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『邂逅』05


「ごめんねぇ、お邪魔だった……のよね?」

「ち、ちが……います……と思いますです」

「ぬふふふ! でも二人ともキス直前みたいな感じだったじゃん?」

「そんなことは……ただ朝起きたら、シルヴィアさんが私をすごく見てて……どうすればいいかわからず……」

「へぇ……あのシルヴィアちゃんが興味大ってね……」

 ハンドルを握る宗頤枝里は、朝からシルヴィアの不思議な一面を目撃できたことがよほど愉快だったらしい。鼻唄の途中途中で「なるほどぉ……」とか「そっかぁ……」などと嬉しげに呟いている。

 一方、緋桐は助手席で肩をすぼめる。心の中は色々な想いがない交ぜになって濁水のようだった。脳裏に焼きつくシルヴィアの美貌、両親が既に故人であるという事実の再確認、今後の生活に対する底知れぬ不安。明るい感情はシルヴィアに対するものだけだった。

 二人は救仁郷家の自宅へと向かっている。緋桐と枝里とで話し合った結果、残された家具類を片付けて使えるものだけ事務所へ持ち帰ることにしたのだ。給料で家賃を払って自宅に住み続けることも枝里から提案されたが、こうして自宅へ向かうだけでも悲愴感がこみ上げてくるのに、住み続けることなんて出来るわけがなかった。

「ほら、見えてきたわよー」

 曲がり角を過ぎ、やがてフロントガラス越しにアパートが見えてきた。丸一日ぶりの我が家に目頭が熱くなる。もうこの場所には、父も母もいない。自分もいなくなる。そう思うと、どうしようもなく寂しかった。

 枝里は緋桐を慰めることはしない。どんな言葉で以ってしても、親族を失った哀しみは紛らせることができないことを知っているみたいだった。

 それ以上に枝里は、アパートの前に立つ男性の存在が気がかりでならなかった。彼は人目を嫌うようにせっせとどこかへと退散してしまったが、枝里の目にはその素振りがひどく胡乱に映った。なんとなく不吉な予感がした。



 勤務開始時刻を二時間後に控えた早朝のオフィスに、相変わらず不釣合いなコートを羽織るシルヴィアの姿があった。彼女はデスク上に並べた幾つかの書類と睨めっこしている。どうやら昨日相模から捜査資料を貰ったらしく、それを読み込んでいる最中のようだ。

 資料を凝視するシルヴィアの面貌は無表情ながら、どこか狂気じみた執着を滲ませていた。一番乗りのつもりでオフィスに入ってきたアナトは、彼女の矮躯から発せられる異様な存在感に気付いて肩をすくめた。度を過ぎつつあるシルヴィアの熱心ぶりに若干呆れつつ、二人ぶんのコーヒーを淹れる。

 シルヴィアはコーヒーメーカーの音を聞きとがめたところでようやくアナトがいることに気付いた。

「おはよう」

「今回の事件、どんなものだい?」

「被害者は砂垣匠。マジックアイテムの転売を生業としていて、いくつか協定に違反する販売経歴もあった」

「うーん。きな臭いね」

「遺体に外傷はなく、身体の内側からの爆裂が死因――――異能による殺害と見て間違いない」

「殺害方法は?」

「今のところ不明。被害者の職業から凶器はマジックアイテムという可能性も考えられる」

「問題はどんな凶器だったのか、だね」

「…………」

 事務的な報告を済ませるとそれっきり口を閉ざし、すぐにまた書類の分析に戻る。どこまでも無感動な、ともすれば面倒臭がっているとも取れるシルヴィアの振る舞いに、アナトは溜息を禁じえなかった。

 ここ魔法少女派遣“イシュタル”に勤める少女たちは、はじめは彼女のように心を閉ざしている者が多い。だがそんな少女たちのうち、殆どは同じ境遇の少女たちとの触れ合いに心を開いて社交性を獲得していく。働き口と寝床だけには留まらない恩恵がここでは得られた。

 そんな中でシルヴィアの存在は異例だった。いつまでも心を開かず、開かせず、ただ目の前の仕事に取り組み、食し眠る。彼女は人でありながら無機質の生き方しか知らない。マネキンのような少女とは同僚たちの評だ。

