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エデンズライフ。その舞台である異世界セーフィ・ロートは北海道ほどの面積を持つ大陸である。北海道程度の面積では島というのが正しいのかも知れないが、少なくとも、ゲーム内ではそう説明されている。
大陸は十のエリアに分割されており、それぞれに極寒や砂漠、亜熱帯や湿地帯など、様々な気候と地形がかなり極端に割り振られている。
それらエリアのひとつであり、設定では誰も寄りつかない不毛な大地とされている山岳地帯に、ギルド<ネクラキドリ>の本拠地があった。
岩肌を剥き出しにした、巨大な岸壁をくり貫いて建造された神殿<ネクロ・ハーデス>がそれだ。神殿は毒の沼地や毒を持った植物を擁する高原に面しており、数々のアンデッド型と呼ばれる不死の亡者や亡霊が、プレイヤーに襲いかかるという、プログラマーに与えられた任を果たすために徘徊している。
そんな<ネクロ・ハーデス>の大回廊を一人の女が歩いている。金髪壁眼の弓兵。動きやすさを重視した装備は革製のものをベースに、胸当てや肘、膝といった箇所を金属性のもので固めている。弓を射るためのフィンガーレスグローブに、矢筒は腰に下げているが、肝心の弓は持っていない。エデンズライフの世界では、武器はプレイヤーの意志ひとつで何もない空間から簡単に取り出せるからだ。歩いていたリスは、同じギルドメンバーであるバニラに呼び止められて振り返った。
「やっほぉ、リスちゃん」
ゲームにはリスの名で登録してあるので、バニラはアリスというリスの本名を知らない。もちろん、バニラも本名ではないだろう。
バニラは一言でいうなら大人の女性だ。あくまでもゲーム内のことなので、操作しているプレイヤーが実際は自分より年下という可能性、あるいは男性である可能性もあるのだが、リスは外観も含めて、これが彼女の素であろうと考えていた。目の前で気楽に手を挙げた明るいソバージュヘアの女性は、ぴったりとしたボンテージに手を加えたような衣装に身を包んでいた。身体のラインが丸見えなので、アリスは絶対に着れないと思うが、バニラはそれを見事に着こなしている。彼女は吸血鬼という設定でこのゲームをプレイしており、微笑んだ口から覗く発達した犬歯がなんとなく色っぽい。リスは時々、どうすれば彼女のように色っぽくなれるのか、ということを考える。
「どうだった? ジズくんとのクリスマスは? 雪降る森に行ってきたんでしょう? あそこ、結構穴場だよね。みんな氷結城に行っちゃうから」
バニラの言葉に、リスは大仰に首を振って見せた。
「どうもこうもないですよ。寒いの一点張りで。モミの木の前でわたしが休もうって言ったら、切り倒して薪にしちゃったんですよ? あり得ると思います?」
「うわーさすがにそれは無いなぁ。ちょっと引くわ」
バニラは顔をしかめて、うなだれるリスに憐憫の視線を浴びせる。
「本人はたぶん、自分が切った木に名前がついていることすら認識してないと思いますが」
「それで、ちゃんと言ったの?」
「え?」
リスは何を言われたのか理解できずに顔を上げた。そこには、バニラの驚いた顔がある。
「あらら。駄目だよ、そんなんじゃ。ちゃんと思ったこと言って、喧嘩しないと。気持ちってね、ため込むと良くないの。どんどん吐き出して換気して、風通しよくしてあげないと。溜まって腐ると、もう大変なんだよ。リスちゃんはまだわかんないかもしんないけど、こびりついちゃって。大掃除が大変。本当に、コンロのこびり付きみたいになるんだから」
「えっと、そうですよね。言わないと駄目なのは……分かってるんですけど……」
リスは頬を掻きながら、それでもバニラの視線をまっすぐに受け止められなかった。どうしてだろう。いつから自分はこれほど弱くなったのか、と自問する。かつての自分なら、むしろバニラの意見には諸手をあげて賛成していたはずだ。
「まぁねぇ、こればっかりは、分かっていてもなかなか、ね。それで、昨日は来れなかったんだ?」
「あ、いえ、違います。クリスマスイブにこっち来ちゃったから、クリスマスくらいは家にいろと父に言われて」
リスは両手を広げてバニラに見せる。ジズとリスがバイトを初めて、既に五日が経過していた。折り返し地点である。
「あの、バニラさんは、陽炎さんとはいつからお付き合いされているんですか?」
リスはここ数日間、ずっと聞きたかったことを口にした。今度はバニラが、少し言いづらそうに視線を逸らした。陽炎というのはジズやリス、バニラが所属する<ネクラキドリ>のメンバーであり、バニラの物質世界の恋人だった。
「え? あぁ、わたしたち? わたしたちはねぇ、二年ほど前かしら」
「物質世界でお知り合いだったんですか?」
「いいえ、違うわ。こっちで出会ったの。まぁ、最近じゃありがちだけれどね。三年前だったかしら? サイバーネット上で知り合って結婚するカップルが物質世界で知り合ったカップルを上回ったのって」
「結婚されるんですか?」
結婚、という単語に反応したリスは目を大きくする。
「あ、ええ、そうなの。来年の三月に」
バニラはリスがこれまで見たこともない笑顔で頷いた。
「本当におめでとうございます。みんなにはもう言ったんですか?」
「いえ、それはまだ。ほら、なんていうか、恥ずかしいでしょう? いろいろと」
「えぇ、だって、報告するべきですよ。そんなニュース。いつまでも隠しておくのはズルいです。幸せはみんなで共有するものですよ」
「そうねぇ。アップデートのフェスティバルで発表しようかな、なんて陽炎とは話してるんだけど」
「素敵!」
リスは両手を組み合わせて思わず飛び跳ねてしまった。
「じゃあ、そのときはお祝いですね。わたし、何か考えておきますね」
様々なプレゼントがリスの脳裏を走馬燈のように駆け巡る。花束。ケーキ。二人の似顔絵。お揃いのカップ。写真立ても良い。それとも、時計が良いだろうか。それらは、どれもリスが欲しいものだった。
「あぁ、そうだ。リスちゃん。前祝いに……ってわけじゃないんだけれど、お願いがあるの」
「はい、何ですか? 何でも言ってください!」
「じゃあ、遠慮なく。……今から炎帝竜を倒しに行きたいの。ほら、遺留品で炎宝石が出るでしょう? あれがあれば緋色のドレスが作れるから」
「そんなことならおやすいご用ですよ! 今から行きましょうか」
「あら、でも先にジズくんに顔を見せてきたら? まだ今日は会ってないんでしょう?」
「あんなの、ほっとけば良いんです!」
リスはくるりと向きを変えると、今来た回廊を再び戻り始める。バニラはあわててその後を追う。




