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エデンズライフの舞台となる異世界セーフィ・ロートの大陸の北東部、全てのプレイヤーがその冒険を始めることになる巨大な街があった。<自由交易都市アイン・ソフ・オウル>──別名、<始まりの街>。その中心には巨大な、風変わりな城が建っている。中央の尖塔の先から伸びた鉄柱が、それぞれ巨大な鎖で小さな城を支えているのだ。遠目から見ると分銅を乗せた天秤のような格好になる。
その頭上に、巨大な花火が無数に上がった。幾重にも重なった大輪を象る色とりどりの光が石造りの建物を縁取っては消えていく。普段から多数の下位プレイヤーで溢れてはいるものの、今日は勝手が違った。数倍、ともすれば十倍ものプレイヤーが、往来を埋め尽くしていた。メインストリートはもちろん、ほぼ全ての道に出店が溢れ、零時も近いというのにその喧噪は収まるどころかどんどん熱気を帯びている。
十二月三十一日、大晦日。エデンズライフ中の街という街が大型アップデートを控え期待に胸を膨らませていた。
──現在時刻21時18分。アップデートまで、あと2時間42分。
「すげぇ、なんだ、この<ベヒーモスの串焼き>って! 大きいってもんじゃないだろ」
陽炎の言葉通り、NPCが売っている串に突き刺さった肉はスイカ程もある途方も無い大きさだった。それらを三つ連ねて網に乗せた光景は、多少ポリゴンが荒くても十分に美味しそうに見える。パチパチと炭の弾ける音、香ばしい肉の焼ける匂いも合わされば十分に食欲を誘う。
「美味そうだな……ひとつ食べてみようか」
「止めなさいよ。あんまり食べ過ぎると物質世界でも止められなくなるわよ。わたしの友達、それで過食症になったんだから」
「そうだな……さっき<スライムゼリー>も食べたしなぁ」
リスの忠告に、ジズが腕を組んで悩ましげな声で呟いた。ジズ、リス、陽炎、バニラ、ディーゴ、ミューを含めた数人の<ネクラキドリ>のメンバーは午前零時、アップデートを前に<自由交易都市アイン・ソフ・オウル>で開催されているフェスティバルを楽しんでいた。ギルドメンバーとは一旦解散し、アップデートの30分前にもう一度集合する予定である。飛び交う喧噪の中、六人はまるで波をかき分けるようにしてゆっくりとメインストリートを進んでいく。
「それにしても人が多いな。いつもの十倍はいるんじゃないか?」
鎧のせいで一回り大きい陽炎が往来の人々から嫌な視線を向けられているのをごまかすように呟く。道行く人々の鞘や槍、革袋が容赦なく彼の鎧に当たって音を立てている。
「多分、入場制限がかけられてるだろう。それでも、この街にいるプレイヤーは三十万は下らないだろうな」
ジズが<ベヒーモスの串焼き>を手に群衆を眺めている。
「あ、こら。止めときなさいって言ってるのに、なんで食べてるの」
リスが慌ててジズの串に手を伸ばすが、ジズは頭上に掲げてそれを回避する。後ろから、その光景を見ていたバニラがジズの肩を持った。
「まぁまぁ、お祭りなんだから、今日くらい良いんじゃないの?」
「良くないですよ。さっきから<フライングフィッシュフライ>とか<ストーンマッシュポテト>とか、とにかく食べ過ぎなんですよ」
「ああ、おかげでステータス上昇ボーナスだらけだ」
そう言ってさらに一口頬張ろうとしたジズの手から、リスが素早く串を奪い取った。
「あぁ! 俺の肉!」
「もう……どうして食べ物の話なるとそう意地汚いの……って、辛い! 何、これ? なんでこんな辛いのが食べられるのよ……」
「三段階で辛さが選べたから一番辛いヤツを選んでみた」
「へぇ、どんな味なのかしら?」
