ハツカノ
現在2時20分。俺は居たたまれずに、教室を出た。
授業なんてとっくに終わっていた。でも、待ち合わせまでにはまだ時間があるんだ。
”木曜日の3時に、木の葉公園で”
このフレーズが何回頭をめぐったか分からない。
思い出すたび、何だかそわそわして落ち着かなくなる。
無意識にポケットに手を突っ込んで、ぐっと唇をかみ締めた。
下駄箱で靴を履き替えて、広い校庭に出る。
真冬の冷気が、一気に自分を取り巻くと、身体がガチガチ震えた。
ずっと暖房のついていた室内に居たもんだから、寒くてたまらん。
――その時、はっと気が付いて俺はカバンに手を突っ込んだ。
引っ張り出したのは紺色のマフラー。
…俺の宝物。
それをくるくると首に巻いて、近くのベンチに腰を下ろした。
目の前では、野球やらサッカーやらテニスやら、この寒い中、みんな部活に励んでる。
ばしん!!
「いってー」
一人ベンチでぼーっとしてると、後ろから何かで後頭部を思い切り殴られた。
振り向くと、友達の智輝がニヤニヤして立っていた。
…ちなみにコイツと俺は、小学校の頃からの腐れ縁だ。
「とも、いてーよ。なにで殴ったん?」
「ごめんごめん、だって拓哉ったら顔がニヤニヤしてんだもんよ」
「べ、別にニヤニヤなんてしてねーよ!」
「してたよ!」
つべこべ言って、智輝が俺の隣に座る。
「たくったら、デートかい?」
「…………………」
「図星か!」
「黙れったら!」
俺が怒鳴ったら、智輝はいっそう面白そうにニヤニヤして、気持ちが悪いぐらいだ。
動揺している俺の肩に、ばしん、と腕を回してきた。
「な、なんだよ!」
「あの”夕貴チャン”だろ?そうかそうか、お前ってばついになぁ…」
「そろそろ殴るぞ、智輝」
「ごめんってば」
その時、ポケットの中のケータイが鳴った。
画面には”ゆう”と出ていた。
俺の胸ん中が、一瞬だけ熱くなったような気がした。
”あと30分で授業が終わるよ!待たせちゃってごめんね(><)”
”いいよ、気にすんな。授業ちゃんと頑張れよ”
”ありがとう!先生厳しいから、あとは授業終わるまでメール出来ないけど、終わったら急いで行くからね!”
”うん、分かった。あとでな”
パタン、とケータイを閉じる。
…視線を感じて隣を見ると、智輝が物凄く何か言いたそうに俺を見てた。
「じゃ、俺は行くから」
「たく、俺も行きたい!」
「お前はなぁ」
「冗談だってば。俺はまだここにいるわ」
「そっか、じゃあな」
智輝と別れて、門を出た。
木の葉公園に向かう途中、コンビ二に寄ってあったかいお茶を買った。
何しろ今日は寒い。雪でも降りそうなぐらいだ。
お茶を飲みながら歩いていると、広い芝生だけの公園があった。
その公園の隅のほうで、なにやら近所の子どもたちが一箇所に集まって何かを覗き込んでる。
俺も思わず足を止めた。
「なに見てんの?」
近くに行って話しかけると、5〜6人の子どもがいっせいに俺に振り向いた。
「おにいちゃん!ねこ!!」
「???」
「ねこ!ねこがね、いるの!」
「猫?」
「そう、こんなにちゃいの!」
「まっちろなの!」
「ちっやいの!」
なにやら必死で伝えようとしてくれるんだけど、よく分からない…。
「どれどれ、お兄ちゃんにも見せてくれ」
そういって屈むと、子どもたちはいっせいにどいてくれた。
「これ!」
一人の少年が指差した先が、俺の目に飛び込んだ。
そこにあったのは、小さなダンボールが一つ。
中をのぞくと、なにやら白くてちっちゃな生き物が、ふかふかのタオルケットの中から顔を出した。
それは、真っ白で、茶色い瞳をした、まだ本当に小さな、子猫だった。
「わぁ……」
その透き通る様に綺麗な存在に、思わず声が出る。
「あれ…」
ダンボールの隅に、空色の封筒の手紙を見つけた。
中には紙が一枚だけ。
字からすると、女の人が書いたんだと思った。
「”誰かこの猫ちゃんを飼ってあげて下さい。生まれたばかりの女の子です”…だって」
顔を上げると、子どもたちが俺を真剣な顔で見ていた。
「おにいちゃん、どうしたの?」
「うーん、この猫ちゃん、捨てられちゃったみたいだ」
