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三態変化について

   三態変化について


 精神の三態変化について、わたしはあなたがたに述べる。どのようにして精神は駱駝(らくだ)となり、駱駝は獅子(しし)となり、そして最後に獅子が幼子(おさなご)となるのかを。


 忍耐強く、高潔な、そして畏敬の念を宿した精神にとって、多くの重いものがある。重く、もっと重く、とその忍耐が求めるのだ。

 重いとはどういう事か? と高潔な精神は問う。そして駱駝のように(ひざまず)き、多くの荷を求める。

 こうではないのか? 自らの傲慢さを押さえ付ける為、自分自身に屈辱を与える事か?

 それともこうか? 誘惑する者を誘う為、高い山に登る事か?

 それともこうか? 知恵の為に木の実や草を()み、真理の為に魂の飢えに苦しむ事か?

 それともこうか? 汚れた水に進んで入り、冷たい蛙も焼ける蟇蛙(ひきがえる)も受け入れる事か?

 それともこうか? 敵を愛し、脅す神に握手を求める事か?

 これら全ての重い価値観や義務感を、高潔な精神は自身に引き受ける。そして駱駝が、荷を積み、砂漠へ急ぐように、この精神もその砂漠へと急ぐ。


 しかし最も寥々(りょうりょう)たる砂漠の中で、第二形態への変化が起きる。ここでその精神は獅子となる。それは自由を求め、自らの砂漠を支配しようとするのだ。

 彼はここで、最後の支配者を探す。彼は支配者の敵たらんとする。彼の神の敵たらんとする。勝利を求めて大いなる竜と闘うのだ。

 主なる神であるこの竜は、「(なんじ)すべし」と呼ばれる。しかし獅子の精神は言う、「(われ)(ほっ)す」と。

 最強の竜はこう言う。

「全ての価値は――我が身の上に輝いている。全ての価値は既に創られている。全ての価値は――わたしが体現している。『我欲す』などあってはならぬ」

 我が兄弟たちよ、新たな創造の為の自由を生み出す事、それは獅子の力の成せる(わざ)なのだ。

 自由を生み出し、義務に対してさえ「(いな)」と言う事、この為に、兄弟たちよ、獅子が必要なのだ。

 かつては最も神聖なものとして、その精神は「汝すべし」を愛した。今はその最も神聖なものの中にさえ、妄想と出鱈目を認めざるを得ない。そして彼は、その愛からの自由を手に入れるだろう。


 しかし、兄弟たちよ、幼子(おさなご)に何が出来ると言うのだろう? 獅子に出来ない何が出来ると言うのだろう? 何故、捕食者である獅子が、更に幼子にならねばならないのだろうか?

 幼子は無邪気である。忘却であり、新たな始まりであり、遊戯であり、自ら回る輪であり、第一楽章であり、聖なる「(しか)り」である。

 そうだ、創造の遊戯の為には、兄弟たちよ、聖なる「然り」が必要なのだ。ここでその精神は、自分自身の意志を意志する。彼自身の世界を獲得する。


 精神の三態変化について、わたしはあなたがたに述べた。どのようにして精神は駱駝となり、駱駝は獅子となり、そして最後に獅子が幼子となるのかを。――


 ツァラトゥストラはこう言った。そしてその時、彼は「十色(といろ)の牛」と呼ばれる町に居た。

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