『邂逅』09
摩天楼の空を縫って白と黒の二人の魔法少女が飛ぶ。ビルの屋上に着地してはすぐまた跳躍して次のビルへと向かうその様は、バウンドを繰り返すスーパーボールのようだ。そして軽いほど多く跳ねるスーパーボールと同じように、追跡戦ではより装備の軽い方が有利となる。ローブの下に幾つかバッグと思しきものを装備している白の魔法少女は、黒の魔法少女――シルヴィアと比較して些か鈍重であった。
互いにこのままの速度を保っていれば、数十秒としないうちに肉迫することだろう。そこから格闘戦へと持ち込めば、まずシルヴィアが負けることはない。
唯一懸念すべきは、敵のリーチだ。
白いローブの少女とてこのままシルヴィアを振り切れるなどとは考えていまい。おそらく彼女は妨害を受けない距離まで逃げてから、転移魔法で振り切ろうと考えているのだろう。ならば尚更、これ以上距離を詰められるわけにはいかないはずだ。一定の範囲内に踏み入れば、射出系能力を用いての攻撃を仕掛けてくるに違いない。問題はその攻撃がどれほどの距離から始まるのかである。最悪、回避不可能な距離まで近づけておいて一気に叩くという手段に出る可能性もある。
不用意に接近するのは危険だと判断したシルヴィアは、距離を保ちながら携帯電話を取り出し、枝里と通話を始めた。
『もしもし、シルヴィアちゃん! 今どうなってる!?』
「目測10メートル前後の距離を保ちつつ追跡を続行中。迎撃を警戒」
『わかったわ! 攻撃の許可は既に取ってあるのよ! 後は……』
「隠蔽結界の準備を」
『はいはい!』
枝里の運転する軽自動車が、法定速度も信号も無視して都会の道路を爆走する。半ば強引に乗せられた緋桐は助手席で、激しい揺れと戦っていた。
病室へと辿り着いた枝里が状況を把握してから、緋桐の手を引いて車を出すまでの時間はとてつもなく短かった。さすがはあのシルヴィアのマネージャーを努めているだけあって、枝里の機敏さは尋常ならざるものがある。
一方で緋桐は、嵐のように目まぐるしく移り変わる状況に混乱を禁じ得ないでいた。
病室にいた二人――――死んだ男性と襲撃した少女の顔は、事件現場で見た残留思念に現れた主犯二人と一致した。おそらく病室の前で不穏な感覚を覚えたのも、残留思念と一致する存在が近くにいることを、緋桐自身の能力が知らせていたのだろう。
それにしても腑に落ちないことが多い。刑事が殺人に手を染めたこと、彼が殺害されたこと、共犯が魔法少女であること。加えて、シルヴィアの発した“クル・ヌ・ギア”という言葉も不可解である。しかしそういった疑問を解消する暇もなく枝里に強引に連れられ、今に至った。
もはや今は理解せずとも良いのだと、自らを諭すしかなかった。
「聴こえたわね緋桐ちゃん!」
「は、はい!?」
「ダッシュボードにあるカードを取って、起動してみて!!」
「えぇっ!?」
運転中の通話でまたもや道路交通法を違反した枝里が、突如思い出したように緋桐に指示をしてきた。緋桐は目を丸くする。確かに収納スペースにカードはあったが、起動するという言葉の意図をはかりかねていた。しかし焦燥に歪む枝里の横顔を見ていると、とても意味や方法を訊ける様子ではなさそうだ。
緋桐は半ば自棄になってカードを手に取った。カードには人の頭部と半円のマークが描かれていて、タロットカードのように縦に長い形状をしている。
このカードは使用時から前後の1時間内、距離にして半径1キロメートル内にいる一般人が知覚した異能にまつわる記憶・情報を改竄するマジックアイテム――らしい。初めて触るはずのに、古くから慣れ親しんだ道具のように使い方がわかってしまう。紙製の表面から指を通して、脳に直接魔術のイメージが伝わってくるのだ。
(これなら……!)
