肉体の軽蔑者について
肉体の軽蔑者について
「わたしは肉体であり、魂である」――幼子はそう言う。それを何故大人は否定し、肉体よりも魂とやらを持ち上げるのだろうか?
しかし、目覚めた者、知恵ある者は言う。「わたしは肉体そのものであり、それ以外の何物でもない。そして魂とは、肉体の中の何かの名に過ぎない」と。
あなたが「精神」と呼んでいる小さな原理もまた、肉体の一つの道具なのだ、兄弟よ。――あなたの、より大きな原理の道具であり玩具なのだ。
「私」とあなたは言い、この言葉に誇りを持っている。しかし、より偉大なものは――あなたは信じようとしないだろうが――肉体と、その大きな原理である。
感覚も精神も、道具であり玩具である。それらの向こうに、更に「自身」が居るのだ。それは支配者であり、「私」をも支配する。
あなたの思考や感情の向こうに、兄弟よ、強大な支配者が、知られざる賢者が居る。――その名は「自身」である。彼はあなたの肉体の中に住んでいる。彼は肉体そのものである。
あなたの最高の知恵の中よりも、肉体の中にこそ、より多くの理が宿っている。「自身」は「私」を笑い、それが自信満々で飛び跳ねるのを笑っている。
「自身」は「私」に言う。「痛みあれ!」すると「私」は苦しみ、どうすれば苦しまずに済むか思考する――まさにこの為にこそ思考がある。
「自身」は「私」に言う。「快さあれ!」すると「私」は喜び、どうすればもっと喜べるか思考する――まさにこの為にこそ思考がある。
肉体の軽蔑者たちに、わたしは一言述べよう。軽蔑や尊敬も、「自身」が創り出したのだ。痛みや快さを創り出すのと同様に。肉体が、精神を創り出したのだ。その意志の手段としてである。
あなたがたも、それぞれの「自身」に仕えているのだ、肉体の軽蔑者たちよ。わたしは言おう。あなたがたの「自身」こそが死にたがり、生を去ろうと欲しているのだ。
もはやあなたがたの「自身」は、その最も欲する事が出来ない。――自らを超えて創造する事が。
今やそうするには遅過ぎるのだ。――だからあなたがたの「自身」は滅ぼうとしているのだ、肉体の軽蔑者たちよ。
滅ぼうと――そうあなたがたの「自身」は欲している。そしてそれ故にあなたがたは肉体の軽蔑者となったのだ!
そしてそれ故に、今あなたがたは生と大地に腹を立てているのだ。無意識の妬みが、あなたがたの軽蔑の睨みの中にある。
わたしはあなたがたの道は行かない、肉体の軽蔑者たちよ! あなたがたは超人へと到る橋ではない!――
ツァラトゥストラはこう言った。