ごつごつ
1914年の今日、5/31に生まれたあの方へ捧ぐ。
BGMにはぜひ、伊福部昭の『ゴジラ』メインテーマを!ヴァージョンはお好みで。
この作品は、劇伴企画開幕作品です。
アキラは、ランドセルをカタカタ鳴らしながら走っていた。今日は、念願の秘密基地に行く日なのだ。
そこに誘ってもらえるのは、選ばれた子供である。みんな、誘って欲しくて毎日そわそわしている。
「アキラ、今日秘密基地来るか?」
帰りがけの校門で、隣のクラスのショウちゃんに声をかけられた。ショウちゃんは、身体の大きな3年生のリーダーだ。算数が得意で絵が上手い。
「えっ、ほんと?行っていいの?」
アキラは色白の細い顔を上気させて、ランドセルの肩紐をぎゅと握った。
「おう。じゃ、公園集合な」
「うん」
それからアキラは駆け出して、家に着くなりランドセルを放り投げる。
「ちょっとー」
お母さんが呆れてリビングから出てきた時には、もう玄関の扉は閉まっていた。
「こら!どこいくの」
お母さんは、ランドセルを拾うと玄関を開けてアキラの背中に叫ぶ。
「ひみつー!」
アキラは振り向きもしない。
「だれといくの」
「ともだちー!」
それだけ答えて、アキラは角を曲がって見えなくなった。取り残されたお母さんは、ランドセルを両手で提げて、ため息を吐くと家に入った。
公園には、ショウちゃんの他に隣のクラスのキョウヘイくんとヤマネ、それから同じクラスのタカシがいた。アキラは、栄えある5人目のメンバーだ。
公園を出て、町外れの森に向かう。半分壊れたお社は、5人のお父さんたちが子供の頃は人が住んでいたのだという。
いつの頃からか無人となって、今では剥げた鳥居とぼろぼろの小さな建物があるだけだ。昔はお祭りもあったらしいが、お父さんたちが子供の頃にはもうなかったとか。
お社の裏には、池がある。そのほとりに巨大な岩屋があって、その脇を通ると山道が始まる。
子供たちは、その岩屋を秘密基地にしているのだ。
「すっげえ。ショウちゃんが描いたの?」
岩屋の壁には、白い色でなにかごつごつした生き物が描かれていた。鋭い目つきと太い尻尾を持つ、トカゲのような生き物だ。
「かっこいいなあ」
アキラは感心しきりである。
「違うよ」
と、ショウちゃんが否定すれば、
「なんだよ、知らねえのかよ」
と、キョウヘイくんが馬鹿にする。
「え、じゃあ誰が描いたの」
アキラが皆を見る。
「昔の神主さんだよ」
ヤマネは、落ち着いた声で教えてくれた。
「うんと昔なんだって」
タカシが大きな目をきょろりと動かして言った。
「ふうん。すっげえ」
アキラはしげしげと壁画を観る。
「池に眠るごつごつだよ」
「これが?」
ヤマネの説明に、アキラは驚く。
この池には、ごつごつという神獣が眠っていると言われていた。昔話によれば、とても凶暴な森の神様で、人々は生贄を捧げて宥めていたという。
「へーえ」
昔話に出てくるごつごつは、大きな黒い生き物だ。壁画は白いので、アキラは不思議に思う。
「白いな」
「絵だからな」
絵の得意なショウちゃんが言うのだからそうなのだろうと納得した。
それから、5人は岩屋をでて池に向かう。
「戦争中には、なんかの実験をしてたらしいぜ」
ショウちゃんが意味ありげに池を睨める。
「岩屋の奥に開かない扉があってさ」
タカシが声をひそめる。
「扉?」
「うん。日本軍の実験施設だったらしい」
ヤマネは相変わらず落ち着いて説明を述べる。
「錆びついてて開かねえんだ」
「ぜんぜん開かない」
キョウヘイくんとショウちゃんが言えば、ヤマネとタカシも頷く。
「ごつごつを起こして兵器にするつもりだったんじゃないかな」
「えっ、ショウちゃん、本当?」
「多分だけどな」
ごつごつは、神様である。
「バチ当たんないの」
「さあな」
「起こせなかったんだしな」
キョウヘイくんに言われるまでもなく、ごつごつが起きたなんて、聞いたことがない。実験は成功しなかったのだろう。
もしも起きていたら、アキラたちの住む町はどうなってしまっただろうか。人を喰らう恐ろしい神様だ。今は失われたお祭りの儀式で、ごつごつは眠っていた。
「ねえ、お祭りしなくて大丈夫なのかな」
アキラは、ふと不安を口にする。お父さんたちの頃、神社に人は居たけれども、お祭りはもうなかったのだ。ごつごつを眠らせる儀式は、いったいいつごろからしていないのだろう。
「大丈夫じゃね」
キョウヘイくんが馬鹿にする。
