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『邂逅』04


 世間の14歳くらいの少年少女たちは自立する精神と依存する幼さの中間にあって、その不安定さがどういうわけか家族と距離を置くという行動へと帰結するものらしい。

 救仁郷一家は、そういった都市伝説をいまいち正確に理解することができない家族だった。それほどに救仁郷緋桐は親孝行で、両親を心から信頼していた。

 その夜も緋桐は父を肩叩きで労い、母の食器洗いを手伝った。

 安いアパートのあまり広くない居間、安いテレビそれを囲み和やかに笑いを浮かべる家族。裕福とは言えなくとも決して不自由はない、素朴故に幸福な夕食後の風景。それを客観視して何か思うところがあったのか、母が遠い目で開口する。

「……あなたのような優しい娘を持てて、お母さん、本当に幸せよ」

「急にどうしたの?」

 あまりに急な話題転換だったものだから、緋桐はつい吹き出してしまった。少なくともその時点ではこの幸せな家庭に終わりが来ることなど誰も考えてなどなかったし、幸せを再確認するほど重要な出来事があったわけでもない。ただそんな平凡な日常に感謝することが、母の癖であったからという、それだけの理由だった。

「いまさら確認するまでもないことだけれどね、緋桐の存在があたり前であることそのものが、とっても有難い」

「お母さん、よくその話するね。あたり前だから有難いって」

「父さんと母さんが結婚する前からずーっとその話ばっかりだ」

 肩をほぐされてすっかりご満悦の父が、居間から声を上げる。呆れたような声色だが、心なしか嬉しそうでもある。

「だって感謝しなきゃ。ご飯一つにだって、農家の人や運送する人、直接売るお店の店員さんに、経営者さんがいて。更にその人たちを支えてくれる人たちがそれぞれに沢山いる……きっとそのうちの誰か一人でも欠けてしまえば、私たちはこのご飯を食べられなかったわ」

「そ、人と人とが支えあって成立する世の中……ってやつだな。昔から母さんは、一日に一回はその話をしなきゃ気がすまない性分なんだよな」

「うん……大袈裟だけど、でも私はお母さんのそういう考え方、すっごく好き」

「でもなぁ、世の中意外と面倒くさい人もいっぱいいるぞ?」

「で、昔からお父さんはすぐ揚げ足を取りたがる性分よね」

「……はいはい、俺が悪うございました」

「はは……」

 もう幾度と繰り返したかわからない話題だが、緋桐はそれが嬉しくて仕方がない。緋桐にとって一日で最も心の休まる瞬間だった。しかしそれを遮って電話のベル音が耳朶を叩く。澄んだ水面に石を投げ入れられたように、救仁郷家の団欒が掻き消える。父と母の瞳が心なしか曇ったような気がした。

 父は受話器を取って適当な返事を繰り返し、母と共に外出の準備を始める。どちらも無言のままに淡々と準備をこなしていて、緋桐のことなど構っている暇もない様子だ。そんな両親の急すぎる行動に緋桐は言い知れぬ不安を覚えた。

 何が起きているのかも何をしたらいいのかもわからず、緋桐は無意識に手を伸ばしていた。赤子が親の抱擁を求めるような、ひどく幼稚で受動的な仕草。それでも両親の目に彼女の腕は映らなかった。

 受話器を置き、手早く着替えを済ませた両親は、玄関で靴を履くと一度だけ緋桐のほうを振り向いた。

「緋桐。お父さんたちは……ちょっと仕事関係で、ちょっと会社に向かわないといけなくなった」

「すぐ帰ってくるから、ごめんね」

 ――――ごめんね。

 母の発した何気ない四文字の言葉が、緋桐の心にずんと沈み込む。永遠の別れを告げられているような重苦しい響きだった。

「それじゃあ、行ってきます」

(駄目! 行っちゃいけない! 行ったらもう二度と……)

 二度と会えなくなる。

 緋桐はこれから訪れる未来を必死に叫ぼうとした。喉が裂けても構わなかった。だが彼女の声は両親には届いていない。それどころか彼女の身体は本心に反して手を振っていた。

 両親を心から愛し慕っている救仁郷緋桐はよりにもよって、これから死にに行く両親に手を振って見送りをしている。否、正確には、手を振っているのは緋桐ではない。数十時間ほど前までの“過去”の緋桐だ。

 “現在”の緋桐は、両親の最後の姿を不本意ながら見送った。これが夢であるとわかっていても、涙が溢れて止まらなかった。



 頬に感じる温かい滴りが徐々に冷え、乾いていく。緋桐は目を瞑りながら、晩夏の朝を肌に感じていた。

 ――このまま目を開けばそこは我が家で、愛する両親が待っていると、半ば本気で信じていた。だが緋桐の記憶には確かに両親の死という事実が刻み込まれている。どうしようと叶うことのない夢想だ。

 観念して起き上がろうと思ったその時、真っ白な瞼の裏に影が差し込む。空気を介して人の気配を感じた。緋桐は迷うことなく母の気配であると断じた。

「母さっ――――!!」

「…………」

 しかし緋桐の目の前に居座る人物は、プラチナブロンドの見たこともないような美少女で、少なくとも母などでは絶対になかった。そしてその顔を自らの記憶と照合することで、ようやく緋桐は自分の置かれている状況を把握した。

 この少女は昨日出逢った、シルヴィアという名の魔法少女の先輩だ。緋桐は魔法少女派遣会社にスカウトされたのだ。

 シルヴィアと顔合わせを済ませたあと、緋桐は応接室で書類にサインをし、アナトとの契約を完了した。その際アナトが『契約直後は魔術と魔法の知識が情報の奔流となって一気に脳へと流れこんでくる。脳が情報を整理するために半日は眠ることになる』と説明していたことを思い出す。実際にどれほどの知識を獲得したのかは不明だが、文字通り12時間以上はたっぷりと眠ってしまっていたことを見るに、どうやら本当に脳の情報整理というものはあったらしい。

 独りでに納得した緋桐は改めて眼前の光景を注視する。

「…………」

「…………」

 目と鼻の先ではシルヴィアが無表情なまま、じーっと緋桐の顔を観察している。まるで時間が止まっているかのように微動だにせず、ただ緋桐だけを凝視していた。緋桐もしばらくシルヴィアの美貌に目を奪われてしまっていたが、気恥ずかしくなってきたあたりで目を逸らし、代わりを探すように周囲を見回した。

 場所はどうやら寮の一部屋のようだ。八畳ほどの部屋に二段ベッドと事務机が置かれているだけの簡素な部屋で、奥にはキッチンらしき場所も見える。少々狭め、家具は最低限のもののみという質素を極めたような条件だったが、アパート暮らしの緋桐にはむしろ住みやすそうに思えた。そしていま緋桐がちんまりと座っているのは二段ベッドの一段目らしい。おそらく二段目はシルヴィアのもので、この部屋も彼女のものなのだろうが、どういうわけか彼女は緋桐のいる一段目に正座している。緋桐の傍らでずーっと観察してくる。

「……おはようござい……ます」

「おはよう」

「あ、はい」

「…………」

「…………」

 勇気を出して挨拶をしてみたところ、シルヴィアは存外にあっさり返事をしてくれた。でも会話はそれっきりで、すぐにまた口を閉ざして緋桐を凝視しはじめた。

 未だ如何ともしがたい空気に、緋桐はとりあえず見つめ返すことで解決を計った。その後、枝里が迎えにくるまで実に1時間、緋桐とシルヴィアはずっと見つめあっていた。


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