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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

孤狼

作者: 麗闇

 どうしよう。変なモノを見つけてしまった。いや、変なモノというか傷だらけの男が現在進行形で倒れている。

 木の実を採りに行った帰りに蹴躓いて転んだのだ。

 肝心の木の実は連れていた馬に乗せてあって無事だったが。

 さっきまでは意識がなかった。転んだ衝撃で起こしたといってもいい。

 目を覚ました男はヨロヨロと立ち上がると刀を構えた。

 来るな、近寄るな、と今にもくずおれそうな身体で唸る。まるで深傷を負った獣だ。

 ほうっておこうか…とも思ったが、しかしこの男、そうしたら確実に息絶えるだろう。

 自分達のテリトリーに死人がいるのはいやだ。

 だが、連れ帰ろうにも男を運ぶのは無理だし、馬の上は木の実で一杯だ。

 __…後で来よう。

 リノはそう決めるとその場を離れた。


〜***〜


 木の実を貯蔵庫に入れてから戻るとザクロスがいた。

「リノ様?なぜこんな所に?」

 倒れている男に刃を突きつけている。

「その男を運びに来たの」

「なぜですか?この男は他所者です。肩口に見慣れない紋様がある」

 彼は首領であるリノの父親の補佐だった。言い分は正しい。

「でもここで生きたまま倒れているのはおかしいわ。それに抵抗するようなら殺すけどできる状態じゃなさそうだし。村まで連れて行ってお父さまに訊いてもいいでしょ?」

「…まあ、そうですな」

「じゃ乗せるの手伝って」

 ザクロスを説得し、男を馬に乗せた。


〜***〜


 村に入ると一気に辺りがざわめいた。無論、連れている馬の上の男のせいだ。

 リノは周りを気にせず一直線に自宅にいるであろう父親のもとへ向った。

 家の前で馬と男をザクロスに任せ父親を呼ぶ。

 程なくして出て来た父親に事情を話した。

「だがお前、怪我の手当てはいいとしても、この者が安全とは限らんぞ?」

 ちゃっかり娘に流され、治療はする方向で考えている首領にザクロスが苦笑をこぼした。

「では首領、怪我が回復するか意識が戻るかしたら牢屋にでも突っ込んでおけばよろしいでしょう」

 それでいいという事で、診療所に運んだ。

 薬師はビクビクしていたが男が全く反応が無いと分かると手際良く作業を始めた。


 結局傷が癒えても男は目を覚ます事なく牢に移動された。


〜***〜


 目が覚めると薄暗い中でゴツゴツした岩の天井が目に入った。

「…ここは?」

 上半身を起こそうとして、両手首の拘束具に気づいた。

「…?」

 ジャラジャラと不快な音を立てるそれを揺らしながら身を起こす。辺りを見渡して、どうやらここは牢屋であると判断した。

「あー…」

 __思い出した…かも。

 逃げていたのだ、自分の部族から。

 自分はイマレだ。狼と人の間に生まれた穢れた存在。

 イマレは別に狼と人だがらではなく、つまりは普通と違えばなんでもいい。不幸や怪奇の原因、理由をなすり付けられれば。

 仲間であるはずの人間から蔑まれ、普段も散々殴ったり蹴ったりされている。

 しかし今回は本気で殺されかけた。

 まだ殺されるわけにはいかないのだ。父との約束がある。

 それで逃げていたのだが、どこかで行き倒れたところを捕まってしまったらしい。

 __…いやそれにしてはおかしいか。

 湿っぽいのは牢屋だから当たり前だが、今寝ていたところは藁の上に獣の毛皮がかけてあるちゃんとした寝床だし、自身の身体も傷の手当てがしてある。拘束具だって、手首が擦れないように布の上から着けられていた。それに、この牢屋に見覚えが無い。