バニラの言葉に、リスはもう一度おずおずとベヒーモスとやらの肉を口にする。食感は肉というより固いゼリーを噛むような感覚だが、味は牛肉によく似ている。ただ、とにかく辛い。肉ではなく、唐辛子などのスパイスの辛さがまず舌を刺す。もともとリスは猫舌だし、こういった刺激物には弱い。涙を我慢できずに、リスは頬を拭った。
「……とにかく辛いですよ、これ」
ぽろぽろとリスが涙を流すのを見て、バニラがジズに非難の声を上げる。
「あらあら。酷い男ね。女の子を泣かせるなんて」
「え、何? 俺のせいですか?」
「だいたい、こんな辛いの注文する時点でわたしに分けてくれる気ないでしょ?」
ミューから受け取った<トロピカルコーラ>を口に含みながら、リスがジズの胸を押しやった。
「なんだよ、食べたいのなら、自分で注文すればいいだろう?」
「全く……この男は……」
バニラの呆れ声。
「さすがに人が多すぎる。少し移動しないか?」
陽炎の提案で、一行は通りを抜けて人の少ない方向へと向かうことにした。陽炎とバニラが先導し、ジズはディーゴと、リスとミュー、その他の面々がそのあとに続く。
「やっぱり剣道かぁ。いや、動きがそれっぽいなぁとは思ったんだよなぁ」
「あの、ジズさんは何か武道を?」
「そのさん付け止めようぜ。この世界じゃ、歳は関係ない」
「そう言う意味じゃあ、僕はギルドの後輩だし、勝負にも負けました」
「君がいいならそれでもいいけど」
ジズは肩を竦めて言う。
「あの、こんなこと言うのもなんなんですが、ジズさんは何もやってないんですよね? なのにどうして、その、有段者の僕に勝てたんですか? いや、違うな。勝てたのはあなたがエデンズライフで化け物じみた動きのせいだ。それで、その、エデンズライフで速く動ける道理は分かったんですが、あなた自身が、速く動ける道理を教えて欲しいんです。あなたは見た限り武道の達人でもなければ、その、超能力者というわけでもない」
「それは、ジョーク?」
ジズの言葉に、ディーゴは曖昧に微笑んだだけだった。所在無さげに両手を交錯させる。それを見てジズは鼻から息を漏らした。
「いや、──いいよ。そう、僕は武道の達人でもなければ超能力者でもない。だけどひとつ、君は勘違いをしている。この世界じゃあ、物質世界の経験はほとんど関係ない。確かに君は物質世界での身体の動かし方を知っている。でも、ここは物質世界じゃあない。全く違う世界なんだ。重力も、物理法則も、俺たちの身体も、何もかもが違うんだ。地球と同じように見えて、この大地は月面よりも異なる法則が支配している。この世界で大事なのは想像力だ。剣を握る拳に力を込めたって、それで腕力パラメータ以上の力が込められるわけじゃあない。脚にどれだけ力を込めたって、それで五メートルも十メートルも空は跳べない。この世界では物質世界で展開される現実を否定し、書き換えなければいけない。だが想像力さえあれば、誰だって、例え全盲の人でも、脚が不自由な人でも、この世界では無敵のヒーローになれる」
「僕は<炎帝>に憧れていました」
「ああ。あいつは強い」
「ご存知なんですか?」
「ああ──、いや、そんなわけないだろ? あの<炎帝>だぞ?」
「いえ、僕はもうあなたが<炎帝>と知り合いだったとしても驚きませんけどね」
「ああ、それは俺も同感だな」
前方から陽炎が振り向いてくる。やはり表情は分からないが、しかし機嫌は良さそうだ。
「前にも言ってたよな? このゲームに詳しいヤツがいるって。そいつが<六十六王>か、<七大剣王>、<八大魔導>の誰かだったとしても驚きゃしないよ」
「そうよねぇ。そんだけ詳しければそうなるわよね。まぁ、別に詮索はしないけれど。私たちは助かってるし」
陽炎の隣からバニラが言葉を付け足す。言葉とは裏腹に、彼女の瞳は興味津々といった様子で輝いている。
