薔薇の色はどちらでも
「見付けた」
ガシリ、掴んだ腕は男の割には細かった。
穴に落ちて気付けば、両親の母校たる高校にいて、勢いに任せて駆け出したのだ。
走る勢いと同じ力を込めて、美術室の扉を開けた時は、たまたまいた部員に目を見開かれた。
目の玉がこぼれ落ちんばかりに私を凝視する視線を無視して、私の視線は美術室全体に向けられ、目当ての姿を見付けられずに、また、駆け出す。
校内を一周して見付からなかった姿は、拓けたグラウンドの隅で見付けることが出来たが、走り回って足が縺れた。
今にも崩れ落ちそうな体を必死に支えながら、掴んだ腕に力を込める。
肩を上下させ、息を整えるために吐き出した深い溜息にも似たそれに、大丈夫?という声が掛けられた。
支えるように二の腕に触れた手は、しっかりと私の体を支える。
「大丈夫に見えますか」
たっぷり三分、答えを引き伸ばして出したのは、見事なまでに嫌味ったらしいものだった。
見えないよ、と笑う父はその手の扱いに手馴れている。
二の腕を一定のリズムで叩かれて、自然とそのリズムで呼吸を繰り返す。
「それで、探してたの?俺を」
「……聞きたいことがありまして」
ゴホン、態とらしい咳払いが小さく響く。
癖毛を揺らしながら首を捻る父に向かって投げる疑問。
「高校生活、楽しいですか」何よりも、聞きたかったことだと思う。
自由に選べと手渡された進路希望調査と書かれたプリントは、相も変わらず白紙のまま。
埋めるべき欄に埋められる答えは見つからない。
赤く縁どられた眼鏡が、鼻筋に沿って落ちるのが分かった。
更にその薄いレンズの奥の瞳が、数ミリだけ見開かれ、ゆっくりと瞬きになる。
柔らかな弧を描き、細められた色素の薄い瞳に、小さく下唇を噛む。
「楽しい。楽しかったなぁ」
二の腕に添えられた手に力が込められる。
制服がクシャリと音を立てるが、あくまでも柔らかな緩やかな力だ。
「卒業、したくないなぁ」
今度は私が目を見開いて、掴んでいた手を離す。
卒業、繰り返した言葉に違和感が浮かんで来た。
足元に現れた真っ黒で真っ暗な穴に、まるで吸い込まれるように落ちた後、気付いたら学校の校門にいて、見上げた校舎は両親の学舎のそれ。
弾かれたように駆け出した私は、冒頭に戻り校舎を周り、グラウンドの隅で父の姿を見付けた。
その間に、卒業なんて雰囲気を感じることはなく、更に言えば美術室で会った時も。
左右に揺れる瞳を見て、父は不思議そうに私を見下ろし、どうしたの?と問い掛ける。
「いや、え?美術室で会った時から、どれくらい時間、経ちましたっけ」
手を離してから行き場を失った私の手は、ゆらゆらと宙でさ迷い、落ちる。
「学祭前だから……軽く半年くらいは経ったかな」なんて、視線を空に投げながら、月日を数えるように告げた父にぐらりと頭が揺れた。
あれから校内でも会わなかったよね、何年生だっけ、美術部じゃないもんね、投げ付けられるような言葉達は、右から左へ抜けていく。
にこやかだった父の表情が、きょとんとし始めて、首を傾けながら私の顔を覗き込む。
いつの間にか二の腕から手が離されており、その手が目の前でヒラヒラと動かされる。
「あの!」
「え?!」
勢い任せに体を前に突き出し、父の肩を掴む。
一瞬胸倉に行きそうだった手は、何とか肩に向けることが出来たが、勢いが良過ぎて父の体が後方に傾く。
「卒業するんですか?!」「するよ?!」と傍から見たら、ドン引きされる頭が弱そうな会話が飛び交う。
「……崎代くん、何してるの?」
自然と肩を揺さぶる形になっていた所で、第三者の聞き覚えのある声が掛けられた。
二人分の視線が突き刺さることになった声の主は、目に優しくない真っ赤な長い髪の持ち主。
カラカラとグラウンドに白線を引くコロコロ――ライン引きを引きずった母の幼馴染みだ。
