薬屋に居たのは
薬の配達を終え、祭りの準備が始まったばかりの町中を、弥素次と二人で店へ戻る為に歩いていた。
「弥素次、薬の配達するの、慣れてきたね」
楓手の町の一件で、連に自分の気持ちを自覚させられてから、乱暴だった口調を改めるべく、出来るだけ気を遣いながら育也は話すようにしている。
「そうですね。でも、細い路地はやはり、誰かと一緒でなければ迷ってしまいますね」
最初は、育也の口調に目を丸くしていた弥素次だったが、一週間も経つと慣れてきたらしく、目を丸くすることもなくなった。
「それはさ、お、私も居るし町の人達も居るから大丈夫だと思うよ」
口調を改めるのは良いが、少しでも気を抜くと出てしまう。俺、と言おうとして、言いなおす。
「育也、口調を改めるのは良いことだと思うのですが、無理をする必要はないかと思いますよ」
弥素次が、育也の口調に苦笑いを浮かべた。てめえのせいだ馬鹿と思いつつも、首を横に振ってみせる。
「大丈夫、無理はしてないから」
どちらかというと、かなり無理はしている。女らしい口調など、十になる頃にはもう使っていなかったのだから。
「それなら、良いのですが」
言い終えて、弥素次が前方に居た雑貨屋の店主を見て、不思議そうな表情をした。
「何だか、驚いてますね」
弥素次の言葉に頷いて見せて、雑貨屋の店主の傍に行く。
「どうかされましたか?」
弥素次の言葉に、雑貨屋の店主が我に返ったような表情になった。
「弥素次、店に居たんじゃ」
「いいえ、育也と一緒に配達に出ておりましたが」
話が、見えない。雑貨屋の店主は、家で何を見てきたんだ。
「一緒に? 途中で別れてたとか言ってたけど」
「いいえ、ずっと一緒におりました」
訳が分からず、弥素次の顔を見てしまう。弥素次も困惑してはいるが、何があったのか聞き出そうとしている。
「親父、何見たんだよ?」
育也としても、雑貨屋の店主が何を見たのか気になる。
「薬を買いに行く途中で、お前さん達見かけたんだけど、薬屋に入ったら弥素次が居たんだよ。で、戻ってる途中でお前さん達見つけて」
俺も疲れてんのかね、そう呟きながら雑貨屋の店主は話している。ちらりとみた弥素次の表情は、頭が痛そうになっていた。
「済みません、驚かせてしまいましたね。でも、雑貨屋さんは疲れている訳ではありませんよ。恐らく、薬屋に居るのは兄だと思いますので」
弥素次の兄貴って確か、檜の現国王じゃと思いながら、弥素次と雑貨屋の店主の会話を聞く。
「兄ちゃん? 驚いたな、そっくりじゃないか」
「双子なので。兄は時々、私の真似をして退屈しのぎをしてしまうものですから、本当に申し訳ない」
双子、だったんだと、育也は弥素次に気付かれないように表情を盗み見た。
「いやいや、気にしなくて良いよ。こっちもちゃんと確かめなかったからさ」
悪かったな。会った時とは打って変わって、笑顔を見せた雑貨屋の店主は店へと戻って行く。少し見送って、改めて弥素次を見た。
「弥素次、お兄さんって国王じゃなかったっけ?」
「そうですよ。本当に、何処をどうしたら、屈折した性格になるのか、不思議で仕方ないくらいの人ですから。育也、急いで戻りましょう。惣一さんがまだ気付いていないままでしょうから、早く戻らないと。それに、何をするか分かりませんからね」
自分の兄貴警戒してると、思いながら育也は頷いてみせる。
「でも、檜の国王はどうやって来たの?」
馬でも、一カ月はかかる。しかも、国王なのだから、確実に従者を連れている筈なのに、町には他国の王が来たなどの話も聞かなければ、そんな様子すら見せてはいない。もし、公で来るなら、必ず育也には通知書が来る為、配達に行ったりは出来なくなるのだ。
「本人に聞けば、分かりますよ。どうせ、仕えている者達には何も言わずに来たのでしょうし」
嫌い、なのかな。素っ気ない言葉に、ふと思う。育也が思っていることが伝わるように、弥素次が視線を向けた。
「育也、迷惑をかけてしまうと思いますが、出来るだけかけないようにしますから、心配しないで下さいね」
「良いけど、弥素次、お兄さん嫌いなの?」
思わず聞いてしまったが、聞くべきではなかったかもしれない。弥素次の表情が苦笑いに変わる。
「嫌いではないです。ただ、からかうことが好きな人ですし、私を真似てまでからかったりするので、こちらとしては迷惑ではありますね」
余程、性格が悪いとみえる。育也も思わず、苦笑いを浮かべてしまう。
「弥素次、大変なんだね」
