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「いろいろ突っ込みどころがありすぎて何から手をつけていいのかわからん……」
陽炎が、<パブロフ一家>のいなくなった広場で呆然と呟いた。もちろん、いなくなった、というのは正確ではない。厳密に言えばジズがその大部分を切り捨ててしまった。相手は二十人以上いたはずだが、戦いは五分にも満たなかった。半数を倒した辺りから<パブロフ一家>は絶望的なまでの戦力差を思い知ったらしく、最後には散り散りに逃げていった。
陽炎がメニューを開いて公式データベースから<パブロフ一家>を検索してみるとギルドの状態が<半壊>と示されていた。エデンズライフではギルドに所属するとプレイヤーとギルド双方に様々な恩恵が与えられるが、同一日にメンバーが大量死すると全体数の割合に応じて様々なペナルティが課せられるしくみになっていた。八割を超えると<壊滅>、全員が死亡すると<全滅>と表示される。<パブロフ一家>は今の戦闘でその半数以上を失ったことになる。
「最優先は女の子だろ」
呆然とメニュー画面を見つめる陽炎に、剣を納めたジズが平然と言い放つ。彼の視線の先には、<パブロフ一家>に囲まれていた女の子の姿があった。今はとりあえず、リスとミューが取り囲んで落ち着かせているところだ。ディーゴは失った右腕をバニラに魔法で回復させてもらっている最中で、リスたちとは反対側の広場の隅に座り込んでいる。確かにジズの言う通りではある。だが、陽炎はそれでも聞かずにはいられなかったことを口にした。
「そうだけど、これだけは教えてくれ。お前本人が、あの<一騎当千>──、<黒の王>でいいんだな?」
「ああ……まぁ、そういうこと」
ジズは罰が悪そうに頭を掻きながら頷いた。その言葉に、陽炎は大きく息を吐いた。無理も無い。<一騎当千>と謳われた<黒の王>は半ば伝説とも言えるプレイヤーだった。<白の王>とコンビを組んでいるとはいえ、大規模なギルドを組織せずに誰よりも早く攻略を進めるそのプレイスタイルは、一部のプレイヤーからチートを使っているのでは? と噂されていた程だ。しかしジズ本人が<黒の王>というのは、今まで彼が提供して来た情報を鑑みるに、なるほど、相応しいとも思える。
「てことはリスちゃんが<白の王>か? ……かぁ、なんで気づかないかね、俺たちも」
しかし緊急事態だったとはいえ、ジズは未だにこのアバターを引っ張り出して来たことが正解だったのか考えあぐねていた。今のジズはレベルは1000でカウンターストップを起こし、最強の武器と最硬の防具を有している。魔法もスキルも覚えられるだけ覚え、アイテム欄にはレアアイテムがずらりと並ぶ。パラメータは当然のように最高値だ。もともと、この<黒の王>ジズのアバターはジズが自力で育てたアバターではない。その大部分が、クィンの知識に寄るところが大きいのだ。
クィンがサークルサンズ社でエデンズライフの基幹システムを構築した際、ジズはそのテストプレイヤーとしてクィンに雇われた。あくまでもサークルサンズ社には内密に、クィンの個人的なご意見番として、である。サークルサンズ社が雇った正規のテストプレイヤーは何人もいたが、彼女はそこから上がってくる報告に満足がいかなかったらしい。そこでもっと親密な連携のとりやすい、気心の知れたテストプレイヤーをと考えた彼女は自分の足で母校を訪ね、教授に適任者がいないかを尋ねた。そうして上がった名前がジズだったというわけだ。これが、二人の初めての出会いだった。
結局、エデンズライフが稼働したあともクィンは時折、エデンズライフ内のアバター制御に関するプログラムをバージョンアップさせたり、その挙動を観察していたらしく、ジズもそれに付き合ってことあるごとにエデンズライフをプレイする羽目になった。そのうちに自分でハマってしまったのも要因のひとつだが、ともかく、様々な状況でテストプレーを行う為には他のプレイヤーに先んじて前人未到のフィールドに赴く必要がある。しかしジズはエデンズライフにその存在を認められていないので、チートでそれを行うわけにもいかない。そこでジズはクィンからの攻略情報を頼りに自力で<黒の王>と呼ばれるまでにアバターを鍛え上げることになった、というのが<黒の王>の誕生秘話である。
