市場の蠅ども――大衆の嗜好について
市場の蠅ども――大衆の嗜好について
逃げ去るのだ、我が友よ、あなたの孤独の中へ! わたしには分かる。あなたは所謂大物どもが出す騒音で耳を潰され、小物どもの棘で体を刺されている。
孤独が途絶えた所に、市場が始まる。そして市場が始まる所に、大俳優どもの騒音と、毒蠅どもの呻りが始まるのだ。
この世界では、どんなに優れたものであっても、それを披露する者なしでは無価値とされる。この演出家を、大衆は偉大な者と呼ぶのだ。
大衆は何が偉大かを、殆んど理解しない。偉大なのは演出力ではなく、創造する力である。しかし大衆は、全ての大袈裟な演出家と俳優どもに対しては敏感である。
俳優は、気力と知力を備えているが、それらについての良心は持たない。彼は常に信仰している。彼が人に最も強く信じさせられるものを――自分自身を!
故に彼は明日は新たな信仰を抱き、また明後日は、更に新たな信仰を抱く。彼の感性は素早い。それは大衆と同じであり、変わりやすい空模様と同じである。
改革する事――それが彼には証明する事である。興奮させる事――それが彼には説得する事である。そして犠牲の血こそ、彼にとっての最高の論拠なのだ。
一方で、優れた耳にだけ囁かれる真理を、彼は嘘だ、戯言だと言うのだ。
大袈裟な道化師たちで、市場は満ちている。――そして大衆はそういう大物どもの存在を誇る! 大衆にとっては、彼らは時代の支配者なのだ。
しかし、時代はその支配者らを急き立てる。そして彼らはあなたを急き立てるだろう。そしてあなたからも「然り」か「否」かを求めるのだ。ああ、あなたは是と非の間に居座るつもりか?
こういった性急な連中から逃れ、あなたの安全地帯へ帰るのだ。人は市場に於いてのみ、然りか、否か、と二元論で迫られるのだから。
逃げ去るのだ、我が友よ、あなたの孤独の中へ。あなたが毒蠅どもに体を刺されているのが分かる。逃げ去るのだ、強く荒々しい風の吹く彼方へ!
あなたはこの小さく惨めな生き物どもに余りに近い所に住み過ぎた。彼らの見えざる復讐から逃げ去るのだ! あなたに対して彼らが行うのは、復讐そのものなのだ。
もう彼らに対して腕を上げるのはやめなさい! 彼らは無数であり、あなたは蠅叩きになるには及ばない。
彼らは全く無邪気に、血をあなたから求めている。血の欠けた彼らの魂がそれを渇望するのだ。
あなたはこういった蜜に集る虫どもを殺すには、余りに誇り高い。かと言って、彼らの毒の不正に耐えるだけの運命にならないように、気を付けなければならない!
彼らはまた、賞賛を持ってあなたの周りを呻る。彼らは神や悪魔に媚びるように、あなたに媚びる。彼らは神や悪魔の前ですすり泣くように、あなたの前ですすり泣く。それが何だというのだろう!
また、しばしば彼らはあなたに親切なふりをする。しかしそれは、お定まりの臆病者の知恵なのだ。そうだ、臆病者は知恵がある!
彼らはあなたについて、その閉塞的な魂でもってあれこれ考える。――彼らにとって、あなたは常に疑わしいのだ!
彼らはあなたの徳の全てを引き合いに出して、あなたを罰する。彼らがあなたを心から赦すのは――あなたの失敗に対してだけである。
彼らの閉塞的な魂は考える。「全て大きな存在は罪である」と。あなたが彼らに対して親切にしたとしても、彼らはやはりあなたに見下されたと感じる。そして彼らは恩に密かな害意で報いるのだ。
あなたの無言の誇りは、常に彼らの好みに反する。あなたがいる所では、彼らは自らを小さく感じ、それ故かれらの卑しさは燃え盛って、あなたへの見えざる復讐となるのだ。
そうだ、我が友よ、あなたは隣人にとっての疚しさなのだ。彼らはあなた程の価値がないから。それ故に、彼らはあなたを憎み、あなたの血を吸いたがるのだ。
あなたの隣人たちは常に毒蠅となるだろう。あなたの中の偉大なもの――それが彼らを、より毒に満ちた、より蠅に近いものにしてしまうのだ。
逃げ去るのだ、我が友よ、あなたの孤独の中へ、強く荒々しい風の吹く彼方へ。あなたは蠅叩きになるには及ばない。――
ツァラトゥストラはこう言った。
次章 "Von der Keuschheit(貞操)" は割愛させていただきます。
一言でまとめれば、「貞操観念で苦しむくらいなら、そんなものは捨ててしまいなさい」といったところでしょうか。