 部族の牢屋は良く入れられるから見覚えが無いのはおかしな事である。

 __‥ここ…トルサ族じゃないのか?

 歩くと鎖が鳴る。

 音が煩わしいが普段に比べれば比べものにならないくらい良い待遇なので文句は言わない。

 __…まあ、捕まっている事に変わりないのだが。

「…あの」

 格子の傍まで移動し、外の牢屋番に声をかける。

「どうした?」

 二人いた見張りのうち、片方が応える。もう一人はどこかへ駆けて行った。

「ここは?」

「俺たちはラオ族だ。ここは言わずもがな牢屋」

「ラオ族…」

「そうだ」

 さっき駆けて行った牢屋番の片割れが新たに男を二人連れて帰ってきた。

「ラオ族の長、ラクザだ。こっちは俺の補佐のザクロス。娘がお前を拾ったようでな…まあ、それはいいか。名と部族は?」

「…ゼロ。トルサ族」

「トルサ族か。で?なぜお前は我が領内で倒れていた?」

 ラクザに問われ、ゼロは詰まった。理由を話すならイマレの事も話さなければならない。

 イマレはどの部族でも嫌われているのだ。

「ん?どうした。何か話せないわけでもあるのか?」

 ラクザが牢の前に座り込む。話さなければ動かなさそうだ。

「俺は“イマレ”だ」

 意を決して言った。

「…ほう。それで?」

「それで‥」

 ゼロは驚いた。ラクザの反応が予想と違っていたからだ。普通イマレと聞いたら殺すとか言い出しかねないものなのだが。

「今に始まったことでは無いんだが、今回は殺されかけた」

「なるほど。だがら逃げていて行き倒れたと」

 その通りなのでゼロは頷いた。

「そうか。ところでお前がイマレの理由は?」

「…父親がフェンリル」

 フェンリルとは純白の巨大な魔狼だ。

「ほう、貴重じゃないか。あれか?満月に耳と尻尾が生えたりとかするのか?」

 …実はする。隠すこともできるが本当は生える。

 これにも頷くとラクザは楽しそうに笑い、「マジかー」と言った。変わった人なのだろう。

「まあ、まだ出してやるわけにはいかんがゆっくりしていけ。何か要り用なら牢屋番に言うといい」

 そう言い残すとラクザはザクロスを従えて去って行った。


〜***〜


 ラクザが去ってしばらくすると今度は若い娘がやって来た。

 どこかラクザに似ているからこの人が自分を拾ってくれた人なのだろう。

「こんにちは。目が覚めて良かったわ」

 格子の向こう側にしゃがむ。

「私はリノ。あなたは?」

「…ゼロ」

「ゼロ、ね。怪我はどう?」

「…大丈夫だ」

「そう。良かったわ。だって見つけた時は死んでるかと思ったのよ?」

 そこに花が咲いたかのような明るい笑顔を向けてくる。

「…あんた、親父さんに俺の事聞いたか?」

「えっ……あーと、イマレのこと?」

 リノの口からその言葉が出た瞬間、何故か絶望感が広がるのを感じた。

 ゼロの表情の微かな変化に気づいたのか今度は反対側に首を傾げる。まるでそれがどうした?というように。

「…あんた、」

 ゼロはリノの反応に困惑した。

「俺の事‥イマレって聞いて忌み嫌ったり……」

 普通はするものだ。

「イマレって、嫌うものなの?」

「え?」

「あ、そうか。他はそうだって聞いたわ」

 __…どういうことだ?

「あのね、イマレって“忌まれ人”が由来なのは知ってる?“忌む”には不浄と崇高の二つの意味があるの。本当はどちらも避けるべきものなのだけど、人間は別よ。人は独りじゃ生きられない。でしょ?だからイマレであることはあまり関係ないのよ。ついでにね、私のひいお祖父様もイマレだったの。動物と話すことができたんですって」

