空っぽの白い嘘
人は息をするように嘘を付く。だがそれに人は気付かずに受け取ってしまう。それは同じ意味を持った言葉を人によって受け取り方が違うように。
「…ではその様な契約でお願いしますね」
冬の横風が痛く感じる毎日にしては柔らかな日差しが差し込む、ガラス製のシャンデリアが垂れ下がる洋風のカフェテリアにて営業マンの声が聞こえた。
「…ええ、前回の会議とはだいぶ食い違いましたけど…」
「この様な契約だったではないですか…」
「いや…私はてっきりそういうことなのかと…」
ほら、ここでも食い違う。同じ言葉でも嘘の様に受け取ってしまいその言葉には自然と二面性が出来上がる。
「俺は君の事が…好きだ」
あの頃の俺はまだ素直な方だった。だけどその内心は自分自身へと無意識に嘘を付いていたのだ。確かに好きではあった。胸のなんとも言えないもやもやとした高鳴りが止むことがなかった。だけど…だけど、その好きな理由が見当たらなかった。この好きという感情の理由は必要なのだろうか。
「嬉しいけど…ごめんなさい」
答えはやはりそうだった。それは自分自身を見直す機会をくれた言葉だった。彼女も何か思うことがあったんだと思う。彼女の顔はとても悩ましく、何かを悔いているような、それでもどこか引きつった笑顔を浮かべていた。
「やっぱりそうだよね…」
思わず口にしていた言葉は相手に届くことなく、冬の冷気で凍りひびの入ったアスファルトへと吸い込まれていった。彼女は逃げるようにその場から去っていっていたのだ。
「あの頃の俺は…」
今見えるのはシャンデリアが垂れ下がる天井。過去ばかり気にしている俺。戻りたくても戻ることは出来ない。やり直すなんてことは叶うはずが無いのだ。
後悔ばかりしていてはキリがない、と飲みかけのコーヒーに口をつけて飲み干しては、今日は席を外した。
カフェテリアのあるビルを出た俺は空を見上げていた。空からは白く、小さな雪だろうか。今にも解けて雨へとなりそうなその粉雪は自分を鏡で見ているかのようで儚く感じた。
俺は自分に嘘ばかりついている。本当なら諦めずに彼女の元へと行ってもう一度告白したい。だけどあれから彼女は僕の前から、そして学校から姿を消してしまった。転校、それはどれ程悲しく感じるものなのか。その悲しさを身をもって知った。
「空はいつも変わらず、か」
彼女はいつも空を見上げていた気がする。そしていつも、今日の空も綺麗だねと俺に投げ掛けてきていた。その空を今彼女は見上げているのだろうか。俺の心は空っぽのままで、彼女が見ているだろう冬の白い空を見ることで何かを得ているような、そんな気がしていた。
俺はビルを離れ、この空振りすれ違う思いを晴らすために綺麗な景色でも見に行こうと俺の住む何もない空虚な街を見渡せる丘へと足を向けて歩き始める。だが、今日の街はいつも見ているはずなのにどこか違うように見える。交差点にある歩道橋、人の入らない寂れたファストフード店、横断歩道を渡るおじいちゃんおばあちゃん。俺は歩きながらその何が違うのか考えていた。しかしその違和感を探し当てることは叶わず、目的の丘へと到着する。
その丘のビュースポットにはいつもカップルをはじめ、老夫婦が居たりと賑わいがあるはずだが今日は人っ子一人居なかった。だが、先程感じていたその違和感の答えをここで掴んでいた気がしていた。
…俺は何だかんだ独りぼっちだってこと。それが掴んだ答えだった。確かに親しい友人もいるし、なんなら親友だっている。だけどそれは人として普通なことであって心は独りぼっちなのだ。俺は丘のビュースポットを行き過ぎたところにある木のフェンスに腰掛け、街を眺めた。
「綺麗だ………」
ふと口にした。空から降り注ぐ粉雪は暗くなってきた街に転々と存在する明かりに灯され、とても幻想的な光景だった。今まではこんな綺麗に感じなかった。だが今日はとても綺麗に見える。
