第一章……生きがい
中学に入学してから一ヶ月が経った頃かな。その時はまだ、俺と健人は友達にはなっていなかった。
「昨夜未明、川崎中学校の男性教諭が、教え子の男子生徒に刺される事件が発生しました」
何気なくテレビを見ていたら、そんなニュースが俺の目に飛び込んできた。丁度、広間で一人さびしく夕食を食べていた頃だった。
そのニュースを見たときの衝撃は、今でも鮮明に思い出すことが出来る。一言で言うと、鳥肌が立ったね。興奮のあまり、食べていたものを吐き出しそうになったぐらい。
その時俺は、人生の生きがいを見つけたんだ。
殺人――なんて、魅力的な響きなんだ。これこそが、俺の人生で必要としていたもの。女子と付き合うとか、勉強とかスポーツとか、すでに全部どうでもよかったんだけど、尚更どうでもよくなったね。眼中にない、って感じ。
どうやら俺の中には、殺人鬼の本能が潜んでいたらしい。
このニュースを見て、とうとうそれが覚醒したのだ。
その翌日、俺は生きがいを見つけたことの喜びを抱いたまま、登校した。
普段と違う様子の俺に、クラスの連中は執拗に声をかけてきた。
クラスの連中いわく、俺は普段愛想がないらしい。その点は、自覚がなかった。
けどその日の俺は、違った。積極的にクラスの連中と話し、授業中に発表するなど、いつもであれば考えられないような行動をとっていたのだ。
やはり、生きがいを見つけることは大切なんだなって、改めて痛感させられたよ。
あとは、誰を殺すかだな。
殺す対象は、決まっていた。誰、っていうわけではないが、教師にしようと考えていた。理由は単純明快。ニュースで報道された被害者も教師だったからだった。
けど、いくら俺でも一人で殺人を犯すというのは、いささかの不安要素があった。共犯が欲しかった。最低でも、一人。誰か、教師に恨みでも持っているやつが望ましいな。
俺の条件と一致するやつは、なかなか見つからなかった。休み時間、目を凝らしてよく他の連中を見ていたのだが、やはり誰も教師に恨みを抱いているやつなどいなかった。それどころか、教師と仲良くしているやつが大半ではないか。最近の若いやつは、教師と仲良く接するやつが多くて困る。俺は、教師と仲良くするつもりなど毛頭なかった。教師と仲良くして得られるメリットなど、たかが知れている。女子と付き合うのと一緒だ。それだったら俺は、最初から教師と馴れ合うつもりなどなかった。
六日が経過した頃、俺はいよいよ焦りを感じ始めていた。
思ったら即行動を起こす人間だと、自負している。それなのに、思ってから一週間が経とうとしているのだ。これ以上、我慢できない。
早く人を殺したい――人を殺すのが、俺の生きがいだと気づいたのだから(まあ、まだ殺してはいないのだけど。そうなる予定)。
そしてようやく、その日の放課後、俺は見つけたのだ。俺に、メリットを与えてくれる人間が。
それが、川原健人だった。
放課後、俺は下校しようかと昇降口へ向かったのだが、机に教科書を忘れたことを思い出し、取りに帰ろうとした。
べつにわざわざ取りに帰る必要もないのだが、なんとなく教室に物を置いておきたくなかった俺は、教室に戻ったのだ。
俺はその日、その面倒くさい考えに、あれほど感謝したことはなかった。
教室に戻ると、健人がじっと自分の机に座っていたのだ。
俺はまだ、健人と喋ったことはなかった。だってあいつ、人を寄せ付けないようなオーラを放っているんだぜ。話しかけられるわけないよな。
それで俺は、教室の入り口付近で、何もしないで座っている健人をしばらく観察することにした。入っていってもよかったのだが、少し面白くなってつい、ね。
五分経ったぐらいかな、そろそろ飽きたので、自分の机から教科書を取り出そうと教室へ入ろうとした矢先、一人の教師が入ってきた。
それが、國藤大樹だったってわけ。
國藤が入ってくると、健人は急に立って一礼していた。どうやら健人は、國藤を待っていたみたいだった。
俺はその時、國藤と健人の関係について考えていた。國藤はうちのクラスの担任じゃないし、健人は部活に所属していないから顧問でもないし……そう思案していたら、急に悲鳴が聞こえてきたんだ。健人の、小さな悲鳴が。
國藤が、健人を殴ったんだよ。グーで。
その時に交わされた二人の会話を、なるべく思い出すわ。
「川原健人……まさか、この中学にやってくるなんてな。飛んで火にいる夏の虫とは、このことを言うのだな」
健人を蔑む目で見下ろしながら、國藤は言った。
「いっつ……」
頬を押さえながら、健人は苦悶の表情を浮かべていた。
「覚えているか、俺のこと?」
「え……」
健人は國藤を見上げた。國藤は、不気味な笑みを浮かべながら、健人を見下ろしていた。
「覚えていないなら、いいや」
そう言うと、國藤は無抵抗の健人に何発も蹴りを入れていた。
「死ね! 死ね! 死ね!」
その光景に衝撃を受けたことは、言うまでもないだろう。教師が、生徒に暴力を振るうなんて。しかも、死ねと言いながらだぞ。信じられるか? 俺は、今までの概念が一気に覆されたかのような気がした。
ありえない――その言葉しか、頭に浮かばなかった。
もしかしたら、ニュースで報道された教師を殺した男子生徒も、その教師から暴力を受けていたのだろうか。
「な……なんの、ことですか!」
蹴られながらも、健人は必死でその原因を聞こうとしていた。が、國藤は一切、取り合う様子を見せなかった。
ただ、憎しみに任せて暴力を振るっている感じかな。
さっき、國藤は言っていた。
飛んで火にいる夏の虫、って。
それってつまり、國藤は健人と、過去に何らかの因縁があるっていうことだろう。
だって、國藤は健人が憎かった。だから今、蹴りを入れている。
二人の過去に、一体何があったんだよ。健人は何故か、忘れているみたいだし。
國藤は、ようやく蹴るのを止めた。満足したのか? 俺には、どうしてもそのようには見えないけど。
健人はというと、大粒の涙を浮かべて床に横たわっている。
「いいか、これで終わりじゃないからな」
鬼の形相で、國藤は横たわっている健人を指差して、言った。
「お前が二年前のことを覚えていないのなら、それで構わない。けど、それでも俺はお前に暴力を振るい続ける。死なない程度にな」
その言葉に、他人の俺ですら悪寒が走った。
「これからたっぷり可愛がってやるからな、川原」
吐き捨てるように言うと、國藤は教室を去った。健人は、返事もせず涙を流しながら床に横たわっているままだった。
俺は、自分の机に入っている教科書などどうでもよくなって、足早に昇降口へ向かった。
玄関を開けると、数通のラブレターが落ちてきたが、俺は構わず靴を履いて、昇降口を出た。
正門を出たところで、俺は堪えきれずとうとう笑い出してしまった。周りから変な目で見られないように、控えめにな。
「最高だぜ」
思わず声も出てしまった。それぐらい、俺にとってあの出来事は最高だったのだ。
まさかこんな近くに、俺が欲しかった材料が全て揃っていたとは。
本当にあの時、教室に引き返して正解だった。
笑いがようやく収まり、俺はこれからのことを考え始めた。
まずは、健人と友達になろう。その後で、やつと國藤の関係を探るんだ。それからだ。國藤を殺すのは。
しばらく時間がかかるかもしれないな。本当はすぐに殺したいんだが、ここは我慢しよう。
これからのことを考え、俺は意気揚々と帰路についた。