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「えぇ、なんなの、そのアルバイト?」
先ほどとは打って変わってアルミ製のテーブルの向こう側で、アリスは眉を寄せて怪訝な声を上げた。二人は八畳のダイニングで各々のパソコンを間に顔を突き合わせている。明らかに安物のラグに、無機質なブラインド、本棚のサイズもその蔵書量も先ほどの電脳世界のものとは比べ物にならない程少ない。時刻は19時前。同級生の来訪にはわずかばかり遅い時間と言って良いだろう。
ジズはアリスの視線を避けるように、先ほどスイッチを入れたコーヒーメーカーの様子を見に立ち上がった。
「ちょっと怪しくない?」
その姿を追いながらアリスが言う。
「クィン先輩の依頼で怪しくない方が珍しいんじゃない?」
ジズはキッチンに備え付けられたガラス戸からマグカップを取り出しながら言った。
クィンの依頼は、大体が意味のわからないものだ。怪しげな装置を頭につけて散歩をしてこいだの、たわいもないブロック崩しのゲームを三時間ぶっ続けでプレイしろだの。一番不気味だったのは血液を400CCほど採取されたことだ。当人は「なに、献血だと思えば良い」とかなんとか言っていたが。それに比べれば、まぁ、意味は分からないがなんとなく、マシな方だと思える。
「まぁそうだけど……」
アリスも思い当たる節はあるようで、言葉尻がしぼんでいく。そもそも、彼女も何度かジズ伝いにクィンのアルバイトを引き受けているのだ。アリスは金色のくせっ毛を揺らして、何かを考え始める。ちなみに彼女の金髪は地毛である。母親が英国人のハーフだからだ。
「えっと、砂糖とミルク両方だよね」
「そうそう。覚えてくれたんだ」
「いや、さすがに三十回以上言われたら覚えざるを得ないというか」
「何?」
「いや、なんでも」
母親譲りの碧眼に睨まれて、ジズはマグカップを両手に肩を竦める。カップを両手で受け取ったアリスはゆっくりと口をつけた。猫舌の彼女が飲める温度ではまだないだろう。
「じゃあ、これからずっとそのバイト?」
「そうだけど?」
「ク──」
「く?」
アリスは急に視線をカップに移して黙りこくる。彼女に超能力があったら、きっとコーヒーを冷ましているのだろうと思うところだが、そんなはずはない。
「どうしたの?」
「ク、クィン先輩ってさ、エデンズライフの会社だっけ? そこに居たんだよね?」
「あー、うん、厳密に言うと社員じゃないみたいだけどね」
「あ、そうなの?」
「そうそう。クレジットに名前も載ってないと思うよ」
急に話題が変わったのには戸惑ったが、黙られるよりは良い。ジズは過去の記憶を思い出しながら説明する。
「エデンズライフを作った会社はサークルサンズっていう会社なんだけれど、その会社の社長が先輩と知り合いなんだ。ヒノさんっていうんだけれどね、これがもう、天才プログラマーなんて言われてね、すごい人なんだけど……十八歳のときにNPCの新しいアルゴリズムを発表したんだけれど、それが最近のゲームほぼ全部で使われているんだよ」
「NPC?」
アリスが鸚鵡のように繰り返す。それを聞いてジズはわざとらしくこめかみに指をやった。
「アリス……エデンズライフ一緒にやったじゃない……なんでNPCもわからないわけ? NPCはノンプレイヤーキャラクター……プレイヤーじゃないキャラクター、つまり人工知能が制御してるその他大勢の人たちのことだよ。ほら、風車城のお姫様を悪い魔法使いから助けたでしょう? あのお姫様とか王様とか、魔法使いとかはプレイヤーじゃなかったでしょ?」
「ああ、うん、知ってたよ。NPCでしょ、NPC……ちょっとど忘れしてただけ」
アリスは腕を組んで大仰に頷いて見せた。ジズはまだひとことふたこと言ってやりたかったが、話が進まないので飲み込んだままにする。
「そのNPCの言動を制御するプログラムに一石を投じたってわけ。高校生でだよ? 大学では<SeConD>におけるグラフィック処理の高速処理に関する論文を書いてる……院生顔負けのね……天才だよ」
「でもさ、その社長と先輩は知り合いなんでしょう? だったらなんで、ジズに調査なんか依頼したんだろ? 知りたいことがあったなら社長に直接聞けばいいのに」
それは確かにジズも考えたことだった。だからこそ、スパイを疑ったわけだ。だが、それにしても今回の彼女の依頼はかなりいい加減だ。
「あぁ、もしかして、ヒノ社長の作ったものがどんなものなのか、それを知りたかっただけなのかも」
ジズはカップから手を離して言った。
「単純に自分が遊ぶ時間がないからさ、僕たちにプレイさせて、それで報告を聞きたかったんじゃないかな」