 しかし数々の少女たちを見てきたアナトだけは、周囲とは違った印象を抱いていた。

 シルヴィアは誰よりも不器用で、救いを乞うことを“甘え”と断じる。おそらく彼女にとっての救済は、肉親によってのみ齎されるものなのだろう。だがその救済は決して叶うことのない幻想であり、それを自覚しているからこそ絶望する。“イシュタル”に勤める少女の精神性としては決して珍しいものではなかったが、シルヴィアの場合は、心に抱える“鎖”とも呼ぶべき強迫観念が人並み外れて刺々しく、鈍重だった。

 彼女に救済を齎せるとするならば、肉親にも勝る大切な人を得るか、死によって解き放たれるかしかない。絶対に後者の選択肢だけは取らせたくない、とアナトは思う。

 やがて一人、二人と職員たちがオフィスに入ってくる。カーテン越しに鋭い光を送る太陽に背を向け、欠伸を噛み殺しながらアナトはオフィスを出た。



 玄関扉を開け放った緋桐の眼前には、家具類が全て失せ、床にただ一枚“差し押さえ”と表記された札が置き去られているのみの、空き家同然の有様になった救仁郷家があった。

「ぁ……」

 一瞬の逡巡ののちに状況を理解した緋桐はその場に崩れ落ちた。

 不思議と涙は流れず、嗚咽の一つも漏れない。悲しみの感情よりも先に、宇宙の果てでも眺めているような虚無感に襲われる。冷蔵庫やテレビや布団などの貴重品が奪われてしまったこと自体はどうでもよかったが、それよりも、それらが構成する“日常の風景”が消されてしまったという事実の方が彼女にとって重大であった。幸せだったころの片鱗など一片たりとも残っていない。そこに広がっている風景はただの箱である。

「無用心に家を……空けたばっかりに……」

「緋桐ちゃんは何も悪くないのよ」

 悲痛な背中を見せる緋桐に、枝里がかけられた言葉はたったの一言だけだった。なまじ彼女自身も過去に似たような経験があるだけに、緋桐の心情を複雑にシミュレートしてしまって言葉が出てこない。いっそ何も共感できない他人が無責任に勇気付けてくれれば、どれほど心強かっただろう。

「事務所に、戻るわね?」

「…………」

 無言で頷く緋桐の視線はどこかを泳いでいて、まるで生気を感じさせない。

 枝里は緋桐の肩を抱きながら、自身のポケットから割り箸を取り出した。それを口に運び、割る。思考を切り替えるための枝里なりの儀式だった。

 この重々しい空気には似つかわない軽快な音が部屋中に反響し、脳を貫き、洗い流す。徐々に前向きな思考が沸いてくる。

 緋桐の無事が確保できたと思えば僥倖だ、と自らに言い聞かせた。これはあえて口に出さなかった。



 短くなった煙草を携帯灰皿に突っ込む。それをスイッチとするように、相模は思考を切り替えて事件の概要を思い出しはじめた。

 被害者は砂垣匠、43歳。違法なマジックアイテム転売を繰り返しており、その経歴は二十年に及ぶ。現場は人通りのない裏路地で、周辺に争った形跡なし。死因は体内部での“何かの爆裂”。金品らしきものは全て残されていたが、商売道具のマジックアイテムを所持していなかったことから、奪取されたと見られる――――。

 情報の整理が完了する。それを待っていたかのように眼前の空間が歪み、広がる波紋の中からシルヴィアが現れた。

 魔法少女たちが契約によって習得する魔術のなかでも、転移魔術はとりわけ便利な代物であった。資料を片付けたシルヴィアが相模との待ち合わせ場所に駆けつけるまでにかけた時間は僅か2分ほど。魔法少女には遅刻という概念がそもそもあり得ない、と言っても過言ではなかった。それでも指定された場所に待つ相模の表情が冴えないのは、先ほどまで事件の概要を整理していたせいだろう。

「来たか。……何かわかったことは?」

 シルヴィアの氷点下の瞳と視線が交わる。相変わらず近付き難い少女だ、と肩を落とさずにいられなかった。

「あのあと現場周辺の魔術の痕跡を探ったが、術式反応は検知されなかった。魔術師による反抗ではない」

「魔術師の線は消えたか……。専門家が無抵抗にやられるとも思えないし、マジックアイテムの線も薄いな?」

「……」

「暗殺に特化した能力者ということはプロの可能性が高い。売買の経歴を洗うだけでは足がつかないかもしれない」

 大きく息を吐き出し、頭を掻き乱す。おそらく被害者の売買経歴を洗っていくだけでも、芋蔓式に途方もない数の違法取引を検挙することになるだろう。捜査は足で稼ぐべしとはよく言うが、これでは一歩進むごとに検挙しなければならない事態になる。更にその中から砂垣の殺害を依頼した者を見つけ出す頃には、暗殺者はとっくに消息を絶っているはずだ。