はぁ…と息を漏らす。俺の脳には彼女が焼き付いていた。彼女は今、何をして居るだろうか。元気でやっているのだろうか。気になって頭から離れない。本当だったらこの場所を彼女と共有したかった。この景色を二人で見たかった。だけど独りぼっち。まるでこの街に…いやこの世界に一人しか居ないような孤独感を味わっていた。
それを現実に映すように木のフェンスにぽつり、ぽつりと雨が当たる。先程まで降り注いでいた粉雪が雨へと変わり始めたのだ。確かに寒気が和らいできた様な気がする。大雨に変わる前にこの場を離れようとしたがもう遅く、綺麗な粉雪は無惨な大雨へと変貌した。
はぁ、はぁ…と声を荒げた俺はシャッターの閉じた丘の下にある街外れの商店で雨宿りしていた。気温は丘に向かっていた時より温かくなっていたが着ている制服はびしょ濡れで心はただ冷えてく一方だった。
「はぁ……はぁ…」
あれ、これは俺の荒げている声じゃない。俺は膝に付いた手を押し上げてその声が聞こえた方を見やる。
『あっ…』
顔を見合わせたがそこから先は言葉が出なかった。そして見合わせたその目をお互いに逸らし、黙りこむ。彼女だ、俺は彼女に会いたかったんだ。でもまさかこんなタイミングで、こんな状況で会うなんて思ってもみなかった。
「ね、ねぇ…た、タオル持ってない…?」
彼女はそう告げた。彼女を見やる。よく見ると彼女は俺より酷く濡れていてこのままでは風邪を引いてしまいそうなレベルだった。そういえば、使っていないタオルがリュックサックにあったはずだ。俺はリュックサックにあったタオルを無言で差し出した。
「………ありがと」
彼女はそう言ったが俺は答えることが出来ない。そしてまた二人して無言な時間が続く。雨は強くなる一方で収まりを知らない。とても居づらい空気だった。
「ねぇ…今から言うのは独り言だから気にしないでね」
彼女はそう言った。俺は答えずにただ耳を貸すだけで目は自然と雨を見やっていた。
「最近私思ったの。人は無意識に嘘を付いてるって。それは自分にも、相手にも付いているの。嘘って良くないものだと思うけどそれは自然と人間が自分の地位や名誉を守るために付いてしまうものなの。これは誰だってそうよ、きっと。だけど………」
「その嘘を良い嘘として相手に受け取らせることは出来る、だろ?」
「そ、そう。嘘といっても元々は言葉のあや。言葉は相手に伝えるのが難しくて相手によって多様な意味をもつ。だから自然とつく嘘であっても良い意味として伝えられるの」
「そう…だよな。俺は君が好きだった、だけど好きという理由が見つからなかったんだ。だから断られたって仕方ない」
「私も君に嘘を付いていたの。私という人間を守るために」
彼女も俺と同じ事を思っていた。それが分かっただけでもう、十分だった。
「私は君とは付き合えない。それは私が来年にはこの世に居ないからだよ」
突然の発言に言葉は出るはずがなかった。
「私は心臓が悪くて。もうそれは幼い時から覚悟してたことで。なんならもう消えてしまいたい…。言葉を失っても仕方ないよね、ごめんねこんないきなり。…タオル、ありがとね」
彼女はそう言うと貸したタオルを投げるように俺の肩へ掛けて雨の中に消えていった。この光景は見たことがある。あの時、あの場所で告白した光景だ。やり直したかった脳裏に焼き付くあの光景。
自然と俺の体は動いていた。彼女の手を取り、雨の中二人、アスファルトへと倒れ込んだ。
「なんで、なんで…言ってくれなかったんだよ…初めに!俺は…俺は…」
彼女は顔を逸らすだけだった。そして俺の頬には雨にも勝る様な涙が流れていた。涙は止まらなかった。
「男泣きなんて…だめだよ、私に…」
