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空中に表示されたウィンドウを指でなぞる。白い枠内に整列する文字列が、ジズの指に合わせて上下して行く。内容に一通り目を通してから、ジズは隅の方に表示された×印に触れてそのウィンドウを閉じた。
「何読んでたんだ?」
石造りの室内。壁を削って作られた備え付けのベッドに寝そべったジズに、陽炎が声をかけた。ベッド自体は石造りで固いものの、その上に分厚い毛布とクッションを敷き詰めているので寝心地は悪くない。陽炎も、同じく石を削って作られた椅子にクッションを置いて座っていた。
全身をプレートメールと呼ばれる黒塗りの鎧で包んだ、見るからに屈強そうな男である。亡霊騎士という設定の彼は、生身の部分が存在しない。鎧の中身は空ということになっているからだ。兜に開けられた一文字のスリットの奥側には、赤く輝く灯火が二つ。それ以外は影と言うにはあまりにも濃い闇に包まれている。
「いやぁ、公式サイトのデータベース読んでた」
本当はとあるゲーム関連の雑誌のバックナンバーで、エデンズライフが発売される直前にヒノヒビトが語ったインタビュー記事を眺めていたのだが、それは言わないでおく。今更そんなものを読んでいる理由を突っ込まれると説明が面倒だ。
「次はどこを攻略するつもりだ?」
「うーん、どこがいいかな?」
ジズは特に考えなしに発言しながら、身体を起こした。サイバーネット上では意味はないが、それでも癖で首を曲げ、手を組んで大きく伸びをしてしまう。生来の癖は簡単に抜けたりはしない。
「四獣は倒したから、次は八天魔かなぁ。それか、六欲竜王か黄昏の皇帝か」
「お前、本当によく知っているな」
ジズとリスが陽炎率いる<ネクラキドリ>に入団してまだ五日しか経っていないが、二人の活躍はめざましいものがあった。
プレイヤーには二種類の強さがある。ひとつはレベルと呼ばれる数値で、これはプレイヤーの戦闘能力を分かりやすく数値化したものだ。これはエデンズライフの世界に潜む様々なモンスターを倒すことによって得られる経験値を貯めることによって上昇し、数字が大きければ大きいほど単純に強いということになる。だが、ジズとリスの二人はこのレベルに関して言えばそれほど高くない。
陽炎やバニラのレベルが778と760、それに対してジズとリスは698と702である。各種パラメーターの総合値は陽炎やバニラが圧倒している。
しかし、エデンズライフにはもうひとつ、数値化できない強さというものがある。それが、経験と知識だ。
経験とは、簡単に言えばアバター──サイバーネット上に構築されたデジタル世界の身体──は、例えば呼吸を必要としないし、先ほどジズがやったような間接を鳴らす、あるいは伸びなどは全く意味のない行為だ。重力制御も、基本的に物質世界に準じているものの、細かい部分は計算が膨大になるため省略されている。そういったアバターの癖を理解し、いかに上手くアバターを操作するか、ということが重要になる。岩を砕く腕力や何メートルも跳躍できる脚力があっても、それを操るプレイヤーが不慣れでは攻撃を敵に当てることもできない。それにいくらゲームとはいえ、ドラゴンの吐き出す炎や闇の騎士が繰り出す槍に立ち向かえるだけの精神力も必要だ。
そしてさらに重要なのが知識だ。北海道ほどの広大な大地に、大小合わせて万に届くのではと言われるイベント、300体のボスキャラクター、1000種の敵モンスター、3000を超えるアイテム群。これらを効率よく討伐し、収集するために情報は不可欠だ。
どこに行けばどんなイベントが発生し、どの狩り場が効率よくレベルが上げられるか。どのアイテムを集めれば良いのか、強敵に対する対処法は。
こうした知識はエデンズライフで非常に高値で取引されている。社会現象を引き起こすに至ったエデンズライフでの地位は、実社会でもちょっとしたステイタスになりうる。最上位プレイヤーともなれば、その知名度はその辺のタレントを凌ぐ勢いだ。
