第3話 鉄の魔女(後編)
昼食はタケの案内で学生食堂に行った。
俺はカレーライス、タケは味噌ラーメンを注文する。
テーブルに着くとさっそくタケが言った。
「授業前に俺が言った意味が解ったか?」
俺は一瞬、何を言われているのか解らなかった。
「ホラ、司が聞いて来たことだよ」
タケは既に俺の事を『司』と呼んでいる。
「『嬉しそうなヤツと憂鬱そうなヤツがいる』って聞いた、あの事か?」
「そうそう、解ったろ?」
「いや、全然」
俺がそう答えるとタケは苦笑した。
「あんがい鈍いんだな、司は」
そこで言葉を切ると改めて話し始めた。
「俺達の数学の教師は彼女、鉄乃真緒。だけど影では『鉄の魔女』と呼ばれている。なぜだか解るか?」
「厳しいからか?授業が終わってから『今日中にプリントをやって出せ』って言うくらいだからな」
俺は思っていた不満を口にした。
「そんな所は問題じゃないよ。厳しいだけじゃ『鉄の魔女』とまでは呼ばれない」
「名前の読み方が似ているからじゃないのか?」
「それもあるけど、それだけじゃない。あの先生、美人だろ?」
「まぁ、そうかもな」
俺は同意しつつも興味のない返事を返した。
そもそも相手は先生だ。
「鉄乃先生は今年の一月からこの学校に赴任して来たんだ。あの通りの美人でグラマーだから、最初は男子生徒は騒いだよ」
そんなものなのか、と俺は思った。
確かに鉄乃先生は美人の部類に入るだろう。
だがあんな冷たい、そして堅物っぽいイメージの女性を、そんな目で見られるだろうか?
どうせ年上の女性なら、もっと可愛げがあって優しい感じの人がいい。
そう、あの『隣のお姉さん』のような……
「それで何人かの男子生徒が鉄乃先生をからかったんだ。そうしたら……」
タケの話はこうだ。
「君たちは何を考えているんだ?」
鉄乃先生は冷たい侮蔑の視線で男子生徒達を見た。
「私に交際相手がいる事や胸のサイズが、君たちの学力と何の関係がある?」
からかい半分に声をかけた男子生徒達は一斉に黙ってしまった。
「そんな歳でもうセクハラ予備軍か?社会に出る価値もないクズに、今からなるつもりか?君たちの発言と行動を問題として取り上げ、親に連絡してもいいんだぞ」
鉄乃先生は男子生徒を睨め付ける。
「そんな余計な事を考える余裕があるんだな。罰として問題集20ページ。明日までにやって持って来い。出来なければ明後日の職員会議で問題とした上、保護者に連絡して処罰を決める」
「とまあ、こんな具合だったらしい」
タケは面白そうに一気に話した。
「相当厳しい先生だな。そんな先生じゃ生徒に恐れられても仕方がないな」
「ところがそれだけじゃないんだよ。普通の先生なら司が言った通りになるだろう。だけどそれでも先生に言い寄ったり、ラブレターを出した生徒がいるんだよ。全員が玉砕しているけどな」
「ずいぶんとツワモノがいるんだな」
俺は呆れながらそう言った。
あの先生、美人かもしれないがそこまで魅力的か?
「それも一人や二人じゃない。何人もだ。それだけじゃない、男性教師も手厳しく跳ねつけられたって言う噂だ」
そんな噂、どっから入ってくるんだ?
