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五 章  守るべき者       

利知未と倉真の結婚までのかなり長いお話し高校編・五章です。作品は、90年代の前半ごろが時代背景となっております。(現実的な地名なども出てまいりますがフィクションです。実際の団体、地域などと一切、関係ございません。)

和泉の心が落ち着きを取り戻した4月。今度は倉真が家を飛び出してきた。そして、その倉真に思いを寄せる綾子の存在。倉真は綾子のことを考え、冷たくあしらっていた。けれど綾子は、ある決心をする。

利知未を取り巻く仲間たちとのお話に、綾子と倉真の恋愛物語がスタートです。

この作品は、未成年の喫煙・ヤンチャ行動等を、推奨するものではありません。ご理解の上、お楽しみください。

 五 章  守るべき者       


           一


 春休み中。また、新たな事件が起こる。

 和泉が平常を取り戻した、四月。今度は倉真が家を飛び出して来た。

 そのまま、宏治の家に、転がり込んでしまう。


 四月一日・木曜日、バッカスにて。

「お前…。バイトはどうしてるんだよ?」

「行ってるっスよ?チョイ、朝、出るのツレーけど。」

呆れた利知未の質問に、惚けたような返事が返って来た。

「…考え無しだな。」

「瀬川さんの口から、そんな言葉が出るモノなんですか?」

「ドーユー意味だ…?」

和泉の言葉に、利知未が少し、仏頂面になる。

 和泉は準一と共に、またバッカスやアダムへと現れるようになった。

それに付いては、喜ばしい事だ。

「瀬川さんも、考え無しってコト?」

準一が、輪を掛けて考え無しの質問をする。当然の様に、利知未に頭を小突かれる。

「お前が言うな。」

準一に言われたらお終いだ。小突かれた頭を、摩りながら聞く。

「ナンで、撲られるんだ?」

「お前は、本当に身の程知らずだな。」

宏治が、呆れ顔で突っ込んだ。倉真が言う。

「俺は、スゲー気楽になってんぜ?」

「…ま、そーだろーな。」

宏治は最近、寝不足だ。毎晩、倉真に付き合って、酒を飲む。

「美由紀さんの飯も美味い、酒は飲み放題だ。天国にいる様な気分だぜ。」

「お前、良く毎晩深酒して、朝起きれるモンだよな。」

宏治はイイ加減、諦めている。自分はつい、朝も寝坊がちだ。

「やりたい仕事する為なら、起きれるモンだぜ?」

「明日もバイト、早いんじゃないか?タマには、素直に早寝した方が、イイと思うがな。」

和泉の言葉に、利知未も頷く。

「お前より、宏治がヤバそうだ。顔、浮腫んでるぜ?」

「マジですか?そりゃ、ヤバイな。」

自分で、頬っぺたを引っ張って見る。可笑しな顔になり、準一がウケる。

「あはははははー!変な顔―!!睨めっこ?オレも、オレも!!」

準一まで変な顔をし始める。吹き出しながら、利知未が言った。

「宏治、準一もう、酒飲ませんな。飲み過ぎだ!」

そのまま、笑い続ける。

「ムニー!」

変な顔を、利知未にも向ける。益々、吹き出す。和泉が笑いを押えながら、真面目な顔を無理に作って、準一の頭を軽く小突いた。

「イイ加減にしろ。笑い死にさせる気か?」

「イテッ!」

やっと、顔を元に戻す。賑やかなカウンターに、ボックスで常連組も、美由紀と呆れ半分に笑っている。

 スナックに、未成年者が屯するのは、どうかと言う意見も、ある事はある。けれど、見えない所へ野放しにするよりは、マシだろうと、店の主、美由紀は考えている。

倉真の家出は、確かに事件だが、この仲間内には今、漸く平穏な時が、流れ始めている。


 克己のアパートへ、綾子が現れた。

 倉真がまだ、ここに居るかと思い、春休み中にもう一度、倉真の様子を確かめたいと思った。


 克己が仕事へ向かうのは、毎朝八時半過ぎだ。

 アパートの外階段を降りた時、いつか見た事がある、少女の姿を目に止め、声を掛けた。

「お前、倉真の元クラスメートの…?」

「…あ、おはよう、ございます…。あの、館川君は…?」

克己の姿には、見覚えがある。綾子は、恐る恐る聞く。

「倉真か?アイツ、二十八日頃から、ココへは戻ってないぜ。」

「え…?あの、何処に行ってしまったんですか?」

「ヨク判らネーけど…、…そーだな。宏治の所にでも、転がり込んでんじゃネーか?」

「宏治、さん?」

「神奈川にいるダチだよ。オレも前、一度、行った事がある。」

神奈川、と聞いて、綾子はびっくりする。ここは東京の東の端。電車を使っても、一時間半から、二時間は掛かるのでは無いだろうか…?

「…そんな所に…?」

「ああ。アイツに、なんか用があンのか?」

「…いえ、あの…。特に用事がある訳では…、」

おずおずと、視線を外す綾子の様子に、克己は、何となくピンと来た。

「…連絡着けることは、出来ると思うけどな…。けど、アンタ。あんなヤツに関わらない方が、イインじゃネーか?」

「…あんなヤツって、お友達じゃないんですか?」

少し責めるような口調に、軽く顔を顰める。

「ああ。ダチだよ。…そー言う意味じゃネーよ。アンタどう見ても普通の女子高生だろ?オレ等みたいなヤツと、アンマ、関り合いにならない方が、イイって意味だ。」

『利知未みたいなヤツなら、まだ判るが…。』

心の中で、そう呟く。利知未は、コッチサイドの女だと、理解している。

「…どうしてですか…?あなたも、館川君も。…私には、そんなに酷い人達には見えません…。」

俯いてしまう。綾子にとっては、これが精一杯の虚勢だ。

「…買被りだろ…?…ワリーな、仕事に遅れちまう。」

言いながら、自分のバイクへ向かう。ヘルメットを被り、エンジンを掛けて、綾子を振り向く。俯いて、じっとしたまま、動けない様子だ。

 克己は、軽い溜息を付く。

「…オレ等みたいなヤツと関ったら、アンタ、また怖い目、見るかも知れネーぜ?…よく考えてみな。…ソレでもアイツに会いたいなら、日曜にでも、もう1回ココへ来てみな。」

綾子が顔を上げる。驚いた表情で問い掛ける。

「…そうしたら、館川君の居場所、教えて貰えるんですか…?」

「…もし、アンタがどうしても会いたいってンなら、1回だけ連れてってやるよ…。今日は帰れ。」

ギアチェンジして、走り出す。綾子は呆然と、その後姿を見送った。



 二日、金曜日。アダムにて。

「お前、5日から新学期だったな?」

「ソーです。」

「その後のシフトは、今まで通りで、構わないのか?」

バイトの帰り掛け、マスターに言われて、利知未は少し、考える。

『そーだな…。どーせ、夏休み過ぎたら、勉強に専念したいからな。稼ぐんなら、今の内か?』

そう思い、頷いて見せる。

「日・祝の十一時から十九時、土曜の十八時から二十二時。ソコはそのままで構わない。後、出来れば夏まで。平日夜も、少し入れたいな…。」

「いつも、何時ごろ帰るんだ?」

「特に用が無ければ、五時半には戻ってンな。」

「金曜の夜、入れるか?」

「そーだな、ソレくらいは平気そうだ。十八時からで良いか?」

「十九時からでも良いぞ。」

「十九時から二十二時で良いのか?」

「構わん。ついでにナイト・メニュー、少し覚えてくれ。」

「カクテルか?」

「ソーなる。」

利知未も酒は、かなり飲む方だ。カクテルにも、以前から興味があった。

「面白そうだな…。判った。じゃ、夏まではソレで。」

ニ、と軽い笑顔を見せた利知未に、マスターもニヤリと笑う。利知未の性格上、絶対に興味を持つだろうと思っていた。今の内に覚えてくれれば、大学入学後、ラストまでシフトに入れても、良い戦力になるだろう。

「偶に、ヘルプに呼ぶ事も、あるかも知らん。」

「今まで通りじゃネーか?構わネーよ。」

「助かる。」

「ンじゃ、お疲れ様です。お先に。」

「おお、お疲れ。」

 アダムを出て、今日もバッカスへ回って行こうかと考える。春休みが終れば、また土曜日しか行けなくなりそうだ。


 バッカスは、利知未にとって、居心地の良いオアシスだ。

 宏治達とのバカ騒ぎも楽しいが、美由紀と話しをしながら、ゆっくりグラスを傾け過ごす瞬間も、良い気晴らしの時間だ。常連の目も優しい。

『この歳から、アンマ感心出きる事じゃネーのは、確かだけどな。』

 自分でもそう思いながら、バッカスへ向けて、バイクを走らせた。



 翌日。昼頃に目を覚まして、顔を洗って階下へ降りる。ダイニングへ向かうと、リビングから双子に声を掛けられる。

「あ、やっと起きてきた!ちょっと、聞きたいことがあったんだ。」

「…ナンだよ?朝っぱらから。」

「朝っぱらって言う時間じゃ、ナイよな?」

まだ眠気の覚め切らない、利知未の様子を見て、樹絵が呆れて言う。

「確かに。」

双子とリビングで、テレビを眺めていた里真が、口を出す。

「…悪かったな。寝不足なんだよ。」

欠伸をして、利知未が頭を掻く。双子と里真は、まるでお兄さんと話している様な気分になる。

 昨夜も利知未は午前様だ。既に、朝帰りの時間帯に帰宅していた。

 春休み中は、閉店時間までバッカスで酒を飲んでくる。更に昨夜は、その後で、宏治の部屋にまで付合った。

 平常は、土曜でも、十二時過ぎには帰宅していたのだが…。

「で、ナンの用だよ?」

「ソーソー!あのね、今からする質問に、答えて欲しいの。」

「質問?勉強なら明日の夜、見てやるぜ。」

面倒臭そうだ。双子は困った顔を見合わせる。

「勉強じゃないんだ。利知未の、誕生日と血液型と、身長、足のサイズ、…出来れば、体重と…、」

並べ立てられる質問に、面食らう。樹絵が一瞬、言い難そうな表情を見せる。秋絵も言い難そうだ。里真が口を出す。

「あのね、スリーサイズと、服のサイズも知りたいそうだよ?」

「…知りたいそうって、…いったい何何だ?その質問は。…アイドルのグラビア情報じゃあるまいし…。」

「…って言うか、正しくソレものナンだ。」

「誰が、ンなコト答えるかよ?バカバカしい…。」

「教えてもらえないと、チョット困るんだよね?」

「まーね。…でも、仕方ないような気もするケドな…。」

「大体、何でそんな質問を、されなきゃならネーンだ。」

もっともな質問だ。やはり言い難そうな双子に代わり、話を聞いていた里真が、答えてくれた。

「この前の木曜、昼間に、樹絵達のクラスメートが遊びに来てたでしょ?…あの友達が、新聞部の新しい部長らしいのよね。で、身近なアイドルを探すって企画が、前から続いていたらしいんだけど、すっごい人気の企画ナンだって。」

