祭りの誘い
羽音が来て一月程経過した頃には、秋から初冬に変わろうとする時期に差しかかっていた。篠木の町は徐々に浮かれた雰囲気を漂わせ始める。不思議そうに思いながら弥素次は育也に何かあるのかと聞くと、もうすぐ豊穣謝祭があるという。配達をする間に、三日間ある祭りの準備に忙しそうにする者や、嬉しそうに町を駆けている子供達と擦れ違いながら、祭りの近づきを感じさせていた。
「何処の国でもそうだが、祭りの時期に楽しそうにしている民を見るのは悪くないな」
育也に箒を押し付けられ、追い出されるように店先の掃除を手伝いながら羽音が言っている。楽しそうな者達の表情や雰囲気は、弥素次の心も浮かれさせてくれていた。
「しかし、育也は人遣いが荒いな。危うく、蹴られそうになったぞ」
箒を立てて先端に両手を乗せ、更に両手の上に顎を乗せた羽音は、何故か眉間に皺を寄せて呟いた。
「それは、羽音が手伝わずに、何処かへ行こうとしたからでしょう。育也は、人遣いが荒いわけではありませんよ」
羽音が来てから、物珍しげに見物に来る者が増えてしまった。今も、通り過ぎる者の中に、弥素次と羽音を見て過ぎ去る者がいる。兄弟して見世物になってしまっている現状を、羽音は分かっているのか疑問だ。最近は、店の売上が落ちないことを祈りつつも、店の手伝いをしている。
「祭りが始まったら、見物にでも行くか」
呟いた羽音の視線は、店の中で開店準備に追われている育也に向けられる。
「弥素次、育也を連れて行ってやったらどうだ」
気のせい、ではないだろう。羽音は何故か、弥素次に育也を妻に迎えさせたいらしい。事あるごとに、育也の名前を出してくる。言われる弥素次は、正直なところうんざりとしてしまい、いい加減に止めて欲しいとさえ思う。
「育也は自分の意思で誰と行くか決めるでしょうから、態々言う必要はありませんよ」
素っ気なく言った弥素次に向けられた羽音の視線は、何かを考えている視線だ。また、何か良からぬことを考えていることは明白で、今度は何をする気なのだと警戒してしまう。
「そうか。では、俺が誘うか」
警戒はするものの、羽音の思考を読み取れはしなかった為、流すように言った言葉に思わず溜息を吐いてしまった。
「貴方の思考回路は、どうしたら自分が誘うなどという結論に達するのか、一度、じっくり覗いてみたいですね」
全く、妻子ある身で、よくもそんなことが言えたものだ。
「お前の代わりだ。嫌なら、自分で誘え。ついでに言っておくが、一夫一妻は基本だというだけで、妻を何人娶ろうが、夫を何人持とうが本人の勝手だ」
何処の国にも、一夫一妻制を法で定めてはいない。分かっているが、羽音の持っている感覚を疑いたくなる。昔から、女性に対して手が早い。恐らく、本人も覚えていないくらい、手を出している。時には、弥素次になりすまして手を出していた。お陰で弥素次は、何度誤解を受けたことやら。
「直ぐに女性に手を出す、貴方らしいお言葉ですね。そんなことを本気でしていると、連から見放されますよ」
もう一つ言わせて貰えば、羽音が育也を誘っても、育也は行かない。二つ返事で、行くような性格はしていない。
「大丈夫だ。連はそんなことで、俺を見放したりはしない」
「かなり、自信あり気に言いますね」
自信があると表情に出した羽音は、店の中で準備に追われている育也を再び見た。
「育也、祭りに一緒に行こうか」
呆れた、本当に誘うのか。箒を持ったまま、店の中に入る羽音を見ながら、思わず眉間に皺を寄せてしまう。
「行かねえ」
二つ返事で断る育也に、思った通りだと思いながら二人の様子を窺う。羽音が、弥素次をちらりと見た。見方からして、良からぬことを考えているのは確かで、次は何を言い出すのか気になる。しかし、弥素次の心の内を見透かしたように、羽音は育也の傍まで行き、小声で話しだした。耳を澄ましても聞き取れない会話に、例えようのない苛立ちを覚えながら、聞き取ろうと耳の神経に集中する。
「それなら、良いだろう」
やっと聞き取れた会話は肝心な部分を通り過ぎた後で、弥素次が出来ることは育也が断ることを祈るだけだろうか。考える仕草を見せながら、育也は弥素次をちらりと見た。慌てて視線を外へ向けるが、耳は店の中に向いたままだ。
「良いよ」
外に視線を向けたまま、自分の耳を疑う。羽音が良からぬことを考えているのは、分かっている。育也も一月の間羽音を見ていた筈で、ある程度でも性格は分かっている筈なのに、誘いを受けてしまった。羽音は何を育也に言ったのか、気になってしまう。
「弥素次、了解貰ったぞ」
上機嫌で戻って来た羽音に、平静を装って視線を向ける。
「良かったですね」
平静を装っていても、口調に出てしまう。自分は、何を不機嫌にする必要があるのか。
「その割りには、機嫌が悪いな」
人を真似て、なりすますくらいの屈折した性格だ。弥素次の機嫌が悪いくらい、直ぐに気付く。
「別に、機嫌など悪くありませんよ」
自分でも、何が嫌なのか分からない。だが、口調は無意識に素っ気なくなってしまう。
「お前が育也を妻に迎えないのなら、俺が妾にしてしまうぞ」
双子で、お互いの性格を嫌という程知っている為か、羽音は何をどうしたら、弥素次が腹を立てるかも熟知している。羽音を睨むと、首を竦めて意地悪げに笑っていた。
「ご自由にどうぞ」
素っ気なく言い放った途端に背に痛みが走り、地面に物が落ちる音がした。振り返ると、育也が不機嫌を憚ることなく表に出して睨んでいる。声をかけようとしたが、一瞬早く育也は奥の扉へ大股で歩いて行き、勢い良く扉を閉めてしまった。扉を閉めた音が響いた後、羽音の視線は呆れた色を帯びていた。
「お前、本当に鈍いな」
一言、呟いて店の中に入る羽音の背を見ながら、訳も分からず呆然としていた。