第18話 えっ、俺の家でテスト勉強?(後編)
午後六時くらいになった。
「ところで二人とも、何時までウチにいるつもりなんだ?」
俺は時間が気になっていた。
先生が帰って来る時間と、二人が鉢合わせになってしまう事を恐れたのだ。
そして先生は帰宅すると、俺の家に夕食を作りに来てくれる。
コイツラの帰る時間によっては、先生に『二人が来ている』事を連絡しなければならない。
タケが時計を見た。
「お~、もう六時過ぎか。早いな。じゃあそろそろ帰るとするか」
俺はホッとした。
「アタシはもう少し勉強していく。アタシの家、ここからけっこう近いから」
香澄がテキストを見たままそう答えた。
「え~、そうなの?でも暗くなって来たし、帰った方がいいんじゃないの?」
タケが残念そうにそう言う。
コイツ、香澄と一緒に帰れる事を期待していたな。
「ウチは晩御飯が遅めだから。それにココだとけっこう集中できるし。西君、先に帰っていいよ」
「なんだよぉ~、俺は邪魔者か?」
タケの口調が『残念から不満』に代わった。
「別に俺も香澄もそんなつもりはないよ。だったらタケももう少し居ればいいだろ。香澄だって八時までには家に帰りたいだろうし」
俺がそう言うと、香澄がちょっと俺を見た。
なんか睨んだみたいに見えたけど。
「俺、トイレに行って来るな」
俺はさりげなくスマホをポケットに入れ、トイレに入る。
急いでSNSで鉄乃先生にメッセージを入れた。
>(司)今、俺の部屋に同じクラスのタケと、E組の須藤香澄が来ています。先生は帰りは何時くらいになりますか?
しばらくして返信が来た。
>(真緒)そうなんだ?私の帰りはいつもと同じで八時くらいかな?
>(司)了解しました。二人が出る時は連絡しますから、顔を合わせないように注意して下さい。
そこまでメッセージを打って、トイレを出る。
俺がリビングに戻ると、香澄が急に顔を上げた。
「ところで司、隣の部屋ってどんな人が住んでいるの?」
ドキッとした。
コイツ、なんでそんな事を?
「さ、さぁ。よく解らないけど、おそらく両方とも社会人かな?朝早く家を出て、帰ってくるのも遅いみたいだから」
「ふぅ~ん、男?女?」
俺はドギマギした。
「あ、あんまり付き合いないからよく解らないな。そもそもお隣さんが一人暮らしかどうかも解らないし」
「そうなんだ?」
「どうしてそんな事を聞くんだ?」
コイツ、何か感づいたのか?
俺はそれが気になった。
「いや、さっき外を見ていたらさ、ベランダの隣室との仕切りが壊れていたから。あれだとベランダが丸見えになっちゃうなって思って。移動も出来ちゃうし」
引っ越してきて最初、初めて『隣のお姉さん』である鉄乃先生に会った時。
緊急事態として俺はベランダの隣室との仕切りをブチ壊して、先生を助けた。
それを大家に言うと『災害時ではない故意の破損』として、弁償させられるのではないかと心配したのだ。
よって先生と話し合った結果、『特に問題なければ、後でブルーシートでも張っておけばいい』という事になったのだ。
ただ互いに忙しいので、今だに穴は塞いでいないが。
「それか。アレ、俺も穴を塞ごうと思っていたんだよ。でも中々タイミングが合わなくて」
「タイミングって何の?」
「いや、お隣さんに言うタイミングって言うか」
「そんなの気にしないで、コッチからさっさと塞いじゃえばいいじゃない」
「そうだな。今度の休みにでもスーパーで材料を探してみるよ」
香澄は俺の事を見ていたが、それ以上は何も言わなかった。
午後八時十分前。
そろそろ先生が帰ってくる時間だ。
俺は二人に声を掛けた。
「悪いけどそろそろ帰ってくれないか?俺も夕食の準備があるから。香澄も八時くらいには親が帰って来るだろ?」
タケは伸びをした。
「んだな。じゃあ帰るとするか?」
香澄の方は無言で片付け始める。
何か気に障ったかな?
