拝啓、昼下がりの憂鬱さんへ
「見てよ、かなくん、かなちゃん」
いつも通りの抑揚のない声を掛けられ、ソファーに座ってテレビを見ていた私と父は、同時に振り返り声の主たる母を見た。
ふわりと揺れる少ないプリーツのスカートを見て、私は開いた口が塞がらない。
父も目を丸くして、母を凝視している。
「流石にあの頃のが着れるとは思わなかったよ」
ひらりひらり、腰を動かしながらスカートを揺らす。
かっちりとした深い紺色のブレザーに、プリーツの少ない同じ色のスカートを着て、普段使いされているワイシャツに臙脂と紺色のネクタイを身に付けた母。
高校時代の制服らしい。
見慣れない制服を見ながら、開いていた口を閉じる。
しかしいい歳した母親が、高校時代の制服を着ているのを見せられる娘の気分は宜しくない。
隣の父は目を丸めたまま、ほんのりと頬を赤らめていて、更に気分が宜しくない。
高校を卒業してから既に何年、いや十何年は経っているのに、なんの調節もなしに制服を着こなす母は、その時から体型が変わっていないのだろう。
ブレザーのボタンは締められない、と言った母のドヤ顔は近年稀に見るものだったということだけは記しておきたい。
「って言うか、何で制服なんて出してたの?」
「中学校の制服は実家なんだけど、資料用にって高校の時のは持ってて、たまたま出て来たから着た」
頬を染めたまま聞く父に、スカートを揺らしながら答える母。
膝を隠す長さのスカートは、母の意外と几帳面な性格を表している。
ぼんやりと見つめる私を見て、母が「今では制服の形、変わってそうだけど。興味ある?」と聞く。
閉じたはずの口が再度開き、漏れ出た、は、という意味の無い言葉。
そんなこと気にもしない母は、何故かブレザーのポケットから、折り畳まれた紙を取り出す。
両手で丁寧に開いたそれを、私と父に向けて、先程と同じドヤ顔。
突き出された紙は見覚えのあるもので、パソコンに最初から入ってるフォントで『進路希望調査』と印字されている。
制服同様に開いた口が塞がらない、が、一体何処で、疑問が滑り出た。
「部屋覗いたらあった」
ケロリと言い切った母は、思春期真っ盛りの子供を何だと思っているのだろうか。
机の上に置きっぱなしにした私も私だが。
第一志望から第三志望まで枠のあるそれは、一度も何かを書かれた形跡がなく、真っ白なまま。
父の方は「懐かしいね」と笑っている。
それに対して母も頷くが、指先に挟んだその紙をゆらゆらと揺らし続け、私の反応を窺っていた。
中学三年生、進路を決めなくてはいけなくて、行きたい学校を見つける時期。
純粋過ぎる黒い瞳に、冷や汗が流れた。
真っ黒なセーラー服は、入学した時から、私よりも母の方が気に入っていた気がする。
自分が通っていた中学校は、紺色だったから黒が羨ましい、と。
真っ黒なセーラー服に真っ赤なタイ、違和感なく着られるようになって、もう、随分と経った。
「提出日は守らなきゃ駄目だよ」
何も言わない私に変わって、母がマーカーの引かれた締切を見ながら言った。
提出日まで一週間を切っている。
名前すら書かないそれは、ずっと机の上に置かれ続け、忘れ去られるものなんじゃないか、そう頭の片隅で思っていたことは否定しない。
でも、そんなことは、ないのだ。
「かなくんは高校って、どういう基準で選んだの?」
プリントを折り畳みながら、母が視線を父の方へと向け直す。
黒い瞳を向けられて、父は首を傾けながら、ええっと、と過去へ繋がる糸を手繰り寄せた。
「取り敢えず美術部メインだったからなぁ。ほら、スポーツ推薦とか取れなかったから」
「元々陸上から美術に移ったしね」
顎に手を当てて言った父に、頷きながら言う母。
二人は同じ型の制服を着て、高校時代に同じ場所で過ごしていたらしいが、距離感が特殊だ。
未だに母を渾名で呼ぶ父に、時折結婚指輪を無くす母。
この二人が恋愛をして結婚をして、私、つまりは子供を産んだと考えるのは難しい。
事実であり真実であっても、難しい。
「でも、作ちゃんだって高校の時の進路希望調査、第一志望しか書かなかったよね」
「余裕で受かったから問題無し」
そんな話は初めて聞いた。
つい、母の顔をマジマジと見てしまうが、実年齢よりも断然若く見られる魔女のような母は、人形のような表情を崩さずに首を傾ける。
お母さんはお人形みたいに可愛いだろ、そんな風に幼少期から父に自慢されてきたのを未だに覚えているようだ。
長い髪を払いながらブイサインをした母は、逆の手で持っていたプリントを私に差し出す。
綺麗に折り目の付いたそれは、やはりスカートと同じで几帳面な性格を表している。
「好きな道を選べば良いよ。学校なんて別に県外でもいいし、私立でも良いよ。滑り止めを受けても良いし、受けなくても良い。何なら通信制だって良いよ。途中で辞めるって言うなら言うで良いし」
表情一つ変えずに、抑揚のない声で言い切る母は、特別放任主義でもないが、特別モンスターペアレント系でもない。
親馬鹿な面は多々見られるが、友達と揉めた時なんかでも、話を聞いて客観的に、娘だから他人の子供だから関係なく言葉をくれる。
ただ、時折、親としては如何なものなのだろう、と思わせる言葉を吐き出す。
今の学校を辞めても発言が良い例だ。
父は慣れっこなようで、驚きもせずににこやかに笑っている。
それでも、県外県内、私立公立関係なく選ばせ、自由にしろと言い切るのは、子供としては喜ぶべきところ、なのかも知れない。
高校時代の制服を着たままの母から、しっかりとプリントを受け取った私は、そっと息を吐く。
見下ろしたそれを、一週間ない間に埋めて提出しなくてはいけない。
そんな私の心労を知ってか知らずか、隣の父は「俺も着ようかなぁ」なんて言っていて、心労は増えていく。




