第五章……疑問
と、ここでいくつかの疑問が浮上してくるだろう。
何故健人は、暴力を振るわれることになったのか。そして中学に息子娘を通わせている保護者たちは、國藤が教師を続けていることに不満を漏らさないのか。
一つ目の疑問の答えは、教え子が自殺した原因を、誰のせいと考えたのかが答えとなる。その答えとはつまり、健人だったのだ。
何故健人なのか――理由は、そうしたほうが、都合がよかったのだ。
こんな話が現実にあるのかと最初は疑ったのだが、苛めているグループのやつらは、実は議員や大手企業の御曹司だったのだ。
國藤は気づいていた。やつらが親友を自殺に追い込んだのも。
けど、小学五年生を、しかもお偉い方の息子たちのせいにすることなんて、たかが教師にできるわけがない。
だったら、そいつらの証言を聞き入れようじゃないかということで、國藤は健人のせいにした。だから、健人に暴力をふるったのだ。
あくまでも自分を、正当化するために。
健人としては、非常に迷惑な話だけどな。あいつは何も悪いことしていないし、第一、修学旅行の記憶が欠落している健人にとって、何故自分が國藤から暴力を受けているのか、全く分からないのだから。
國藤が健人に暴力をふるった理由は以上だ。次に、何故國藤は事件があった地元の中学校で教師を続けられているのかだ。
実は國藤が地元に戻ってきたのは、健人が中学校に上がった年だった。それまで、國藤は九州のほうで教師をしていたのだ。
事件が風化するまで、身を隠そうということだったみたいだ。
しかし國藤が想像している以上に、修学旅行で起きた事件は人々の記憶から消されるのが早かった。
それは何故か。
國藤を批判していた保護者たちが、國藤が転勤させられた一ヵ月後、ほぼ全員、地方のほうに引越しをしていたのだった。
実は、それらは全て校長の仕業だった。
校長は、國藤がいなくなって自分に責任が追及されることを恐れ、國藤を批判していた保護者たちに裏で金を渡していた。
その金で、保護者たちは引越しをして、自分の子供を事件のあった小学校から遠ざけたのだ。
そうなれば必然的に、國藤を批判するものは少なくなる。
だから國藤は、地元の中学校で教師をすることができたのだ。
その頃には、あの事件はとっくに風化していたわけだ。
不思議な話だが、これが事実だ。