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「さあ! 説明してもらおうか!」
つつがなく入団試験が終了したところで<ネクロ・ハーデス>神殿の一室に陽炎とバニラ、他数名のメンバーが集まっていた。その中にはもちろんジズとリスも含まれている。特にジズは先ほどよりも遥かに小さい円陣の中心にひとりぽつんと座らされており、室内は薄暗く怪しげな燭台や調度品に囲まれているため見ようによっては怪しげな儀式の生け贄か、よくてもデッサンのモデルといった体だった。
「ちゃんとどういうことか説明してよね?」
腕を組んだままバニラが言う。彼女は白いテーブルクロスの掛かった小さな円卓とセットの椅子に座っている。
「どうやったらあんな反則的な動きができるわけ? ユニークスキルでも持ってるの?」
メンバーに一通り悪態を突かれて、ジズは降参とばかりに両手を上げた。もともと教えるつもりだったのだから、ジズとしては不測はない。ただ、口でも言っても理解されないだろうという予測があったのだ。それで直接見てもらったというわけだった。
「だからもともと、俺のレベルだとあれくらいの動きはできるようにエデンズライフは設計されてるんだよ。だから理屈で言えばバニラや陽炎はもちろん、ディーゴだってあれくらいの動きはできるわけ」
ジズの言葉に、陽炎が不思議そうに顔を傾ける。
「それなのにどうして俺たちはお前みたいに動けない?」
「動こうとしないから。もっと正確に言うと、動けることを知らないから、かな」
誰も何も言わない。メンバーがジズの次の言葉を聞こうとしているのを視線で確認して、彼はそのまま説明を続ける。
「僕も結構やるけど、みんな普段から首を曲げたり、伸びをしたり、欠伸をしたり、いろいろ物質世界の身体の癖みたいなものをするよね。でもそれって、このエデンズライフのアバターには必要のない要素なんだ。でもやってしまう。これは自分の記憶に染み付いているからだよね。それと同じで、僕たちは無意識にこのエデンズライフでのアバターの動きを実はかなり制限しているんだ。バニラは五メートルくらいまでならジャンプできるよね? あれはどうして?」
「そりゃあ……」
突然名指しされたバニラは困ったように眉をひそめ、人差し指で唇に触れる。
「他のプレイヤーがやってるのを見て……」
「そう、そういうものだと思った。まぁ、ジャンプくらいなら遠目で見学しても何をしてるか分かるしね。それで練習して、できるようになったんでしょう? でも、どうしてあの高度が限界だと思ったわけ?」
「えっと……」
「多分、なんとなくなんだと思うけれど、この辺が限界かな、この辺でいいかな、これ以上は怖いな、そういう風に考えた。それが限界なんだ。自分で壁をつくるな、なんて言葉が物質世界にはあるけれど、それと同じことが、特にこのエデンズライフの世界では顕著に現れている」
「つまり本当はもっと速く動けるし高くも跳べるけど、俺たちが物質世界の常識に無意識に縛られていて、その動きを阻害しているわけか」
「そういうこと。ちなみにディーゴにはさっき言ったけど、S級ギルドの幹部連中はこれくらい平気でやってくるよ。パラメータが高い分、俺より速い」
「うわ、マジか……」
「なんだよ、その裏技……」
「まぁ、大々的に公開してるわけじゃないけどね、この技術は別に隠されてるわけでもないんだよ? エデンズライフの本来の機能なわけだし。ただ、レベルが300あたりを越えたあたりから動きが人間離れしてくるんだけど、ほとんどのプレイヤーはその前にアバターの人間らしい動きに慣れちゃうんだよ。だからそのままレベルを上げてもみんな気づかないんだ。あと、得て不得手もある。レベルが1000に達しても二メートルも跳べない人だっているんだ。なんていうか、想像力というか……跳べると自分で本気で思い込まないと」
「水臭いな。なんで今まで隠してたんだ?」
陽炎の言葉に、ジズは頭に手をやった。
「いや、誤解しないで欲しいんだけど、別に隠してたわけじゃないんだ。俺レベル低いから、情報提供だけでギルドのクエスト攻略には直接参加してないだろう? 単に見せる機会が無かった。あと結構慣れが必要なんだよ。半年もプレイしてないと、どうしても鈍ってしまう。物質世界で生活していると、こっちでの身体の動かし方を忘れてしまう。それにこいつは口で言っても分かってもらえない、というより実際に目でみてもらって納得してもらうのが手っ取り早いんだよ。本当に可能だ、ということを実感してもらわないとみんなが使えるようになるのは難しい」
