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クィン先輩の妄想が留まるところを知らないのでR-15になりました。
エデンズライフの開発兼販売元のサークルサンズ社、開発一課に所属していたクボエミが行方不明になったのは、クィンがその話を仕入れたおよそ一週間前だった。
クボエミはヒノの後輩であり、つまりはクィンやジズとも同じ大学に通っていたことになる。今年で三十路。ジズからすれば先輩、クィンから見れば後輩である。年齢から考えれば自然ではないが、クィンが大学を卒業したのは12歳のときだから、歳が五つ上のヒノですら後輩にあたる。
クィンがクボエミの情報を得たのはほんの偶然からだった。それは部下の一人が言い出したことだった。
「ほら、先生。サークルサンズにクボって居たじゃないですか?」
プログラマーの部下がクィンにその成果を報告し、そのまま昼食をとることになった時のことだった。二人はクィンの部屋の応接室に腰掛けて、コンビニの弁当を広げていた。基本的にクィンは食べ物に興味がないので、必要な栄養を短時間でとれれば、それで良かった。
「ああ、あの眼鏡をかけたそばかすの?」
クィンは名前とともに彼女の全身を思い出す。360度、欠けている外観の情報は頭上と足の裏くらいだ。出会ったのは4年と二ヶ月、12日前。声は硬質で、どちらかと言えば低い。
「確か初めて会ったときはオレンジのシャツに、グレーのパーカーを羽織っていたわ」
「そうです。あ、いえ、私は服装までは覚えてませんが」
「それが?」
「わたし、先生がヒノ社長のお手伝いをしたときに、同行させていただいたじゃないですか。その時にそのクボさんと知り合って、それ以来結構仲の良い友達になったんですけど……その子が行方不明なんです」
「警察には知らせましたか?」
目の前に座った部下は一瞬、きょとんとした表情を見せ、あわてて首を横に振った。
「ああ、いえ、その、多分、そんな大げさなものじゃないんです。ちょっと連絡がとれないだけで……その、誰にだってあるじゃないですか、そういう時期というか、なんというか」
「わたしにはありませんが、まぁ、想像はできます」
クィンは詰まらないと思いながらも、大仰にうなずいて見せた。既に思考の七割は別のことを考えていた。残った一割で先ほどの彼女の報告を検討している。さらに一割は頭の中でチェスをしていた。残った最後の一割で、彼女の相手をしている。ざっと16通りほど、部下が発した行方不明という言葉から連想される状況を考えてみた。
「連絡がとれなくなったのも、まだ、ほんの一週間ほどで」
「会社には連絡したのですか?」
「いえ、それは、まだ」
クィンの大部分はそこでこの話題に興味を失った。九割九分は別のことに回す。部下と会話するのは、彼女のほんの表層的な部分だけになった。喧嘩をしたのかも知れないし、あるいは目の前の部下が気づいていないだけで彼女に非があったのかも知れない。
彼女も、本気で心配しているわけではなさそうだ。ただ、上司との話題を探した結果、クィンも知っている共通の人物を話題として挙げただけだろう。
「では、連絡してみては?」
「あぁ、えっと、そうですね。はい、そうします」
部下がぎこちない笑みとともに頷いた。ようやく、話題の不適切さに気がついたらしい。
「すみません、変なことを言って」
「いえ、仲直りできるといいわね」
「え?」
部下が驚いた顔を上げた。彼女が口を開く前に、クィンは説明する。
「いえ、あなたとそのクボさんが喧嘩をした、というところを想像しただけです。人は言葉を選ぶクセがあるのをご存じ? 例えば、あなたは自分の言葉で人を傷つけた、と認識した場合、大抵、その責任を相手の曖昧な部分へと転嫁するくせがあるわね。相手が話を聞く状態にないのだ、というような主張を何度か耳にしています。そう、例えば同僚とミーティングが上手くいかなかった場合などに」
「あ、その、……」
部下はおろおろと、視線を自分の摘んだ箸とクィンの顔を行き来させる。その顔は真っ赤だった。
「以後、気をつけます」
「いえ、大抵の場合、あなたは正しいわ。自覚があれば、それで結構。喧嘩の原因は仕事……ではなく恋愛、ね。ああ、なるほど」
クィンは半分も食べていない弁当に箸を置いて湯呑みを持ち上げた。脳裏には先ほどからの部下の会話が映像付きで寸分違わずはっきりと再生されている。
「クボエミさんの意中の人というのはヒノ社長ですね。それであなた、ヒノ社長の名前を出したときに少し瞳孔が開いたのね」
部下は信じられない、という様子でクィンの顔を見つめている。クィンが自己抑制せずに話すと大抵こうなる。まるで化け物でも見ているかのような視線。普段は考えていても口にしない。そうしなければ社会に受け入れられないということをクィンは知っていた。
「しかしそれは多少、問題がありますね」
クィンは顎を指で摘むようにして言った。
「あ、あの、先生……」
「えぇ、もちろん、この話を外部に公開したりはしません。今のところ、あなたと私の思惑は一致します。ヒノ社長はご結婚なされていましたね。あなたはそれを彼女に指摘した。それはこの社会において正しい行為です」
無意味ではあるけれど。クィンはそうも思う。
「えぇ、悪いようにはしません。あなたのお話、とても有意義でした」
その言葉には多少、誇張があるものの、嘘ではなかった。既に優先順位が数段引き上げられている。サークルサンズ社には少なからず貸しがある。ヒノに頼まれて、わずかばかりの(といっても一般の感覚から言えばかなりの)金額を出資しているのだ。
些末な問題ではあるけれど、火の粉が飛んでくるのを黙って見過ごす手はない。裏付けをとる必要がある。クィンの大部分はそう判断した。