だがチートではないとはいえ、開発者から攻略情報を仕入れるというのはゲームを純粋に楽しむプレイヤーからすれば邪道中の邪道だ。ジズはクィンが開発を離れると同時にこのアバターを封印した。先ほどまで使用していたアバターはその後に彼が自分自身で一から育てたアバターである。今回のアルバイトを引き受けるにあたってどちらのアバターを利用するかの指定はクィンからは無かったので、ジズは自力で仕上げたアバターを利用することにした。<黒の王>を再び使うのは、ズルをしているようで気が引けたし、そもそもそんな有名人としてエデンズライフをプレイすれば情報収集どころではないと感じたからだ。
「ということはリスちゃんも、変身できるわけ?」
変身というのはアカウント切り替えのことを言っているのだろう。確かにそう見えるかも知れない。
「ああ。あいつも別のアカウント持ってるからな」
「リスちゃんがあの<白の王>……<白弓姫>かぁ……一度見てみたいなぁ。魔女っ娘みたいじゃね?」
<白弓姫>というのはリスが主要武装に弓を愛用していたことからついたあだ名だ。
「なんだかエロいな、その発想」
ジズは半眼で陽炎を見つめるが、全身甲冑の彼の表情は相変わらず読めない。そういうところは羨ましいとも感じる。
「しかしまぁ、アバターを変更しなくてもあの動きだもんな……さすが<白の王>も伊達じゃないってことか」
陽炎が口にしたのは先ほどのリスの攻撃のことだろう。一度の風切り音しか発生させずに十人に矢を当てたあの動きは、気を削がれていたとはいえジズにすら見えなかった。
「あいつの方がアバター制御は上手いんだよ……ていうかあいつより上手いヤツはまだ見たことがない」
ジズは肩を竦めて言った。コミックのキャラクターみたいな動きである。だが彼女にコツを聞いてもただ「うぉーって動いてシュバッと撃つ」みたいな擬音しか発しないので、それ以上問いただすのは諦めている。結局のところ、才能なのだろう。当時、クィンがリスのバイト参加を認めた理由でもある。おそらく、アバター制御のリミットはアリスの活動限界周辺域でチューニングされているはずだ。
「とにかく、お前が<黒の王>でリスちゃんが<白の王>ってことは理解した。隠してた理由はまぁあとでたっぷり聞くとして」
それは是が非でもごまかすしかないのだが、続いて出た言葉にはジズも陽炎と同意見だった。
「──まずはあの少女だな」
二人して、リスとミューに挟まれる格好で石煉瓦の山に腰掛けている少女を見やる。髪の長い少女だ。歳は見た感じ十代半ばから後半と言ったところで、空色のワンピースを着ている。肩から胸にまでかかった垂れ落ちた長髪が闇夜に溶けて、彼女のやせ細った四肢の白さを一層強調している。困惑と恐怖に縁取られた表情と相まってまるで病人のようである。だが、不思議と病人が纏うような陰鬱な気配はない。むしろその弱々しさが魅力的に見える。雰囲気と良い、佇まいと良い、深窓の令嬢と呼ぶに相応しい美少女である。
しかし、気になることもある。それは彼女の服装だった。エデンズライフの世界セーフィ・ロートは比較的危険な世界である。物質世界に置き換えて考えれば治安の悪さはクーデター勃発中の軍事政権国家くらい酷い。街を一歩出ればモンスターが徘徊しておりプレイヤーを発見次第襲ってくるし、街中ですら全くの安全というわけにいかないのは<パブロフ一家>との騒動で明らかだ。<犯罪ギルド>とまではいかないものの、プレイヤー殺しくらいまでならば正規のルールで認められている。悪党という役割を演しているプレイヤーもいる。それが、ロールプレイングゲームというものである。故にこの世界では必要最低限の武装が必要不可欠だ。しかし彼女はワンピース以外にはエナメルのような光沢を放った、おそらく洋服に合わせたのであろう青い靴を履いているだけだ。砂浜などの娯楽エリアならいざ知らず、ここは冒険に旅立つ戦士たちが準備を整える場である。レベル1の初期プレイヤーでももう少しまともな装備をしているだろう。<パブロフ一家>でなくても、彼女が右も左も分からない初心者だというのは一目瞭然だ。
(──というより、あんな装備あったかな?)