周囲を見渡すが、納得してくれたようだった。
「限界はないのか?」
陽炎が律儀に手を挙げて質問する。その問いにジズは首を振った。
「もちろんあるよ。ただ、それがパラメータ補正の限界なのか、僕たちプレイヤーの想像力の限界なのかは……微妙なところだな」
言いながら、言葉を探す。
「人間が意識して反応できる速度はコンマ一秒くらいが限界と言われている。まぁ、平均的なところでいうとコンマ二秒くらいなのかな。目の前にある銃口から発射される弾丸を避けることができないよね。これは物質世界でもエデンズライフの中でも変わらない。まぁエデンズライフに銃器は存在しないけど……」
銃の形を手で作って、撃つ真似をする。誰も死んだ真似はしなかった。
「今、僕たちの身体の役割を果たしているこのアバターはすごい力を秘めてはいるけれど、それを動かす操縦者はあくまでも僕たちなんだ。スポーツカーと一緒だよ。時速300キロなんかで走れたところで、訓練しなきゃ剣を命中させることはおろか方向転換すらできやしない。ま、レベル1000まで上げて本気で動き回れば人間の脳が制御できないくらいには速く動けるのは間違いないよ。そのギリギリを見極めてアバターを操るのが上手いやり方だね」
「ていうかさ、そんだけ強いなら情報だけじゃなくてクエスト攻略に参加できるんじゃないのか?」
メンバーの一人が陽炎を習ったのか手を挙げて言う。
「いや、それは無理だ。俺がディーゴに勝てたのも、攻撃を当てたら終わりっていうルールだったからだよ」
「どういうことだ?」
「さっきアバターの力を使いこなせていない、と言ったけれど、全プレイヤーが使いこなせている力もある。それが攻撃力と守備力だ」
「あぁ、そうか」
陽炎が納得がいったように大きく頷いた。だが、バニラはそれを不服そうに見上げている。
「え、何? わたしにはさっぱり分からないんだけど」
「だからさ、速く動いたり、高く跳んだりするのには俺たちの意思が必要だけれど、攻撃力や防御力、それがぶつかった時に計算されるダメージはシステムが勝手に計算するもので俺たちの意思が介在しない要素だから、みんなが使いこなせているんだ。それこそ無意識に。じゃなきゃ、鉄より固いと言われてるドラゴンの鱗を突き破ったり、岩を溶かす炎の息を浴びて俺たちが生きてるわけがないだろ」
「そういうこと。この世界では質量×速度がそのまま破壊力に繋がらない。必要なのは俊敏値ではなく、腕力や武器の攻撃力と言うパラメータだ。だから俺がさっきの決闘でどんなに速く動いてディーゴの不意をつけて、なおかつあのまま首を斬りつけたところで、ディーゴに与えられるダメージはそう多くはないんだ。正直、何度もあの<極・斬鉄剣>を避けられる自信は無いしね……多分、俺は二三発あの技をもらったらアウトだと思う。で、俺の攻撃は多分三十回くらい当てないとディーゴは倒せない。だから、まぁ正直この技はエデンズライフをプレイする上で絶対的に必要な技というわけでもないんだ。AI思考のモンスター相手なんだったら、レベル上げるなり人数増やすなりすれば良いしね。ただ、同じレベル同士のプレイヤーが戦う場合は圧倒的な優位に立てるというメリットがある」
ジズはそう言って最後に指を一本立てた。
「あと、使いこなせると面白い」
むしろ、このアバターの力こそエデンズライフの醍醐味だ。ジズは本気でそう考えていた。10メートルも跳んだ時に眼下に広がる幻想的な光景。怪我を心配せずに時速100キロという速度で駆け抜ける快感。読み合いの果てに相手を負かした時の喜び。負けた時の悔しさ。自分の想像力、洞察力、反射速度、そう言ったものを総動員する感覚。莫大な集中力を要求されるが、それを支払う価値がこれにはある。
「そうだ」
ふと、思い出す。
「あと、なるべくならアバターは自分の物質世界での体型に近い方がやりやすいよ。身長を30センチも伸ばしたり、体重を30キロも減らしたら、そっちの違和感の方に引っ張られて集中できないみたいだから」
途端に、周囲からうえぇ、という声が漏れた。