 笑顔で説明してくれた。

 ゼロはその説明を唖然として聴いた。

 __この部族は考え方が違うんだ…‥イマレも他も関係ない。

 それを知っていたら自分の部族でどれだけ嬲られようが平気だっただろう。

「…ありがとう」

「…?」

「いや、そんな考えがあるなんて知らなかったから…」

「それは良かったわ!」

「…あぁ」

「じゃあ私まだやらなきゃいけない事があるから…ごめんね、まだ出してあげられないの。お父さまが今夜の会議で話し合うって言ってたから、多分明日の朝には出れると…思うけど‥」

 立ち上がり埃を払いながら自信なさげに言う。

「…あぁ。ありがと」

 こちらを気遣ってくれるだけでとても嬉しかった。いままでそんな人は一人もいなかったのだから。

「じゃね」

 リノは手を振ると足早に去っていった。

「なんだ?おい。随分嬉しそうじゃないか」

「顔がにやけてるぜ?」

 牢屋番が揶揄ってくる。

「にやけ‥?」

 嬉しかったがにやけてるとは思っていない。

 そもそもにやけている状態が分からない。

 余計なお節介である。

「リノは可愛いもんなぁ」

「そうだそうだ」

 わははは…と勝手に話しが進んでいっている。

 ついていけそうにないのでゼロは口を閉ざした。


〜***〜


 日が沈み、天上に星が瞬く時刻になってもラオ族の集落は明るい。夕餉を皆で食べる風習により其処彼処で篝火が焚かれているためだ。

 広場の一角に男達が集まって談笑している。

 ここで今日あったことや連絡、相談等を話すのだ。

 もちろんゼロの話も挙がっていた。

「ではあの者がイマレかどうか関係なく牢から出していいと言うことでよろしいか?」

 ザクロスが意見をまとめるように言った。

「おう、よいよい」

「それに部族のことはラクザに任せておる」

「好きなようにすればよいじゃろうて」

 長老達も笑いながら次々了承する。

「なあ、長老共が放任すぎて俺は心配なんだが…」

 ラクザが呆れたように言ってきた。

「まあ、イマレの点に関しては最初から問題無かったですしね」

「そうじゃよ。イマレは忌まれ人からきている。忌むにはもちろん嫌うべきモノという意味もあるが、敬うべきという意味もあるからのう」

「…ノノの爺さん、それさっきも言ってただろ」

 ノノ爺は部族一の物識りだが…

「おや、そうじゃったか?」

 照れたように頭を掻く。

 爺が照れても気持ち悪いだけだ。とラクザは口に出さないが思った。

「首領!」

 若衆の一人の叫び声でラクザはそこらにあった盆を持ち上げた。直後、その盆に矢が突き立った。血塗れたかのように真っ赤な矢だ。

「ちっ‥宣戦布告してきやがった」

 赤い矢は宣戦布告の意味を持つ。

「長老、女子共連れて奥へ!」

 それでまず頭を潰そうということだったらしい。

 __こんなモノで殺されるつもりなんてさらさらないが。

「男共は武器を持てえ!」

 矢が次々といかけられる。

 中には火矢も混ざっていて家屋に火がつけた。


 部族間の戦いは珍しいものではない。とにかく良くある。

 楽しげな夕餉は一瞬で戦場と化した。


〜***〜


 待遇はすごくいい。

 だが牢屋の中では特にすることが無い。つまりは退屈である。

 暇つぶしに牢屋番に頼んで貰った棒で素振りをしてみたが、如何せん手首の鎖のせいで動きが限られるのですぐに飽きてしまった。

 よっていままで寝ていたのだが…

 何か騒がしい。

 時間的に真っ暗な時間のはずだろうに、やけに明るい。

 __‥アレは…火?

 明るさにムラがある。ゆらゆらと揺れ動くのもおかしい。

