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『邂逅』02


 空を覆い隠さんばかりに林立したビルディングの群れは、まさにコンクリートジャングルといった風情で、“高度に発達した文明はむしろ人類を退化させる”とかいう話を思い出させた。幼少期を自然の中で過ごした少女にとって、窓の向こうを埋め尽くす鼠色は息苦しく感じるだけだった。

 ―――とある都市の一角、とあるビルの三階に店を構える、胡散臭い事務所。エアコンが稼働音をがなり立てている以外は、驚くほど静まり返った空間。そこに少女の姿はあった。

 少女はこれといって容姿に特徴を持たず、強いて挙げればくりくりした目が可愛らしいくらいの、ごく普通の中学生だ。そんな彼女だからこそ、この殺風景な事務所には殊更不釣合いだった。

 応接ソファに腰を下ろす彼女は腑に落ちない様子で、テーブルを挟んで向かう相手の顔を覗いている。

 相手は一分ほど手元の書類と睨めっこをしたあと、少女の視線に気が付いて、顔をあげた。

「僕の顔に何か?」

「い、いえ……」

 その顔は、栗色の体毛に覆われたイタチだった。似ているとかいうレベルではない、イタチの顔そのものである。

 少女より少し背が低い程度の巨大イタチが、ビジネススーツをきっちりと着こなして、ソファに腰掛けていた。もはやその光景は、可愛いもの好きな女子中学生のファンシーでメルヘンな脳を以ってしても、到底信じ難いものだった。

「まぁ突然のことで混乱する気持ちも判るよ」

「は、はぁ……」

「ある日いきなり両親を亡くしたとなれば、普通はそうだよね」

「…………」

 そうではない、と突っ込みたい気持ちで胸が一杯だったが、少女が両親を失って気を落としていたのもまた事実だ。

 彼女の両親は揃って事故死したらしい。

 それ以外の情報を一切知らされず、このような怪しい事務所に連れて来られたとあらば、うら若き少女にも何らかのきな臭さは感じて取れた。だが、まさかこのようなファンタジーな存在に出くわす嵌めになるとは、誰が予想できただろうか。

「…………あのぉ」

「どうかしたかい? トイレなら奥に入って右だけど」

「そうではなく……えぇっと……その、ご様子、というか……」

 相手の容姿については、如何せん指摘し辛かった。怪しい事務所に連れて来られたこの状況に少女が身構えていたというのもあるが、そうでなくとも、いきなり「顔、イタチですね! 流行りなんですか?」などとは言えまい。

 すっかり困窮してしまった少女を見て、イタチ人間は腑に落ちたように、なるほど、と手を叩いた。

「ごめんごめん! そうだよね、この恰好じゃちょっとね、アレだよね」

 そう言ってイタチ人間は、きっちり七三分けのヅラを頭に装着してみせた。その表情は心なしか誇らしげに見えた。

 意味がわからなかった。

 少女は一層混乱し、本格的に自分の正気を疑い始めた。これほど常軌を逸した状況においても、相手ではなくまず己を疑う、そういう誠実な少女だった。

 そんな彼女の葛藤などいざ知らず、イタチ人間は淡々と喋り始めた。

「えーっとね。君のご両親、マジカル闇金融にそこそこの借金をしていたね」

「……はい?」

「十中八九、事故を装った保険金狙いの他殺だ。訃報を受けてからすぐ、怪しい人たちが家に来なかったかい?」

「えぇ、来ましたけど……言われるがままに印鑑を押されて……」

「その時に保険金をぶんどられたんだろうね」

「ま、まじかる……やみきん……」

 電子機器がショートしたみたいに、少女はしばらく身動きができなかった。それもショッキングな現実に打ちのめされているわけではなく、やたら頻出するマジカルと付く単語が解せないからだった。

「で、本題だけど。僕らの組織は、魔法少女の育成・派遣を仕事としていてね」

「魔法少女…………新手の売春、ですか?」

「ないない。そんなのはマジカル風営法が黙っちゃいない。僕らはいわゆる何でも屋というやつさ」

「まじかる風営……法……」

 ふわふわした幻想的な四文字と、仰々しい法律名の組み合わせはあまりにも不釣合いで、いよいよ少女は(あぁ、真面目に考察したら負けなんだな)と思った。

「正確には異能社会における協定の俗称で、マジカル風営法なんて法律は存在しないけどね。でも絶対不可侵の協定だ」

 妖精さんの社会にも色々とあるんだなぁ、などと少女は呑気に感心する。このイタチ人間のことは、不思議な不思議な妖精さんの一種であると半ば強引に納得したらしい。

「少し脱線しちゃったね……魔法少女の募集は普段からかけているけど、会長の意向で、身寄りのない子は優先的に保護するようになっているんだ」

「私みたいな子が、他にも?」

「うん。そもそも表社会で生きていくのに、魔術事件に巻き込まれたという経歴は、それだけで危うい。そこらの一般人は異能のことなんて知らないだろうけど、魔術社会を忌み嫌うアウトローの異能……人物や家系は一般社会にも多く潜んでいる」