「MIOちゃん……」私に肩を掴まれ、目を回したままの状態で、その人の名前を呼ぶ父。
赤い髪にライン引きを持ったその人は、母からもMIOちゃんと呼ばれていた。
いや、それは成人して私のような子供が出来ても変わっていないが。
そんなMIOさんは、真っ直ぐに私と父を見て、静かに目を細め、逸らす。
本当に、スッ、と音がしそうなくらいに不自然なくらいの自然さで素早く。
「大丈夫、何も見てない」なんて、酷く誤解を招く発言も投げ寄越して頂いた。
「違うからね?!MIOちゃん!!」
「でも、作ちゃんがいるのに珍しい子もいるね……」
「俺の話聞いてる?!」
私を置いてきぼりで交わされる会話。
そもそもこれを会話と呼んでいいのか微妙なところだが、MIOさんは態とらしい溜息の後に、父の言葉を全て無視して私を見やる。
爪先から頭の天辺まで、するすると視線が這い上がっていくのを感じた。
品定め、という程ではないが、生態観察をしているような視線だ。
頭の天辺まで視線を持っていき、満足したのか私の顔を見たMIOさんは、こてん、と首を傾ける。
その首の動きに合わせて、髪の毛も揺れた。
「……取り敢えず、崎代くんは止めた方が良いよ。可愛い顔して、異常なくらいに純愛思考の一途だから」
「あれ?俺とMIOちゃんって友達だよね?」
さり気なく毒を含んだ言葉に、今度は父が首を傾ける。
同じように色素の薄い茶髪が揺れていた。
そして、そもそも私は父は父としてしか見ておらず、中学生にもなって「お父さんと結婚する!」なんて言うような無垢な知的レベルの足りないことなんて言わない。
そういう意味を含んで、首を横に振って見せたが、ちゃんと伝わったのだろうか。
瞬きをしたMIOさんが、ライン引きをこちらに向ける。
カラカラ、音を立てながらも、線を引くための石灰がこぼれ落ちることはない。
「それより、作ちゃんは屋上で確認するから、早くしてくれって」
「あ、はい。え、石灰はあったの?」
「崎代くんがそうしてる間に、文ちゃんとオミくんが見付けてくれたよ」
チクチク、気心知れた相手だからこその棘だが、父は小さく唸りながら眉を下げた。
それを見ながら肩を竦めたMIOさんは、小さく笑って私を見る。
それは、私が幼い頃から向けられていたものと同じで、やっぱり変わらないと思う。
父も、母も、大した変化を見せないように、MIOさんもそうらしい。
私が肩を離せば、父はMIOさんの手からライン引きを受け取る。
遠くからは、台車に大きな袋と箱を積んだ二人の人影が見えた。
またしても行き場を失った手を、ぎゅうっと力強く握り締める。
「別の高校に通ってたら、そう思うことはありますか」
両手の平を強く握りながら問い掛ける。
二人分の色素の薄い瞳が私に向けられ、片方は大きく見開かれ、片方は大きく瞬きをした。
「無いよ」
丸みを帯びた優しい声だが、ピシャリと言い切るようだった。
「特別ここじゃなきゃ、なんて思わなかったけど。ここで良かったって思うよ。じゃなきゃ、作ちゃんにもMIOちゃん達にも会えなかったから。君にも」
「私達は作ちゃんのオマケか」
「違うってば!」
ぶわり、胸の中に溢れた何かが何なのかは分からない。
ただ色鮮やかに咲き乱れているような感じがして、震える膝を無理矢理にでも動かして、走り出さなければいけない気分だ。
笑いを堪えながら、父を弄り倒すMIOさんに、必死になって言葉を返し、無意識に弄られる父。
そんな二人に勢い良く頭を下げる私。
父に似た色素の薄い茶髪が大きく揺れる。
「有難う御座います。良い父親になりますよ……多分」
唇を持ち上げて笑った私は、プリーツの少ないスカートを翻し、駆け出す。
膝が笑う、前のめりに倒れそうだ。
走り出す私に驚き、言葉の意味を理解し切れない二人と、台車を転がしこちらを見ていた二つの人影が顔を見合わせるのを最後に、私はまた、大きく足を前へ出した。