「俺も買い物に行くからさ、一緒に出るよ」
そう言って二人を促した。
マンションを出るまで、鉄乃先生と合わないかビクビクした。
マンション前でタケが「香澄ちゃん、駅まで一緒に行こう」と誘うが、香澄が
「アタシの家は、ここからなら歩いた方が早いから」
と言って即座に断った。
タケが残念そうなのが、手に取るように解る。
だがマンションの前でいつまでも立ち話している訳にも行かない。
「俺が買い物するスーパーは、香澄の家と同じ方向だから。途中まで送っていくよ。じゃあな、タケ」
そう言って香澄を引き離すようにマンションの前を立ち去る。
タケも諦めて駅の方に向かった。
しばらく香澄と一緒に歩く。
「ねぇ司、何か隠してない?」
不意にそう言ってきた。
「か、隠すって、何をだよ?」
またもや俺はドギマギする。
「何かは解らないけど。部屋に行ってからの司の様子、何かおかしくてさ」
「別にそんなこと無いよ」
「そうかな?さっきだって、やけに時間を気にしてアタシ達を帰そうとしたし。マンション内でも何かを気にしているみたいな感じだったし」
「気のせいだって。そもそも俺が隠さないとならないような事はないだろ」
香澄は思案するように下を見た。
「そうかもしれないけど……だったら、また今度、アタシが遊びに行ってもいいよね?」
「え、また?」
「隠している事が無ければ、別にいつアタシが来ても、問題ないでしょ?」
「あ、ああ」
俺は香澄に完全に押し切られていた。
香澄ってこんなにカンが良かったのか?
俺はこれ以上、香澄と一緒にいると余計にボロが出そうな気がした。
深夜まで開いているスーパーの前で立ち止まった。
「じゃあ俺、ここで買い物するから。今日はありがとう、またな明日学校でな」
そう言った香澄に手を上げる。
「うん、それじゃあ、また明日、学校で」
香澄はそう答えたが、何となく普段より元気が無いような気がした。
マンションに戻ると、もう八時半を過ぎていた。
自分の部屋のドアを開けようとすると、隣の504号室、鉄乃先生の部屋のドアが小さく開いた。
ひょこっと、ドアの影から先生の顔が覗く。
「西君と須藤さん、もう帰ったの?」
「ええ、八時過ぎにはここを出ました」
「部屋が暗かったから、三人でどこか行ったのかな、とは思っていたけど。ご飯は食べる?」
「あ、頂きます」
「ちょっと待っててね」
先生の頭がひっこんだ。
俺も部屋に入る。
五分もしない内に、玄関のチャイムが鳴らされた。
ドアを開けると、タッパを二つ抱えた先生がそこにいた。
「おかずはもう作ってあるから。お味噌汁だけ作っちゃうから待っててね」
先生はそう言うとキッチンに立つ。
二十分ほどで本日の料理がテーブルに並んだ。
メインディッシュは回鍋肉だ。
食事中、テーブルの横にある教科書と参考書に先生が目をやる。
「三人で勉強していたんだね」
「ハイ、『定期テストのコツと傾向を教えてくれる』って言うので」
「ウチの学校はけっこうテストの結果を重視するもんね。いい友達が出来て良かったね」
「そうですね。ちなみに先生は『テストが悪いと無情に落とす』って聞きましたけど」
先生は軽く頬を膨らませた。
「そんなこと無いよ!ちゃんと追試だってやるし、あんまり出来ない生徒には補習でカバーできるようにしてるよ」
「そうなんですか?なら良かった。みんなが『鉄の魔女の単位消失魔法』って言っていたから、どうしようかと」
「酷いなぁ。無碍に単位を落としたりしないわよ。それに司君の学力なら、そんな心配は要らないんじゃないの?」
俺は先生と向い合って笑った。
なんかもうこれが日常みたいな気がしている。
でも今は先生の好意に甘えているけど、こんな時間も俺のケガが直ったら終わるんだよな。
俺はそう思うと、身体に一瞬だけ冷気を当てられたような錯覚を覚えた。
それを振り払うように、一気に味噌汁を飲み干した。