とはいえジズも1000種類を超える装備品を全て暗記しているわけではない。ジズは胸中にふわりとわき上がった疑問をそのまま見送ると、少女にゆっくりと近づいていった。リスがこちらの接近に気づいて立ち上がる。そのまま待っているのかと思ったが、リスは少女を気遣うように視線をやりつつもジズたちに近づいて来た。彼女は長い睫毛を伏せたまま控えめの声で呟いた。
「相当怖い思いをしたみたい。混乱してる」
「名前は?」
「アカリちゃんだって」
「相当若そうだけど、歳は?」
「十二歳って言ってる」
思ったよりかなり若い。しかしアバターはいくらでも変更が利く。<パブロフ一家>もまさか小学生を口説いていたとは思わなかったのだろう。事実、見た目からはとてもそうは見えなかった。エデンズライフはプレイに要求される理解力やコミュニケーション能力の値が高いので、十五歳以上推奨とされている。それ以下でも遊べないことはないが、精神年齢が未熟だとゲームを途中で投げ出してしまったりすることがあるので周囲のプレイヤーからは相手にされない。
「てことは一緒に遊んでたクラスの友達とか、親がいるはずだよな?」
「うん、どうも、お姉さんと一緒にこの街に来たみたいなんだけど……」
リスは少女とジズの間で視線を行き来させる。彼女にしては珍しく曖昧な物言いだ。
「じゃあそのお姉さんを探せばいいんじゃないの?」
「いや、えぇと、それが……お姉さんから……その、逃げてるみたいなの」
「はぁ?」
それは一体どんな状況だ? いや、状況として想像できるとすればそれは一つしか無い。エデンズライフのアップロードを祝うフェスティバルに姉妹で参加したはいいものの途中で喧嘩別れしてしまったということだろう。
「何、それ。どうすんだよ、この状況……」
「そんなの、わたしに言われても」
精一杯顔を近づけて抗議してくるリスを押しやってジズは少女を改めて見つめた。不安げな瞳は所在無さげに震えつつも、知らない大人たちに囲まれているせいか視線は手元に固定されている。まるでどこにも逃げ場を失った亡国の王女のようである。断頭台行きが避けられない運命であるかのような、憂いと諦め。そこから発せられる感情は、まるでこの世界がゲームではないような真実味が含まれていた。
小学生であればそれも当然かとも思う。彼女のような年代の子らにとって世界は余りにも狭い。家族と、わずかばかりの生活圏、学校での生活が人生の大部分だろう。現実と悪夢の区別もつかない年頃だ。彼女の身体は自宅で姉と並んで<SeConD>にゆったりと寝そべっているはずである。メニュー画面のボタンをひとつ押してしまえば一瞬で家に戻ることができる。だがそれを意識できない今の彼女は見知らぬ、とてつもなく広大な大地に一人きりなのだ。
ジズは意を決して少女に近づく。自分に落ちた影に気づいて、少女はびくりと顔を上げた。
「アカリちゃん……でいいんだよね?」
なるべく穏やかな声を選ぶ。異性と、それも小学生と話す機会などジズには滅多にない。クィンとリスくらいである。元々、友人関係が稀薄なのだ。ジズは緊張を気取られないように、また少女が聞き取りやすいようにゆっくりと発音する。
「……うん」
アカリが、潤んだ瞳を上下に振った。今にも消え入りそうな声だった。髪がなめらかに落ちて彼女の肩をさらした。
「お姉さんと、喧嘩した?」
「……ううん。違う」
ジズはリスに視線をやる。彼女は小さく首を振った。アカリの言葉の意味するところが自分には分からない、という意味だろう。ミューも同じように首を振る。ジズは胸中でため息をつくと、アカリの顔の高さに合わせて腰を屈めた。
「お姉さんに会いたくないんだよね?」
「……うん」
「お家に帰りたい?」
これで頷いてもらえれば、彼女の姉妹仲がどうであれこちらの問題は解決する。単にログアウトボタンを押してゲームを終了してもらえばいいだけの話である。そうすれば彼女は次の瞬間、見慣れた自分の家の居間なり自室なりで目覚めることになる。だが、意外にもアカリはこの問いかけに対して首を振ったのだった。
「どうして?」
「お父さん、いない」
「お母さんは?」
「お母さんも、いない」
少女が唇を噛み締めるように言ったのと同時に、リスがスカートのように広がった服の裾をぐいと押さえるのが視界の隅に見えた。なんとも言いがたい重々しい空気が周囲にのしかかっている。感じるはずの無い喉の乾きを覚える。
「いつ帰ってくるかわからない?」
少女が、何度目かの頷きを繰り返した。
「困ったな」
ジズは誰に言うでも無く呟いて、メニュー画面を呼び出す。物質世界対応の時刻が表示されている。
──現在時刻22時16分。アップデートまで、あと1時間44分。
アカリをミューに任せて、残ったメンバーで円陣を組む。少女に聞こえない音量で今後の対応を話し合うことにする。ジズとリスがその場にいなかったバニラとディーゴにアカリとのやり取りを簡潔に伝えた。
「どうする?」
ジズが陽炎に尋ねる。このギルドのリーダーは陽炎である。まずは彼の意見を聞く必要があるだろう、という判断だった。