 ゼロは飛び起きた。

 __火だとしてもあんなに明るいのは………それに、この騒ぎ。

 刃のぶつかる音、錆びた鉄‥濃い血の匂い。

 ゼロは格子に駆け寄った。ジャラジャラと鎖が鳴る。

「おい!何が…」

 牢屋番の一人に訊きかけた時、反対の牢屋番が駆け出した。

 その先には男が三人。服からこの部族ではないことがわかる。牢へと続く道を駆けてくる。

 道の真ん中で刃が交わる。

 だがそれでも一対三。

二人目の牢屋番も加わったが劣勢に代わりは無い。

 __俺が戦えば…

 そう思った時、不意に気がついた。

 ほんの少しだけ見える空は分厚い雲がかかっている。

 しかしほんの一部が晴れていた。

 そこから見える月は完全に満ち、皓々とその輝きを放っている。

 __…満月と血の匂い。

 理性が、自我が自分の深層にある暗闇に引き摺り込まれる。

 __だめだ…!今呑まれるわけにはいかないっ‥呑まれたが最後、本能が満足のいくまで殺戮を続けてしまう…‥

「ゼロ!」

 内からの痛みを伴う欲求に耐えていたゼロは聞こえてきた自分の名前に顔を上げた。

 目の前、格子の向こう側だがリノがいた。手には刀を二風持ち、顔や身体は返り血で赤く染まっている。

 リノと目が合った瞬間、胸を締め付けていた痛みがなくなった。まるで何も無かったかのように。

「ゼロ!なんか苦しそうだけど_」

「だ、大丈夫」

 心配そうに聞くリノの言葉を遮って答えた。

 本当になんともない。

 ふとリノの手元をみて驚いた。

 持っている二風のうち一風はゼロの刀だ。しかも抜き身で、既に血を吸っている。

 幼い頃の記憶が蘇った。


 キラキラと光を反射する毛皮をした父が刀を差し出して言った。

『この刀はお前しか抜けない。生きとし生けるもの凡てに愛される人がいたら護ってやりなさい』

 …誰がそうなのかは会えばすぐに解るだろう、と。

 目の前の同い年くらいの女はゼロの刀を抜いてる。

 刀が、狼の血が身を委ねたってことは‥

 __もしかしたら…

 そこまで考えた時、リノの背後に影が立ち上がった。

「っリノ!」

 ゼロは手を伸ばしてリノを引っ張った。そして触れた瞬間に確信する。

 __この人だ。

 思考の域を超えた更に奥深く、深奥に刻み付けられた本能がそう叫んでいる。

 転んだリノの頭上を刃が通り過ぎ、木製の格子に刺さる。

「俺の刀を!」

 刀が格子に刺さって抜けないのをいい時間稼ぎに、すぐ近くに落ちた刀を引き寄せる。手に馴染んだ柄に少し落ち着く。

 刀を掲げる。

「は、そんな事してどうするつもりだ?」

 刀を抜こうと力を込めた敵が嘲笑うように言う。

 __当たり前か。これからしようとしていることは常人の域を超えている。牢を破壊してしまうのはまあ仕方のない事だ。

 刀を振り下ろし、余裕でしゃべる敵を格子ごと斬り斃した。

 隙間をつくり、外に出る。

「戦況は?」

 尻餅をついたままのリノを引っ張り立たせた。

「ひ‥どいわ。とても。押されているの」

「じゃあ俺がなんとかする。ついて来てくれるか?」

 本当は安全な所へ行かせたほうがいいのかもしれないが、一人でどこかへ行かせるよりも自分の近くにいさせて護ったほうが安全に思えた。

 リノが頷いたので踵を返して走り出す。

 牢からの一本道を出るとすぐに矢が飛んで来た。

 それをすべて叩き落とす。

 背後にリノを連れたまま騒がしい方へ向かう。騒ぎの中心は広場のようだ。

 そこに着くまでに既に何人も沈めている。

 そして勢いそのままに広場に突っ込んだ。


〜***〜


 リノは驚いた。