 話しが見えない。何となく、嫌な予感だけは走る。

「で、利知未に白羽の矢が立っちゃった…。」

「…あたしは、女だぞ?」

「それは判ってるんだ。けど、…あの子、宝塚ファンなんだよな…。で、ウチの学校、ソー言う子多くてさ…。」

樹絵が疲れた様に頬杖を付き、溜息を付く。秋絵も同じポーズだ。

「…でもね、一応、モデル料って言うの?出るみたい。」

「現金じゃなくて、図書券とか、音楽券らしいけどな…。」

「或いは、文房具?」

そこまで聞いて、利知未は無視を決めた。

「興味ない、面倒臭い、バカバカしい。…ってコトで、別のヤツ探せ。」

言いながら、ダイニングへ向かい直す。

「…やっぱりね。」

「大体、無理だってーの。利知未が承知する訳ねーよ。」

「…ま、そーでしょーね。」

双子の言葉に、里真が頷いている。秋絵が言う。

「じゃ、変わりの誰か、探してもらうしかないね。」

「最初っから、そう言ってンジャン。」

「…だよねー。」

二人で愚痴る。里真が再び口を出す。

「そんなに、断り難い子なの?」

「…って言うか、新聞部の部長だけあって、すっげーシツコイんだ、な?」

「うん…。それが無きゃ、イイ子なんだけどねぇ…。」

頷き合い、再びハモリで溜息を付く。

「…大変だ。」

里真が小声で呟いた。



 アダムでのバイト中に、面倒な客が現れる。かなり酔った女性客が、利知未を名指しで、カクテルのオーダーをする。

「お客様、申し訳ございません、彼女はまだカクテルを作れませんので。」

丁寧に詫びる夜専門のバイトの言葉に、半分ヒステリックな言葉が返る。

「彼女?ドーして、女がバーのカウンターにいるの?普通、有得ない!」

利知未は小さく息を付いて、低めの声を出す。

「失礼ですが、聞き違いかと思います。…ですが、まだ自分は見習いですので、残念ながら、お客様にカクテルをお作りする事は出来ません…。申し訳ございません。」

 態度を、FOX時代のセガワに戻して、すっかり男の振りをする。

「聞き違い?確かに、今この人、彼女って言ってたわ。」

「…俺が、女に見えますか?」

伏し目がちになり、勝負を仕掛けるような気持ちになる。

『…もしも、この酔っ払い状態で、あたしが女に見えるなら…。』

店員の態度として、問題も大きくなるかも知れないが、自分としては…。

『出たトコ勝負だ…。』

内心構えるが、女性客は騙された。

「…綺麗な顔してるわね…。もしかして、良く女に間違われる?」

余りにあっけなく騙されてくれた事に、少し力が抜ける。

「…はい、良く、間違われます。」

セガワチックな微笑を見せ、話しを元に戻す。

「ご注文は、こちらですね?」

カクテルのメニューを指差して確認すると、目配せをして、先輩バイトへオーダーをし直した。

 一時間もすれば、バイトの時間が終る。そう見て仕事を終えるまで、利知未は少年らしい態度を貫いた。


 その夜も、バッカスへ寄って行った。

「全く…。今日は、厄日か?」

美由紀に、アダムでの話しをした。

「確かに。バーのカウンターに女性が入っている所は、少ないわね。」

自分が仕事上で付合いのある、バーの内情を思い出して美由紀が言う。

「瀬川さん、その女性客に目を付けられた、ってコトになるのか…。」

宏治が言う。常連の多いこの店でも、偶にはある事だ。

 宏治は、アイドルチックに整った顔を持っている。歳も若い。

 偶にやって来る女性客達には、良く可愛がられる。

「昼間は下宿の双子から、とんでもない質問攻めにあったしな…。」

タバコの煙を忌々しそうに吐き出し、呟く。

「何、聞かれたンすか?」

今日もカウンターに座る、倉真や和泉、準一も注目している。

「…パーソナルデータ。」

少し考え、言葉を濁す。

「瀬川さんの、パーソナルデータ…?」

準一が、少し首を傾げて和泉に聞く。

「…名前とか?」

「…身長、足のサイズ…etc.」

「何スか?ソレ。靴や服でも、貰えンすか?」

「…ソー言うンじゃネーよ。…くだらなさ過ぎて、無視した。」

「はい、もう一杯。」

準一が、ウイスキーを利知未のグラスに注ぎ足す。もう少し酒を飲ませ、面白そうな話しを、ポロリと落としてくれる事を期待する。

 注ぎ足されたウイスキーを、半分、自棄になって飲み干す。

「また、そう言う飲み方して…。」

美由紀が呆れる。そしてまた、ボックスへ呼ばれて行ってしまう。

 準一が、また注ぎ足し、利知未は飲み干す。4、5回繰り返した頃、宏治が、準一の手を掴む。いくら利知未でも、これは飲み過ぎだ。

「注ぎ過ぎだ。瀬川さんも、ペース早過ぎます。」

「で、またナンで、ソンなコト、聞かれたの?」

タイミング良く、準一が聞く。利知未は少し、判断力が落ちている。

「アイドル企画とか、言ってたな…、身近なアイドル?学校新聞に載せるとか…?ンな話しだ。」

つい、口走る。しゃっくりが出る。和泉が背中を叩いてくれる。

「ナンだ!?ソレ!!オモシロそー!!」

「まさか、また、男と間違われたとか?」

宏治も面白くなってきて、つい、突っ込む。

「…そーじゃ、ヒック、ネーみたいだ…ヒック…、」

宏治が水を出した。利知未はそれを飲んで、続ける。

「宝塚ファンとか、ナンとか…?」

「「宝塚ァー!?」」

少年達が一斉に驚いた声を上げ、そのまま全員、吹き出した。

 …利知未は酒が回り、そのまま、その場に突っ伏した…。

         二


 利知未が、珍しく二日酔いで、目を覚ました日曜日。

 今日のバイトは、十一時入りだ。何とか起き出し、仕度をする。階下へ降りると、里沙が蜆汁を作ってくれていた。

「二日酔いに聞くって、本で読んだのよ。…今更ではあるけど、美加の目が無くても、もう少し自重した方が、良いのじゃない?」

 当然、保護者の立場としては一言、言っておく必要がある。利知未は給仕をして貰っても、胃がムカついて、何も食べる気がしない。

 取り敢えず、味噌汁の汁だけ流し込んで、アダムへ向かう。



 同日。綾子が再び、克己の前へ現れる。

「…本当に、良く考えたんだな?」

念を押して、綾子に厳しい視線を向ける。

「…はい。」

小さく頷いて、真剣な目を向ける。少し、怯えている。

「…判った、約束だからな。…連れて行ってやるよ。」

克己が、少し諦めにも似た表情で、頷いた。

「…お願いします。」

綾子が頭を下げる。…どうしても、館川君に会いたい…。

 三日三晩、殆ど眠れずにいた。


 眠れずに、高校へ入学してから、今までの事を考えていた。

『初めて、助けてもらった、あの時から…。』

倉真の存在は、綾子の心を、捉えていた。

 知らず知らずの内に、目で追いかけてしまった。…今、思えば。

 自分のその態度が原因で、あの監禁事件に繋がってしまった気がする。

『それでも、やっぱり…。』

 …ソレだから、やっぱり…?

 益々、倉真の事が気になり始めた。

『始めは、自分でも良く判らなかったけど…。』

何よりも、中学時代の事件が、尾を引いていた。

『あの時、館川君の本当を、少しだけ、見せて貰ったから…。』

自分の心が、やっと取り戻せた想いを、今は大切にしたい…。

『館川君の傍に居られたら…、私は、変われるかも知れない…。』

 もう一度、普通の女の子らしく。…恋愛だって、出来る様に。

 綾子は今、自分の心に素直でいたいと、切実に願っている…。



 今日は、バッカスも休みで、倉真のバイトも休みだ。

 平日に走れるライダーは需要が多い。土日などは、学生でも走れる。

 免許取得後、半年間。違反をせずに過ごしていれば、学生でも雇ってくれたらしかった。以前、倉真が打診した会社では、その外見と年齢を信用し切れずに、体良く追い返されただけだったらしい。

 今、倉真は平日に走れるライダーとして、バイトをしている。それで日曜・祝日は比較的、休みが多く回ってくる。


 倉真は今も変わらず、宏治の部屋で居候だ。久し振りに、二人揃って遅くまで寝過ごした。宏治のベッドの横には、倉真仕様万年床が敷かれっぱなしになっている。中学時代から、倉真が家出して、転がり込んでくる度、そんな調子だった。

 来客があり、美由紀に言われて、宏一が、二人を叩き起こしに来た。

「おい!正月に来た、お前等のダチが来てるぜ?!」

 克己は、今年正月の宴会から、美由紀とも宏一とも、顔見知りだ。

「ダチ…?」

寝ぼけて、倉真が呟く。

「克己って言ったか?お前みたいな頭してるヤツ。」

克己の頭は、派手な黄色で、メタルファンらしく、少し特殊だ。

「克己?来たのか!?」

目が覚める。宏治も起きる。朝、髪を固める前。宏治の前髪簾頭状態は、元から若く見える顔立ちを、益々、幼く見せる。

「…克己さん?珍しいな。」

「とにかく、さっさと起きろ!」

倉真を蹴り、宏治を小突く、長男・宏一。すっかり、三人兄弟のようだ。

「…わーったよ…。」

判ったよ、とは発音しない。頭をぼりぼり掻く。カッタルそうに立ち上がる。宏治もベッドから起き出す。前髪を掻き上げ、視界を取り戻す。

 二人揃って、寝ぼけたまま、玄関先へ向かった。


「今、起きたのかよ?」

「おお。四時まで飲んでたからな…。」

大欠伸。だらしない格好のまま、出て来た倉真に、克己が言う。

「…客。下に居る。もうチョイまともな格好してから降りて来い。」

「客ぅ?こんな所まで、よく着いて来たな。…杉村達か?」

「…女だ。…って事で、ワリいな、倉真の客ナンだが…。」

宏治に振る。宏治は、寝ぼけ半分で、少し驚く。

「女、ね。…じゃ、おれは関係無さそうだ。」

「…そーナンだがな…。」

呟き、克己は首を掻く。正直、自分も二人が対面する所に、顔を出しているのは、気が重い。…どーすっかな…?と、考える。

『ま、シャーネーか…。どっち道、あの子、送って行かなきゃならネーモンな…。』

「…チョイ待てよ?もしかして、綾子か?」

倉真は、やっと頭が働き始めた。一気に複雑な表情になる。

「取り敢えず、ジーパンくらい履いて来い。」

タンクトップにトランクス。まるで、風呂上がりの親父みたいな格好だ。

 仕方ないとでも言いたげな顔をして、宏治の部屋へジーパンを取りに行く。倉真に比べ、まだマトモな格好をしている宏治が、そのまま克己と話しながら待つ。

「また、どっか走りに行く事あったら、呼んでくれよ。」

「ソーすね。季節も良くなって来たし…。」

 ツーリングと、その後の宴会で、克己とは既に、打ち解けている。

「和尚って言ってたか?あのボーズ頭。あれから、どうだ?」

「もうすっかり、元気です。」

「ソーか。そりゃ、良かったな。」

意外と爽やかな笑顔を見せ、克己が言った。倉真が、ライダー・ジャケットを羽織り、ジーパンを履いて現れた。

「チョイ、出る。」

宏治に断り、靴を履く。

「おれは、明日からの準備でもしてるかな。」

宏治は翌日、月曜日から、専修学生だ。明日は入学式である。

「行くぜ。」

機嫌悪そうに克己に言い、先に玄関を出る。克己は宏治と、軽く目を合わせ、複雑そうな笑顔を見せて、倉真の後に続いて行った。

「…何か、面倒臭い事に、なってるみたいだな…。」

閉められた玄関扉に呟いて、小さな欠伸をしながら、洗面に向かった。


 宏治の自宅は、アパートとマンションを足して、2で割った様な作りの、集合住宅だ。その二階部分に、手塚一家の住処がある。

 各部屋・3LDKの家族型借家、とでも表現したら良いのだろうか?一棟、四軒収容の建物が、隣接して三棟。団地と言う訳ではない。家賃毎月十三万八千円、管理費込みと言う、物件の割には、安めな設定だ。


 棟と棟の間に設けられた駐車場に、宏治と宏一の愛車が置いてある。

 其処へ止めた克己のバイクの横で、綾子はジッと足元を見つめ、俯いた姿勢で待っていた。

 外階段を降りてくる、少し、乱暴な足音に、首を持ち上げる。

 ドキリと、心臓が跳ね上がる音が、自分の耳にも聞こえた。

 自分の、心臓の鼓動を数える。1つ、2つ、3つ、4つ……。

 乾いたアスファルトを踏む靴音が、一歩、二歩、三歩……。

 足音を十、鼓動を二十数えて、心を決めて、ゆっくりと振り向く…。


 頭は、確り上げられない。俯いた視線のまま、身体の向きを先に変え、久し振りに、倉真の声を聞く……。

「…こんなトコまで…、…よく来たもんだ。」

 クラスメートの少年達と比べても、少し低めの音。綾子の頭上から、降って来る。二十センチの身長差。俯いてしまっている為、三十センチ。

 …凄く大きな人の前に、居るような感じだ。

 意を決し、目を上げる。つい一月前よりも、その頭が高い位置にある。

 そんなチョットした倉真の変化に、再びドキリと鼓動が高鳴る。

「…館川君…。また、背、伸びたの……?」

全然、違う事を言おうとしていたのに、そう問い掛けてしまう。

「お前が縮んだのかと思ったぜ。…相変わらず、下向きに生きてンな。」

 倉真は、複雑な感覚に襲われる。

『もう構うなと、言おうとしてンだよな…?俺は。』

 自分なんかに付き纏って、綾子の為に、イイ訳は無い。

『…何で、言えねーンだ…?』

「あの、…どうしても、気になって…。」

「…お前は、いつもソーだな。」

何となく、イラっと来る。…どうしてかは、判らない…。


 克己が、ゆっくりと二人に、近付いて行く。

 倉真がタバコを出して、火を着けた。半身向きを変え、綾子に対して、そっぽを向く。克己の位置から、倉真の横顔が見えた。

 その表情の複雑さに、克己の足が一瞬、止まるが、直ぐに歩を進める。

『…女に手を上げるヤツじゃネーのは、確かだけどな…。』

 少し、不安な感じもする。女に手を上げない変わりに、どこかへ憂さ晴らしに出掛ける事になるだろう。


「…ナンで、俺を探す?…親父にでも、頼まれたか?」

そんな訳が無いのは、充分承知だ。

「…違います。私、館川君のお父さんは、知りません…。」

「…ったり前だ。マジに取るな。」

タバコの煙を、苛立ちに合わせて吐き出す。


 克己は、今度こそ歩を止める。今、近付いてはいけない感じがする。

『…珈琲でも、買って来るか…。』

向きを変え、集合住宅の近くにある、自動販売機へ向かう。


 冷たい態度を取り始めた、倉真の様子に、綾子の胸が、締付けられる。

『…やっぱり、嫌われているのかな…?』

悲しくなって、涙が出て来そうになる。

「…どうして学校、辞めてしまったんですか…?私の、所為ですか?」

会う度に、される質問に益々、苛立つ。

「…何度、同じこと言わせンだよ?お前の所為じゃネーよ。」

綾子は、再び俯いてしまう。涙が、目に溜まる…。

「…でも…。」

「お前が気になってンのは、そんな事か?だったら、何度来ても答えは同じだ。お前の所為じゃネー、元々、処分になる予定だった。面倒臭かった。始めから、高校行きたくて入ったワケでもネー。何度も同じコトを言わせるな。」

怒鳴り出したい心境を、ぐっと堪える。イライラが、また増す。

「…私は…。」

次の言葉を、涙が止める。小さな声を、唇から搾り出す。

「…どうしたら、館川君に、もう一度、…………笑って貰えるの…?」

両手で顔を覆い、涙を隠す。それ以上は、言えなくなる。

 倉真は、どうするべきか、何と言えば良いのか…?判らない。

『女の涙は、………苦手だ。』

 

 …お前が、もうチョイ、気を使ってやンな…。

 …アフターケアが、必要だろ…。


『…って、言われたけど…。…判らネーモンは、判らネーよ…。』

「………泣かれて笑えるヤツが、居ると思うか…?」

そう言われて、益々、涙が流れ出す。

『…当たり前の言葉なのに……。私、何で…。泣いてしまうの…?』


 弱々しく、線が細い。利知未と正反対の女。

 綾子が此処まで、やって来た勇気を、倉真は忘れていた。

 …ただ、目の前で涙を流す姿に、戸惑っている…。


 小さくなったタバコを吐き出し、乱暴に踏み付ける。

「…ッタク!どーしろってンだよ?…お前は俺に、どうして欲しいんだよ…?」

怒鳴り出しそうになり、堪えながら、綾子を見る。

「…ごめんなさい…。私、館川君のこと、イライラさせてばかり…。」

頑張って、涙を抑え様と、しゃくりあげる。

「謝るな!俺は、馬鹿だからな。ハッキリ言われなきゃワケ判らネーンだよ。…女に泣かれるのも、苦手だ。お前、俺の前で笑った事あるか?…ナンつーか、腹からバカ笑いするヤツの方が、俺は好きだ。」

自分で言いながら、ン?と思う。…誰の顔が、浮かんでいるんだ…?

