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エデンズライフ  作者: 田中承太郎
第一章 始まりの九日間
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1-6

 こうして、あっと言う間に十日間が過ぎた。ギルド<ネクラキドリ>はジズとリスという戦力補強によって破竹とも言える会心撃を続け、S級ギルドにはまだまだ遠く及ばないものの順調にイベントをこなしていった。


 またアップデートの情報はプレイヤーにとって周知のものであり、また全員が楽しみにしているイベントのひとつであった。わずかに凋落の兆しを見せていたエデンズライフだが、初めての大型アップデートということもあり、一度は辞めたものの再びプレイを始めるプレイヤーも多いようだった。ここに来て、エデンズライフは完全に過去の勢いを取り戻し、連日、ニュースサイトにはエデンズライフのアップデート情報が掲載された。


 ジズが送ってきた12月30日付けの報告メールを読み終えて、クィンは椅子にもたれ掛かったまま腕を組んだ。


 デスクに備え付けられた三段ある引き出しの一番上にちらりと視線を送る。そこにはヒノとクボエミの行方を追ったエージェントの報告が入っていた。しかし、捜査期間が短すぎる。たった5ページの報告書の末尾には、結局行方不明と記されていた。


 だが、少なくとも、二人とも本当に家に帰っていないらしいことが確認された。大家に確認したところ、クボエミは退職と同時に家を引き払ったようだ、と報告書には記されていた。実家にも戻っていないらしい。それどころか、クボエミの両親は娘が仕事を辞めたことすら知らなかった。つまり、クィンの部下に対する連絡が途絶える三週間も前から、彼女は周到に姿を消す準備をしていたようだ。クィンの妄想が、ひとつ現実になったということだ。だが、クィンは決して驚かない。それは彼女の妄想が、社会一般に言われる意味と多少、ニュアンスが違うからである。


 彼女の脳はありとあらゆるものを記憶することができる。一秒にも満たない時間でも、その瞳に捉えた映像は、また音声は、感覚は、情報は、得たその時のままの鮮度で、一分の隙もなく完璧に再現することができる。ここまではジズも知っていることだ。だが、この能力には続きがあった。


 人間は様々な情報を常に発信し続けている。言葉はもちろん、瞳の動き、その身振り、些細な癖。


 世界には、目の前で数字を数えるだけで、その数を聞いている人間の年齢を当てることのできるパフォーマーがいる。心理学者、あるいは超能力者とも言われる彼らは、対象者の瞳孔を見てそこから得られる反応で年齢を当てるのだ。クィンはさらにそれを拡大して、特定の人物が発する情報を丸ごと吸収し、それらを分析することによって脳内にその人格パターンを取り込めることにあった。


 普通の人間でも、仲の良い友達ならある特定の条件下で言いそうなこと、とりそうな行動を予測することができる。その精度が、クィンの場合はちょっとした未来予測の域に達している、ということだ。例えば脳内でジズとリスの思考パターンを展開し、会話させる。現実で同じことをさせると、かなりの確率で脳内の光景が再度展開されることになる。まるでクィンが台本を書いたかのように。


 この能力のことを人に話したことはない。同業者で優秀な人間──例えばヒノなどは気づいているだろう。だが、言葉にしたことは無かった。


 天才に始まり、鬼才、神童、現代科学の頂点、プログラマーの女王、クィンの綴りがQueenのeを取ったものから欠陥皆無エラーレスなど、様々な賞賛を浴びた。だが、同時に、化け物や、人間じゃない等、様々な誹謗中傷も浴びることになった。そうでなくとも、わずかな視線の動きからでもその思考を読み取れる彼女からすれば周囲の人間は正直すぎた。有名な学者として名を馳せていた両親ですら、彼女が12歳で大学を卒業した頃には既に自分の子供を見る目では無くなっていた。幼少の頃はそれで苦労したものだ。