「そんな事で彼女は『残酷に男をフリながらも、男を惹きつける魔女』って訳で、本名にかけて『鉄の魔女』と呼ばれているんだ」
タケはそう締めくくると、残りのラーメンを一気にかきこんだ。
俺の方はあらかたカレーライスを食べ終わっている。
『鉄乃真緒』からかけて『鉄の魔女』ね。
俺にはどうでもいい事だけど。
その時の俺は、それ以上は彼女に興味を持たなかった。
数学の授業は毎日ある。
数学Ⅱか数学Bだ。
両方とも担当するのは鉄乃先生。
先生は言葉使いも厳しいし表情も冷たい。
俺はキツい女性が苦手だ。
先生なら尚更だ。
そんな訳で俺は出来るだけ、先生の方を見ないようにしていた。
俺まで『先生に関心がある男子生徒』と見られて、手厳しい扱いをされたのでは適わない。
……俺の心のオアシスには、隣のお姉さんがいるしな……
彼女の事を思い出すと胸が温かくなる気がする。
黒髪ロングで、色白で、清楚で、優しくって、笑顔が可愛くって……
胸も大きいし。
ただ残念な事に、あれから彼女と会うチャンスがない。
家を出る時間が俺とは違うらしいし、帰宅時間も俺よりけっこう遅いようだ。
彼女はどこの大学に通っているんだろう?
それとも大学に行かないで働いているのかな?
俺は時々、そんな風にぼぉ~っと『隣のお姉さん』の事を思い出していた。
その週の金曜日。
俺の通う高校は第二と第四土曜日が休みである。
よって明日から二日間はノンビリできる。
俺はちょっと足を伸ばして、普段は使わない戸越銀座駅の方に向かってみた。
俺の住んでいるマンションは、武蔵小山と西小山と戸越銀座のほぼ中間くらいあるのだ。
俺は学校への通学には武蔵小山駅を使っている。
マンションのある場所は、どの駅も距離的には500メートルくらいだろうか?
チェーン店の中華料理屋に入る。
頼むのはチャーシュー麺と半チャーハンとギョーザだ。
席に座ってスマホをいじる。
ネットニュースを見ながら料理が来るのを待った。
「チャーシュー麺と半チャーハン、ギョウザ。お待たせしました」
店員さんがそう言って、俺の前に料理を並べる。
俺はスマホを仕舞って箸を取ろうと顔を上げた。
すると一列向こうのテーブル席に座っている女性の姿が見えた。
髪の毛をアップにして吊り上がった感じのメガネを掛けている。
服装は黒のスーツだ。
……鉄乃先生だ……
だが向こうは俺に気が付いていないようだ。
何やら資料らしいものを熱心に見つめている。
学校関連の資料だろう。
俺は何となく、見るともなく先生の様子を見ていた。
不意に先生がメガネを外した。
……あれ?……
俺は既視感を覚えた。
誰かに似ている気がする。
そこで先生にも料理が来た。
注文したのは麺類のようだ。
先生は下を向いて食べ始めたため、顔が見えなくなる。
俺としてもそれ以上、何かをする気はなかった。
テーブルは離れているし、わざわざ声を掛けるほど先生と親しくもない。
そもそも先生の方もプライベートの時間まで、生徒に声をかけて欲しくないだろう。
食事を終えて中華料理屋を出た俺は、マンション近くのスーパーに向かった。
今夜は夜更かししてゲームをやるつもりだ。
そのためにお菓子とジュース、そして明日の朝食用のパンくらいは買っておこう。
予想以上に買い物してしまい、俺はレジ袋二つをぶら下げてマンションに戻った。
エレベーターを五階で降りる。
廊下はけっこう暗い。
マンションと言っても古いタイプの賃貸マンションなので、通路はかなり薄暗いのだ。
夜なんかはかなり近づかないと、人の顔などは判別できない。
自分の部屋に近づくと、504号室の前で人が立っていた。
あのお姉さんの部屋だ。
いま帰ってきた所か?
「こんばんわ、この前はどうも!」
俺はちょっとしたラッキーに弾んだ声を出し、小走りで近づいた。
相手がコッチを振り向く。
「えっ?」
俺はその相手の顔を見て絶句した。
アップに纏めた髪、両端が吊り上がった冷たい印象のメガネ。黒で固めたパンツスーツ。
「て、鉄乃先生?」
そこに居たのは、俺の学校の数学教師、『鉄の魔女』こと、鉄乃真緒先生だった。