 浮かんできた顔に、首を振る。…違う、あの人は、別格だ…。

「…判りました…。私、もう泣きません…。」

そう言い、後ろを向いてしまう。手で涙を払い、努力して笑顔を作る。

 努力して作った、泣き笑いの顔で、振り向いた。

「…これで、イイですか…?私、ちゃんと、笑えてますか……?」

 胸の奥が疼く。泣き顔7対・笑顔3の表情に、倉真は呟く。

「…バカか。そりゃ、泣き顔ってんだ…。」

綾子の目から、新しい涙の滴が零れる。それでも、無理に作った笑顔を崩さない。…倉真の手が、ぶっきらぼうに動く。

 いつか海でした様に、その手で綾子の涙を払う。

 そうされて、綾子の胸が、またドキリと脈打つ。

「…俺は、苦手なンだよ、お前みたいなタイプ。」

「…どうすれば、好きになってくれるの…?責めて、本の少しでも…。」

心に浮かんだ言葉を、そのまま小さく、声に出した。恥かしげに俯く。

「…私は、館川君の事が、……好きだから……。」

 倉真は、告白されて戸惑う。

『ナンで、浜崎みたいなヤツが…?』

俺なんかに、惚れるものだろう…?


 去年秋。宏治の部屋で起った事故から、倉真の胸の内に、女に対する

ある感情が、芽生え始めた。

 その相手、切掛けは、利知未だ。

 それでも倉真は、その感情を摩り替えてきた。…異性を、好きになる気持ちを、倉真は、もう持っている…。自分では、気付かない。


『浜崎は…、その気持ちは…、…それは、拙くないか…?』

その気持ちが本当なら…。敢えて倉真は、彼女を遠ざける必要を感じる。

「お前、マジで、ソー思ってンのか?」

綾子は黙って頷く。恥かしくて、顔は上げられない…。

「…気の所為じゃネーのか。…お前が、俺を好きだと言う気持ちが、解らネーな…。」

そっぽを向き、タバコを取り出す。火を着け、煙を吐き出す。

「…私も、びっくりしてるの…。人を好きになる事、もう無いと思ってたから…………。」


 綾子の、過去の事件を、倉真も知っている。話しで聞いただけだが、その気持ちは、判らなくは無い。…しかし、それなら尚の事、自分が、その相手になるのは、拙いのでは無いかと思う。

 倉真は自分が、真面目に生きて来た人間で無い事を、理解している。

 自分の回りには、かつて綾子へ酷い仕打ちをしたタイプに、近い人間の方が、圧倒的に多い。…性根は違うヤツ等だと信じているが、傍から見たら、十把一からげで認識されているであろう事も、充分承知だ。


『…コイツは、俺の近くに居ちゃ、イけネーヤツだ…。』

決心が、冷たい言葉として表へ出る。

「お前、……俺と、ヤる事、出来ンのかよ………?」

 言葉の弾丸は、綾子の心を傷付ける。ビクリとした様子を、正面から見ることは出来ずに、完全に背を向けて、言い放つ。

「…っツーか、ヤらせろよ?平気ってコトだよな、お前の気持ちは。」

 その背中を見つめて、綾子の中で、葛藤が始まる。


 記憶の底から甦る、おぞましい、忌々しい情景…。

『おい、ナンか声出してみろ?』

『ツマラネーな。コイツ、声どころか、正気失ってるぜ?』

『待てよ、もう1回、ヤらせろよ?何回かヤッてるうちに、変わるモンだって、兄貴が言ってたぜ?』

『待て!!コイツ、舌噛み切ろうとしてンぞ!?』

『ナンか口ン中突っ込め!…後で捨ててくりゃ、問題ネーだろ?』

『捨てる前に、もう一周しようぜ?』

下卑た笑い声。シーツを口に押し込まれ、そのまま……。


 顔を覆い隠して、その場に、しゃがみ込んでしまいそうになる。

 …それでも……。

『館川君が、それを望むなら……。』

「…館川君が、そうしろって、言うなら………。」

小さな声を背中で聞き、驚いて、後ろを振り向く。…マジかよ…?

「…お前は、バカか……?」

ビクリと反応して、綾子は動けなくなる。

「…クソッ…!ムシャクシャすンな…。お前、とっとと帰れ!」

その場に綾子を置き去りにして、自分のバイクに跨る。

 エンジンを掛け、走り出した。


 動けずにいた綾子へ、克己が近付いて行く。軽く肩を叩いて、ビクリとする綾子を、気の毒に思う。 …それでも、倉真は…。

 彼女の事を思って、ワザと冷たい態度を取っていたのだと言う事は、長い付合いで、手に取るように判った。

「…送ってくぜ。」

 綾子をバイクの後ろに乗せ、来た時と同じ様にして、走り出した。


         三


 その日、一日。利知未は、二日酔いと戦いながら、バイトを続けた。

 普段は、賄いもペロリと平らげる利知未が、殆ど食べられずに、半分以上残してしまう。

 マスターも目を丸くしたが、厨房の社員・高林 征一は益々、驚く。暇な時間に、カウンターまで出て来て、利知未に声を掛ける程だった。

「どうしたの?具合でも悪いの?」

中学時代からの利知未を知っている、ヒトの良いコックだ。

「別に、違いますよ、…二日酔いです。」

自分の声に、あいたたた、と頭を押える。高林は益々、目を丸くする。

「そんな若さで、そんなになるまで飲んじゃ、拙いなぁ。」

「お前、一応、これ飲んでおけ。」

マスターが、ロッカールームから、錠剤を持って現れる。

「…なんでスか?これ。」

「漢方薬だ。二日酔いに良く効くんだ。な?」

高林に振る。高林も頷く。

「前、私が紹介したンでしたね。」

「…ソーか、高林さんの推薦なら、信用できそうだ。」

利知未が、憎まれ口を叩く。

「そんなグダグダで、減らず口を叩く元気だけは、残ってるのか。」

「…これが、あたしの性分です。…どーも。」

薬を貰い、必要錠数出して飲む。流石、漢方薬だ。物凄く不味かった。

「本当は、飲む前に服用した方が、効き目があるんだがな…。」

瓶を受取り、再びマスターが、ロッカールームへ向かいながら呟いた。

「…やっぱ、信用できネーな…。」

利知未が、その背中へ、憎らしげな目を向けて呟いた。


 バイト終了時間まで後、三十分を切った頃。倉真が現れた。

 半日バイクで走り回り、何故か、利知未の顔を見たくなった。

 時計を確認し、これから引き返せば、バイト時間中に間に合うと思い、反射的に進路を、アダムへと向けていた。

 …自分でも、その理屈は、良く判っていない。

「いらっしゃいませ。…、って、久し振りだな、コッチに来るの。」

倉真の姿を認め、利知未が笑顔を向ける。その笑顔を見て、何故かホッとする心を感じる。

マスターの漢方薬は、利知未の二日酔いに、意外にも効いていた。

「…そうっスね。タマには、珈琲もイイかと思ったンで。」

カウンターへ向かう。利知未は、ランチタイムなどの忙しい時間帯以外は大抵、カウンター内を、任される様になっていた。喫茶の時間は既に、珈琲も紅茶も、全てのメニューに、終了免除を出されている。

「ナンにする?」

水と、お絞りを出しながら、利知未がフランクに聞く。

「…何時ものより、苦いヤツがイイな…。」

「珍しいな。ンじゃ、あたしがいつも飲んでるの、出してヤるよ。」

利知未自ら、豆をブレンドし、軽く煎り直す。手動のミルを使う。

 コレは、珈琲メニューの中で、最後に教えて貰った。淹れるのには、少しコツがいる…。初対面の時、マスターが利知未の為に作った味だ。

 普段使うサイフォンではなく、ドリップ式で淹れる。

 その作業を眺めながら、タバコに火を着けた。

 倉真は、何故かホッとする。近くにいると、不安感を煽られるような綾子とは、決定的に違う。

『…ナンだろうな…?この、安心感は…。』

「珍しいか?コーユー作業。」

じっと見られている視線を感じ、利知未が、目を上げずに言う。

「…へ?…ああ、そーっスね。」

いきなり声を掛けられ、一瞬出た惚けた声に、利知未は軽く吹き出した。

「…何か、あったのか?」

利知未の質問に、倉真は曖昧な笑顔を返す。香ばしい匂いが流れてきた。利知未が、温めたカップに出来立ての珈琲を注ぎ、倉真の前に出す。

「…野良猫の、ホットミルクです。」

少し考え、愛称で、その名を告げる。

「野良猫のホットミルク?」

「…臭い話しでさ。…先ずは、飲んでみな。」

余り味に、煩い事は思わない倉真も、その味と香りに、少し驚く。

「…苦いけど、それより美味いっスね…。俺は、アンマ上手く言えネーケド…。」

「酷があって、深みがある。…あたしの注文に合わせて、昔、マスターが作ってくれた味だ。」

倉真がメニューを開いて見る。…何処にも、その名前は載っていない。

「メニューには、載ってないよ。愛称だ。」

そして、オリジナル・モカ・ブレンドの文字を指して、倉真を見る。

「これっスか?…五八〇円。」

「三八〇円。」

え?と、顔を上げる。

「愛称で注文すれば、三八〇円。…それも、マスターと翠と、あたしの約束事だ。」

驚いたままの倉真に、昔、初めてマスターと知り合った日の事を、話して聞かせた。


「あの人、ソー言う人だったンすね。」

普段の惚けた雰囲気と、少しギャップを感じる。結構、キザな事をする。

「…あたしは、この味のお蔭で、色々な経験をする事が出来た。…あの頃、そのまま学校にも行かないで、ひねくれ続けていたら、団部の仲間にも会えなかったし、FOXとも出会えなかった。…そうしたら、お前とも知り合ってなかった事になるな。…お前だけじゃなく、和泉や準一、もしかしたら、宏治とも会う事は、無かったかも知れない。」

『勿論、敬太とも…。』

 心の中で、付け足す。…敬太の事は、倉真達に話す気は無い。

「…ンじゃ、俺も感謝しネーとな…。」

…利知未と出会えた事実は、そのまま宏治や美由紀に繋がる。けれど、それだけでは無いとも思う。

 …けれど、それが何なのか?まだ、倉真は気付かない…。


「利知未、メニュー換えてきてくれ。」

厨房で、夜の準備を終らせ、マスターが現れる。

「判りました。…もう、こんな時間なんだな…。倉真、待ってろよ。飯でも食ってこうぜ?」

 まだ、倉真の悩みは聞いていない。何か気になる事があるらしい事は、見て取っていた。

『そうだな。…もう暫く、瀬川さんと居れば…。』

安心感を、もう暫く感じてから…。…そうすれば、もう少し落着く事が、出来そうな気がする…。

「了解。」

倉真の返事に利知未が頷き、メニューを変えに、カウンターを出て行く。何人か残っている客に、水もついでに注ぎ足して行く。

 マスターが、その利知未の様子を、横目で見ている倉真に言った。

「アイツがいると、助かる。…ここだけの話し、売上も上がるぞ?」

小声で言って、ニヤリとする。

「売上が、上がるンスか?」

「見ててみな。」

二人で、利知未の様子を、何気なく観察する。

 女性客に引き止められ、何か言われている。客が利知未の手から直接、ナイト・メニューを受け取る。利知未は、アフターメニューを、小脇に抱え、客の言葉を待つ。伝票をポケットから取り出し、追加を書く。

その仕草を、女性客が観察している。利知未は客に、ニコリと笑顔を見せて会釈をし、隣のテーブルへ移動する。

同じ事が、残った客中、三割の女性客のテーブルで、繰り返された。利知未が取ったオーダーは、全てナイトメニューだ。まだ、時間が少し早い。纏めて注文を取り、メニューを全て、変更し終わってから、伝票を処理する。

 利知未の営業を、倉真と一緒に眺めていたマスターが、呟いた。

「忙しくなりそうだ。」

夜専門のバイトが、カウンターへ入った。挨拶を交わす。

「おお、ご苦労さん。」

「やっぱり、またオーダー取ってますね。」

「悪いな。入った途端、フル稼働だ。」

「…覚悟してきましたよ。日曜はいつも、ですからね。」

上目使いに、冷や汗でも流しそうな表情だ。

 利知未が戻る。バイトに挨拶をしてから、今、入ったばかりの注文を読み上げる。その様子を、目を丸くして、倉真が眺める。

『…スゲーな。追加してたの、女の客ばっかだぜ…。』

マスターが、感心している倉真に、目顔で合図を寄越した。

『言った通りだろう?』

そう、目が言っていた。何時も通り、マスターは利知未に、声を掛ける。

「悪いな。十五分、残業してくれ。」

「…了解。倉真、もう少し待ってくれ。」

今、取って来たカクテルのオーダーを、出来た順からテーブルへ運ぶ。

 大体が、利知未を目当てで、追加している客ばかりだ。責めて始めの一杯だけは、利知未に運ばせた方が、客も喜ぶ。

 十五分の残業後、利知未は、そっと裏へ回って、店を出た。

 最後に倉真の会計だけ、利知未が済ませて行った。

『本当に、三八〇円で会計しちまったよ…。』

渡されたレシートを見て、倉真は、小さく笑ってしまった。



 綾子は、自室のベッドの上に座り、ジッと動かない…。

 外が真っ暗になっても、電気をつける事も忘れ、ただ、じっと悲しみを堪えている……。

『オレ等とアンタは、世界が違う…。倉真に何、言われたか知らネーが、…悪い事は言わネー。もう、近付かない方がイイ。』

 克己は、綾子を自宅前まで送り、そう言い残して、帰って行った。


『…世界が、違う…。』

 …それなら、私が彼等の世界へ降りて行ったら…。そうしたら、傍に置いてもらえるの…?

『でも、…どうやって…?』

 …私は、そうまでして、館川君の近くに居たいんだ…。

『けど、…今のままじゃ、嫌われたままじゃ……。』

 どうしたって、受け入れて貰えない。そんな事は、容易に想像出来る。


 …それでも、彼の傍に居たい…。


 この日から、綾子の決心が固まるまで、約三週間。

 その間、翌日から始まった学校にも行かず、食事も殆ど取れない様子で、部屋へ閉じこもる…。

 両親は、綾子の心の病気が、再発したのかと思い、静かに娘を見守る。


 その三週間は、倉真の事情も変わった、三週間だ。


 あの日、利知未と飯を食い、綾子の問題は、少しだけ話した。

「お前の思いも、判ると思うよ…。…確かに、深入りさせるのはマズイ相手のようだし…。」

そう言いながら、利知未は、もう一つの意見も持っていた。

「…けど、人を好きになる感情なんて、理性で割り切れる問題じゃネーのも確かだ…。特に、女のそれは…。」

 利知未は、敬太と恋人関係でいた頃の、自分を思い出していた。

『…あたしの場合、性格に問題あり、だったんだけどな…。』

 自分の想いに正直過ぎて、敬太にどれ程の迷惑をかけていたか…?

