#01『理系男の小説論』
理系の人間が小説を書く事について考察し、思いついたことを書きなぐっていこうとかと思います。
この状態に当てはまる人がどれくらい居るのかわかりませんが、一つの参考までに。
そもそも理系の人とは何か? どんな人を指すのか? という事になるんですが、単純に文学より数学とか物理化学の方が得意な人と仮定します。ここで一つ落とし穴があります。
この得意という感覚。たぶん大抵の人が思い込みです。
自分の経験上、文章を作成する能力は大人になっても小学生レベルから大して進歩してなかったように思うのですが、社会人になってから仕事なり、ブログなりで文章を書く機会が増えたことで、いくぶんか『マシ』になった様に感じます。
当たり前だよーそんな事分かってるよーなんて思うでしょうが、頭では分かってても、文系能力はやってないから伸びないスキルなのです。
じゃあこの時、自分が理系だと思う人は、小説を書いてみたいとふと思っても、自分の思い込みによる苦手意識から文章作成をやらないでいることで、可能性を自ら閉じてしまっているのです。
全部過去の自分の事なんですが。
とは言っても実際プログラムとか表計算ソフトでマクロ組んでたりした、得意と思うに至る経験は揺るぎないモノだったりもします。
逆に自分が得意な分野である理系の視点から小説を書くことを鑑みると、面白いことが見えてきます。
多くの理系の人は過去の経験からパソコンの操作が得意だったりします。全員では無いかもしれませんが、その気になればエクセルでも文章が書けるし、寧ろキレイに整ったりします。注釈も補足も付け放題です。
小説の構成を考えるプロットは言葉を集めてロジック化したプログラムみたいなもんです。
たぶん、ココだけみれば、元々向いている作業です。
どうでしょうか、実は小説作成において理系の方が有利な部分が結構ある気がしてきました。
自分は小説執筆の際にATOMとかいうプログラミング向けのテキストエディタを利用しています。章分けされた沢山のデータ管理にも向いており、プラグインで必要な機能も追加できて便利なので、興味あるかたは検索していただければ。
ちょっと話がそれましたが、理系であることを、そう思い込んでいる事を逆に武器にするつもりで小説に挑む。そんな生き方があっても良いんじゃないでしょうか。
それでは、次回あるかわかりませんが、今回はこの辺で。