それが、エデンズライフの攻略情報が上位プレイヤーによって占有化される原因を作った。攻略情報は基本的にギルド間でのみ共有され、あとは交渉か、もしくは金銭を支払って得るか、地道にゲーム内でNPC相手に聞き込みを行うか、優越感に浸りたい上位プレイヤーが気まぐれに吐き出した真偽不明の情報が掲示板に書き出されるのを待つしかない。
ジズの強みは、その知識量が同レベルのプレイヤーを遙かに凌いでいるという点であった。ともすれば最上位プレイヤーに匹敵するのでは、と陽炎が疑ってしまうほどに。
「前々から聞きたかったんだが、どこか有名なギルドにでも居たのか?」
「いや、そういうわけじゃないよ。ただ、物質世界の知り合いに滅茶苦茶詳しい人がいるだけだよ」
それはもちろん、クィンのことだ。なにせエデンズライフの基礎プログラムを組んだ開発者である。イベントの内容や敵モンスターの制御は専門外だが、彼女の場合、一度見たものは絶対に忘れないので、開発に関わっているうちに攻略情報もほぼ全て頭の内に納めてしまっている。当然、開発者が攻略情報を横流しすることは暗黙の了解で御法度なので、ジズがそのことを他者に漏らすわけにはいかない。ジズがそれを教えてもらえたのも、とある事情からであって決してクィンが情報を軽々しく扱っているわけではないのだ。
「その人が親切でさ、いろいろと教えてくれるんだ」
「へぇ。それだけ詳しいとなると、<炎帝騎士団>か<空の揺籠>のプレイヤーかもな」
陽炎は疑う様子もなく、納得したようにS級ギルドの名を列挙する。
(まぁ、先輩はエデンズライフにアバター持ってないけどね)
ジズは曖昧に微笑んで、この話題を打ち切った。
「まぁまぁ、<ネクラキドリ>ももうすぐS級に昇格できるさ。必要条件の半分はクリアしてるんだろ?」
「ああ。遺跡級・拠点の占有はこの<ネクロ・ハーデス>神殿で条件クリアだしな。ウロボロスの世界竜討伐もやったし。お前のおかげで四獣が守っていた四宝も手に入れたし」
「六欲竜王と黄昏の皇帝を倒すにはまだまだレベル足りないかな……、それに問題はレベル800の上位プレイヤーが十人以上って条件だな。良い狩り場はギルドが占有してるからなぁ……最悪、ギルド抗争で横取りするか……」
「<炎帝騎士団>は勘弁な」
「まさか。レベル1000が10人近く所属してるエデンズライフ最大最強ギルドだぞ。あんなとこに喧嘩売って勝てるギルドなんか存在するかよ」
レベルの数値は1000でカウンターストップするようにできている。筋力値や俊敏値など、詳細なパラメーターにどれだけ数値を割り振るのかはプレイヤーの意思に委ねられているため、一概には言えないにしても、レベル1000のプレイヤーは横並びで最強の称号を得ている存在だ。ジズがプレイしていた当時でも、約1000人がレベル1000でカウンターストップしていた。
「今は50人くらいだそうだぞ? それにプレイヤーランキングのトップ10のうち5人が<炎帝騎士団>だ」
「え。今そんなに顔利かせてんの?」
ジズの知識の大半は一年前、最新でも半年前で止まっている。ほぼ不変の攻略情報はともかく、流動的な情報に関してはやはりずっと遊んでいる陽炎には及ばないらしい。
ジズは人差し指と小指だけを立てた右手を握って、それを突き出したのちに、下ろす。それが、このエデンズライフにおけるメニューウィンドウを表示させるのに必要なジェスチャだ。白い枠が現れる。まず、ジズと言う自分の名前が表示される。その下に、レベルを初めとする、筋力値や俊敏値といった各種ステータスが並び、その横に現在装備しているアイテムの名前が並ぶ。
ウィンドウの右側に、画面を切り替えるタブが幾つか並んでおり、ジズはその中の<公式サイト>という文字に触れた。瞬時に画面が切り替わり、エデンズライフのロゴマークと更新履歴やニュースなどといったメニューが表示される。何度かボタンを押して、ジズはプレイヤーランキングを表示させた。