部下が退室したあと、クィンはすぐに行動に移った。
誰もいない室内で、つぶやきのように言葉を発する。
「アドルフ」
「はい、マスター」
机の上にあったスピーカーから、ダンディな返答。ジズがガブリエラという人工知能に室内のローカルネットワークの管理をまかせているように、クィンもまた、アドルフという人工知能に自らのローカルネットワークを任せている。
「サークルサンズ社の代表番号にコール」
わずかに遅れて、室内にコール音が鳴り響く。三回目で、相手が出た。
「ありがとうございます。サークルサンズでございます」
「エレクトロンの九鬼まどかです」
クィンが本名を告げると、相手が一瞬、息を飲んだのが分かった。
「大変お世話になっております」
「ヒノ社長に繋いでいただきたいのですけれど」
「あいにくヒノは出張中でして。社におりません」
「いつお戻りに?」
「え、ええと、そうですね。一週間後には、はい」
「どちらにいかれたのかしら?」
「それは……申し訳ございません。社外秘のためお答えできません」
「いつ頃からお出かけに?」
「それも──」
「一週間前ね」
これは完全にハッタリだった。ただ、相手の反応を見たかっただけだ。
「そ、それは……いえ、その」
「そう、分かったわ。ありがとう。では、開発一課のクボエミさんはいらっしゃいますか?」
「……お待ちください」
音声が切り替わり、クラシックをアレンジした音楽が流れ始める。20秒ほど待たされて、今度は男が出た。
「お待たせしました、先生。ご無沙汰しております。開発一課長のヨシギです」
「ええ、ヨシギさん。一年と八ヶ月、14日ぶりですね」
「先生はお代わり無く」
「ところでわたしがお願いしたのはクボエミさんなのだけれど」
「え、ええ。先生、それがですね、クボは先月に退職しまして」
「あら。そうでしたか」
「半年前から決まっていましてね。先生もご存じだとは思いますが、彼女はとても優秀でしたので、我々としてもかなり引き留めたのですが。まぁ、年末に行われるアップデート作業は最後までやらせて欲しいということでしたので、それを終わらせてからの退職になりました。すみません、先生のところにもご挨拶に伺わせるべきでした」
「お気になさらずに」
「それで、本日はどういったご用でしょうか? わたしでよければお聞きいたしますけれど」
「いえ。彼女に渡したエデンズライフの基礎プログラムはその後どうなったかと」
「ああ、ええ。あれはもう、大変有効に使わせていただいております。先生のお書きになったコードを読ませていただくだけで勉強になります。今度のアップデートでも、もうほとんど手を加えておりません。詳しいお話は社外秘ですが、そういうお話でしたら、ええ、クボではない方がある程度はお話できると思います。といいますのも、クボは一年ほど前から基礎プログラムから外れておりまして、退職する直前まではハードの制御関連に携わっておりましたので」
「ハードの制御を?」
「そうです。<SeConD>との相互通信プログラムですね……あの、現担当者に代わりましょうか? その、メインプログラムの方ですが」
「いえ、それには及びません。お役に立っているならなりよりです。ところで、ヒノ社長はお元気?」
「ええ。今は出張中ですが、元気ですよ。いや、ある意味重傷でしょうか。これだけ会社が大きくなってもまだ、自分でプログラムを組んでますよ」
クィンは通信を切って、革張りの椅子にもたれ掛かった。得た情報を吟味するが、多少、彼女の中でも意見が散逸気味だった。部下と会話した後、一番可能性が高いと感じたのはヒノとクボエミの不倫というスキャンダルだったが、クボエミは既に退職しているという。クボエミに子供ができたという可能性は無い。クボエミは退職を願い出てから半年間も働いている。隠し通せないだろう。だが、二人に何らかの関わりがあって、それが上手くいった、あるいは、それが破局した、という可能性は無くならない。しかしそれでは部下とのやりとりに矛盾が生じる。部下の言葉から察するに、クボエミは少なくとも一週間前まではヒノのことを想っていたと考えられる。そもそも、クボエミが連絡を途絶した日とヒノの出張が重なったのは偶然だろうか。
多少の調査が必要かも知れない。結論に至るにはまだ情報が足りていない。受付はヒノが一週間で戻ると言った。本当かどうかはわからない。嘘である可能性が高い、とクィンは考えていた。社は、ヒノが今現在どこで何をしているのか把握していないのではないか。そんな想像が頭をよぎる。では、ヒノとクボエミは同時に姿をくらました──。
最悪を想定するならばそこか?
ヒノ。クボエミ。恋愛。不倫。部下とクボエミの喧嘩。サークルサンズ。投資額。基礎プログラム。年末のアップデート。株式への影響。社会の反応。エデンズライフ。<SeConD>の相互通信プログラム。制御。
これまでの会話で得た単語と、その概念を瞬時に思い浮かべ、ジグソーパズルのように組み替えていく。
クボエミがヒノを誘拐し、エデンズライフになんらかの悪意あるプログラムを仕込んで姿を消した。
現状、最悪はここだ。
その可能性は限りなく低い。だが、起こり得ないというわけでもない。問題はその可能性に対してどれほどの力をさくかだ。隕石が地球にぶつかる可能性を恐れて、全人類をシェルターの中で生活させるわけにはいかないのと一緒だ。得られる利益に対して、どれほどのセキュリティを敷くか。
クィンは卓上に飾られた時計に目をやった。アンティークな時計で、時刻を示す針がある。デジタル表示が標準化した現在、部下たちはその読み方すらわからないだろう。視線からそれが分かる。クィンはただじっと秒針を見つめていた。
クィンが通信を切ってから、未だ十秒も経過していなかった。