彼女の逸らした顔にも涙が流れていた。俺と彼女の間にはまた静寂が。いや、静かではない、ひっくひっくと鼻を啜る音と雨がアスファルトに当たる強い音しか聞こえなかった。
そして自然と二人は離れ、顔を合わすことなんて出来なかった。すれ違う心と心。それを深く味わった。そして自分を責める後悔ばかりしていた。なぜあの時、なぜあの場所で。そればかり考えていた。俺は勇気を振り絞り彼女の顔を見ようと振り返ったが彼女はまた、この場を去っていた。それは風のように。
俺はカフェテリアで席を立った時みたいにこの場所から去ろう、そしてもう忘れよう、忘れようと重い足を力一杯動かして帰路へ。
家に着くなり布団へと潜り込んだ。そこからもう記憶がなく数日寝込んでいた。もう学校に行くだけでも彼女を思い出してしまう自分を恨んだ。そして悲しんだ。枕は常に濡れていてこのままではもう自分を保てないとまた、俺は自分自身に嘘を付いた。
「俺は一人だ。いつも一人だ。これは真実だ」
と元の自分へと帰るように自分に嘘を付いた。そして彼女を好きになってしまったことも嘘なのだと信じ込もうとした。しかしそう、上手くも行かなかった。
誰もいない家の中から電話の鳴り響く音が聞こえる。俺はそれにつられるように電話の受話器を取った。
そこで知った、彼女が息を引き取ったと。
気付けばジャージに素足のまま俺は家を出ていた。走った、とにかく彼女の居る元へと走った。
足が冷たい。外は大雪で酷く冷え込み、顔に当たる風は痛く、体温は下がるばかり。だが彼女のあの時の言葉は俺を動かしていた。嘘は自分を守るための言葉だと。
「さよならも言えずに俺は…バカだ」
どれ程走っただろうか、足は腫れ、ドライアイスを触ったときのような痛みを伴っていた。だがそんなこと気にしている場合じゃなかった。俺はそのまま病院へと入っては受付を素早く済ませ、彼女の元へと急いだ。
病室には誰もいない。花束やら果物の盛り合わせがあるあたり、クラスの連中が訪れていたのだろう。だがその病室の窓は開きっぱなしで風が入り込んでいる。
「ごめん…遅くなった。そしてごめんな、君にさよならも言えずに…情けない…情けないよ…」
涙は言わずとも流れていた。何故なら彼女の顔は笑みを浮かべているように見えたのだ。
俺は彼女の酷く冷え込んだ手を握り込んだ。よく見るとその手には紙切れが。
嘘には責任がある。その責任は粉雪の様にいずれ解けて無くなってしまうものだけどその嘘を受け取った相手には消えてなくならない…だから、君は後悔しないように…自分に嘘を付かないで。お願い。
その紙切れにはそう書かれていた。嘘は自然と付いてしまうものと言っていた癖に…矛盾してるよそんなこと。だけど…俺も後悔をしたくない。自分に嘘を付いた結果がこうなら、自分に嘘なんて付かない方が良いに決まってる。
俺は彼女の言葉を空っぽだった心に入れ込んだ。
そして彼女に最後の嘘を付いた。白い、彼女には届くことのない真っ白な嘘を。
「俺は君が嫌いだったさ…あぁ、嫌いだったさ…後悔しないほどにな」
頬に流れる涙を拭き取り、覚悟を決める。もう振り返らない。過去なんて見返さない。前だけを見るんだ。後ろを見たら彼女が居る。思い出してしまう。だけど見なくても彼女が俺の背中を押してくれる。
だから、俺は…前だけを見るんだ。
俺は病院を出てまた、空を見上げた。
彼女が好きだった、雲一つ無い広くて青い大空を―――。
どうも風雷寺です。
この作品は僕の通学中にため込んだものを投稿したものです。
短編ではありますがここまで読んで頂き有難う御座いました。
PS このお話は彼と彼女の物語の一片に過ぎません。
今回は勢いで書いたので…続編や改稿版については楽しんで頂けた方が
多いほど投稿するか考えます。僕の気持ち次第です。