 ゼロはいくら木製だとはいえ二十センチ程もある牢屋の格子を敵諸共斬り捨てたのだから。

「俺がなんとかする」

 なんとかってこの戦況をひっくり返すことは一人では到底無理なはずだ。

 しかしゼロはどこか自信に満ちている。手首の鎖はいつの間にかなくなっていた。

 ついて来てくれるかと訊くので頷くとゼロは背を向けて走り出した。

 後を追うと敵と出会う度に一瞬で斃していく。

 リノはその手際の良さに目を見張った。

 広場に着くとリノが状況を判断する前にゼロが飛び出していった。右へ左へ刃が奔り、血飛沫が軌道を描く。

 敵はすべて一撃で赤に沈み、小山を築きつつある。

 広場の中心から父親とザクロスが出てきた。

「お前が出したのか?」

 ラクザの目がゼロを追っているので彼の事だとわかり、首を横に振る。

「いろいろあって、刀を渡したら自分で格子を斬って_」

「ぁあ゛?斬ったぁ!?」

 ザクロスが近寄って来た敵を斬り斃した。

 ゼロが広場の中心に躍り出た。

「聴けっ!」

 一喝。

 たった一言のそれに、辺りの時間が止まった。本当に止まるわけは無いが、そう例えるのが適切だろう。

「ラオ族に礼がしたい。これからする事は手だし無用だ」

 声が響く。

 一旦切ると大きく息を吸った。

「すべての敵よ。俺が相手になろう!俺は穢れた存在だが、お前らはそれにさえ勝てない!俺の血は碧いぞ。斃してみせろっ!!」

 放たれた叱声に敵は一瞬沈黙したものの、当然いきり立った。

「穢れた存在?イマレじゃねえか!?はっ、ナマ言ってんじゃねえーっ!!」

「イマレが碧血だとはなぁ!」

 リノは心配になった。

 “碧い血の人間を殺しその血を浴びれば一握りの例外なく欲したものすべてを得ることができる”

 そんな噂か流れているのは知っている。

 だが、倒れていたゼロを拾ったのはリノだ。

 ゼロの血がちゃんと紅いことも知っている。

「はっ、イマレだってよ」

「じゃ吊るして絞ろうぜ!」

 まるで引き寄せられるかのごとく敵が集まっていく。すごい早さだった。


 …そして敵が地に伏すのもあっという間だった。

 襲いかかるガタイのいい男共をゼロの刀は次々と屠っていく。

 揮う刀が月明かりを受けて煌めき、刃に宿る光が目に焼き付く。

 そしてゼロの姿は全くといっていい程視認できなかった。

 しかも怒号と悲鳴と肉や骨を裁つ音しかしない。刃がぶつかり合い、火花を散らせる音が一度もしないのだ。

 そう考えると不気味な程静かだった。

 やがて呻き声までもが止み、辺りは静寂に包まれる。

 死山血河、その山頂に立つゼロは返り血で濡れ瞳を閉じて月を仰いでいる。

 降り注ぐ月影のせいでゼロ自身が淡く輝いて見えた。

「…セン‥シン?」

 リノの隣りでザクロスが呟いた。

「センシン?」

 ちらり、とザクロスを見るが彼の瞳はゼロにくぎ付けだった。

「そのとおりだ」

 月を仰いでいたゼロがゆっくりとこちらを見た。

「!?」

 ゼロの薄い琥珀色の瞳は今、金色に輝いていた。

「これを片づける。あんたらは家の中に入った方がいい」

 ゼロは有無を言わせない調子でそう言うと再び顔を空へ向け、永く高く遠吠えた。

 暫くすると何処からゼロのものより少し高めな遠吠えが返ってきた。

 それを聞いたゼロは死体の山を降り立つ。

 部族の人間の殆どはゼロに言われたとおりに無事だった家に入ったが、リノは家に入らず入り口に留まっていた。

 すると、どこからともなく白い狼の群が艶やかな毛並みに淡く月光を跳ね返しながら現れた。特に先頭を駆けてくるのは所謂群のボスなのだろう。一際大きい躯を、息を呑む程に輝かせている。