「でも、私がここに居ることを誰が兄に教えたのかも、どうして篠木に来たのかも分かりませんね。本人に聞けば、分かることではありますが」
溜息を吐いた弥素次と共に、足早に薬屋に戻る。角を曲がれば、店は見える為、直ぐに戻れた。弥素次が入口を入った処で、急に止まる。背にぶつかりそうになり、少々慌てつつも弥素次を見上げたが、弥素次は苦い顔で惣一と一緒にいる、同じ顔の青年を見ている。惣一の視線は、驚いたまま二人の顔を交互に見ていた。弥素次の右側に、育也は移動すると視線を青年の方へ向けた。
「何を、しているんです、羽音≪はおん≫」
「お前の嫌そうにする顔を、態々拝みに来たんだ。感謝くらいしろ」
悪びれも訳でもなく、感謝しろなどと言っている辺り、弥素次が言っていた言葉は、痛いくらい理解出来た。
「俺まで、どうかしちまったかな」
惣一の言葉に、弥素次が苦笑いを浮かべている。
「驚かせてしまって済みません、惣一さん。兄、なんです」
目を丸くさせて、惣一が弥素次と同じ顔の羽音を見ている。
「弥素次の兄ちゃんって、檜の国王」
してやったり、そんな笑みで惣一を見ている羽音を、まじまじと見ていた惣一は、特大の溜息を吐いた。
「驚かさないでくれよ、寿命が縮まるじゃないか」
国王だって分かっても、言いたいこと言ってる惣一もある意味大物だよな。育也は思いながら薬の代金を惣一に渡すべく、近寄る。
「で、何をしに来たのです? 余程のことでもない限り、王宮から出られないと思っていましたが」
惣一の手に代金が渡ったとの同じ頃に近寄ってきた弥素次が聞くと、羽音は満面の笑みを返した。
「余程のことがあったから、出て来たんだ。当分はここに居る予定だし、店主には暫く世話になる」
「あのな、職務どうしたんだよ。国王なら、山積みで仕事あんだろうが。ちゃんと片付けてから来いよ」
さすがに、当分居られたんじゃ迷惑だ。思うよりも先に言ってしまって、育也はしまったと思う。一国の王相手に、何時もの口調で言ってしまった。案の定というか、冷たい視線で見られてしまう。
「随分、乱暴な言葉だな。柳の護衛隊も落ちたか」
言うんじゃなかった。俯こうとした瞬間に、弥素次が間に割って入った。
「乱暴な言葉にさせたのは、羽音自身でしょうに。それに、育也は職務に就いている時は、乱暴な言葉遣いなど一切しておりませんので、柳の護衛隊は落ちてなどいませんよ」
庇ってくれた弥素次の背を見ながら、ごめんと心の中で呟く。
「でも、よく育也が護衛隊だと知っていましたね。誰に聞いたのか、どうやってここに来たのか、何をしに来たのか、じっくり聞きたいですね」
こいつ、怒ってないか? 思いながら育也は口を挟まずに弥素次と羽音の会話を聞く。羽音が、弥素次の言葉に苦笑いを浮かべた。
「相変わらずだな。護衛隊副隊長には、申し訳ないことを言った。済まぬ。こいつを怒らせると、後が大変なんだ。妻になるなら、上手く掌で転がせよ」
羽音の言葉に、顔が熱くなってしまう。
「羽音、何処からそんな話を聞いたのです」
特大の溜息を吐いて、弥素次が聞いている。
「奥にいる者からだ」
奥にいるって、今は育也の母親である亜己しかいない筈。思った途端に扉が開き、小さな足音をさせて賢治が入ってきた。
「やしょじ、育也。お帰りなしゃい」
賢治が、護衛隊がどうのなんか言ったりしない。言うとすれば、賢治の母親の連だ。
「賢治、婆来てんの?」
育也の足に飛び付いてきた賢治に、聞いてみる。
「はい、かかは一緒にいましゅよ」
賢治の言葉を聞いて、扉を見る。ゆっくりと連が入って来ていた。手には書類を持っている。何の書類だろうと思うが、敢えて口には出さない。
賢治が、何故か羽音のところへ行く。賢治を抱き上げて、羽音は何か耳打ちしたが、聞き取れなかった。聞いていた賢治が、満面の笑みを見せた。
「はい。賢治はととを、ととって言いましぇんよ」
「賢治、もう言っているぞ」
賢治に口止めしようとしたな、こいつ。でも、ととって確か賢治は父親の意味で言ってた筈。
「やっぱり、賢治の父親だったのですね。その辺りも、じっくり聞きたいですね」
弥素次が楓手から森に行く途中で、何か気付いたような表情を見せていたのは、羽音が賢治の父親ではないかと思ったからだと、今の言葉で漸く分かった。
「婆と檜の国王って、夫婦だったんだ」
育也の言葉を聞いた惣一が、驚いて連と羽音を見ている。
「本当、似たもの夫婦ですね。で、まだこちらの問いに何一つ答えておりませんが、何時お答えになるつもりです」
羽音が、首を竦めて見せた。