『あたしは、衝動的に行動し過ぎるみたいだ…。特に、男女のそう言う関係において…。』

 …自分に、女としての自信を、持てないでいたから…。


「…なぁ、倉真。あたしは思うんだけどな。…お前からそれ程、冷たい態度を取られても、彼女の想いが変わらない様だったら…。今度もし、彼女が何か行動を起こして来たら…。一度、正面から受け止めてやってみたらどうだ…?…それで、お前が気付く何かも、あると思う…。」

 利知未に、そう言われ、倉真の奥で疼く何かが、頭を擡げた…。

『あれは、ナンだったんだ…?』

 それでも、倉真は頷いた。自分でも判らないまま、綾子の想いを否定し続けるのは。…フェアじゃないかもしれない…。


 そして、一つの結論を出す。

『アイツが、何処まで追いかけてくるのか…?居場所を変えて、様子を見てみるのも、手かも知れネーな…。』


 宏治の家は、知られてしまった。再び、綾子が来ようと思えば、電車を使ってでも、来る事は可能だ。

 自分は、次に綾子が現れた時、直ぐに態度を改められる、自信も無い。

『…俺にも、考える時間が、必要だ…。』

 それに、どうせ自宅へ戻る気は、更々、無い。


 宏治が専修学生として、新しい生活を始めた、その週。

倉真は美由紀に、相談事を持ち掛けた。

「それは、一人暮しをしたい、と言う意味…?」

「勝手な頼みゴトなのは、百も承知してる。…保証人が、必要なんだ。」

そう言って、驚く美由紀の前に、アパートの賃貸契約書を持って現れた。


 バイトとは言え、五ヶ月分の定収入証明書を、言われた通りに持って来た倉真に、不動産屋の従業員は、完全なNOを出せなかった。

「ただ、館川さんは、未成年ですし。責めて、保証人が二人は必要になります。家族以外の方で、パートや派遣などではなく、キチンとした形で、就職をしている成人。」

「…それは、自営業でも、構わないンスか?」

「安定した業績を、証明できる物があれば。」

 そう言われて来た。


 一人は、いつか利知未のバイクを、軽トラックで運んでくれた友人に頼んだ。彼は、倉真が以前、バイトをしていたバイクショップの従業員だ。もう三年は、正社員として働いている。

 倉真も事を決めてしまえば、行動は早い。既に捺印まで貰ってある。

 後一人を悩んだ末、美由紀に頼み込む事にした。

「ご家族は、…倉真の事だから、知っている訳は、無いわね…。」

倉真の頼みごとに、美由紀は考えて悩んで、一つの条件を出す。

「…責めて、お母さんには知らせて。了解を取れたら、私も判を押す事、本気で考えて見ます。…けど、その説得は、自分でして来なさい。」

倉真の母が、了解するのなら、他人である自分が、反対する事は出来ない。美由紀に言われ、翌日。倉真はバイトを休んで、自宅へ戻った。



 自宅へ戻った倉真は、どうしても持って行きたい物だけ、持ち出した。

 ギターとアンプ。着替えを少々。そして、克己の職場へ向かい、部屋の鍵を借り、克己の部屋へ、置きっぱなしにしていた荷物を梱包して、新しく、自分の棲家になる筈の部屋宛てで、伝票を貼り付ける。

 送料は、後で渡すと約束し、部屋が決まり次第、送付してもらう約束をしてしまう。

「お前、ヤる事、急過ぎネーか…?」

克己が呆れて、倉真に言った。

「ココまでしておかネーと、マジで話し通せネーよ…。」

そう答えて、克己の働く定食屋で昼飯を食い、再び自宅へ戻り、母親を説得し始める。


 倉真の母親は、昨夜の内に、美由紀から連絡を受けていた。

 一晩、良く考えた。結論は、出ていた。

『…少し、一人暮しの苦労もさせた方が、あの子の為になるかしら…。』

 もしも決まれば、住所は美由紀が連絡をしてくれるだろう。倉真の口からは、聞き出す事は、不可能だろうと見極めている。

『お父さんには、どう言った物かしらね…?』

その点が、悩み所だ。…父親に知らせずに済ませる事は、出来るのか…?


 倉真の母は、条件を出す。

「一切、一人でやり切る事が、お前に出来るの?」

「…ヤって見せる。家には一切、手助けを期待しない。」

「…気が落着いたら、戻って来られる?」

「……いつ落着くかは、保証できネー。」

 息子の頑固さは、父親譲りだ。時間を掛けて、長期戦で待つしか無いだろう…。思い切り、深い息を付く。

「…あんたは、…本当に、お父さんの子供だわ…。」

 心配は勿論ある。不安も山積みだ。それでも、母は一つ頷いた。

「…やれる所まで、やって見なさい。保証人になってくれる方に、お願いと、お礼に伺わないとね…。」

 そこで始めて、倉真は宏治の住所を、母に伝えた。



 四月十八日、日曜日。

 倉真は、十七歳の誕生日を迎える前日に、一人で暮らすアパートへと、引っ越して行った。

 引越し資金で、貯金は空っぽになる。

新しいバイクを手に入れる為、今まで、コツコツと貯めてきていた。中古バイクの借金は、去年の秋までに、返し終わっていた。

『バイクは、もう暫くお預けだな…。』

溜息を付き、朝、美由紀から渡された封筒を、開けて見る。中から現金、十八万と、母親からの手紙が入っていた。

『バイクの借金は、もっと稼げるようになってから返して寄越せば良いから、当面の生活費に当てなさい。くれぐれも、身体は大切にね。』

 手紙の文面を読み、柄にも無く、母への、感謝の念が浮かんだ。

『…サンキュー、お袋…。』

心の中で、そう呟いた。


         四


 倉真がまだ、一人暮しに馴染めないでいた、五月。

 今年のゴールデン・ウイークは、間が四連休となる、大型連休だ。

 利知未は一日だけバイトを休み、仲間とツーリングへ出掛ける事にした。バイク所有メンバーのみで出掛ける事にし、倉真と宏治、ついでに克己にも、声をかける。

「タンデムに乗せなきゃ、峠も大丈夫だろ?」

そう言って、箱根の山道を楽しむ事にした。



「瀬川さん、峠攻めた事、あんスか?」

 倉真が少し心配そうな顔をする。倉真は宏治と連れ立って、この五月迄に二、三回、箱根まで走りに出掛けていたらしい。

「殆ど始めてだ。…だから、スゲー楽しみだよ。」

 翌日の約束を前に、利知未がバイト中のアダムへ顔を出した倉真と、カウンターで話している。

「大丈夫っスか?七五〇っすよね。」

「ま、ヘーキだろ?四〇〇より馬力ある分、カバー出来ンじゃネーか。」

気楽に笑う。克己は最近、二五〇から四〇〇に乗り換えたと言う。

「克己の新しいバイクも、見たいしな。」

「そーっスね。俺も明日、始めて見るっす。」

「あの毒々しいペイント、もう、してネーだろーな…?」

それはそれで、面白そうだとも思う。

「まさか!…ケド、もしそーなってたら、チョイ、面白ソーだな…。」

倉真が想像して軽く笑う。利知未も想像して、可笑しそうに笑った。

 ふと、真面目な表情になり、利知未が切り出した。

「…所で、綾子ちゃんって言ったか…。その後、どうした?」

「…まだ、顔見せ無いっス。…引越し先は知らねー筈だから、もう来ないんじゃネーかな。」

「…ソーか。それならそれで、お前の心配が、一つ減るな。」

「まー、ソーなんスケドね。」

小さく首を竦めて見せる。『ケドね』の先が、気になる所ではある。

 利知未は、詳しく聞き出そうとはしないで、話しを変えた。



 その一週間ほど前。克己のアパートへ、綾子が再び訪問していた。

 四月の頭に倉真と再開し、涙を流していた綾子から、もう一度、倉真に会いたいと相談を受け、克己は少し悩んだ。

 けれど、綾子が自分達の傍にいる事は、やはり賛成できない。適当にあしらい、彼女の自宅へ送って行った。半分、追い返したような物だ。


 その後、利知未から、今回のツーリングの誘いを受け、倉真に報告するかどうか、思案中だ。

『言った所で、ドーシヨーもネーよな…。』

とは思う。それでも一途な綾子に、同情心も浮かんでいる。

『倉真の気持ちも、判るしな。』

 約束の前夜。布団へゴロリと横になって、一人、考え込む。



 準一は、宏治から電話で、ツーリングの話しを聞いた。

「えー!?ずるいジャン!?オレも行きたい!!」

思った通り、駄々を捏ね始めた準一を、宏治は宥めた。

「瀬川さん、今回は峠を走って見たいんだって行ってたからな。それで準一や和尚を乗せるのは、無理だと思ったんだろう?今回は、我慢してくれ。…おれだって、準一を乗せて、峠走れるワケ無いし。」

 そうすると、無理やり着いて行った場合、倉真か、克己の後ろと言う事になる。…それは、少し怖い気もする。

「お前が免許取ったら、一緒に行こう。」

そう言われて、渋々ながら、頷いた。

 それならそれで、久し振りに和泉と二人で、何処かへ遊びに行くのもイイかも知れない。


 最近は利知未中心で、いつも五人でいる事が多い。それは本当に楽しい。学校や、その友人達と居るよりも楽しい。

それで、つい、クラスメートとの付き合いも、適当になってしまう。

 だからと言って、高校生にもなって、虐めに繋がる事も無い。その点は気楽だ。準一は、それなりに、今の所は高校生活を、楽しんでいる。

 ただし、飽きっぽい準一の事だ。いつツマラナクなるかは、判らない。



 和泉は翌日、早くから自宅を尋ねてきた準一に、引っ張って行かれた。

「何処へ行くんだ?」

「何処でもイイよ、そうだ!昔、良く真澄ちゃんと行ってた公園、行ってみる?…ん?公園行っても、何にも無いか。」

相変わらず、考え無しの準一に、和泉は呆れて、笑ってしまう。

「…寺に、行ってもイイか?」

 四十九日法要の日。真澄のお骨の前で、自分を心配した住職から道を説かれた事を、ふと思いだした。

『挨拶にも、ロクに行っていないな…。』

反省の思いだ。せめて、自分が立ち直った姿を一目、見せに行かないと、世話になった住職に、申し訳が無い。真澄の墓参りもしようと思った。

「寺?別にイイよ。じゃ、その後、どっか遊びに行こう!」

 気楽に頷く準一と、十年間、少林寺修行に通った寺へと、歩き出す。


 朝九時半。初詣ツーリングと同じ様に、バッカスの前へ集合した。

 倉真の新しい棲家は、神奈川に極近い、東京・大森南だ。最寄り駅の配置よりも、バイク移動を重視し、国道131号線や1号線などへ出易い条件を最優先した。15号線を東上して行けばバイト先への便も良い。

 お蔭で今回、一番、早起きの必要があった克己は、寝不足気味だ。

 克己と倉真は、バッカス前への集合一時間前に、国道一号線の、ほぼ脇に在る、広い寺の境内、北側で待ち合わせた。

「よう、寝不足か?」

 約束の十分前に到着し、缶珈琲を手にしていた克己の大欠伸に、気楽そうな声を掛けて、倉真が現れた。

「…おお。…まだ、時間は平気そうだな。」

欠伸を噛み殺し、腕時計を確認して、克己が呟く。


 昨夜、遅くまで悩んだ末。綾子が会いたいと言っていた事だけ、倉真へ伝える事に決めてきた。それで倉真が、どんな反応をするのか?

 見極めてから、綾子への、これから先の対処を、判断するつもりだ。


「早過ぎじゃネーか?ココからなら、四十分も走ればバッカスまで行くぜ?」

 倉真は一端、エンジンを止め、ヘルメットを脱いで、タバコを咥える。

「…浜崎綾子の事で、少しな。」

克己が言って、缶珈琲に口をつける。倉真の片眉が上がる。口端から煙を吐きながら答えた。

「…ワリーな。迷惑、掛けた見テーだ。」

「…迷惑ッテーか。オレも少し、気の毒になってきちまった。」

「…だろうな。」

 綾子が、もう一度、会いたいと言っていると聞き、倉真が言った。

「伝言、頼むわ。…どうしても、俺に会いたいなら、一人でアダムまで来いって、言っといてくれ。」

「アダム?」

「瀬川さんのバイト先だよ。…俺も、試して見てー事がある。」

「場所は?」

 アダムの住所と、地図が書かれている名刺を、財布から出す。レジの横に置いてある物だった。

「コイツ渡してくれ。日曜の午後二時から四時。その2時間だけ、毎週、俺は、ソコで待つ。」

「…良いンだな?」

頷く倉真に、克己が、もう一言。

「オレが言う事でもネーが、…泣かすなよ?」

「ああ。…努力だけは、してみるよ。」

「…イザとなったら、いつでも協力だけは、させてもらうぜ。」

克己の言葉に、曖昧な笑顔を見せて、倉真は思う。

『…浜崎と瀬川さんの、決定的な違いが見えたら、…ナンか判るのかもしれネー…。』

 倉真がタバコを吐き捨て、克己が缶珈琲を飲み干してから、バイクをスタートさせた。


 約束の時間五分前に、全員集合した。

 利知未は、久し振りに、中学時代に戻った様なワクワク感を、明るい表情に見せている。その顔を見て、倉真は何故か、不思議な感情を覚える。利知未に始めて会った頃、FOXのセガワは、年齢と性別を誤魔化していた事もあり、よほど大人びた少年の表情しか、見せなかった。