プレイヤーランキングはレベルや装備品、所属しているギルドのランク、持っているレアアイテムなどを全てポイント化し、その合計値でランキングを競うものである。一位から順番に名前を確認する。
「マジか……まぁ、ギルドの勢力は陽炎の方が詳しそうだから、ギルド抗争になったら頼む。正直、そこまで手伝えるかは分からないけど」
「ああ、そうか。最短で十日間って約束だったな」
「感謝してるよ。そんな無茶苦茶な加入条件を飲んでくれるギルドなんて珍しいから」
ジズは頭を掻きながら、言いなれない礼をする。
「いや、正直、こっちが感謝したいくらいだよ。思わぬ拾いものって感じだ。……なぁ、もうしばらく、俺たちとやるつもりはないのか?」
「ああ、いや、別にギルドを渡り歩いてるわけじゃないんだ。俺、今大学生なんだけどさ、来年、四年生だし。ちょっと気晴らしに来ただけなんだ。でも、ソロでプレイするのも寂しいだろ?」
「なに言ってんだ。リスちゃんがいるじゃないか」
「いや、結局二人じゃたかが知れてるし」
本当のところを言えば、単にギルドに入るのが情報収集には手っとり早いというだけの話なのだが、それはもちろん伏せておく。
「そんなこと言って、リスちゃんに怒られるぞ?」
「うん? そうかな。あいつも、みんなでワイワイやるのは好きだと思うけど」
「そういう意味じゃないよ」
「じゃあどういう意味だよ?」
「いや、まぁ分からないなら分からないで良いよ……」
陽炎は口元を押さえて言った。笑いを堪えているようだ。
「とにかく、考えておいてくれよ。ギルドのこと」
「ああ……まぁ、でも、そうだな。時々はこうしてまた冒険するのも楽しいかもな」
それは、ジズの本心だった。五日間とはいえ、仮想とはいえ、それでも死線をくぐり抜けてきた戦友たちだ。たとえ本名を知らずとも、素顔を知らずとも、情は湧くし心を通わせることもできる。
「他のメンツも、たぶん、そう思ってるよ」
陽炎の言葉に、ジズは自然と頷いていた。
「さて、と。今日はそろそろ落ちようかな」
身体を伸ばしながら言う。
「うん? そうか。……そう言えば、リスちゃんは今日来なかったな? 昨日もか」
「いえ、今日は来てるみたいだぞ?」
ジズは出しっぱなしにしていたメニュー画面から、同じギルドメンバーの一覧を表示させていた。エデンズライフを現在進行形でプレイしているメンバーは白で、していないメンバーはグレーで名前が表示されているが、リスは白く発光している。陽炎も、自分のメニュー画面からそれを確認する。
「本当だ。そう言えばバニラもいないな。二人とも一緒か?」
「わからないけど、多分ね」
ジズはメニュー画面に並んだボタンの一番下にあるログアウトと表示されたボタンを押す。<本当に終了しますか?>というシステムからの問いにYESを選択すると、<30秒後にエデンズライフを終了します。なお、アバターは1分間保持され、その間、モンスター及びプレイヤーからの攻撃に対して無抵抗となります。安全な場所でログアウトして下さい。キャンセルする場合はキャンセルボタンを押して下さい>というお決まりの文句が表示される。
「リスには先に帰るって伝えておいてもらえるか?」
「また、怒られるぞ?」
「また?」
ジズの問いかけに、しかし陽炎は肩を竦めるだけだった。カウントがゼロになる。視界が暗転する。急速に、音が、光が、感覚が遠ざかった。陽炎の言葉をちゃんと聞きたかったが、しかし、それは不可能だった。あらゆる感覚の遮断された、数秒の静寂。不思議な感覚だ。<SeConD>がエデンズライフと脳の接続を切断し、改めてサイバーネットに接続し直している時間。深海の中を彷徨う感覚に近いが、もっと深い。宇宙を彷徨えば、こんな感覚だろうか。そんな想像をするが、宇宙はもちろん、深海に潜った経験もジズには無い。やがて、耳に何かが高速回転しているような、甲高い振動音がわずかに届くようになる。まず耳が聞こえるようになるのは、まるで赤ん坊のようだ。続いて、視界に英文が表示された。規則正しく整列した無数の文字が、左から右に流れていく。