緋桐は意を決してカードに意識を注ぎ込み、窓から突き出してみせる。するとカードから瞬く間に波動が広がり、やがて淡雪のごとく風に溶け、消えてしまった。あまりにあっさりと消えてしまうものだから失敗したのではないかと不安になる。
枝里の横顔からは、少しだが緊張が解けているように見えた。
「こ、これで大丈夫でしょうか……?」
「うん、完璧よ!」
「よかったぁ……」
「じゃあコレ、1キロ置きに発動してよね! 頼むわよ!」
「えぇっ!?」
波動が広がり、ローブの少女をも追い越していく。結界の波動ははじめ、黄色い輝きを伴って広がっていき、やがて砂糖が水に溶けるように目視できなくなった。
これで少なくとも30分は思う存分に魔術と魔法を行使できる。魔術と魔法さえ自由に使えれば、敵の迎撃を無力化する手段は幾らでもある。このまま接近し、一気に制圧しよう――――シルヴィアは決断した。
シルヴィアがひときわ強く壁を蹴った。それまでの速度を遥かに越えて、彼女の身体は矢のように加速する。
間合いの変動に感づいたのか、白いローブの少女がシルヴィアを振り向いた。その顔は呆れと軽蔑を含んだ薄ら笑いを浮かべている。それも当然だろう、ここまで間合いを探り合っていた相手が、突如としてその読み合いを放棄したのだ。自棄で考えなしになったと取られるのも無理はない。
「所詮は雑魚か……!」
「…………」
この時、シルヴィアの懸念は完全に解消されていた。敵の攻撃範囲などもはや案ずるに値せず、“魔術の自由行使を許された”時点で、既に勝利は約束されたものだと、シルヴィアは判断したのだ。
客観的に見れば、この選択は誰もが早計に過ぎると断じることだろう。なぜなら相手に接近すればするほど、攻撃に対して求められる判断速度が高まるからだ。相手の手の内を未だこれっぽっちも知り得ていない現状では、対抗手段を発動することすら出来ないままに攻撃を受けてしまいかねない。故に安易な接近は、分の悪い博打に等しい。しかし、シルヴィアにそういったセオリーは通用しない。そもそも前提からして彼女は当て嵌まらない。
動的な時間の中で判断する必要など、シルヴィアにはない。
「ブレイクタイムと洒落込むわ!! 甘美なる破壊者≪ヴァイオレント・キャンディ≫!!」
ローブの少女は勝ち誇った顔で瓶を取り出し、その蓋を開いて振り向きざまに中身を撒き散らしてきた。中身は透明なジェル状の液体だ。
液体は空中で七つの塊に分離し、それぞれ槍を模った姿へと変容していく。変容が完了すると、風を受けて震えていた表面が硬化し、ガラスのように光沢を放つようになった。七本の槍は、シルヴィアに向けて加速を始める。
槍が加速を開始した時点で、槍とシルヴィアの間にある距離は約3メートルほど。既に槍はピッチングマシンさながらの勢いでシルヴィアへと加速しており、それに向かっていくシルヴィアの視点からは最早弾丸と大差ない速度と言えた。
――――だが、シルヴィアはそれを易々と回避してみせる。
「なっ……!?」
飛来した全ての槍を全て回避しきると、シルヴィアは更に強く壁を蹴り加速する。既に二人の間の距離は4メートルに満たないほどにまで縮んでいた。
ローブの少女は慌しい手つきで更に二つの瓶を取り出すと、先ほどの瓶と同様にジェル状の中身を撒き散らした。今度は槍に変形することもなく、液体のままシルヴィアのほうへと飛散していく。そしてそれは案の定、シルヴィアの軽やかな挙動のもとに回避されてしまった。
液体による攻撃は失敗したかと思われたが、しかしそれはシルヴィアの背後で遅れて変化をはじめる。
二つの液体は引き返してきた最初の液体とぶつかり合い、広がった勢いで薄く細い人型へと変化した。
粘性を含んだ泥などの物質を人型に変形させ、簡単な意思を与える――――魔術界では最もポピュラーな使役術として知られる泥人形≪ゴーレム≫だ。
背後で何らかの能力の行使があったと察知したシルヴィアは、ほんの少しだけ振り返り、片目でゴーレムの存在を確認した。
「お行き、ワタシのゴーレム!!」
続け様にローブの少女は5、6個の瓶を同時に放り投げ、新たに二体のゴーレムを生成した。恐らく、単純な射撃系の攻撃ではシルヴィアの追跡を逃れられないと判断したのだろう。三体のゴーレムを差し向けて足止めにするつもりなのだ。