 今の表情も、かなり少年らしい雰囲気ではある。

 宏治が始めて会った頃の、まだ裕一も生きており、少女としての恋愛にも気付けないでいた頃の、無邪気な雰囲気を、少し取り戻している。

「ナンか、ガキ見てーな顔してンな。」

 克己が利知未に、少しおどけた声を掛けた。

「ナンだよ、悪いか?始めて峠走るんだ。ワクワクするよ。」

少年チックなまま、利知未が答える。

「気持ちは、判ると思いますよ。…ケド、瀬川さん。中一の頃みたいな顔してる。」

「ソーか、このメンバーじゃ、お前しか、知らないよな。」

 少し吹き出しながらの宏治の言葉に、改めて、この仲間達と出会えた月日を、嬉しい事だと感じられた。

 利知未が、下宿のあるこの土地にやって来てから、丁度5年の歳月が流れた事になる。

「さっさと、行こうぜ?」

明るい表情のまま、利知未がメンバーに声を掛ける。

 箱根に向けて、四台のバイクが走り出した。


 県道45号線・46号線を南下し、国道1号線に合流した。右折し、そのまま1号線沿いに走らせて行く。

 箱根山鉄道・宮ノ下駅の少し先へ進め左折し、小涌谷駅前を掠めて、県道734のカーブを遊ぶ。季節も良く、別のライダー達と休憩場所での小さな出会いもあった。

 どのライダーも、利知未の性別を正しく把握する者はいなかった。

 それはそれで面白くなり、利知未もその瞬間だけ、一人称を俺に戻す。一日、まだ、少年の様だった、中学時代に戻ったつもりで、思う存分、楽しんだ。唯一、利知未を名前で呼んでいた克己まで、呼び方を変える。

 メンバーの中では克己一人、成人している。利知未より年上なのだ。

『今度は、和泉や準一も、連れて来てやりたいな…。』

そう感じて、土産に名物・黒卵など仕入れて見た。

「コレ、誰への土産だ?」

「準一と和泉。そーイや、宏治。準一に駄々、捏ねられただろ?」

「どうして、知ってるンですか?」

「本人から、今回は我慢するから、何か土産くれって。昨日、電話でな。」

利知未の言葉に、倉真と克己も呆れて笑う。

「シャーネーな。土産代、折半スッか!?」

克己の言葉で、直ぐに金が集まった。

「サンキュー。」

「コケテ割るなよな?」

「克己に言われるとは心外だ。俺も中々、巧かっただろう?」

すっかり少年口調の利知未に、克己は面白いヤツだと、興味を惹かれる。

「マジ、飽きネーヤツだな。ケド、アンタと付合う男は大変そうだ。」

「試して見るか?」

ふざけて返した利知未の言葉に、一瞬、慌てる。

「ジョーダンだ。」

克己の慌て振りを見て、利知未が吹き出した。

 その気が無いから、言える冗談だ。唯一、今日のメンバー中で、年上である克己に、甘えも少しある。その、甘えが出る環境が、利知未にとって、アダム以外では、本当に久し振りの事でもあった。

 倉真は、そのやり取りの中、本の少しの、苛立ちを覚えたが、宏治と共に、克己の慌て振りを見て、大笑いしていた。

『…何か、ワケ判らネー…。』

笑いながら、自分の心が見えなくなる。…倉真本人は気付かない…。


 今、好きだと感じられる相手が、自分にとって、余りにも大きな存在で、無意識に、その想いを摩り替えてしまっている、自身の心に…。


 綾子の元へ、倉真からの言伝が届けられたのは、その二日後。

 ゴールデンウイーク最終日、五日の事だった。


 ゴールデンウイーク明け。北条高校では、今年こそ、私立のライバル校よりも、一人でも多くの生徒を、有名大学へ送り出そうと、授業にも熱が入る。益々、ハイペースだ。

 ウンザリしながらも、成績順位を落とさない為、利知未は、帰宅後の勉強時間を、少し増やす事にした。

 下宿店子の中、今年の受験生は、自分と玲子だけだ。他の店子達も、二人が、目指している大学が難しい事は、充分、承知している。


 樹絵と里真も、利知未の勉強を邪魔し無いよう、少しは遠慮をするようになった。その分、冴史の負担が増えてしまう。

「…でもさ、利知未ってば、金曜日もバイト、増やしてるじゃない?何考えてるんだろう?」

冴史の部屋で、里真と樹絵が、勉強の手を止め、話し出す。

「ソーだよな、その分、自分の勉強時間に当てればイイのにな?」

「散々、利知未の勉強を邪魔していた、樹絵の言葉とは、思えませんね。はい、次の問題。」

 冴史は、さっさと自分の宿題を終えている。今は、原稿用紙に向かいながら、片手間に問題を作っては、樹絵に渡す。

「げ、もうチョイ、簡単なのにしてくれよ?!」

「さっきと対して、変わらないよ、良く問題見て。」

 冴史の勉強方はコレだ。判らない所を確認し、理解させてから、例題を作って、応用力を鍛える。樹絵は、この勉強方法が苦手だ。

 顔を顰める樹絵を、横目にして、里真が冴吏に聞く。

「ね、冴史のクラスは、どこまで進んだの?」

「里真のクラスと、対して変わらないと思うけど?」

「じゃ、ココ、もうやった?」

教科書を冴史に見せる。チラリと目を走らせ、自分のノートを渡す。

 同学年の二人だ。教えると言うより、一緒にやっている感じだ。

 冴史のノートを見て、教科書と自分のノートを比べて、取り損なった部分を埋める。里真は、冴史と勉強をする時は、いつもこうだ。

 秋絵が、美加を連れて、冴史の部屋をノックする。

「うわ、一杯だ。ねーねー、いっその事、リビングで、皆でやらない?」

「ソーだね。そろそろ、休憩もしたいし。冴史、原稿用紙持って、一緒に行こうよ?」

「…んー、先行ってて。もう少しで上がるから。」

「判った。じゃ、紅茶入れて、待ってるね。」

「ヨロシク。」

原稿用紙に向かったまま、返事をする。

 冴史は、兼ねて予定していた通り、高校で文芸部に籍を置いた。部誌の原稿を書いている所だ。里真は、写真部へ籍を置いている。

 全員でリビングに移動し、一息入れ、再び宿題を片付け始めた。



 グループツーリングの翌週から、倉真は約束通り、九日と、十六日の午後二時から、四時。利知未がバイト中のアダムで、時間を潰していた。店は、暇な時間帯だ。

 利知未と、くだらない話をしていれば、退屈はしない。

「今日は、どっちにする?」

水とお絞りを出して、利知未がいつも通りに、フランクに聞く。

「…この前の、頼ンます。」

「OK」

利知未が、倉真に例の珈琲を淹れる時は、三八〇円で伝票を書く。似た者同士。この味が、倉真にとっても、特別な意味を持てば面白いと思う。

 利知未の作業を眺めながら、ふと、思い出した様に、倉真が聞いた。

「…去年の夏。瀬川さんはどうして、あそこまでやってくれたンすか?」

 倉真が一時的に、少年鑑別所へ入ってしまった、あの事件だ。

 利知未は、珈琲を淹れながら、少し考えてから答えた。

「…どうしてって、言われてもな…。あの時は、忙しくしていたい心境だったんだよ。」

 敬太との別れと、その後の自分を、振り返る。

「あの騒ぎのお蔭で、助かった気もするな。」

「そんな心境って…?」

「…ま、色々とな。『野良猫のホットミルク』お待たせ致しました。」

 その名前を聞くと、倉真は少し、照れ臭い様な気分になる。

 利知未が、その名を口にする時。それなりに、良く知っていると思っていた利知未の、余り見せない表情を、見るからかもしれない。

「どーも。」

短く言って、出されたカップに、口をつける。

「後は…、ソーだな。お前と始めてセッションした時の事、覚えてるか?」

「…良く、覚えてます。…すげー、気持ちヨかった…。」

「あたしも、気持ちイイセッションだったと思ってる。…だからかな?」

良く判らない目を、利知未に向ける。

「勿体無いと思ったんだよ。…アンだけフィーリングの合う音を持ってる奴が、ツマラネー事で、潰されンのは。」

 ふっと、今はもう、懐かしく感じる、セガワチックな表情になる。

「…そンだけだ。」

 倉真は改めて、利知未には、敵わないと感じる。

FOXでの、ヴォーカル姿を思い出す。それから自分の為に、あの集団のリーダーと、賭けレースまでした。騒ぎの蹴りまで着けた。

 そして、和泉の為に、心を砕いていた姿も…。

 つい目の前の利知未を、じっと見てしまう。…不思議な感情が、疼く。


 その時、店の出入り口の鈴の音がして、倉真は現実へと引き戻された。


         五


「いらっしゃいませ。」

 鈴の音に反応して、日曜のバイト仲間が、案内に立つ。

 利知未も、カウンターから声を上げる。マスターは例のごとく、気晴らしに外出中だ。この時間、店の買い物ついでに、自宅での買い物まで偶にしてくる。呑気な店主である。


 店員に声を掛けられ、綾子は口篭もる。『待ち合わせなんです。』の、一言が、どうしても口をついて出て来ない。暇な時間の客は、一人でも基本的に、テーブル席へ通す。今回もそうだ。

 案内されながら、綾子はカウンターに、倉真の後姿を見付ける。一瞬、目を見開き、口を開き掛ける。…それでも、言えない。

 カウンターから、新しい客へ、軽い会釈を向けながら、利知未はその綾子の様子を見て、何かを感じる。

『人待ちか?…って言うか、見付けたけど、言えないって感じだな。』

暫く横目に観察しながら、倉真とも話しを続ける。


 案内をしたバイトが、お冷とお絞りを運び、まだオーダーを決める事が出来ない綾子に、会釈をして、再び定位置に着く。綾子はメニューを手にしたままで、カウンターを気にしている。利知未は倉真に断って、カウンターを出る。その姿を少し見送るようにして、倉真は綾子の姿に気付く。

『…どうスッかな?アイツが来るの、待つか?』

倉真と綾子の目が合った時、利知未が、綾子のテーブル横で立ち止まる。

「…失礼ですが、どなたかと、待ち合わせではございませんか…?」

綺麗な少年に見えた。綾子は倉真に向けていた視線を外して、恥かしげに頷き、そのまま俯いてしまう。倉真が、イラっとして椅子を立った。

「カウンターへ、移動されますか?」

「…え、あの…、」

 返事をしかけた綾子の声を、押し止める様に、倉真が利知未の後から、声を掛けた。その声に、利知未が軽く振り向く。

「俺が、コッチ来ます。」

やっぱりな、と利知未は思う。笑顔を見せて、倉真に言った。

「かしこまりました。珈琲、こちらへお持ちします。」

店員らしい態度だ。少し妙な気分になりながら、倉真は綾子の前に腰掛けた。…臨機応変。利知未のそつが無い態度に内心、舌を巻く気分だ。


 時計は、三時半を指している。利知未が倉真の珈琲と、新しいお冷とお絞り、伝票をテーブル席へ運び、綾子のオーダーを受け、カウンターに戻って行った。


 倉真は、先ず始めにタバコへ手を伸ばした。箱から振るい出して咥え、火を着け、軽く煙を吐いてから、まだ俯いてしまっている綾子に言った。

「良く、ココ迄、来れたじゃネーか。」

ピクリと、綾子の肩が反応する。まだ、顔は上げられない。

 目の前に、倉真がいる事も信じられない思いだが、店へ足を踏み込んでから、今までの経緯に、恥かしさも感じている。

「…あの、ごめんなさい…。」

「何で謝る?」

「………。」

何も返さない綾子に、軽い苛立ちを覚えながら、小さく縮こまってしまっている姿に、心の奥深い所で、何かを感じている。

『ナンだ…?この感じ……?』

…俺の傍に、いちゃイケねーヤツだが、誰かが、傍にいてやらなきゃ、イケねーヤツ…。そう、感じている。

「…あの、私…。克己さんに、言われました…。」

やっと、小さな声で話し出す。

「克己に?」

「…私は、館川君達とは、世界が違うって…。」

「その通りだろ。で…?お前は、どうしようと思ったンだよ。」

「…私は……。それでも、館川君の傍にいたいと、思ったから……。」

ぎゅっと目を瞑り、自分の手を握り締め、心を決めて、顔を上げた。

「…だから、来ました。」

不安に震える瞳を、正面から捕え、倉真が不器用に、口の片端を上げる。

「ソーか…。」

笑顔と取れない事も無い表情に、綾子は一縷の望みを、掴もうとした。

「…コレからも、会って貰えますか…?」

倉真は黙って、タバコを深く吸い込む。小さくなったタバコを、灰皿に押し付けて、珈琲に口を付けた。

 倉真の、その仕草を、自分に負けない様、必至になって見つめ続ける。

 やがて目を上げた倉真が、軽い笑顔を作って、呟くように答えた。

「…構わネーぜ。」

目を見開いて、その言葉を、形として捕え様と目を凝らす。何処かに今の倉真の声が、漫画の吹き出しみたいになって、浮かんでいやしないかと、探しているみたいな気分だ。

 その綾子の表情が、可愛らしく見えた。そう見えた自分の目に驚く。

『瀬川さんとは、全く違う…。』


 元々、全く正反対だ。利知未は少年っぽく、ワクワクした顔や大笑いしている時の表情も、元気に活き活きとした印象を受ける。

 偶に女らしい表情も見せるが、綾子に比べ、その表情は大人っぽく、時々、色っぽく見える事さえある。


 綾子は内気で気弱で、全体的に何処か、影を引き摺り続けている印象があり、だからこそ、様々な事件において、いつも、被害者的な立場に立ち易いのかもしれない。…そして綾子は、その障害を自分の力だけで跳ね除けられる、強さも持っていない…。誰かが、守ってやらなければならない。そんな気持ちになる。


 利知未は、どちらかと言うと、加害者タイプかもしれない。その事によって、身に振りかかる問題も、自分の力で跳ね除ける、強さがある。その強さには、自身の事だけに留まらず、大切な仲間の問題まで、解決して行く機転と、行動力が、備わっている。