 ともかく、これが、クボエミの失踪をクィンが事前に予期することができた理由だった。クボエミの情報はそれほど多くはないので、確率は低かったものの、無視するには高すぎた。彼女は優秀だったが、ヒノを妄信しているところがあり、地味だったが、決して実行力や積極性に欠けた人物では無かった。納得いかないことは上司とも張り合えたし、クィンの能力を理解しても物怖じすることは無かった。冷静に自己を分析し、必要とあらば必要なことを必要なタイミングで行うことのできる、一流のプログラマーだ、とクィンは評価していた。


 ヒノヒビトも姿を消している。資料によると、やはりクィンが考えた通り、彼女が電話した一週間前からのようだった。会社の正規の予定に出張の予定はあったようだ。しかし、その内容や宿泊先はおろか、どこに行ったのかすら、サークルサンズ社は把握していなかったらしい。誰も同行していない。大企業の責任者の仕事にしてはいささか奇怪な予定であるが、次元は違えどもともと天才としてクィンのように名を馳せるヒノの考えることなど、誰にも理解できない、それくらいの奇行もヒノならば仕方ないか、という風潮が社内にあったようだ。


 結果、ヒノは誰にも行き先を告げること無く、今から17日前に姿を消した。そして帰社予定の一昨日を過ぎても帰ってこなかった。その間、一切連絡もとれていないらしい。サークルサンズ社の上層部は、そのことを認識しているが、しかし公表するかどうかを迷っているようだ、と報告書には書いてあった。もともと出張の名目で外へ出ていたせいで、部下達にもどのタイミングで姿を消したのか把握できていないのだろう。ヒノが二週間、本当に仕事をしていたのだとすれば、まだ三日程しか経過していない計算である。あるいは気まぐれでいなくなった可能性も捨てきれないのでは、そのうちひょっこり戻って来るのではないか、という希望的観測が役員達に蔓延しているようだ。


 だが、サークルサンズ社の一大イベントであるアップデートを今日に控えたヒノが、気まぐれで姿を消すなどあり得るだろうか。確かに彼はプログラマーには珍しく派手好きだ。だが──。


 少なくとも、彼女の過半数はその意見に否定的だった。


 資産を完全に撤収することはできなかったが、なるべく被害を押さえるよう、既に手は打ってある。


 物質世界リアルにおける対応は問題ない。ただ、ジズとアリスにエデンズライフをプレイさせ続けるべきか否かがクィンにとっての懸案事項だった。


 正直なところ、クボエミがエデンズライフに悪意あるプログラムを組み込んだ可能性など、現状ではジズに話したとおり一パーセント、──否、それ以下の可能性でしかない。単にヒノとクボエミが駆け落ちした、というのが最も高い可能性だ。だが、いくらクィンでも値の与えられていない式の答を出すことはできない。隠された、あるいは見落としたピースがあれば、イコールの先は全く違う結末が待つことになる。


 サークルサンズに対する妨害かとも考えた。だがジズの報告によればアップデートは順調に準備されており、内部でネガティブキャンペーンが展開されている様子も無い。


「浮かない顔だ」


 ヒノが、目の前に座っていた。彼はエンターティナーの分かりやすいシンボルとして金色に染めた髪をオールバックに撫で付けて、上等な紺色のスーツを着ていた。ネクタイはしていない。代わりに、純銀製のサークルサンズの社章が襟につけられている。足を組んで、その上に婚約指輪のはまった手を乗せ、不適にクィンの顔を見つめている。誰も知らない人間が見れば、スポーツマンのようにも見えるだろう。


「あなたに何があったのか理解できないの」


 クィンは正直に言った。


「あなたはクボさんと消えた。それはおそらく、間違いない。それが任意なのか、強制だったのか。クボさんは理性的な人だった。あなたに好意を寄せていたとはいえ、無理矢理あなたを拉致するなんてしないはず。それをする必要があったの? それとも、わたしの知らない何かがある?」