「あぁ……でも、それで危険なんて言葉使う?」
「あの人なら、あとで『人間、生きているだけで一パーセントくらいは危険があるものだろう』とか言いそうだけど」
「……まぁ、うん、そうか。言いそうだね」
アリスはようやくカップに口を付けた。
「そうだ、わたしも一緒に行って良い?」
カップから口を離したアリスが発言する。
「どこに?」
「バイト。エデンズライフ」
「えっと……それは先輩に聞いてみないとなんとも」
「感想を知りたいなら人数は多い方がいいでしょう? きっと先輩も駄目とは言わないわよ。あ、自分のバイト代が減るのが心配?」
「そういうわけじゃないけれど」
実際はその通りだった。しかしクィンはセレブだ。頼めばきっとアリスのバイト代も出してもらえるだろう、との予測もあった。
「もし駄目なら、わたしはお金いらないから」
「そういうわけにはいかないでしょ……わかった、頼んでみる」
ジズの言葉に、アリスは一瞬、──彼は気づかなかったようだが──彼を睨みつけてしまった。鈍感もここに極まり、だ。いったい、自分が何のためにここにやってきたというのか、彼はまるで気づいていないかのようだった。
あり得ない、と思う。わざと気づかない振りをしているのだろうか。もしそうなら──。
アリスは胸中でかぶりを振った。もしそうなら、どうだと言うのか。自分に採れる選択肢は限られている。攻めて、攻めて、攻めるだけだ。
かつては単一民族だったこの国も、かなりの割合で異国の血が混ざり始めている。ハーフ、という言葉もほとんど使われない。当たり前とまではいかずとも、珍しい存在ではなくなってきているからだ。わざわざ区別するまでもない。
だが、島国として存在するこの国の社会は、アリスから見れば不可解な雰囲気というか、習慣というか、一種の特徴を旧態依然と継承し続けている。
とにかく、恋愛に関係する男の行動や思考の一切が、鈍すぎる。アリスはとにかく早く答えが知りたい性分なのだ。今までずっとそうしてきた。良いなら良い、駄目なら駄目とはっきり言ってほしい。それが自分の性別に依存するものなのか、はたまた性格によるものなのかは分からない。時々、これが異国の血がもたらすものなのか、とも思う。
にも関わらず、アリスがジズに好意を寄せているのは自分でも不思議な感覚ではあった。これまでのアプローチを洗いざらいぶちまけて、自分のことをどう思っているのか聞きたい。そう思う自分がいる。それが大部分だ。しかし、少し待て、落ち着けと自分に言い聞かせる自分も、確かにいるのだ。これまでには無かったことだった。
とにかく、そんなこんなで正面切って戦うことを珍しくためらっているアリスは、だらだらと二年も片思いを続けている。記録は、ずっと更新され続けている。
アリスの脳裏に、クィンの顔が浮かび上がる。彼女は美人だ。凛々しく、あの長い髪をばっさりと切ってしまえば見ようによっては美少年にも映るだろう彼女は、アリスとは全く正反対のベクトルにいる。ジズはああいうのが好みなのだろうか。
「どうしたの? なんだか、怖い顔をしてるけど」
「レポートのことを考えてたの」
アリスはわざと冷たい声を発した。
「そう? まぁ、世界史は確かに面倒だよね。二人とも専門じゃないし」
アリスはカップで口元を隠しながら、短く息を吐いた。確かに、ジズは情報工学でアリスは文学部ではある。しかし、クリスマスの三日前に女の子が一人で家を訪ねてきているのだ。もっと他に言うことがあるだろ!
しかしそんなアリスの念も、ジズにはまるで通用せずに、彼は淡々と冬期休暇の課題に出された「メソポタミアで起こった文明の波及とその意義」に関して、延々と持論を解説し始め、その資料としてデジタル情報化された本のタイトルを列挙し始めた。
「……それでね、メソポタミアで起こった文明が他の文明に先んじて周囲へと波及していったのか、その原因は大陸の形なんだ。これは北米アメリカ大陸やアフリカ大陸にはない、ユーラシア独自の形状が原因だった。ほら、ユーラシアだけが東西に長いでしょう? 要するに周囲の人たちがそれを取り込みやすかったんだよ。南北だと気候の変化が激しいから、そのまま流用するわけにはいかないし」
アリスはその話をぼんやりと聞きながら、しかし目的は達成したのだ、と考え直した。アルバイトに採用されれば、否、されなくとも無理矢理にでもついていくことができれば、クリスマスは二人きりで過ごすことができる。
家族からすれば家族団らんの時間に一人ゲームをする娘の図の出来上がりだが、まぁ、そこはなんとか説得するしかない。
エデンズライフの世界にも、クリスマスはある。きっと楽しいだろう。