 じっと、自分の心の整理をつけていると、綾子のミルクティーを、店員が運んで来た。良いタイミングだった。綾子も気分がそぞろになり、そろそろ喉が、乾いてきた頃だ。

 そのタイミングを、カウンターから二人の様子を眺めながら、利知未が計っていた事を、倉真は何となく感じた。

『あの人には、俺なんか全く、必要がネーのかもしれネーな…。コッチが世話、掛けっぱなしだ…。』

何故、そう思ったのか?自分でも判らない。自分が、利知未の何か役に立てる男であるとでも、思っていたのか?と、変に落ち込んだ気分だ。

『やっぱ、コッチのナゾは、解けネーな…。』

 綾子の事は、受け入れられると思った。自分が受け止めなければならない相手だとも、今、感じ始めている。

 けれど、利知未を見て感じ始めていた、心の底に渦巻く何かの正体は、まだ当分、掴めそうも無いと思った。


 呆けたようになって、カップを口に運ぶ綾子の表情に、倉真は素直に笑顔を見せた。…コイツ、力、使い果たした見てーになってる…。

 その脱力感は、倉真も感じている。理由は、利知未に関する事なのだが、真の意味は、良く判っていない。

「私、ナンか変な顔、してましたか…?」

倉真の笑顔を見て、嬉しい気持ちと同時に、自分が何か、可笑しな事をしてしまったのかと、不安感にも襲われる。

「…なんでもネーよ。それより、敬語使うな。気持ちワリー。」

その言葉に、綾子の表情が曇る。倉真は少し慌てる。

「変な意味に取るな。…歳、同じだろ。」

「…そうですね…、でも。」

「勘弁してくれ。もっと普通にしろ。」

「…コレが、普通…、です。」

またも俯いてしまう綾子に、倉真は思う。

『こりゃ、苦労させられソーだ…。』

 溜息が出そうになり、タバコに火を着け、煙と一緒に、溜まった息を吐き出した。

 この日から、倉真と綾子は、徐々に距離を縮め始める。



 六月に入り、中間テストも無事、終る。

 樹絵達の邪魔もなくなり、真面目に勉強時間を増やした結果、利知未は順位こそ変わらないが、点数が、また上がる。

「藤原透子、またまた独走体制!二番手の桶川、頑張りがイマイチ発揮されません!おおっと、三番手の瀬川が追いすがる!抜くか!?抜けるか!?…ああ、惜しい!!僅か三点差で、桶川、逃げ切りました!!」

 利知未は透子と、廊下に貼り出された成績順位表を見ていた。後ろから聞こえる、ふざけた声に振り向いた。

「ンだ?袴田じゃネーか。」

「ヨ、相変わらず、スゲー猛攻撃だな。」

 三年からクラスメートへ上がってきた、袴田 豊は、一年の頃はC組にいた。二年でB組に上がり、去年の学年末で、ついに学年四十番以内の成績を収め、A組の仲間入りをした。殆どの生徒が、勉強ロボットにでもなったか、という印象を持つ、この高校で、他の生徒に比べ、まだ人間らしいと感じる事が出来る、数少ない同級生だ。

「で、アンタは、何処にいるのよ?」

「ヨっク見てよ。アソコ。」

透子に聞かれて、指を指した先に、同率三十二位の名前が載っている。

「アーララ、残念。コレじゃ、約束は無しだ。」

「何?残念とか思ってくれんの?じゃー大目に見てよ。同率三十二位って事は、三十三位も同じだろ?」

「アタシは三十三って言う数字が好きなワケ。三十二じゃ意味無し。」

「ンだ?それ。競馬の予想じゃあるまいし、同じだろ?」

二人の会話に、利知未は訳が判らない顔をする。

「ナンの話しだ?」

「コイツがね、アタシと付合いたいって言ったから、三十三位になったらイイよって、ソー言う条件を、出して見た。」

「ハァ?お前、何時かの男は、どうしたンだよ?」

「アイツ、ツマラナクってさ。そろそろバイバイしようかと思って。」

「…成る程ね。良く、二年半も持ったな。」

「だって、イイお財布だったんだもん。」

透子はヘラヘラーと、力の抜けた笑顔を見せる。恋愛に付いても、余り深く考えないらしい。利知未は呆れた顔をして、袴田に聞いた。

「コンなんで、イーのか?お前。」

「ソコが、透子さんの魅力。」

「アーラ、どーも、ありがとう。イヤー、モテル女はツライネー!」

相変わらず透子は、呑気な顔で笑っていた。


 倉真は、綾子をアダムに呼ぶ事は、しなくなった。約束が出来ると、バイクで適当な駅まで、迎えに行く。

 利知未と綾子を比べる必要は、無くなった。弱々しい綾子を守る事。今の自分は、そうする事しか出来ない。綾子が始めて笑顔を見せるまで、約三週間。その時、始めて、綾子へ対する認識が変わる。


 倉真と綾子の関係が、少しずつ進展し始めた頃。利知未は、十八歳のバースデーを迎える。


 始めて、女として異性を知った、あの日から、丁度二年の時が流れた。

『毎年、思い出してしまうのかな…?』

久し振りに、敬太の事を想う。

 今年の誕生日は、水曜日。利知未は小テストの真最中だ。問題を解く鉛筆の音が、静かな教室内に、響いている。

 小さく頭を振って、解答用紙に向かい直した。


「はいよ、ハッピーバースデー。」

休み時間に、透子が利知未の机の上に、プレゼントを置く。

「なんだよ?気味悪いな。」

「そりゃー、勿論。今年の十月に期待してンの。」

「ソーかよ、ンじゃ、有り難く貰っておくよ。」

「お返しは、三倍返しって事で、ヨロシク。因みに今回、約三千円の品でございます。」

「恋人同士のプレゼント交換じゃあるまいし…。一万近くも返せるか。」

「あははー。だって、稼いでるっしょ?」

「男に貢がせりゃイイだろ?袴田とか。」

「ヤツは、バイトなんてしてないし、まだ補欠君。」

「チャッカリしてンな。」

「それ、割れ物だから。帰り気を付けてね。ソー言う事で。」

自分の席に着きかけ、もう一言付け足す。

「飲酒運転も、気を付けて。」

プレゼントを、軽く指差している。利知未は中身を推測した。

『酒か…?』

 それなら本当に、帰りの運転に気を付けなければならないと思う。



 帰宅して先ずは、宿題を片付ける。予習・復習は、後回しだ。

 三年になり、普段の宿題の量も増えた。約一時間半かけて片付ける。十九時を回ってから、食事を取りに、階下へ降りて行く。

 食事の後、里沙が手製のケーキを出してくれる。

「余り、甘くは作ってないわよ。利知未スペシャルで。」

そう言われ、一口食べて見る。確かに、甘さはかなり控えてあった。

「サンキュ。」

「誕生日ですものね。受験勉強大変だと思うけど、ケーキくらい食べても、罰は当たらないわ。」

ニコリと言った里沙に、曖昧に笑って見せた。


 部屋へ戻り、復習に取り掛かる。

予習復習にも、各一時間の時間を、割く様になった。更に、受験勉強もしなければならない。一年の頃、日に一時間~二時間で勉強を済ませていた事を考えれば、随分、大変になった。

 それでも、今はバンド活動もない。去年の五月から、利知未の勉強時間は、平均三時間~四時間を数えている。今は更に一、二時間は追加だ。

『…我ながら、良くヤるよな…。』

 夏を過ぎれば、更に勉強時間が、増える事だろう。


 九時を回る頃、ノックの音に、顔を上げる。時計を見て、そろそろ、入浴も済ませたい所だと思う。

「開いてるぜ?」

立ち上がり、ついでに風呂の準備を始める。ドアが開き、美加が、おずおずと入ってくる。後ろ手に何か、持っている。

「どうした?珍しいな。」

「あのね、美加、利知未ちゃんに貰った熊さん、凄く好きなの。だから、利知未ちゃんの誕生日、今日だって聞いたから、お返し持って来たの。」

 照れ臭そうに俯く美加が、可愛らしい笑顔で、プレゼントを渡す。

「誕生日、おめでとう!りっちゃん。」

『りっちゃん?!…朝美を、思い出すな…。』

利知未は、笑ってしまった。…久し振りに、そう呼ばれた…。

「…サンキュー、美加。…開けてイイか?」

「うん!早く見て!!」

本当に可愛らしい笑顔を見せる。何となく照れ臭いような気分になる。

 美加からのプレゼントは、バイクの形をした、目覚まし時計だ。

『誰のセンスだ?』

そう思いながら、頬が少し緩む。音を出して見ると、エンジン音が、目覚まし音になっていた。ガキっぽいとは思いながらも、好きなバイクをモチーフにした、その時計を、気に入ってしまう。

「随分、シャレの聞いたプレゼントだな、サンキュ。」

美加の頭をクシャっと撫でる。そうして見て、自分が以前、敬太にして貰った事だと、思い出す。

 美加が、くすぐったそうな表情になって言う。

「樹絵ちゃんがね、一緒に、探してくれたの。」

「ソーか。アイツらしい。」

「りっちゃん、今から、お風呂行くの?」

「ン?ああ。お前は入ったのか?」

「美加も、コレから。」

「ソーか。あたしも、勉強の時間があるし、お前も、もう寝る時間だな。」

「…あのね、一緒に入ったら、駄目?」

言われて、目を丸くする。

 

 確かに、この下宿の風呂は大きい。一度に、三人で入っても、余裕があるくらいだ。カランも二箇所、設置されている。

 どうやら、この家のオーナーが、自分達が大家をするのなら、店子達と裸の付合いもしてみたいと思い、思い付きで作ってしまったらしい。


『…まぁ、イイか。』

時間もある。そう思って、利知未は美加と連れ立って、風呂へ向かった。


 風呂に入って、利知未は、小学校低学年の頃を思い出す。

 大叔母の家に、引き取られたばかりの頃。兄達と平気で風呂に入り、背中を流し合い、水を掛け合い、裕一は、利知未の髪を洗ってくれた。

 思い出して、美加の髪を、洗ってやった。

「ナンか、チッチャな頃、思い出しちゃった。」

 美加が、気持ち良さそうに言った。美加の記憶にも、小さな頃、祖母に髪を洗ってもらった情景が、浮かんでいる。

 少し悲しくなり、涙が出て来てしまう。

「どうした?目に入ったか。」

「…んーン、違うの…。オバアチャンの事、思い出したの…。」

美加の家庭の事情は、少しだけ聞いていた。その思いは、何となく理解する。それでも利知未は、おどけた顔を見せる。

「…失礼なヤツだな。あたしはまだ十八だぞ?」

「…うん。りっちゃんはシワシワじゃない。」

 利知未の言葉に、美加は、ニコリと微笑んだ。

         六


 七月に入った。高校生活、最後の夏休みが、迫ってくる。

…その前に、期末テストが待っている。


 下宿では、あの誕生日以来。毎朝、美加が利知未を起こしに来るようになった。今朝も、目覚まし時計の、バイクのエンジン音では起き切れない利知未の部屋へ、元気な美加が入ってくる。

「りっちゃん!!遅刻しちゃうよ!」

すっかり、打ち解けた。

利知未の態度は変わらず、ぶっきらぼうだが、一緒に風呂へ入り、髪を洗って貰った時に感じた優しさを、美加が素直に、受け入れたからだ。

 普段の乱暴で荒っぽい、男みたいな雰囲気からは、想像できない、優しい手の動きに、本当は優しいお姉さんなのだと、美加は理解した。


「…ワーった…起きる、揺するな。」

昨夜は少し、飲み過ぎていた。透子からのプレゼントは、ウイスキーとロックグラスだった。勉強の後、寝酒に少し飲むつもりが、開封したばかりの瓶の、1/3程を飲んでしまった。

 揺すられると、少し頭がグラつく。マスターから教えて貰った漢方薬を、飲んで行こうと思う。今日は、期末テスト初日だ。


 ダイニングへ降りて行く。毎朝、利知未と同じ時間に下宿を出る双子と、一緒になる。樹絵と秋絵は中学三年だが、高校までエスカレーター式の学校へ通っている為、受験とは無縁だ。

 朝食を取りながら、呑気に、夏休みの計画を立てている。

「お前等、一応、期末テストの事を考えたり、しないのか?」

何となく、ヤツ当りだ。軽い二日酔いで気分が悪い。

「そんな事、考えてたって詰まらないジャン!その先に待ってる、夏休みの方が、重要だよな?!」

「そうそう。今年は実家へ帰るの、お盆だけにして、コッチで遊んでいるつもりだもんね!」

ネー、と顔を見合わせ、笑顔で頷き会う。

「えー、美加も一緒に遊びたい!」

利知未を起こしたついでに、美加も一緒に、朝食を取る。

「イイよ、どっか行こう!何処、行きたい?」

「うんとね、海行きたい!」

「海水浴か…。イイな、行こうぜ!」

「海は危ないから、中学生だけで行くのは、賛成出来ないわね。」

盛り上がる、双子と美加に、美加と利知未分の朝食を持って来た里沙が言う。

「ンじゃ、里真にも声掛けよう。」

「それなら、イイ?」

「…里真じゃ、少し不安ね…。」

チラリと利知未を見る。利知未は嫌な顔をする。

「受験生だぞ、あたしは。」

「そうね。…でも、息抜きに、お酒飲みに行くつもりは、あるのよね?」

「……それは、脅しか?」

「脅しだなんて…、言葉が悪いわ。息抜きに行くなら、もう少し未成年らしく、健康的な方が、イイのじゃない?」

ニコリと笑顔を見せる。会話を聞いて、双子がニマーと笑う。

「利知未なら、イインだ!」

「そうね、利知未は経験も豊富だし…歳の割には。機転も利く方だから、イザと言う時も、頼りになると思うわよ?」

「りっちゃんと里真ちゃんも、一緒!?ねーねー、冴史ちゃんは?」

「冴史と玲子は、無理だと思うけど、一応、声かけるか?」

「ソーだね。…楽しそう!!」

「…お前等…。里沙まで一緒になりやがって…。」

汚い言葉に、里沙が少し怖い笑顔を見せる。

「利知未?」

色々と世話になっている里沙には、やはり弱い。食べ掛けた朝食を口へ積め込んで、さっさと席を立って、逃げ出した。



 週中で期末テストが終り、利知未は金曜日から、バイトに入る。

「先週は済みません。テスト、終りました。」

仕事に入り直ぐ、マスターとアルバイト仲間に、詫びを入れる。

「おう。成績、落としたりしてないだろうな?」

マスターがニヤリと笑って言う。

「まぁ、多分。」

テストの出来映えを、チラリと思い出して、利知未が言った。

 ライバル達が猛勉強を始める、夏前の、この時期。利知未も、成績を落とす訳には行かない。それで、先週の金土日は、休みを貰い、テスト勉強に専念した。利知未は、テスト直前のスパートが、効くタイプだ。

 バイト後、夏のシフトについて、マスターと話しをした。

「夏期講習、あるんで。八月の頭2週間と、模試のある八月末、平日はチョイ、無理そうです。」

 マスターが淹れてくれた、何時もの珈琲を飲みながら、カウンターへ座っている。偶に閉店後、マスターとカウンターに座って、話しをする事がある。仕事上の相談から、くだらないお喋りまで。時と場合により、その内容は色々だ。利知未は、その内容毎で、態度が変わる。