「ずっと寝てるからな」
ショウちゃんも言う。
他の3人は、心配そうに池を見た。
「あっ!」
アキラが声をあげ、タカシが目を見開く。
池の中央で、ぼこぼこと大きな泡が立ったのだ。
「ショウちゃん、あれなに」
「なんだよ、タカシ。怖えのか」
「キョウヘイくん、怖くないの」
「馬鹿じゃねえの。泡だろ」
5人の目の前で、泡はどんどん増えてゆく。泡の上がってくるスピードも速くなる。
「逃げたほうがよくない?」
ヤマネが冷静に言う。
「馬鹿、亀かなんかだろ」
「でも、泡大きいよねえ」
「怖いんならタカシは帰れば」
「俺、帰るよ」
馬鹿にするキョウヘイくんを尻目に、ヤマネはさっさと帰り始める。
「まって」
タカシは急いで追いかける。
「アキラはどうすんだ」
「ショウちゃんは?」
「何が出てくるか見たい」
「だな」
ショウちゃんとキョウヘイくんの好奇心も解る。もし本当にごつごつなら、見てみたい。アキラは残ることにした。普通の生き物なら、それで良いのだし。
「もうちょっと見てる」
3人が見ているうちに、泡はますます激しくなった。やがて大きな水音とともに、何かが池の水面から現れた。
「わあ」
「でけえ」
「黒いね」
岩屋の壁画を黒くしたような生き物が、水面に顔を出す。ごつごつと黒い岩のような皮で覆われた半身が、池の表面に波を立てて起き上がる。
森の木々の梢に届くほどの巨体であった。
たしかに小さくはない池だが、こんなに大きな生き物が眠っていたとは驚きだ。
3人は首が痛くなるまでその生き物を見上げていた。
黒くごつごつした生き物は、重たげに瞼を開けて子供たちを見た。凶暴そうな吊り目に見据えられ、3人の足が凍りつく。
ごくり。
3人は唾を呑み込んだ。
池から現れた生き物は、瞬きを一つすると、子供たちから視線を外す。それから、その生き物はあたりをゆっくり見回して、崩れかけたお社に目を止める。
「あっ」
「しっ、アキラ」
アキラは、おじいちゃんに聞いた昔話を思い出したのだ。昔話といっても、言い伝えではない。おじいちゃんが子供の頃見たお祭りの話だ。
アキラの足は、氷が溶けたように動き出す。カサカサと落ち葉や小枝を踏んで走る。
ショウちゃんとキョウヘイくんは、ぎょっとしたようにその背中を見送るばかり。
ほどなくアキラはお社に駆け込んだ。奥に居間と台所が見える。手前は神棚がある広間だ。
神棚の下に箱がある。紫色の太い紐で結ばれた、埃だらけの桐箱だ。
アキラは、埃をものともせずに紐を解く。
「げほっ」
むせながら箱を開けると、中には黒い横笛が入っていた。
アキラはきちんと正座する。
神棚を見つめ、おじいちゃんに教わった「ごつごつの子守唄」を頭の中に呼び起こす。
大きく息を吸う。
この笛なら吹ける。
アキラのおじいちゃんは、笛の作り方も教えてくれた。家には、拙いながら自分で作った笛も持っている。
物哀しい笛の音が、古いお社に鳴り始める。掠れたような音が、揺れながら森へと出てゆく。
池の水音が、ざばりざばりと聞こえてきた。コントラバスを思い切り弾いたような大きな音が響き渡る。お社が震えた。
外の2人は大丈夫だろうか?
(集中しろ)
アキラは、心配を押しやって、笛に集中する。
笛は哀しい音だけれども、旋律は勇ましい。こころ浮き立つ音楽だ。子守唄というより行進曲である。何か曲名が取り違えられて伝わったのだろう。
池の水音が数回聞こえて、ぼたぼたと水面に飛沫が返ってゆく気配が続く。やがてしんと静まり返り、アキラは吹き収めて笛を置く。
お社を出ると、涼やかな風がアキラの前髪を吹き上げた。なんとなく愉快な気分になって、アキラは小走りに池のほとりへと戻る。
「アキラ!なんだよ、すげえな」
「なにあれ?アキラが吹いたの?」
2人は口々に話しかけながら、アキラの方へと走ってくる。2人ともずぶ濡れだ。
池の水は、ちっとも臭くなかった。それどころか、清涼な森の香りを漂わせる2人に、アキラは声を立てて笑う。
「は?なんだよ」
「え、なに?」
2人はきょとんとして足を止める。
笑い止まないアキラに釣られて、ショウちゃんとキョウヘイくんも、笑い出す。
3人の小学生の元気な笑い声が、今は静かに凪いでいる池の面を渡ってゆく。
風は頭上の枝葉を撫でて、さやさやと瀬音に似た葉擦れの音を降らせるのだった。
(完)
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