子どもたちはとても複雑そうな顔をした。意味が分かっているのか、いないのか…。
「あのな、みんなよく聞けよ?この猫ちゃんにはな、今おうちがないんだ」
子どもたちはバラバラに頷いた。
「だからな、この猫ちゃん、お兄ちゃんがおうちに連れて帰りたいんだけど、どうかな?」
「おにいちゃんがかうの?」
「うーん、飼うか…そうだなぁ。飼うんじゃなくて、一緒に暮らすんだよ」
「くらすの?」
「そうそう、家族になるんだ」
「おうちのひとにおこられちゃうよ?」
「大丈夫だよ、この猫ちゃん可愛いから!」
俺はダンボールに手を突っ込み、小さな子猫をそっと抱きかかえた。
子猫は思った以上におとなしくて、人懐っこい。
それと、想像以上に小さくて、繊細な生き物だと思った。
「みてごらん、可愛いな」
子どもたちは目をキラキラさせて子猫を見つめていた。
それから子猫を抱えて、子どもたちと別れた。
木の葉公園に着いたのは2時55分だった。
まだ誰も来てない。
俺はブランコの脇でしゃがんだ。
胸に抱いていた子猫を手の上に乗せると、「みー」と鳴いて、俺を見つめる。
「可愛いなぁ、お前」
なんか、こいつといると気持ちがやわらかくなれる気がしてくる。
生き物って不思議。
公園の時計は、58分を指した。
俺はため息が出た。白い息がぼんやりと現れ、すぐに消えた。
「なぁ、俺の話聞いてくれるか?」
猫になんて話しかけて、馬鹿みてーだなって、自分で思う。まぁいいか。
「俺な、ここで告白したんだぜ。夕貴に」
そう、あの日。
やっと気持ちが言えた、俺の大切な女の子に。
寒かった。雪の中が降ってて。必死の想いで伝えた言葉に、涙に笑顔を浮かべて答えてくれた。
「わたしも拓哉くんが大好きだよ」って…。
思い出すと頭がぼうっとする。
今日会うのは、あの日以来だ。
めっちゃ楽しみだけどさ、本当はすごく不安だよ。
あの時の記憶が、本当は全部夢だったらどうしようって…。
君が来なかったら、俺はどうしよう。
マフラーの間から白い息が何度も溢れた。
詰まるようなため息が、とめどなくもれて止まらないでいた。
時計を見ると、いつの間にか3時を過ぎてる。
途端、心拍数が物凄い勢いで上昇し始める。
「…う、うわー、猫チャン、どうしよう!俺なんか凄いどきどきすんだけど!」
だけど子猫は、また「みー」とだけ鳴いた。
「たくちゃん!」
俺は心臓が飛び出すかと思った。
…たくちゃんって、俺のこと……?
ゆっくり振り向くと、そこには俺と同じマフラーを巻いたちっこい女の子が、ひょっこり立っていた。
さらさらの肩までの黒髪と、深緑色のPコートを着て、寒さに頬と鼻を赤く染めて、そこに居た。
紛れもなく、俺の大好きで大好きでたまんない女の子。
わぁ…ほんとに来た…。
俺はほっとしたのと、大好きな女の子を目にしたので、すっごいニヤけた。
何しろ”たくちゃん”だって!初めて呼ばれてしまった。
ここに智輝がいたらなんて言われるか…。
立ち上がって、ゆうに近づく。そうだ、子猫を見せなきゃ。
近づくと、いっそう可愛い。手とか、足とか、小さくて。
俺なんて靴もカバンもボロボロなのに、すごいきれいに使ってると、女の子だなぁって思ってしまう。
「ゆう、子猫だよ!めっっちゃ可愛いよ!」
一瞬すごく驚いていたけど、ゆうは素直に子猫を抱いた。
ゆうが子猫を見つめる顔は、笑顔だったり、真剣な顔になったり、驚いたり。
時々びっくりするぐらい優しい顔にもなったりして…見てるこっちまでどきどきしてしまう。
ゆうは子猫が気に入ったみたいだ。俺の決心はさらに固まった。
「たくちゃん、この猫ちゃんどうするの?またその公園に戻すの?」
「どうして?」
「可哀想だよ……こんな真冬の下にいたら、もしかしたら……」
「ゆうなら、絶対そう言うと思った」
ゆうがどれだけ優しい子かよく知ってる。
心配そうに俺を見てるその目が、とってもとっても愛おしくて…。
こんな気持ちを抱いたのは初めて。正直、ちょっと戸惑ったりして…。
俺はゆうの頭をそっと撫でて、不安そうにしてる顔を覗き込んだ。
ぱちくりと、驚いたように俺を見る。長いまつげがきれい。