「ま、ショーが無いな。…夏休み後は、勉強に専念するんだろう?」

「…ソーなります。…受験が終ったら、また世話になります。」

「ソーか。その間、妹尾にでも頑張ってもらうか。」

「復帰したら、ナンか、礼しとかないとな。」

「判った、そのつもりで、シフトは考える。」

「お願いします。」


 利知未がバイトを休止する前に、一度、激励会でもしてやろうかと、マスターは考えている。

 二人は雇用関係の前に、歳の離れた友人だ。始めて、利知未を自分の城へ連れて来た日から、約5年間。二人の関係は、そう有り続けてきた。

 利知未にとっては、ココも居心地のイイ空間だ。


「ンじゃ、明日も学校あるんで、お先に失礼します。」

「おお。明日は、十九時入りで大丈夫だな?」

「当然。今の内に稼いでおかないとな。…じゃ。」

珈琲を飲み干し、カップを置いて席を立つ。

「お疲れ。」

短い挨拶に軽く手を上げ、裏口から店を出て行った。


 店の外で、バイクに触れ、車体が湿っている事を知る。

『雨、降ったんだな…。』 

そう理解して、ポケットからハンカチを出し、シートとハンドルを拭う。

 作業をしながら、ふと初めて、この街へ来た時の事を思い出す。

『…早いモンだ。もう、五年以上経ったんだな…。』

 アダム・マスターとの付合いも、そろそろ五年だ。

 丁度、五年前の七月初旬。河原で拾われた野良の子猫が、大学受験の歳となる。あの時の出会いに、改めて深い感謝の念が浮かぶ。


 店内のカウンターで、同じ事を思っている友人が、ロックグラスを傾け、微笑んでいる姿がある事を、利知未は知らない。


 最近の娘の様子に、綾子の両親は、複雑な思いだ。

 どうやら、休み毎に出掛けて行く先は、ボーイフレンドの元らしい。

中学の頃の事件もある。そこから、そう言う相手が出来るまでに戻った事は嬉しいが、問題は、その相手だ。…普通の子なら、良いのだけれど。

 母は心配顔で、夏休み前の日曜。玄関を出て行く娘の姿を見送った。



 倉真と綾子のデートは、だいたい映画か、タンデムツーリングだ。

趣味が違い過ぎて、行先はいつも困り所だ。海はご法度、山の中では何も無い。街中でのデートは、逆に色々あり過ぎて、金が掛かる。

 一人暮らしを始めた倉真は、彼女を連れて遊び歩ける程の余り金など、持ち合わせていない。綾子は最近、自前で弁当を作ってくる様になった。

 綾子なりに、倉真の負担を減らしたい思いからだ。

「随分、手の込んだモノ、作れるようになったんだな。」

本日の弁当を、自然公園のベンチの上で広げて、倉真が感心して言った。

「倉真君が、お弁当に飽きたら、どうしようと思って…。」

本を買って来て、色々、試して見ている。普段、学校に持って行く弁当を、自分で作って見て、成功した物だけ、デートの弁当に入れている。

「コレ、美味いな。」

新作を口にし、素直に伝える。その美味そうな顔を見て、綾子が可愛い笑顔を見せる。…やっと、笑顔も良く見せるようになった。

 倉真は、綾子を可愛く感じる事が、出来るようになっていた。


 綾子は、何か気懸かりな事が、学校で起った後、沈んだ雰囲気を見せる事がある。その話しを、倉真に始めてしたのは、六月最終週の事だ。

 二年のクラス替えで、綾子を、男子トイレに釣れ込んだグループは、バラバラに別れた。その内の一人が、今年も同じクラスに居ると言う。

「何となく、その人の目が怖くて…。」

つい先日、自分の真後ろに、そいつが立った瞬間、綾子は友人に声を掛けられ、席を立った。それで、何事も無く終った。

 立ち上がった時、始めて、その男子生徒が、自分に手を伸ばしかけていた事に気付いたと言う。

それから綾子は、また教室に居る間、ビクビクと過ごしているらしい。

「なるべく、一人で居るんじゃネーよ。ダチとダベッてろ。」

 倉真は、その話しを聞いた時、綾子にそう言った。


「お前が休みに入ったら、どっかで、バーベキューでもやって見るか?」

弁当を食い終わり、タバコを取り出して、咥える。

「…楽しそうだけど、どうやって行くの?」

「バイクに荷物とお前、乗せるのは、無理があるか。」

少し、情け無い顔を見せる。その表情に、綾子は少しだけ微笑む。

「本を見て、探して見るね。」

「ソーだな。旅行雑誌でも、見て見るか。」

材料さえあれば、バーベキューのセットを、貸し出してくれる場所は有る筈だと思う。キャンプ場などでは、材料も売っている所だってある。

 二人で、呑気な休日を過ごし、暗くなる前に、綾子を送って行った。



 七月二十二日、木曜日。夏休みに入って直ぐの、利知未の休日である。

「りっちゃん!早く起きて!!」

美加に起こされ、朝七時前に目を覚ます。

「…マジ、行くのかよ…?」

「約束!!」

「…分かったよ…。起きる。」

 嫌々ながら起き出した。服を着替え、洗面を終え、階下へ降りて行く。

「悪いわね。折角のお休みに。」

里沙が、朝食の給仕をしながら、利知未に笑顔を見せる。

「…っツーか、里沙の命令だろ?」

「命令って言うつもりは、無かったんだけど。提案しただけよ?」

惚けた顔で、かわされる。

「ソーかよ。」

剥れっ面で、朝食を詰込んだ。

 朝食を終え一息ついていると、里真がダイニングへ顔を出す。

「利知未、水着持った?」

「あたしは、ただの監視だ。海に入る気は無い。」

「また、そんな事言って!海水浴行って海に入らない人って、いる!?」

里沙に振る。里沙は朝食の後片付けをしながら、答える。

「そーね。余りいないかもしれないわね。」

「だよね!ほら、仕度して!!」

里真に腕を引っ張られ、自室へ押し帰された。


 利知未は里真に監視されながら、仕度をする。学校の体育で使う水着の横に、セパレーツタイプの水着が仕舞われているのを、横から覗き込んでいる里真が、見付けてしまう。

「なんだ!利知未、水着、持ってるんじゃない!」

 高校一年の夏、敬太とのデートで買った水着だ。手に取り、その頃の事を思い出す。…倉真達に、セガワの正体が知られてしまった翌日。

 あの日、その夜。利知未は始めて、自分の女としての変化を知った。

『始めて、朝帰りした日…。』

 何かを思い出している利知未の、始めて見る女っぽい表情に、里真は目を丸くする。じっと見られている気配を感じて、利知未は少し慌てる。

「…昔、買ったんだ。一度しか着て無い。」

 言いながら、バックの中へ突っ込んだ。

久し振りに、身体の疼きを覚えてしまう。

『…参ったな…。』

隣で、興味深そうな顔で見ている里真を、チラリと見た。



 電車を使って、双子、美加、里真と共に海水浴場へ向かった。

 ワクワクと楽しげにさざめく里真達を、横目で眺める。

 海の家の更衣室で、利知未は、女性客に悲鳴を上げられてしまった。

「何?何があったんだ!?」

先に着替えて出ていた樹絵が、慌てて戻って来た。

「助けて!!」

飛び出して来た女性が、樹絵に縋り付く。

「え?!…利知未?」

覗き込んで、諦めた顔で溜息をつく利知未に、声を掛けた。

「…その人に、あたしは女だって、言って見てくれるか…?」

頭を掻きながら、樹絵に答える。女性客が、びっくりした顔で振り向く。

利知未に軽く手招かれ、樹絵が女性を連れて、再び更衣室に入る。

 利知未は、その女性の前で上着を脱ぎ、水着に着替え始めた。

 着替えをする様子を見て、女性客は、申し訳無い顔になる。

「…ごめんなさい…。」

 更衣室を出ながら、頭を下げる女性に、複雑な笑顔を見せた。樹絵は今にも吹出しそうだ。連れの元へと向かう姿を、二人は無言で見送った。

「…利知未。もしかして、今までにもあった…?」

吹出しながら言う樹絵に、軽く睨みを効かせた。

「…だから、コー言う所に来るのは、嫌なんだ…。」

 樹絵は本格的に笑い出す。利知未は仏頂面で歩き出す。

 他の三人は、一足先に、荷物置き場所の確保に走っていた。この騒ぎは樹絵と、当事者の利知未だけが知っている。

 三人が荷物を纏めている所へ、クスクスと笑っている樹絵と、仏頂面のままの利知未が、近付いてきた。

 一六八センチの長身と、百五十三センチの二人が並んで歩いて居ると、目を引く。利知未は、胸は大きく無いながらも、良いスタイルと綺麗な顔を持っている。樹絵もやや気の強そうな顔付きでは有るが、ハッキリとした目と明るい表情は、中々、可愛らしい。隣の彼女に肘鉄を食らう男が、何人か見受けられた。その全景を眺めて、里真がニヤリとした。

「利知未!」

大きく手を振り、合図を送る。…しかし、隣に立つのは、嫌かもしれない。利知未がパーカーを引っ掛けてきている事が、せめてもの救いだ。

「あたしは、昼寝でもしてるか。」

パラソルを借りて、日陰が作ってある荷物置き場に到着して、利知未の第一声だ。美加が不満の声を上げる。

「えー!?美加、りっちゃんに水泳、教えてもらおうと思ったのにィ!」

「お前、泳げないのか?…樹絵にでも教えてもらえ。」

この中で、運動神経が優れているのは、樹絵だ。

「別に、あたしはイーケド?…その代わり、焼きトウモロコシ食いたいなぁ…?」

ニヤリと、利知未を見る。

「バイト料かよ?…仕方ネーな。後で奢ってヤるよ。…里真、ココにいるから、ナンかあったら呼べよ?」

「了解。じゃ、私は秋絵と遊んでよう!」

「ビーチボール、持ってく?」

「良いね!行こう!!」

四人が海へ向かって歩き出す。美加が不満そうに一度、振り向いた。


 しかし、何かあったのは、利知未の方だった。

 一人呑気に、パラソルの影で荷物番をしながら、ドリンクを取り出す。プルトップを引き上げ、口に付けたタイミングで、声を掛けられる。

 軽く振り向くと、女好きそうなニヤケ顔が、立っていた。

 無視を決め込むが、しつこく声を掛けられ、利知未は立ち上がる。

「何処行くの?」

「関係無いだろ?別の女、探せ。」

「冷たいなー。」

言いながら、後を付いてくる。腕を後ろから掴まれて、利知未は切れた。

「馴れ馴れしいんだよ!」

その腕を掴み直して、つい投げ飛ばしてしまった。

 呆気に取られている男を、置き去りにして、利知未は売店へ向かう。

 利知未は益々、注目の的になってしまった。


 海から上がってきた樹絵に、約束通り、焼きとうもろこしを渡す。

「サンキュー!…な、利知未、ナンかやったのか…?」

遠巻きに、チラチラと利知未に視線が向けられている。

「…別に。…っツーか、こんな狭い海水浴場で、アレは目立ったか…?」

ボソリと呟く。気晴らしに、海に向かって歩き出した。パーカーを脱いだ、その姿を追いかけるのは、男の視線ばかりだった。

 軽く泳いで、直ぐに上がる。海に入れば、今度は浜で起った事を知らない奴が、気安く声を掛けてくる。面倒臭くなって、一足先に着替えてしまった。それから、思う存分、遊び倒した里真達が、海から上がるのを待ち、四時過ぎに撤収した。


「利知未、モテてたね?」

「…モテる?何が?」

 帰りの電車で、遠目で偶に、利知未を見ていた里真に言われ、剥れた顔をして、そっぽを向く。軟派なタイプは、利知未にとっては、男では無い。…それでも、水着になれば自分も女に見えるのか、とも思った。

         七


 倉真は、宏治と久し振りに、ツーリングへ出掛けた。学生は夏休みに入り、綾子と会う日も、増え始めた頃だ。

「海岸沿い、走らせてーな。」

倉真が言う。二人でツーリングへ出掛ける時は、国道1号線近くの河口沿いにある、公園の駐車場で、待ち合わせる。

 いつも海を眺めて一服付けながら、行先を決めていた。

「ソーだな。それも気持ち良さそうだ。江ノ島辺り、目指して走るか?」

「イイな。…ンじゃ、そろそろ出るか。」

タバコを吐き捨て、バイクに跨る。倉真は最近、イライラし始めている。


 綾子がいると、派手な喧嘩騒ぎにも手を出せなければ、夜遊びも厳禁だ。バイクの後ろに、いつも綾子がいる訳だから、かっ飛ばす様な走りも勿論、出来ない。…それで、今日は宏治と走る事にした。


 宏治は、栄養学の勉強や、実施研修の日々を、送っている。

 料理自体が、好きな訳ではなかったが、仕事としては、覚える必要がある。最近、バッカスで客に出す料理も、美由紀と一緒に調理している。


 湘南海岸まで走らせ、休憩した時に、倉真が言った。

「お前、料理やってんだよな?」

「そう言う学校だからな。」

「ナンか、簡単な飯の作り方、チョイ教えてくれ。」

いきなりの頼みに、宏治は少し、面食らった顔をした。

「金、ネーからな。自炊、始めてンだ。…けどなぁ、今までやった事ネーからな。…侘しい食卓って言うのか?毎日インスタントラーメンだ。」

真面目な顔をして言った倉真に、吹き出してしまった。

「…笑うな。ンな事、アンマ人に聞けネーだろ?」

少し仏頂面になる。宏治は笑いながら頷いた。

「イイぜ?教えてヤるよ。…ケド、彼女にでも、作ってもらえばイイんじゃ無いか?」

「…家に呼んだ事は、一度もネーよ。…弁当は良く作ってくるけどな。」

珍しく、綾子の事を話す。少し感心した宏治の顔を見て、直ぐに話しを変える。…照れ臭かった。

「最近、喧嘩騒ぎにも、ご無沙汰だからな。ナンツーか、力が有り余ってる感じだ。…やっぱ、歳、誤魔化して、どっかで血ィ抜いてもらった方がイイかも知れネー。」

 拳をパン!と音を出して掌に当てる。その様子を見て、宏治が構えた。

「チョイ、力抜き手伝ってヤるよ。」

「…お前、怪我するぜ?」

「パンチが当ればな?」

ニヤリとする宏治に、倉真は宏治が喧嘩騒ぎの時、殆ど怪我をした事が無かったのを思い出す。

「…面白れー…。」

遊び半分で、殴り合いの真似事を始めた。

 宏治は相変わらず、上手く逃げた。拳が中々当らなくて、倉真は少しムキになる。力が入り過ぎたとき、利知未から教わった受け流しの技を使って、倉真の身体を投げ出した。

 流石、倉真は無様に転ぶ事は無い。少し前へツンのめり、踏鞴を踏んでバランスを戻す。身を真っ直ぐに起こして、『ヒュー、』と息を付き、宏治と目を合わせて、ニヤリとし交わした。

