鈍いにも程が…
「夫婦喧嘩は、犬も食わない」
午後を過ぎた頃、ふらりと現れた連にことの経緯を話した後の第一声だった。仲裁に入る気は、全くないらしい。事の原因を作ったのは、自分の夫だと理解しているのか定かではないが、高みの見物をする気のようだ。
「夫婦ではないでしょう。連も羽音も、どうして夫婦にしたがるのです」
聞くだけ、無駄かもしれない。無駄だとは分かっているが、聞かなければ弥素次の気が済まない。
「何だ、育也は嫌いなのか」
逆に聞き返され、言葉に詰まる。嫌いではない。だが、好きかと聞かれても答えようがない。
「嫌いではないです」
連の髪には、羽音が渡した髪飾りが付けられている。弥素次が育也に渡した物と、全く同じ髪飾り。連と一緒に来た賢治は、羽音と散歩に出かけてしまっている。育也は、祭りの進行や警備のことで、詰所へ出かけている為、今は惣一と連と弥素次の三人だけ。否、楓手の一件から着いて来ている小闘竜と黒蛇もいる。
「自分の気持ちの整理が、ついてなのね」
楓手から戻った時、惣一は小闘竜と黒蛇を見て、何か増えてると一言呟いただけで、特に驚くことはなかった。陽影を見ていた為か、霊獣に対しての恐怖心は一切なかったようだ。
「弥素次なら、育也を嫁にやってもいいけど、羽音は勘弁してくれよ」
惣一の言葉に苦笑いを浮かべて、弥素次はそれだけは有り得ないと思う。
「当たり前だ。そんなことしてみろ、羽音に髪飾りを投げつけてやる」
惣一に言葉を返して、連は弥素次を見た。
「お前、かなり鈍いな。羽音は女に対しては敏感だが、お前は鈍すぎる」
「言葉も返せませんよ。女性に対しての敏感さは、羽音が私の分まで吸い取っておりますので」
女性の気持ちに対して、自分でも恐ろしく鈍いことくらい分かっている。
「鈍くても構わんが、自分が誰を好きかくらい分かれ」
連に言われるが、何も言い返せない。弥素次自身が誰を好きなのか、実のところ全く分からないのだから。
「自覚するところから、始めないといけないのね。ねえ、お祭りの日のことなのだけど、育也に婦人用の服を着させてみたいのよね。この間、服屋に腰下の筒状の長い婦人用の服があったの。育也に、似合いそうって思ったのよ。長い黒髪の鬘をつければ、町の子と変わらないわ」
「jupon、またはpetticoat、だな」
連の言葉に、小闘竜が小首を傾げた。
「何のこと」
「異界の言葉だ。juponはFrançaisと言う言葉、petticoatはEnglishと言う言葉で、どちらも同じ世界に存在する。同じ意味の言葉で、腰下の筒状の婦人服のことだな」
連の異界好きは、物だけでなく言葉にも及んでいるらしい。
「別にどうでもいいのだけれど、育也に町の子と変わらない格好をさせるのも良いと思うの」
さすがに長い付き合いがある小闘竜だ、流した上で自分の言ったことを主張している。
「ま、面白そうだし構わんが、当の本人が着るかは分からんぞ」
確かに、育也が嫌がって着ない可能性はある。
「あら、着るように、仕向けてしまえば良いじゃない」
小闘竜の言葉に、何をする気だと思う。
「小闘竜、お忘れかと思いますが、育也は祭りの間は町の警護に当たるので、婦人用の服を着て祭りに行く余裕はないと思いますよ」
羽音も誘ったと言っていたが、考えてみれば育也は警護する立場で、祭りを楽しむどころではない筈なのだ。今更、気付いてしまった弥素次も普段の冷静さを失っていたと思うのだが、気付かないまま話を進行させてしまっている羽音や連達もどうかと思う。
「そういえば、そうね」
呟いて、小闘竜が黙ってしまった。
「幾ら警護に当たったとしても、三日あるんだ。一日くらい、ゆっくりする暇はあるだろうに」
可能性はあるが育也の性格上、暇を返上して警護に当たる可能性もあるのだ。
「本人に聞かないと、分からねえな。何なら、俺が聞いとこうか」
気を利かせたのだろう、惣一が育也に暇のことを聞くと言い出している。
「頼んだ」
笑みを見せながら連が言葉を返すと、惣一は任せておけと云わんばかりに笑みを返した。
「でも、本当に育也を誘わなくて良かったの」
一旦黙ってしまった小闘竜だったが、弥素次に視線を向けて聞きだす。
聞かれると、言葉に詰まる。羽音の悪巧みに育也がのってしまったせいか、弥素次の気持ちが複雑になっているのは分かっている。悪巧みにのったから、弥素次の気持ちは複雑なっているのかと言われると、違う気もする。何が気持ちを複雑にさせているのか、弥素次には見当もつかない。
「羽音が誘ってしまったので、こちらは何も言えないでしょう。もう、言わないで下さい」
溜息混じりに言うと、連と小闘竜に特大の溜息を吐き返されてしまった。
「だから、お前は鈍いと言われるんだ。育也にとって、羽音はお前の兄というだけで、他の感情なんぞ一切無いのだぞ。一切感情の無い羽音の誘いを受けたということは、何かを意味しているのだろうに」
その何かが分からないから、弥素次も手が打てないでいるのだ。
「これだけ言っても分からないのは、正直感心するわね。一つだけ、良いことを教えてあげるわ。楓手から帰って来てからの、育也の行動をよく考えてみて頂戴。幾ら鈍くても、育也の行動は顕著だったから、分かると思うのだけれど」
楓手から戻ってからの育也の行動。小闘竜に言われ、思い返してみる。楓手から戻って、育也が違う行動を見せたのは口調で、改めようとしているのは弥素次も直ぐに気付いた。しかし、口調を改めるのと、羽音の誘いを受けた意味と、繋がりがあるのだろうか。
「確かに、口調を改めようとはしておりましたが、羽音の誘いを受けた意味とは違うような気がします」
再び、連と小闘竜が特大の溜息を吐いた。
「無駄、だったみたいね」
「鈍いにも程がある」
「育也、言葉遣い直そうとしてんのか。俺には、何時もと同じ口調なんだけどなあ」
壊滅的と云わんばかりに呟かれた後、惣一が不思議そうに言った。
「私に対しても、口調は変わらないわ」
惣一の言葉に、小闘竜は同調している。
「育也の口調は、弥素次に対してだけらしいな」
意味ありげな笑みで、連が弥素次を見た。確かに、弥素次に対しては口調を改めていたし、他に対しては今までの口調で話していた。
「確かに育也の様子を見ておりましたら、自分と他の者との口調は明らかに違っておりました。でも、私に対して口調を改めたら、恐らく他の者にも口調は改めると思いますから、特に意味はないと思います」
弥素次の言葉に、全員が深い溜息を吐いている。
「やっぱり、無駄だったみたい」
小闘竜の視線は明らかに呆れているのだが、何故呆れているのかは分からない。
「手に負えんな」
頭が痛そうにしている連も、やはり呆れている。
「弥素次、頼むよ。俺にも、育也が言葉遣い直そうとしてる意味、分かったんだからさ」
惣一にまで言われ、改めて育也が口調を改めようとしている意味を考えざるを得なくなったと、心の中で小さく呟いていた。