「いや、ゲームからログアウトさせるべきじゃないか? 小学生がこんな時間まで起きてていいものなのか? ……その、俺、子供いないからよく分からんけど」
「もちろん駄目でしょ」
即座に口を出したのはバニラである。全うな大人が何を言っているのか。しっかりしろ、とでも言いたそうな顔と口調である。
「ちゃんと家に返すべきよ」
「でも、アカリちゃん家にお父さんもお母さんもいないって」
リスが裾を握ったままバニラに説明する。言うたびに彼女は何かしらこみ上げるものがあるらしい。八の字の眉がわずかに震えている。
「えぇ、何よ、それ。共働きってこと? じゃあアカリちゃん、家に帰っても一人ってこと?」
「いえ、お姉さんがいるみたいなんですが……」
「だったら問題ないんじゃないの?」
「それが、どうもコッチに来てるみたいなんですよ。それで、この街ではぐれたっぽいんですが……」
「ああ、もう焦れったいわね。ちゃんと整理して話してよ」
ジズの説明に、バニラは明らかに苛立った声を上げる。彼女の言い分はもっともである。自分でもそう感じるが、小学生相手の聞き取り調査など今までにしたことがない経験である。情報が断片的な上に時系列もバラバラで、どう道筋をつけて良いものか分からない。これまで接したことがなかったので自覚すらなかったが、ジズはこの時はっきりと認識した。自分は子供が苦手だ。きっと、バニラの苛立った声と相まってトラウマになるだろうという予感すらする。
「端的に言って状況がまるで分かりません。ただ、彼女──アカリちゃんは家にはお父さんもいないしお母さんもいない、この街にはお姉さんと一緒に来たけれどお姉さんには会いたくないと言っています」
ジズは言われた通りに報告する。呆れたようにバニラが額に手をやった。
「何よ、それ。八方ふさがりじゃないの」
「だから、そう言ってるじゃないか」
そう言った陽炎をバニラはぎろりと睨みつける。ジズもリスも、見たことの無い顔である。子供が絡んでいるからだろう。彼女はきっと厳しい、しかし子供思いの母親になるだろうとジズは場違いな想像をした。
「全く、こんな馬鹿男たちに任せるんじゃなかった。良いわ、わたしが聞きます」
その言葉に、場にいた男性陣はあからさまにほっとする気配を見せた。よくよく考えればそれが一番理に叶っているとすら感じる。どうしてそうしなかったのか。ジズと陽炎、ディーゴは互いに顔を見合わせた。踵を返したバニラが、少女を驚かせないように近づいていく。
「アカリちゃん、こんばんは。初めましてだね」
聞いたことの無いような優しい声だった。
「お姉ちゃんと喧嘩したの?」
やはり首を振るアカリ。だが彼女もいい加減、周囲の環境に慣れてきたようで、多少不安げではあるものの、悲壮感すら漂っていた気配は幾分かナリを潜めていた。それを機敏に感じ取ったバニラの質問が続く。
「でも、一緒に帰りたくないの?」
「うん」
「どうして?」
「お祭り」
「え?」
「お祭り……見に来たから」
圧力を感じたジズが横を見やると、リスがコートの袖を握りしめていた。おそらく、アカリを主役に据えた何らかのストーリーを頭に展開しているに違いない。
「お姉さんと一緒に見に来たのね?」
「そう」
「お姉さんが途中で帰ろうって言ったの?」
こくりと頷く少女を目の前したジズは、バニラの手腕に感服せざるを得なかった。姉は妹のアカリを連れて帰ろうとしたが、それを嫌ったアカリは姉から逃げて来たということだろう。拍手したいほどだが、アカリが驚きそうなので止めておく。
「そっかぁ……でも、お姉さんの言うこと聞かなきゃね」
「ヤダ」
駄々を捏ねるアカリとそれをあやすバニラはまるで母娘のように見える。毛先を跳ねさせて拒否するアカリの頭を優しく撫でるバニラ。陽炎とバニラの婚約を知っているジズとリスは近い将来それが現実になることを知っている。
「うーん……でも、とにかくお姉さんに連絡くらいしないとねぇ」
エデンズライフではプレイヤーの名前を知ることができればメールを送ることが出来る。厳密に言うとアカウントに振り分けられたID番号が分からなければ、同名のプレイヤーを選り分けることはできないのだが、この場合、状況が状況なので同名全員にメールを送っても非難されることはないだろう。そもそも、これがもし物質世界であればすぐにでも警察に届けるような状況ではあるが、事態は精神的にはともかく物理的にはそれほど逼迫はしていない。姉がどうしても妹と再会したいのであれば物質世界で<SeConD>に横たわるアカリの身体を強く揺すればそれだけでことが済むからだ。どうしてもアカリがフェスティバルを見たいのならば、姉を説得して一緒に連れて行ってあげても良い。おそらく、それはバニラも考えていることだろう。バニラがアカリに尋ねる。
「ねぇ、アカリちゃん。お姉さんにアカリちゃんのお姉さんの名前を教えてもらえないかな」
「知らない」
アカリが首を振った。小さな口が、全く予想していなかった方向に動いた。