 表社会への復帰が難しいという話の深刻さに、少女は形だけは理解を示す。だが、どうにも現実味が追いつかなかった。

 両親を突然失ったことの寂寥、怪しい事務所に連れて来られたことの不安、謎のイタチ人間と遭遇した困惑。さまざまな感情がない交ぜになり、視界の全てが他人事のように思えていた。

「ここに所属してくれれば、寮を提供できる。生活に充分な給金も出せる。僕らは、君の力を求めている。どうかな、一つ、魔法少女になってみる気はないかい?」

 少女に選択肢はなかった。否、選択するつもりもなかった。たとえ表社会に戻ったところで、彼女の居場所は既にどこにもない。訝しみこそしたが、少女は迷わなかった。

「……よくわからないですけど、よろしくお願いします」

「随分と決断が早いね」

「正直、自分のことはもうどうでもいいと考えてます。生きられるなら何でもいいです」

「…………子供がそういう事を言うものじゃない」

 この時はじめて、スーツにヅラのイタチ人間が顔をしかめた。

 見た目がシュールすぎるあまり迫力は感じられなかったが、これまで彼に対してどこか胡散臭い印象を受けていただけ、意外に真摯な人かもしれない、と少女は驚いた。



 数分後、路地裏にイタチ人間と女子中学生の姿はあった。

 イタチ人間曰く、宿舎と本部を紹介してからさっさと契約の儀式を済ませる予定らしい。よくわからないけど、何処へ連れ込まれようが最早どうでもいい、と少女は諦観していた。そんな考えを先ほど咎められたばかりだが、咎めた張本人が最も不審なのだから、改めるのも億劫だった。

 ふと少女の方に振り向いたイタチ人間が、手を差し伸べてきた。握手を求めているのだろうか。

「そういえばまだ名乗ってなかったね。僕は眷属アナト」

「け、けんぞ……?」

「僕のように少女と魔法契約を結べる幻獣は、一般的に眷属と呼ばれているんだ」

 背広のイタチ人間が常識を語る様は、一周してむしろ説得力がある。

 とりあえず握手には応えたが、次から次へと繰り出される異界の知識に少女の脳はパンクしかけていた。

「はぁ……よろしくお願いします」

「そういう君の名前は……えーっと」

 アナトは唐突に立ち止まり、手元の資料をぱらぱらとめくり始めた。どうやら彼は少女の名前をまだ覚えていないらしい。

 彼女にとって名前を覚えてもらえないのはいつもの事で、こんな不思議世界の幻獣が相手でもそれは同じなんだな、とむしろ安堵を覚えた。

「救仁郷緋桐……くにごう、ひぎり」

「くにごう……珍しい苗字だね」

「よく言われます」

「…………」

 もはや彼女にとっては定型句でしかない一言を最後に、二人の間に沈黙が訪れた。

 アナトはなにやら資料を探しているらしく、鞄の中をほじくり返している。幻獣を名乗る割に、毛ほども威厳を感じさせない背中だった。

 一方で緋桐としても特に振るべき話題や質問はなく、黙っている他なかった。そもそもイタチ人間と何を話せばよいのか、考え付きもしない。

 そうこうしている内に、二人は開けた場所に出た。ビルの陰に遮られていた日光が網膜へと雪崩れ込み、トンネルの出口さながらに緋桐の視界を奪う。

 光は思いのほか強く、瞬きを繰り返して目を慣らし、緋桐が目前の光景を視認できるようになるまでに由に一分は時間がかかった。

「着いたよ。あそこが本部にして、魔法少女たちの宿舎だ」

 魔法か何かを行使したのか、あるいはこの道に慣れている為か、アナトはさしたる不自由もないようである。緋桐は今まで彼を着ぐるみの怪人としか思っていなかったが、この時ばかりは不思議と素直に感心していた。そしてそれ以上に感嘆を誘ったのは、回復した視界に広がる光景だった。

「あれ? ……あれっ!?」

 大気圏まで見通せそうなほど雄大な青空、見渡す限りを覆いつくす向日葵畑、そしてその中心に鎮座する天文台――――直前まで目にしていたコンクリートジャングルからはまるで想像もできない景観だった。

 わけもわからず緋桐は慌てて背後を振り返ったが、バス停と思しき掘っ立て小屋が影を落としているのみで、ビル街の面影はどこにもない。

「関係者だけが持つパスに反応して、本部事務所まで転移させる魔法の壁……結界の応用さ。初めて来る子はみんな驚くよ」

 アナトは苦笑気味にさらりと言ってのけたが、緋桐は依然として何が起きたのかわからないでいる。正真正銘の魔法を目の当たりにして、平静を保っていられるわけがなかった。

「さぁ、行こう。あの天文台が本部だ」


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