近代の偶像――国家と大衆について
近代の偶像――国家と大衆について
どこかに未だ「民族」が存在しているであろうが、わたしたちの所は違う、兄弟たちよ。ここにあるのは「国家」だ。
国家? それは何だろう? 良かろう! さあ耳の穴を開いてわたしに向けよ。今わたしはあなたがたに、民族の死についての言葉を語ろう。
国家、それは最も冷酷な怪物の名である。それはまた冷酷に嘘を吐く。そしてその口からこの様な嘘が這い出てくる。「このわたし、国家は、民族である」と。
嘘なのだ! 民族を創り上げたのは、大昔の創造者たちであった。彼らは自分たちの頭上に、自分たちの信仰と愛を掲げた。そうして彼らは生に従事したのだ。
破壊者どもが、多くの者に罠を仕掛ける。そしてその罠を国家と呼ぶのだ。
民族は全て、善と悪についてのそれぞれの言葉を語る。それは隣の民族には理解できない独自のものだ。その言葉を、民族はそれぞれの風習と道徳の中で発明したのだ。
しかし国家は、善と悪についての、古今東西ありとあらゆる言葉を用いて、嘘を吐く。国家が何を言おうと嘘なのだ。更には国家が何を持っていようと、それはどこかから盗んだ物なのだ。国家に於ける全ては、偽物である。
善と悪についての言葉の混乱、この徴候を、わたしはあなたがたに国家の徴候として与えよう。真に、死の意志をこの徴候は示す! 真に、それは死を説く者どもを招き寄せる!
畜群の様な大衆たちの数は余りに多い。そういった無用に多い者たちを標的として、国家は発明されたのだ! 国家がどの様に、その大衆たちを誘い寄せるかを見るが良い!
「地上にわたしよりも偉大なものはない。わたしこそが、命ずる神の指である」――その怪物はこのように吼える。そして、それに膝を屈するのは、大衆だけではないのだ!
ああ、あなたがたの耳にさえ、あなたがた偉大な魂たちよ、それは陰鬱な嘘を囁く! ああ、国家は、公に尽くそうとする豊かな心の持ち主を見抜くのだ!
そうだ、それはあなたがたの事も見抜いているのだ、あなたがた、キリスト教的価値観の征服者たちよ!
英雄や栄誉ある者たちを、それは周りに侍らせて喜ぶのだ、この新しい偶像は!
あなたがたが崇拝すれば、この新しい偶像は、全てをあなたがたに与えるだろう。こうして国家はあなたがたの徳の輝きと、あなたがたの誇り高い眼差しを買い取るのだ。
国家はあなたがたを餌にして誘き寄せる。大衆たちをだ!
そうだ、大衆の為のある一つの死がここで発明された。それは自身を「生き甲斐」あるいは「夢」、「成功」等と呼んで讃える。真に、死を説く者どもが泣いて喜ぶだろう!
国家、わたしはそう呼ぶ。それは善人も悪人も全ての者がある一つの毒を飲む所。国家、それは善人も悪人も全ての者が自分自身を見失う所。国家、それは全ての者の緩慢なる自殺が――それが「 生 き 甲斐」と呼ばれる所。
この無用に多い者たちを見よ! 彼らは発明者たちの技や賢者たちの知を盗んで我が物顔をする。教養、彼らはこの盗みをそう呼ぶ。――そしてその全てが彼ら自身の病と災いになっている!
この無用に多い者たちを見よ! 彼らは常に、病気である。彼らは彼らの胆汁を吐き、それをニュースと呼んでいる。彼らは互いに貪り喰い合う。しかし彼らは消化する事さえ出来ない。
この無用に多い者たちを見よ! 彼らは富を手に入れて、それによって一層人生が貧しくなる。力、権力を彼らは求め、そのために、まず多くの金を求めるのだ――この不能どもは!
木に登る彼ら、このすばしっこい猿どもを見よ! 彼らは互いを踏み越え、また互いを泥と深みに引き摺り降ろそうとする。
全ての者が王座に着こうとする。これが彼らの狂気なのだ。――まるで幸福が王座にあるかの様に! 王座にあるのはしばしば泥である。――そしてまた王座があるのはしばしば泥の上である。
彼らは全て、狂人であり、木に登る猿であり、熱病患者である様にわたしには見える。酷い臭いを彼らの偶像は発する。この冷酷な怪物は。そして酷い臭いを彼ら全てが発する。この偶像の崇拝者ども全てが。
兄弟たちよ、あなたがたは彼らの欲望の口から出る霧の中で、窒息したいのか? 窓を割って外へ飛び出すが良い!
悪臭の元から逃れよ! 無用に多い者たちの偶像崇拝から逃げるのだ!
悪臭の元から逃れよ! 人間性を殺して捧げる、犠牲の煙から逃げるのだ!
大地は未だ、偉大なる魂たちの為に、開かれている。未だ多くの座が、孤独な者の為に空いている。そこには静かな海の香りが漂うのだ。
大地は未だ、偉大なる魂たちの為に、開かれている。真に、持つ物の少ない者は囚われる事も少ない。多少貧しき者は幸いである!
そうだ、国家が終わる所、そこでのみ、無用に多い者ではない人間が始まる。そこで、無くてはならない人間の歌、一度きりの、掛け替えのない旋律が始まるのだ。
そうだ、国家が終わる所、――そうだ見よ、兄弟たちよ! あなたがたに見えるだろうか? 虹が、超人への橋が――
ツァラトゥストラはこう言った。