「お帰りなさいませ」
ガブリエラの声がジズを迎えた。視界が開ける。円形のホールだった。床は石造りで、ホールを取り囲むように木製のテーブルが並んでいる。プライベートエリアと呼ばれるそこは、サイバーネット及びローカルネット上に構築された個人の記憶領域の総称で、要するにネット上の個室のようなものだ。ジズの持ち物であり、ガブリエラの支配域である。
「広い部屋だね」
ジズは周囲を見渡しながら言った。実際は広いなんてものではない。ジズとガブリエラ以外誰もいない空間は大学の講義室よりも広い。ぐるりとホールを取り囲んだ壁面にはアーチ型にくり抜かれ、その外側にはまだまだ空間が続いている。本棚が無数に並んでいるのが見えた。
「米国議会図書館の閲覧室を再現してみました。ジズ様が前回のお部屋では狭いとおっしゃいましたので」
「いや、これは広すぎでしょ」
前回、クィンがジズにアルバイトを持ちかけた部屋をガブリエラが再構築した結果こうなったらしい。米国議会図書館と言えば世界三大図書館のひとつだ。個人には手に余る代物である。
「では、再定義をお願い致します」
「一回りか、二回りでいいよ。もう少し細かく定義するなら、1.2倍から1.5倍程度かな」
プライベートエリアが広くても、物質世界のそれと違って土地やお金が減るわけではないが、その代わりに記憶領域を消費する。
「畏まりました。では、再構築致します」
「いや、今はこれでいいよ。とりあえず、クィン先輩の報告書をやっつけちゃうから。コンソールはどこ?」
「こちらでございます」
サイバーネットがどれだけ普及し、高性能化しても、今のところ人類は物質世界と同じような使い方しかしていない。<SeConD>を利用すれば思考をそのまま文章化したりできるが、わざわざアバターを利用して手で打ち込んでいる。もちろん、それでも物質世界と違って疲れない、必要な情報をいつでもどのような形でも参照できるなどのメリットはあるが、それにしてもダイレクトに思考をテキスト化する方が圧倒的に効率的で早い。エネルギーのロスも少なくて済むだろう。にも関わらず、このような形態で<SeConD>が利用されているのは、単純に人類がそれを望んでいるに他ならない。自分の肉体を使うことに慣れている、と言い換えても良い。生まれてからずっと操っている物質世界の身体から影響を受けている、束縛されているのだ。これは、精神が受ける束縛と同じ種のものだ。心も、肉体の影響を受ける。お腹が空けば苛立ってくるし、眠くなれば何もやる気にならない。熱が出れば動きたくなくなるし、思考も鈍る。この束縛から逃れられる術は今のところ見つかっていない。
今でも、サイボーグ技術は日進月歩の勢いで進化を続けており、脳幹を除いたほぼ全ての部分を機械化した全身サイボーグの例は少ないながらもニュースなどで報告されている。しかし、どれだけ資金があっても、どれだけの技術があっても、今のところ、意識それ自体を移動させる技術は存在しないからだ。記憶をまるまる移し替えても、それで意識それ自体が移動するわけではない。自分の記憶や思考プロセスを目の前の外部記憶装置にコピーしたとして、それが間違いなく起動しても、それはあくまでも自分と同じ記憶や性格を持った他人であり、本人そのものではない。時々、永遠の命を持った人類の誕生も間近などとのたまうニュースが流れるが、それはあくまでも外部記憶装置に複製された別の生命であって、身体を持った人間がそのまま生き長らえられるわけではない。近い将来、全身サイボーグが一般的になれば、人類で最も多い死因は間違いなく脳梗塞を始めとする脳関係の病気になるだろう。これは、クィンの言葉だった。癌も、エイズも撲滅できるかも知れない。だが今のところ、脳を──脳幹という容れ物に縛られた精神を、守る術はない。これが、予想されうる人類の限界だ。