「君の知らないことは世の中にごまんとある」


「そうね」


 肩を竦めて、ヒノを見据える。短く息を吐いた。


「でもそう言ってくれる人は少ない」


「彼は言ってくれる?」


「彼?」


「はは。それは意図的なもの? あるいは、無意識に制御しているのかな? 君はそちら方面に関しては、かなりブレーキを踏んでいる」


「そうかしら? いえ、そうね。確かに、こうして話すと分かるわね。反応があからさまに遅い。まるで一般人みたい」


「自分のことは分からないんだ。それは君も例外ではない」


「ええ、そうね。認識はしているわ。その、そちら方面に関しては。ただ、自覚していなかったかも」


「どちらも同じ意味だ」


「いえ、わたしが分かれば良いの。あなたには関係のないことだわ」


「そう。これも、関係ない」


「え?」


 クィンは、聞き返す。だが、目の前の後輩はまるで礼儀など知らないように──事実、彼は普段からこのような態度を取っていたが、目を細めて、言葉を続けた。


「これは、君には関係のないことだ」


「資金は?」


「……それは、まぁ、そうだな。だが君がそんなことを気にはしない。君は僕と違ってお金持ちだから」


 そう言ってヒノは微笑む。


「世界一有名なゲーム会社の社長の言葉とは思えないけれど」


「だが事実だ」


「そう」


 クィンは、意図的に息を吸った。


「あなたは、どこにいるの?」


「僕は、生きている?」


 彼の突然の言葉に、クィンは息を止めた。ほんのわずかな時間だが、言葉を探すのに時間がかかった。


「それを知りたい」


「そうではない。物質世界リアルの話ではないよ。物質世界リアルの僕がどこで何をしているのか、という話ではない。今ここで君と話をしている、君の妄想としての僕だ。ところで、妄想というのは少なからず自虐的だと思うのだけれど」


「自覚はしている」


「その言葉、君が部下の彼女に言った台詞をそのまま引用したいところだね。自覚があれば良い、というわけでもないだろう?」


「何が言いたいの?」


「君の脳内でこうして姿形からその思考パターンまで寸分違わず再構築されている僕は、果たして生きていると言えるのかな?」


「わたしの再現は完全ではない」


「だが完全である必要は必ずしもないだろう? 誰も生命の本質をそれと捉えることはできないんだ。別にオリジナルである必要は無い。極端な話だけれど、アカの他人を連れてきて君がそいつのことをヒノヒビトだと紹介すれば、された人間からすればそれは本物だ。今から君が僕のフリをしてサークルサンズの社長として振る舞うこともできる」


「そうしろと?」


「いや……心配は無用だよ。ただ、聞きたかっただけだ。こうして僕は自分で考えることができる。外見も与えられている。確かに歳をとらないし、君以外には見えないけれど、君にとって、僕というヒノヒビトはこうして存在している。君から見て、僕は生きているのか、死んでいるのか。社会的に、なんて無粋な言葉はNGワードだよ」


「それ、古い言葉ね。わたし個人としては、大抵の人間は生きていると言って良いでしょうね。必要な時にはいつだって会える。あなたともこうして会話ができているわけだし」


「ありがとう。そう言ってくれると思った」


「わたしは思ったことを言っただけ」


「彼にも、同じことを言える?」


「え?」


「やっぱり、君は面白い」


 ヒノはそう言って肩を揺らした。白い歯が覗く。だが、その瞳はどこか寂しげだった。


「呼んでくれてありがとう。君と話せて良かった。君に会えなければ、僕はNPCに関する論文を書けなかった。お礼を言いたかったんだ。ずっとね……」


 電子音が鳴り響いた。無機質な音。ヒノの暖かい、しかし虚構の音とは正反対のものだった。


「もちろん、ただの推測だけれど……きっとお別れの知らせだろうね。けれど、君は泣かないだろう。また会えると知っているからね」


「ありがとう」


「バイバイ、まどかちゃん」


 その呼び方はクィンとヒノが出会ったときに、彼が一度だけ使った呼称だった。クィンは電話をとった。それはクィンが雇ったエージェントからの連絡だった。


 その日、ヒノヒビトが死体となって発見された。

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