 ゼロは死体の前で止まった狼達に歩み寄った。刀を逆手にし左手に持ち替え、右足を半歩引き、腰を折る。独特だが、深々とした丁寧なお辞儀だった。

 ボスが歩み出て下げられた頭に鼻先で触れる。

 するとゼロは身を起こして脇に避けた。

 ボスの合図で群が動く。

 なんとなく予想はできていたが、魔狼の群はゼロが斃した敵共の躰を引き裂き、胃袋に納め始めた。

 ビキ、バリ、グシャ、という音に時折断末魔の叫びが混じる。

「…う」

 リノは見ていてあまりの凄惨さに気持ちが悪くなった。

「大丈夫か?」

 いつの間にかゼロが隣りに立っていた。

「いつもこんなかんうっ‥感じなの?」

「あぁ‥慣れればなんともない」

 ずっと響いていた、狼達が獲物を食む音が止んだ。

 満足した群は白い躯を紅く染める事もなく悠然と歩き去る。

 ゼロがそれにまた深々とお辞儀した。

 群が見えなくなって顔をあげる。

「フェンリルに限らず狼は弔い笛音と共に現れる。死骸を喰らうためじゃ」

 ノノ爺が戸を開けて出てきた。

「一見残虐に見えるが、死骸を喰らうのは彼等が死者の魂を死者の国へ導く仕事を担うているからじゃの」

「へえ、そうなんだ」

「だから俺は殺したあとに呼ぶ」

「…じゃあ、殲神っていうのは?」

「殲神は俺の呼び名の一つだ」

「“殲”には“皆殺し”や“滅ぼす”といった意味がある」

 口数の少ないゼロに代わってノノ爺が説明する。

「見たじゃろう?あんな大人数をたった一人で殺し尽くすから神格化された名がついてしまったのじゃろう?」

「いつからかわからないが、そう呼ばれてきた」

「そうすると“碧血”というのも呼び名の一種かの?」

「あぁ。冷酷無情で残虐だから、お前の血は碧く凍っていると…仮にも狼の血をひいているんだ。残虐なのは当たり前だと思ってる」

「でもちゃんと優しさも持ってるでしょ?」

 当たり前だと思っている事を言うと、ゼロはきょとんとした顔をした。

 どうやらわかっていないようだ。

「これはテオ爺が言ってたことなんだけど、狼は本当はとても優しい生き物だって。あなただって、護ってくれたわ」

「あ、れは‥助けてもらった礼…だ」

 少し顔が赤くなっている。

「だってあなたは私を見捨てることだってできたのよ?」

「だから‥礼…」

「残虐なら礼をしようなんて思わないわ」

「う…」

「早めに諦めることじゃ、殲神よ。狼が優しいことは事実じゃし、お前さんがリノを助けたのも事実じゃ。それにリノには不思議な力があってな、曾祖父さんの影響か、生き物に愛されまくるのじゃ。馬がリノを振り落としたことは無いし、道に迷えば鹿が道案内に立つ。そうそう、大きな虎の腹の上で寝てた事もあったのぅ」