「お前、本気で、逃げるのは上手いな。」

「瀬川さん仕込みだからな。」

そう言う宏治の顔面に向け、拳を放ち、寸止めにする。

「へ、気を抜いたら、直ぐにKOだ。」

ニヤリと笑って、目を丸くしている宏治に言う。

「…参った。やっぱ、喧嘩じゃ、お前に勝てそうも無いな。」

宏治も言って、笑顔を見せた。



 明日から、夏期講習が始まると言う日。久し振りに、準一と和泉が、アダムへ顔を出した。利知未は相変わらず、カウンターを任されている。

「今日も、マスターは買い物ですか?」

「ソーだよ。…夏期講習中は、どうする気なンだか…。」

和泉の質問に、利知未も、呆れ半分の笑顔を見せる。

「アレ?瀬川さん、珍しく日焼けしてる?」

準一が、利知未の顔を見て言った。

「ン?ああ。こないだ、海まで付き合わされたからな…。参ったな、日焼け、アンマしたく無いんだけどな…。」

後ろの戸棚を振り返り、ガラス戸に映り込む、自分の顔を見る。

「あはは!瀬川さん、女みたいだ。」

準一が深い事を考えないで、思ったことを言ってしまう。

「…どー言う意味だ?あたしは、一応、女だぞ。」

軽く振り向いた利知未の微かな膨れ顔に、準一は更に笑い出し、和泉は少し、目を見張る。

余り、利知未の、女の子っぽい表情は、見た事が無い。

「ドーした、ナンか付いてるか?」

利知未は、自分の顔を軽く手で触って見る。

「見慣れない表情が付いてました。」

「何だ?そりゃ。」

利知未の仕草を見て、和泉は少し笑ってしまった。

 自分が立ち直る切掛けをくれた、境内での利知未の、女らしい雰囲気を、少しだけ思い出した。

 八月二日・月曜日から十四日・土曜日まで、利知未は夏期講習に通う。その間、夕方からバイトに入ることも考えたが、やはり勉強に集中する事にした。土曜夜と日曜は、講習中もバイトだ。


 利知未が、受験生らしい夏を送っている頃、倉真は克己に誘われて、夜の遊びを覚えてしまう…。

「チョイ、苛付いてる見テーだな。」

久し振りに、克己の働く定食屋で、倉真はバイト中の昼飯を食う。

「アン?何が?」

タバコの煙を、少し腹ただし気に、吐き出している。

「バイト、何時上がりだ?」

「六時には終るぜ?」

「夕飯、奢ってやる。終ったら顔出せ。」

「タダ飯は、有り難―な、了解。」

 会計をして、財布の中身が、二千円を切る。

『…ヤベーな、食費、バイト代入るまで持つか…?』

バイト用のバイクに跨り、ヘルメットを被る。

 次の給料日まで、あと5日もある。車検用と、新しいバイクを買いたくて、少しは貯金もしているが、そちらには、手を出す気は無い。

 残高二千円で、タバコ代と食費を賄うのは、少々キツイかもしれない。

『バイクの燃料、まだ入っていたよな…?』

仕事場に置いてある、自分のバイクを思い出す。食費を削ってでも、燃料代だけは削らない。つい4日前にスタンドへ行った事を思い出し、少しだけホッとした。


 その夜、居酒屋で克己に、酒と飯を奢ってもらいながら、苛々の原因について話しをした。

「女が原因、って事か…。」

「違うだろ?憂さを晴らすチャンスが、前より減っただけだ。」

「付き合う女によるって事だ。…借りにな、利知未が、お前の彼女だったら、どうなると思う?」

いきなり、利知未の名前が出てきて、倉真は少し面食らう。

「…ナンでココに、瀬川さんが出て来ンだよ?」

「環境を見直すのに、丁度イイだけだ。深い意味はネーよ。」

言われて、タバコを吸いながら、考えて見る。


 確かに、利知未が相手だとして、喧嘩騒ぎが減るとは思えない。下手をすれば、二人揃って、大騒ぎをかましてしまうかもしれない。

 バイクも、同じだ。タンデムシートではなく、並んで走るライダーとして彼女がいるなら、スピードを緩めるどころか、二人でかっ飛ばして目的地まで行くだろう。夜遊びも同じだ。暗くなる前に送って行くなど、そんな事は無いかもしれない。遅くまで何処かで酒でも飲んで過ごす方が、有り得る。


「言われりゃ、ソーかも知れネーな…。」

克己は、もう一つ意外な事を言う。

「行動だけじゃネーな。…あいつ相手なら、さっさとヤル事やっちまってんじゃネーか?」

咳き込んで、飲み掛けた焼酎に、咽てしまった。

「…ンな、克己!ゲホ、変なこと、言うな!!」

咳き込む倉真の背中を叩きながら、克己は大マジな顔をしている。

「変って事はネーだろ?…大体、テメーは血の気が多過ぎンだ。」

「血の気が多いのが、ナンの関係があンだよ?」

「知らネーのか?精力抜ければ、力も抜けるモンだ。」

 この当時、男女関係については、意外と初心な倉真は、酒の所為だけでなく、赤くなる。克己は、その倉真を見て、ニヤリと笑う。

「…試して見るか?金、出してやるぜ?」

 言いながら、店員を呼んで、ボトルで焼酎を注文する。

 もう少し酔わせて、倉真の理性を飛ばそうと考えていた…。


 その夜、倉真は克己に、大人の店へ連れて行かれ、めでたく?男として、脱皮してしまった…。



 夏休みも、後二十日を残す頃。

マスターは利知未の、激励会を提案する。

「再来週の水曜。翠や一部の従業員呼んで、飲み会するぞ。」

「再来週って言うと、バイト休止の前か?」

バイト後のカウンターだ。店は閉店まで約三十分。今日もバイクで来ていた利知未に、珈琲を出す。

「おお。お前の激励会だ。コレから、そういう暇も無くなるだろ?」

「…激励会、ね。どっちかってーと、マスターが飲みたいだけだろ?」

「分かっているじゃないか。イイ理由が出来た。」

「ま、イーケド。月末二日は、模試あるしな…。その辺、ギリだ。」

「決まりだ。毎年、忘年会やってる、駅前の居酒屋で0時開始だ。」

「もう予約までしてあンのかよ?…飲む事にだけは、行動が早いな。」

「酒好きでコーユー店を作った男を、舐めちゃいかん。作るのも好きだが、飲むのも大好きだ。」

いつも通り、呑気そうな表情で、ニヤリと笑った。



 克己に連れられ、大人の遊びを覚えてしまった倉真は、綾子と会う時に、怪しげな気分に襲われるようになってしまった。

 今日も、綾子の弁当を広げながら、オカシナ気分に襲われる。

 確かに、あの翌日は、妙に力が抜けた感じで、最近感じていた苛々も、少しは収まっていた。

 最近の倉真からは、余り感じられなかった雰囲気を感じ、綾子は内心、ドキリとした。何となく、いつも苛ついて、喧嘩騒ぎに明け暮れていた倉真に、戻ったような印象を受ける。

「…何か、あったの…?」

綾子の心配そうな表情を見て、倉真は苛ついたままタバコに火を着ける。

「…あのな、お前に一つ、聞きたい。」

少し、機嫌が悪そうに見えて、綾子の表情も曇ってしまう。

「…何?」

「…まだ、怖いと思うか?」

恐る恐る聞く綾子に、倉真は言葉を選びながら、問い掛ける。

「何を……?」

「………男。」

 呟くような返事に、綾子はピンと来る。…倉真の言う所の男は、そのまま、その行為事態を指しているのでは無いか…?

「……倉真君以外の人は、まだ怖い……。」

暫し躊躇い、小さな声で答えた。…俺なら、良いという事か?そう取る。

 そのまま、二人の間に、微妙な空気が流れ出す…。



 二十二日、日曜日。久し振りに倉真が、アダムへ顔を出す。

「随分、久し振りだな。どうしてた?」

カウンターで、利知未が問い掛ける。その笑顔を見て、何故か照れ臭いような気分になる。

 倉真は一週間前。結局、我慢が利かなくて、綾子を自分の部屋へ連れて行ってしまった。

 恋人との、そういう関係を覚えてから、始めて利知未の顔を見た。

 そして、何となく利知未の色気有る姿を、想像してしまう…。

『ヤベー…。俺は、何を想像してるんだ…?』

 自分で自分の頬を撲って、正気を戻す。その様子を見て、利知未が目を丸くする。お冷と、お絞りを出しながら尋ねる。

「ドーしたンだ?いきなり。」

「…ナンでもないっス。…例の珈琲、頼ンます…。」

言いながら、腰を下ろす。直ぐにタバコを出して、火を着けた。

「OK。野良猫の、な。」

頷く倉真に再び笑顔を見せ、注文の珈琲を淹れ始めた。



 二十五日、水曜日の激励会には、マスターの奥さんも顔を出した。

「始めまして。いつも、マスターには、お世話になっています。」

一応、キチンと、挨拶だけは交わす。

「始めまして、こちらこそ、いつも内のが、お世話になってるわね。」

今年四十一歳になるマスターと妻・智子は、十歳の歳の差夫婦だ。まだ三十一歳と、若々しい。やや派手目の美人と言う感じだ。

「本当に来たのか。佳奈美と渉は?」

「お義母さんの所へ泊まっているわよ。偶には、孫の顔を見せてあげないと、気の毒でしょう?」

「家にいるのか…。元気だったか?」

「元気、元気!佳奈美が持って行ったパズルゲーム、お義父さんも一緒になって、早速始めてたわよ。」

そう言って、ケラケラと笑う。

「智子姉さん!久し振り!」

翠が近寄り、自分の向かいの席へ呼ぶ。

「姉さん?」

不思議な顔をする利知未に、マスターが話してくれた。

「翠は、智子の昔の職場仲間だ。」

「へー…。ナンの仕事してたンだ?」

「大人の遊園地とでも、言っておくか。」

マスターの言葉に、翠と智子が振り向いた。

「良いわよ、気に何かならないから、本当の事言って。」

ね、と二人で顔を合わせて、頷き合う。翠も、少し考えながら、笑顔を見せる。

「ソープランドって、知ってる?」

智子の言葉に、利知未は目を丸くした。…それって、つまりは…?目顔で尋ねると、マスターは、何とも言えない顔をしていた。

「ま、酒が入ったら、少し教えてやる。」

利知未を自分の横に座らせ、ビールを注ぐ。

 その日の参加者は、従業員とカウンター専属バイト、利知未とバイト仲間として仲の良い妹尾だった。


 かなり酒が進んで来た頃。マスターは智子と翠と一緒になって、自分達夫婦の馴初め話を始めてしまう。

妹尾が興味深そうな顔で、利知未と一緒になって聞いていた。ボトルを構え、マスターのグラスが空になるタイミングで、上手い事、注ぎ足して行く。酒が進み、マスターは更に、詳しく話し出す。

「ッテーと、マスターは智子さんにゾッコンべた惚れしちまって、ついに口説き落として、結ばれたって、そー言う事ですかい?」

妹尾が調子に乗って、下町言葉を真似して突っ込む。

「智子が先に惚れたんだ。俺は彼女を受け入れたんだ。」

「うわ、良く言う!嘘よ、利知未!姉さんが渋っていたのに、無理矢理連れ出しちゃったの!!」

翠が言って、智子も笑う。利知未は、良く知っていると思っていた翠と、マスターの昔の姿を聞いて、ただ、ただ、驚くばかりだ。

「しかしな、ソープ嬢ってのは、素人娘じゃ出来ないようなサービスをしてくれるモンなんだ。男としては、ハマっちまうぞ?」

「へー。今度、オレも連れて行って下さいよ?」

妹尾も益々、調子に乗る。

「おお、良い店、紹介してヤる!任せておけ。」

「ヨロシク頼ンマス!」

盛り上がる男共を眺めながら、利知未は智子と翠に首を振って見せた。


 翌日から利知未は、月末の全国模試に向けての勉強に力を入れた。

 この結果で、自分が目指している大学への合格率が割り出される。

 手は抜けない。透子にも協力を仰ぎ、万全の体制で模試に挑んだ。



 利知未が、全国模試の勉強に睡眠時間を削っている頃。倉真と綾子は、逢瀬を繰り返す。綾子は、殆ど家に帰らなくなってしまった。

 倉真は、喧嘩騒ぎで力を抜く事が出来ない反動か、かなり旺盛な体力を、その行為へ注ぎこみ始める。綾子は、まだ少しその行為事態は怖いと感じる事がある。…それでも求められれば、つい応えてしまう…。

『倉真に、嫌われたく無いから…。』

恐怖が襲って来る度に、そう思う。

 倉真は、綾子の恐怖心には、気付けない…。

 覚えてしまった気持ち良さに、ただ、没頭して行く。


 夏休みが明ける頃、綾子は、倉真の部屋で生活を始めてしまった。

 一緒にいたい思いと、見付けてしまった怪しげな店の、名刺への不安。

 何処かで、誰かとそういう行為をされるのは、やはり我慢出来無い事だ。時々、両親の事を思い出すが、それでも帰ろうとはしなかった。

 …倉真は、そうなって始めて、自分のした事への怒りを感じ始めた…。


高校編、五章にお付き合いくださいまして、ありがとうございます。<(__)>

高校編は次回で終了となります。今回も、次章の予告を少々。

綾子が倉真と生活を始めるようになり、二人の間では真面目な話し合いの場が生まれます。

準一の高校生活にも変化が起こります。 利知未は身の回りの少年たちの行動に、いくらか頭を悩ませてしまいます。 ……そして。

新たに、高校生活最後の春休みにかけて、利知未の周りでも一寸した問題が発生してしまいます。



 次回は本編の元となった長い読みきり作品の内容を追いかけながら、話が進んでまいります。

 もし宜しかったら、また、お付き合いくださいませ。

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