 砂垣の売買経歴に関しては、他の事件で別件逮捕の材料として使える可能性があるので押えておくか、長期間を費やして一つ一つ地道に検挙していくかのどちらかになるだろう。本件の目標はあくまで暗殺者であり、違う方面からのアプローチが必要になる。

 予想を越えて厄介な事件に、相模は頭を抱えた。一方で対照的に、シルヴィアは相変わらず涼やかな表情のまま事も無げに提言した。

「……では最近発生したマジックアイテムにまつわる噂、事件事故の情報を重点的に調べる」

「そうするしかないな。どうせマジックアイテムの強奪が目当ての事件だ」

「マジックアイテムによる殺害も少なからず視野に入れる」

「その線は薄いってさっき言ったばかりだろう」

「そもそも暗殺に長けたプロの異能力者が遺体を処理しない――――自らの手の内をみすみす晒すというのは考えにくい。可能性は低い」

「……そうだな。だが或いは、不測事態が発生したかもしれない」

「闘争の形跡はない……が、確かにその他の不測事態も考えられる」

「とりあえず今はその両面から捜査を薦めていくべきだ」

 刑事・相模は焦っていた。この捜査は彼にとって、上司の付き添いでなく一人前として任された最初の仕事だ。できることなら今すぐにでも結果を挙げ、信頼する上司たちを安心させてやりたいと思っている。故にこの進展が見えない捜査状況にもどかしさすら覚えた。

 一方のシルヴィアはそんなことは露知らず、善は急げとばかりに早速踵を返す。

 年端もいかない少女に捜査の主導権をとられそうになり、張り合おうとしている自分を客観視すると――――相模の焦りは殊更に大きくなっていった。



 緋桐の自宅から歩くこと5分、住宅街を少し外れたところに神社があった。晩夏の厳しい日差しを森林が和らげてくれるため、今の時期は近所の子供たちにとっての絶好の遊び場所となっている。

 穏やかな光に照らされ適当なベンチに腰掛ける緋桐の表情は、意外にも落ち着き払っていた。心配した枝里が何度も「無理はしなくていい」と言い聞かせたが、結局、一滴たりとも涙は零さなかったし、表情を崩すこともなかった。枝里からすると、無理をして悲しみを押し殺す振る舞いの方が余計に気がかりであるのだが。

 やがて枝里は気を遣い、一人で境内の屋台を見て回ることにした。

 緋桐の視界から外れたあたりで枝里は溜息を漏らす。

(特別珍しい境遇じゃないとはいえ……無理して気持ちを押し殺してしまうっていうのはいけないわよね)

 イシュタルに身を寄せる少女たちは大抵が皆、緋桐のように親族をなくし、大切な思い出ごと全てを失ってしまった者ばかりである。緋桐はきっとそのことを知って“こんなことで泣いていてはいけない”“自分以上に辛い目に遭ってる子もいるのだから”などと考えていることだろう。

 実力者として評判も定着してきた今日に至っても未だ心を閉ざすシルヴィアと、ある意味で近い精神性であるとも言えた。自らの感情を偽り、自らの心を押し殺す生き方を覚えてしまったという点で、とてもよく似ている。そしてそんな問題を抱えた少女を二人も抱えてしまったことは、枝里の悩みの種が倍増したということでもある。

(自分だけが特別じゃない、みたいなコンプレックスって、こじらせると本当に厄介なのよね……自分の身辺に起きたことくらい、素直に泣いてあげるべきって教えてあげなきゃ……)

 シルヴィアの屈折してしまった心を解き放たねばならない。緋桐が屈折してしまわないよう支えてやらなければならない。

 二人の少女を案じる枝里は自身もまた、自責することでしか自らを保てない性質の人間になっているということに、気がついていなかった。緋桐たちの心の在り方を変えるには、まず自らを変えねばならないから。

 枝里は水飴を二人ぶん購入すると、そのまま緋桐のもとへは戻らずに、物陰からこっそりと様子を窺うことにした。ベンチに腰掛ける緋桐の背中は頼りなく小さかったが、やはり泣いている様子はない。

(あの子は強いのよね…………だからこそ儚くて見てられない。シルヴィアちゃんにそっくり)

 また一つ溜息を零すと、自前の割り箸で水飴を練りながら、優しい笑みを顔に貼り付けてまた歩きだした。


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