような」が正しいのだろう。
暗闇の中にはぽつり、ぽつりと、カップルが座っている。
耳を澄ませ、その耳慣れない音に振り向き目を凝らす。
暗闇の中で口付けを交わす男女がいた。
帰宅すると、留守番の母親に「どうだった?」と感想を聞かれたけれど、刻み込んだはずの流れ星はもうすっかり消えていて、代わりに男女の荒く甘い息遣いとキスの様子が思い出されて、ただただ恥ずかしかったのをよく覚えている。
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「で、美子は流れ星を見ながら闇に紛れて俺とやらしいことをしたい、ってこと?」
「っ、馬っ鹿、そんなんじゃないもん」
隣に座る英太朗が太ももを撫でてくる。
ペシンッと不埒な手を叩いたら、その手は素早く捕えられ、すっかり握り込まれてしまった。
「いいじゃん、どうせ他からは暗くて何も見えないし、わざわざ誰もこっちなんか見てないだろ」
のし掛かるようにがぶりと口を塞がれて、英太朗の睫毛が美子の瞼にふわっとかかる。
何度もぱくぱく食べられながら、美子を覆う顔の向こうを星が流れた。
「またさ、来年も見に来ようぜ。流れ星デート、楽しいじゃん」
星を見上げながら、手はせっせと動かしながら、英太朗がそんなことを言う。
「エロいことをする為に?」
「馬ぁ鹿、そこまでエロにまみれてねぇーよ。来年も一緒に来たら、星見て思い出すのは今日の俺、今の俺とのことだろう?」
ふふっ、と思わず笑ってしまった。
「父親相手に焼き餅焼かれても困るのだけれど」
口は多少悪いけれど、甘えん坊で優しくて、やや愛が重い美子の彼氏。
「流れ星の思い出も恋人達のエロい思い出も、全部俺が上書きするし」
相変わらず、美子の太ももに置かれた手はせわしなく動いていて、英太朗がさわさわ柔やわと撫で回している。英太朗は少し口を尖らせながら、聞いていてこっちが恥ずかしくなる言葉を、真面目な顔をして平気で言ってのけた。
「来年は、俺が彼氏から夫に昇格してるかもしれないし」
勢いよく重なった唇は、先程よりもずっと深い。
行き場を失う甘い吐息をこぼしながら、英太朗と流れ星を、美子は身体と記憶にしっかりと刻む。
砂を蹴る音がした。
ざっ、ざっとした足音と、「ねぇ、パパ。お星さま、すっごいね」と少し高めの子供の声。
「っんッ! ぁ……」
際どい辺りを触れる英太朗の指に、思わず漏れ出た美子の甘い声が、暗い静けさの中にポトリと落ちて溶けていく。
足音がふっと止まって、「ゆい、どうした?」と父親だろう大人の声がした。
そして、また砂を蹴る音が聞こえ出し、足音は次第に遠ざかって闇の中へと消えていく。
また星が流れた。
美子は尚もまさぐる英太朗の手に触れ、今度はその手をそっと導く。
恋人と流れ星を見たい、夢から現実に上書きをした。