「よし、ジズの知り合いがどこの誰か当てようぜ」
陽炎が突然提案した。バニラも、横を見るとディーゴも乗り気の顔だ。
「日本のプレイヤーが組んでるギルドで有名どころって言ったらそう多くはないからな。<赤の王>と<七大剣王>の称号を持った<炎帝>率いる<炎帝騎士団>には<橙の王>と<錆の王>、<朱の王>と……あと<燐の王>か……」
「まぁ<ガンガンガンズ>も一応、S級ギルドだよな。ほとんど規則も何もないって話だけど」
「あそこってもともとサイバーネットのコミュニケーションサイトの出身者ばかりなんでしょ?」
「そうそう。嘲笑為合サイトっていってな。まぁ、面白可笑しくいろんなことを語り合うサイトだ」
「あそこには<紫の王>と<輪の王>がいましたね」
「おいおい、もう良いだろ、人の過去の話は……」
「なんだよ、何か触れられたくない過去でもあるのか?」
「いや、そういうわけじゃあないけど……」
ジズは両手を広げたままの格好でリスの方を見やるが、彼女はミューとの会話に忙しいようでこちらには気づいてもいない。ジズは諦めて頭を振った。彼らにクィンの話はできないが、自分がかつてどういう形でエデンズライフに関わっていたのかを話すことはできる。だが、かなり恥ずかしいのも事実だった。
「忘れちゃいけないのが<黒の王>じゃない? 二年前の<原色戦争>を<炎帝>と戦い抜いた英雄……日本のプレイヤーで唯一<六十六王>、<剣王>、<大魔導>の三大称号を持つプレイヤー」
バニラが指を順に立てていった。
「あぁ、……でも<黒の王>は一年程前に引退したって話だぜ?」
「<白の王>と一緒にですよね? 日本の四大プレイヤーの二強だったのに……あの人達がいなくなってからギルドの勢力図がガクッと変わりましたよね。」
「じゃあ、それ以外となると<骸一族>か<天上動物園>とか? <骨の王>に<牙の王>か」
「さあ、そろそろ出そろったでしょ? この中にあんたの知り合いとやらはいるわけ?」
「ああ、まぁ、それは……うん」
ジズは曖昧に頷いた。
「あの、実は俺は」
「ああ、待って待って。言っちゃ駄目。これからもっと絞るから」
「了解」
大通りからかなりの距離を歩いたので周囲の人影もさすがにまばらになりつつあった。街をぐるりと覆う城壁は下水道も兼ねており、水の流れる音が石畳に反響して至る所から響いてくる。中心部の喧噪は、少し前からその水音に流されつつあった。熱気が遠ざかり、夜風が火照った頬にちょうど良い。どこかこの辺に広場があったはずだ、と陽炎が言い出し、一行は等間隔に設置された街灯の下をわずかに速度を落として歩いていた。
「今の、悲鳴じゃない?」
言い出したのは、バニラだった。彼女はわずかに眉間に皺を寄せて立ち止まる。先頭に立っていたので、つられて一行が歩を止めた。耳を澄ませたので水音が大きくなった気がする。それ以外には、何も聞こえない。もう、周囲に人影は一切無かった。街灯に照らされて巨大化した自分たちの影だけが、メンバーに静かに付き従っている。
「空耳じゃないですか?」
ディーゴが空を見上げて言った。雲一つ出ていない。星の位置もまるで違う、異界の空だ。同じように見えるのは月だけだが、その月も空の五分の一を占めるのではと思えるほど大きい。
「いや、俺にも聞こえた」
ジズは咄嗟にそちらの方へ走り出した。ほとんど勘だったが、走り出して数歩もいかないうちにまた悲鳴が聞こえた。か細くて、短い声だった。しかし、鋭くて悲痛な。
「女の子だ!」
陽炎がジズに追いついたその頃には、全員が走り出していた。幾つもの足音が城壁にこだまし、夜の静寂を打ち破る。
「どっちだ?」
「東だ。1フロア離れてない!」
ジズの言葉通り、一行は東に進路を取り、盛大なフェスティバルを尻目に人気の無い路地を駆けていった。