なんだが自分をじっと見てるゆうが、凄く可愛く思えた。
……ほんと、馬鹿みてーに惚れてるらしい…。
「ゆうが心配すると思ったからね、その猫ちゃん、俺が家に連れて帰って、一緒に暮らす事に決めたの」
「えっ、たくちゃん飼えるの?」
「うーん、飼うって言い方は好きじゃないんだよね。なんか支配してるみたいで……だから”一緒に暮らす”んだよ」
「本当に?ほんとに一緒に暮らしてあげられるの?」
ゆうの顔がぱっと明るくなった。本当に嬉しそう…なんか、俺まで嬉しい。
「その子、女の子みたいなんだ。今日から俺の妹!」
「いもうと??」
ゆうがくくっと笑った。
…ゆうに笑われた。まぁ、いいか。
「猫ちゃん、良かったね!今日からたくちゃんの妹だって!」
にこにこしながら嬉しそうに子猫に声をかける。
ゆうと一緒に子猫を覗き込むと、猫はきょとんとした顔で、俺たちを見つめてた。
俺は自分のマフラーを外して、それで子猫をやさしく包んだ。
「ゆうが名前をつけてあげて」
「あ、あたしが?」
「うん、つけてあげて」
それが一番だと思った。
俺が連れてきた猫に、ゆうが名前をつける。
…なんか繋がってる気がする、なんて。
子猫を見つめるゆうの顔は真剣で、一生懸命考えてくれてるみたいだ。
それがまた嬉しかったりする。
「……らぶ…がいいかな」
「らぶ?」
「そう、ラブちゃん。愛をいっぱい注がれて、愛されて生きられますようにって」
「……うん。ゆうらしい」
「ほんと?」
俺は子猫に顔をうずめて、嬉しくてたまんなくて、思わず頬ずりした。
「お前良かったな!ラブなんて可愛い名前をゆうからもらえて。お前は俺をお兄ちゃんて呼べよ?」
俺が言った言葉に、ゆうがまた笑った。
なんだか幸せだと思う。こんな些細な瞬間が。
小さな子猫が運んできてくれた時間は、穏やかで、暖かくて…。
今日からラブって呼ばれるこいつは、俺の家で暮らすことになった。
ゆうが゛ラブ゛ってつけてくれた名前は、ぴったりなんじゃないかって思う。
俺とゆうの恋をいつまでも繋いでてくれるような、そんな気がした。
ラブをそっと肩の上に抱えると、いきなり予想もしない事が起こった。
「……!?」
ゆうが、俺に思いっきり抱きついてきてくれた。
俺の胸に、ぎゅぅって、顔をうずめてる。
あ、あんまりにも可愛くて……何だか思わず胸が奮えた。
ほんのり、何かのコロンの様な、微かに良い匂いがする。
胸が締め付けられるような気持ちになる……やばい。
「たくちゃん、……だいすきだよ」
「…うん。俺もめっちゃだいすき!」
俺もゆうに片腕を回して、ぎゅって抱き寄せながら、髪をくしゃくしゃって撫でた。
女の子を初めて抱きしめた。片腕なのに、なんかめっちゃ小さく感じる。
そっと扱わないと、壊れちゃいそうな……。
俺の手の中になんてすっぽり入っちゃうぐらい、ちっちゃい頭。さらさらの髪。
大切にしたい。
小さいゆうと、小さいラブと。これから、ずっとずっと俺が守らなくちゃ。
「ゆう、とりあえず俺んち行こう。ラブをあったかいとこに連れてってやんなきゃ」
「えっ!!たくちゃんち!?」
「うん、ほら」
俺は思い切って、ゆうの手を握った。
初めて手を繋いだ…予想以上に小さい手に、また驚く。
実は凄い緊張してる事、どうか悟られないように。
「それじゃ、しゅっぱーつ!」
俺とゆうとラブ(?)は歩き出した。
俺はゆっくりゆうの手を引いて、ラブを大事に肩に抱えて。
付き合って初めの日にゆうをウチに連れてくる事になるとは思わなかったけど、まぁいいか。
俺の部屋の汚さに、ゆうが引きませんように……。
「みー…」
肩の上で、ラブがのん気に鳴いた。
「もう、ラブのせいなんだからね」
「ん?なんか言った?」
「う、ううん、な、何でもない!!」
ゆうが俺の手をきゅって握って、てこてこ着いてくる。
ずっとずっと大事にするんだ。
初めて出来た、俺の世界で一番大切な彼女を。
たくちゃんからゆうへの気持ちが書けてこうして形に出来て嬉しかったです。
さらにこの二人について書いていきたいと思いました。
最後まで読んでくださって本当にありがとうございました!!