「魔の泉より我が意に従いて武を顕せ――」
一瞬のうちに判断を下したシルヴィアは、魔術の詠唱を終えると急激に減速しはじめた。
彼女の両手は仄かな光を放ちながら、棒状の何かを生みだす。やがて光が失せると、それが向日葵を模った一対のステッキであることがわかった。
ステッキは中心から木の枝のように割れて、トンファーへと変形する。
マジカライズウェポンと呼ばれるそれは、魔法少女たちに支給される共通の武器だ。顕現した直後はステッキの形をとっているが、魔法少女が必要とする武器に合わせて姿を変えられ、万能の装備となる。
今シルヴィアが手にしているマジカライズウェポンは差し詰め、マジカライズトンファーといった代物か。
トンファーは攻と防を一体とする近接武器。間合いこそ広くないものの、柔軟な格闘戦を展開できる。
シルヴィアが防御を兼ねた武装を選んだことには理由がある。
事件の被害者・砂垣匠の死因は、体内での“何か”の爆裂だった。体内に取り込むことが容易で、尚且つ潜伏させることが出来る、身近な物質を操って殺害したのだろう。そして今ローブの少女が繰り出している“ジェル状の液体を操る能力”を“飴を自在に操る能力”と仮定するならば、事件と辻褄が合う。被害者の飲食物に糖類を含ませれば、あとは機を見計らって能力を発動させるだけだ。
あの飴で生成されたゴーレムたちには、ほんの僅かでも触れることを許されない。ならば槍を使い安全圏から制圧するのが理想的だが、あくまで本命はローブの少女だ。槍を使ってリーチを守りながら戦っていれば、それこそ相手の思惑通りになってしまう。故に少々のリスクは度外視してでも短期決戦に持ち込みたかったのだ。
「一体目……」
急激に減速したシルヴィアに対応しようと、ゴーレムも軽く減速をかける。それを見逃さなかったシルヴィアは反転し、一体目のゴーレムに向かって加速した。ゴーレムはビルの屋上に足を引っ掛け、より減速すると同時に勢いに乗せて回し蹴りを放ってくる。
向かってくる蹴りを右のトンファーで受け流し、そのまま踏み込んだ勢いでシルヴィアはゴーレムを飛び越す。一瞬にして背後をとったシルヴィアは、容赦なくゴーレムの頭部を砕いた。
ゴーレムは人を模った器に意思を宿らせる術なので、解除するには欠損させて人の形でなくすれば良い。頭部を失ったゴーレムは、そのまま水飴の姿に戻って地面へ飛び散った。
「二体目……」
続いて二体のゴーレムがシルヴィアへと迫る。並ぶ二体のうち、シルヴィアはほんの少しだけ先行している右側を次の標的に選んだ。
速度を維持したまま距離を埋めていき、少しずつ着地する回数を増やしていく。残り3メートルほどまで近づいた所で機を得たと見ると、躊躇なく右のゴーレムへと再加速した。ゴーレムは今まさに着地するといったタイミングで、そのまま勢いを乗せた右腕でラリアットを繰り出す。だがシルヴィアはそれも予測済みと言わんばかりにトンファーで受け止め、ゴーレムの左膝を叩き砕いた。既に左足で踏み込み右腕を振り回していたゴーレムは、体勢を変えることも出来ない。
人型として作られた以上、たとえ液体で出来ていようともモチーフを超える動きを出来ない、これこそゴーレムの弱点と言えよう。
足を砕かれた右側のゴーレムは飴に戻り、そして残るもう一体に取り込まれる。二体分の質量を得て肥大化したゴーレムは、着地の最中に急増した自重に引っ張られて転倒した。
「……三体」
シルヴィアは一瞥もくれないまま、倒れた最後のゴーレムを砕き、そしてすぐさま追跡を再開した。
ローブの少女がゴーレムを生成してから、僅か10秒にも満たない間の戦闘だった。しかしそのたった30秒のうちに、ローブの少女の表情は劇的に変化した。いまや彼女の顔は畏怖に冷たく引き攣っており、笑みを浮かべる余裕もない。
二人の距離は10メートル前後に戻る。飛び散った飴に再び動き出す気配がないところを見ると、どうやら飴を操る能力――甘美なる破壊者≪ヴァイオレント・キャンディ≫――には範囲の制限があるようだ。つまり彼女が飴を使った攻撃を仕掛けてくるたびに、10メートル程度の距離を開けて処理すればいい。
完全に詰ませた。確信するシルヴィアは迷わず加速した。