先輩ファンブル
どこかであったかもしれない一幕。
「センパイ先輩せんぱーい!」
ここは学校の廊下。歩いていたら、うるさくけたたましい声が後ろから聞こえた。僕はうんざりとした思いを持って振り向く。
すると、その瞬間に体へ衝撃。下を見れば僕の胸に飛び込んでいる小さな体が目に入る。
「後輩よ、学校の廊下は走らないようにと先生に教わらなかったか?」
「ええ、知ってますとも!」
「ならお前は今悪いことをした。学校の廊下を走って僕に突撃をしてきた、それは先生への報告ものでは?」
そう言って彼女を引きはがそうとするが……待って、力つよい! 全然離れない! この細腕のどこにそんな力が!
「いいえ、それには及びません。私は走ってはいなかったからです」
「おいおい、嘘はいけない。あんな勢いで突っ込んできたんだ、走らないとあの速度は出ないよ」
「ええ、なので走らずに競歩できました」
思わず吹き出しそうになった。衆人環視の廊下で、独特な動作がともすれば面白く見えてしまう競歩をしてきただと?
「でも、それでは速さがたりませんでした。所詮は歩き、速さには限度があるんですよ」
「ほらみろ、やっぱり走ったんだな?」
「いいえ、飛びました」
「は?」
「先輩めがけて、飛んだんですよ。ジャンプです。ホップステップのジャンプです」
後輩がしたり顔で僕を見上げてくる。花開く笑顔とはまさにこれ、身長差によって彼女の笑顔は下で花開く。
「おいおい、それは危ないよ。もし、飛距離が足りなかったら、もし僕が横にずれていたらどうなっていたことか。コントばりに顔面スライダーを楽しんでいたかもしれないよ」
何度か彼女を離れ課そうと試みるも、全然腕が離れない。どれよりか強くなっている気がする。そうすれば密着する互いの体。彼女の体温、柔らかさが布の向こうから浸透してくる。僕は男子だ、健全な男だ。あんまりされると困る。
「それは大丈夫です。絶対にそうはなりません」
「どうして?ずいぶんと自信ありだね」
そう尋ねると、彼女はさらにニカリと笑って、
「だって私は先輩が好きですから! だから吸い寄せられてくっつくのでまったく問題ないんです!!
……これだ。
彼女のこういうところが困るのだ!
「あ、先輩。今照れてますね?」
「い、いや照れてないし」
「嘘。顔、真っ赤ですよ?」
思わずパッと顔を手で覆ってしまう。それをして、しまったと僕は思いなおす。彼女の方を見れば、ニヤニヤ顔を僕に向けていた。
「……お前」
「あは、そう睨まないでください。そろそろ離れてあげますから」
そういうと彼女はようやくかっしりと巻き付いていた腕を緩め、僕から離れた。温かさが離れ、冷たい空気がぬくもりをさらっていく。不思議と寂しさを感じた。
表情に出ていたのか、彼女は僕の顔を覗き込むと、にやりと口角をあげた。このままいれば、また僕のことをからかってくることは分かりきっている。僕は彼女の視線か逃れるように背を向けて歩き出した。彼女の足音お聞こえ出す。
「で、何か用?」
「用が無かったら、来ちゃいけませんか?」
「いや、そうじゃないけど……お前、僕をいつもいじってくるが、面白いのか?」
この後輩は、彼女は、いつも僕のことをからかう。何が楽しいのか、面白いのか。僕の反応が、他と比べて面白いのだろうか。
「いいえ、他の人の方がきっと面白いでしょうね」
おい。
「ならどうしてだ。面白くないなら、他の奴にすればいいじゃないか」
「確かにそうですね。面白さを求めるなら、他の人の方がいいでしょうね」
「ならーー」
「でも私が好きでやっていることなんですよ。ならいいじゃないですか」
後輩は悪びれもせず、ニカリと笑う。僕はその顔を、かわいいと思ってしまった。
そうだ、もはや認めるしかない。僕は、この後輩のことを好いてしまっている。いつのころからなんて知らない。いつの間にかが一番適格。彼女にいじられ、からかわれ、そのたびにしたり顔の輝く笑顔を見せられていたら――いつの間にか、彼女を好きになっていた。彼女の笑みを見ない日はない。もし、見ない日があったら、寂しさを覚えてしまうかもしれない。それほどに、彼女のことを。
しかし、素直に認めつというのもなんだか癪だ。いいように彼女にはめられてしまった感があって、なんだか腹が立つ。
「……もしかして先輩、嫌でしたか?」
彼女が僕の前に回り込んできて、上目遣いで僕を見上げてくる。かわいいと、正直思ってしまったが、ここで目をそらしたりしてしまうと、彼女はまたニヤニヤと僕を見る。
そうだ、少し反撃をしてやろう。
「……ああ、正直嫌だったよ」
「え?」
「毎回毎回、変にいじられるこっちの身にもなってくれ。何度もやられたら、腹も立ってくるさ」
そう言って彼女の横を通り過ぎる。今まで僕は彼女が下手に出てくれば、彼女を持ち上げるようにしてきた。彼女が期限を損ねないように。しかし、今回は多少の反撃をさせてもらおう。
少しいい気分で、胸がすく思い。そろそろ、冗談だとということを伝えてあげよう。たまにはこちらがからかう側に立ってもいいじゃないか。そう思って振り返ろうとした矢先、今度は背中に衝撃が来る。
振り返れば、後輩が腰に抱き着いていた。
「どうしーー」
「――なさい」
「え?」
「ごめんなさい」
……謝られた。そして気づく。彼女は震えていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい。だから、嫌いになってならないで……おねがいします……」
僕は、あまりの出来事に固まってしまった。彼女は涙声、表情は見えないが、彼女の目から何が伝っているかなど見なくても分かる。
なんで後輩は泣いている? いや、理由は分かる。僕の言葉のせいだ。しかし分からない。そんなに僕の言葉は衝撃的だったのか? 泣くほどに?