 リノのことなのにノノ爺が話している。

 __けど川に落ちた時ワニに助けられたのには流石に驚いたな…

「やはりそうか…」

「どういうことじゃ?」

 ゼロが呟いたことにノノ爺が反応した。

「リノが凡ての生き物に愛されているのは薄々わかってた。じゃなきゃ俺の刀は抜けないはずだ」

「刀が抜けないとな?」

「俺の刀は親父から貰ったもので、今まで俺以外が抜いたことはなかった」

「今までということは、今はワシにも抜ける、とかはないじゃろうか?」

「…さあ?やってみないと」

 そこでリノが持っていた鞘に刀を納めた。

 ノノ爺が引き抜こうとしたがびくともしない。

 ゼロがやれば普通に抜けるのだが、他の人間だとダメなようだ。

 今度はリノが柄に手をかける。

だがやはり抜けない。

「?さっきは普通だったのに‥」

「ふむ…」

 ノノ爺を見ると首を傾げている。

「…リノ」

 ゼロに呼ばれて振り向くとまさにこちらに殴りかかるところだった。

「きゃっ!?」

 思わず刀を持ち上げる。

 シュラッ

 閉じた目を開けるとゼロの拳は目の前で止まっていた。…どころかなんと抜き身の刀を指で挟んで止めていた。

「抜けた」

 ゼロが口を開いた。

「…あれ?」

 よく見るとさっきは抜けなかったゼロの刀が抜けていた。

「…ふむ」

 ノノ爺がそれを見ながら顎鬚を引っ張っている。

「どうやら一定の条件が必要なようじゃな」

ノノ爺の言葉にゼロは頷いた。

 リノはゼロに刀を返した。

 刀を受け取ったゼロは何故か改まってリノの前に立った。右足を引き、深々と頭を下げる。狼達にしたものよりもっと丁寧な礼だった。

「え?なに、どうしたのゼロ?」

 ゼロの突然の行動にリノは慌てた。

 何故頭を下げられたのかわからない。

「やっと見つけた。生きとし生けるもの凡てに愛される者」

 頭を下げたまま話し出す。

 家屋からぞろぞろと住人達が出てくる。頭を下げているゼロに興味を持った何人かが立ち止まる。

「あんたには凡ての生き物が味方をする。俺はあんたを護らないといけない。生まれる前からの宿命だ」

 頭を上げて踵を返す。

「だが、俺は余所者だ。この村にいてはいけない存在だろう」

 ゼロは村人が作る流れに乗って立ち去ろうとした。

 聞いた話しから村にいる事を好まないのだということは推測できた。

「待って!」

 それでもリノは歩き去るゼロを引き止めた。

「あなたこれからどこに行くの?」

「特に行く場所は無いが、今までだってほぼ野宿してたと同じだし…」

「じゃ決まりだな」

 いつの間にか近くに来ていたラクザが言った。

「ここに住めばいいじゃない。部族の皆はイマレとか全く気にしないし、あなた強いから逆に歓迎されるわ」

 そう言ったら横の父親から「先に言われちまった…」と聞こえてきた。

「今まで死ねばそれまでな生活だった。俺がいなくなって残念だと思う奴はいても哀しんでくれる人はいない。俺は厄を呼ぶ。村にいないほうがいい。それに、気配に敏感だからなにかあってもすぐに来れる」

 だから独りで行く、と背を向けてしまう。

 __…この人は孤独に慣れ過ぎて孤独でいることが自分の定だと思ってる。……表情は寂しい、辛い、独りはイヤだと訴えているのに。

 リノはゼロの上衣の裾を掴んだ。


〜***〜


 ‥独り。

 それが人と狼の間に生まれた自分の宿命だ。俺は誰かと一緒に生きていてはいけない。

 リノに上衣の裾を掴まれ、出しかけていた足を戻す。

「わたしを護ってくれるんでしょ?なら近くにいないとじゃない?一緒に暮らせば近くで野宿するより護やすいわ」

 つまり俺にこの集落に留まれと?今まで殺戮を繰り返し、多くの命を奪ってきた俺に?

 護ってと言った、リノの言葉が頭にこだます。

 __…護る、か。

 ゼロは刀を強く握りしめる。

 いままで疎外され続けてきたのだ。迎え入れられる事をそう簡単に受け入れらるわけがない。

「…ゼロ?」

 リノに顔を覗き込まれた。

 その顔を見て思わず頷いていた。

 ワッ!と周りから歓声が上がり、驚きで飛び上がりかける。

 どうやら全員が自分の返事に聞き耳を立ててていたようだ。

「……っ」

 波のように人が寄ってきて背中をバシバシ叩かれる。

 その行為に始め恐怖しか感じなかったが、いままでのようにただ苦痛を与えるものではないとすぐに気づいた。衝撃はあるが、なぜかすごく優しく、あたたかい。

 孤独だった狼は人知れず、それこそ自分も気づかないうちに微笑んでいた。

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