ひとまず、ここは人前、公衆の面前。白い目で見られ始めているのに気付いた僕は、抱き着いている彼女を連れて、視線から逃れるようにその場から離れる。
「おいおい、泣かないでくれよ。嫌ってなんかない。本当さ。僕はお前のこと、好きだよ」
流れで告白をしてしまう始末。いや、告白とは取られまい。弁解の「好き」に聞こえるはずだ。
「……本当に?」
「本当だよ」
「さっきの言葉は?」
「冗談だよ、嘘じゃない。いつもお前は僕をいじってくるから、たまにはと思って」
腰に抱き着いている彼女の頭をなでる。しばらく、鼻をすすろ音が聞こえていたが、やがて聞こえなくなった。
ふう、泣き止んでくれたか。そう思って僕は安堵の吐息をつくと、不意に感じる視線。
下を見れば、彼女が見上げていた。彼女と目が合う。
そして、いつものようにニヤリと口角を上げた。
「……つまり先輩は、私をいつも意識していたってことですよね?」
……しまった。またしても、彼女にいじりネタを渡してしまった。
「ねえ、そうですよね? ね?」
「……もう、分かったよ。それでいいから」
負けだ。彼女に反撃をしても、結局うまくいかない。彼女を手玉に取るなんて、僕には出来ないみたいだ。
彼女は一転得蛾を花開かせ、くるりと回って僕の前に来る。
「それに、さっき私のこと好きって言いましたよね。あれってどういう意味の好きですか?
そこはいじらないでほしい。
「好きは、好きさ」
「ライクとラブがありますよ。日本語では両方好きですが。ねえ先輩、どっちですか」
「ライクに――」
いや、最後の抵抗をしてやろう。
「……いやら、ラブだと言ったらどうする?」
なしのつぶて、焼け石に水。どうせ一蹴されるだけだが、ささやかな反撃を食らいやがれ。
彼女はきょとんとした顔をする。多少は驚いたのか?どうせすぐにいじりの言葉が飛び出すのだろうけど。
しかし、彼女の口から出たのは違う言葉で。
「……いいですよ」
「え?」
「ラブなら、私は先輩の彼女になりますよ」
彼女の顔は、これまで見たことのないくらい、からかいのにやつきはひとかけらも無い真剣なものだった。
――してやられました。先輩に手玉に取られるなんて。
不覚でした、先輩の言葉に涙を流してしまうなんて。
先輩のわからずや。これだけやって、どうしてこんなに気づかないでいるでしょうか。好きでもない人に、あんなふうに私が近付くと思っているんですか。毎日飽きもせず、あなたに話しかけたりすると思っているんですか。
すべてはあなたに、私を意識してもらうため。好いてもらうため。
我ながら、回りくどいとは思います。でも、私にはこれしかできないんだからしょうがないじゃないですか。
だけど、私の気持ちとは裏腹に、あなたが私を嫌っていると知ったついさっき、本当に私はショックでした。
結果的に冗談だったと言ってくれましたけど、さっきの謝りは、私の本心だったんですからね?
不覚、不覚です。先輩の前では、あなたを手玉にとるような、小悪魔な私でいたかったのに。つい、本心が出てしまいました。
さあ先輩。許しませんよ。私を一瞬でももてあそんだこと、後悔させてあげます。
ファンブルは反則です。絶対、私のことを好きになってもらいますからね。
きっと2人はファンブルし続ける。